『チャー坊と出会った日 』もうひとつの村八分1-5/村瀬シゲト
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年05月04日
[チャーボー&ゆう(by Yu)]2/2《柴田和志&小野雄二》
【10年以上が過ぎて………】
◆古紙回収
私が鳥羽街道の借家の整理のため、
正覚町付近を歩いていた時、
「ゆうさん」とふいに声を掛けられたのです。
それがチャーボーでした。
古紙回収の軽トラに乗っていました。
確か運転していた山口冨士夫君だったと思います。
◆ヘロインは上品
チャーボー曰く、ありとあらゆる麻薬を経験したようです。
南米(ペルーetc)は豊富だったようです。 ※昭和51年(1976)
「麻薬評論家になれるかも?」と言っていました。
麻薬の中で、一番上品なのでは何と言っても
「ヘロイン」だと…。
上品という意味は不明ですが、
その道の人なら理解できるのかもしれません。
◎「京大西部講堂でコンサートやっていた時は、
バッシュ履いて、フットワークよく動き回っていたで。」
とチャーボーが言っていた。
(私は村八分のコンサートは一度も見たことがない)
―略―
この記事へのコメント
1. Posted by 小野雄二 2018年05月08日 16:42
チャーボーとは30年以上の付き合いでしたが、
村八分のミュージシャンであった彼とはほとんど接点はなかったのです。
有名なんだと伝え聞きびっくりした覚えがあります。
小学生/中学生そしてヒッピー?(最近は死語のような)/
ロックミュージシャンへと変貌、薬漬けになったり、
その一風変わった様子には少し驚きもありましたが、
彼の持っている感性に対しては違和感を感じることはなかったのです。
いつどこで会っても普段の彼でした。
もうすぐ亡くなって四半世紀になるんですね。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年05月03日 05:00 ◆柴田和志 小野雄二
[チャーボー&ゆう(by Yu)]1/2《柴田和志&小野雄二》
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