◆「満洲に関する用兵的観察 第12巻」昭和27年

「満洲に関する用兵的観察 第12巻 昭和27年11月」③

「満洲に関する用兵的観察 第12巻 昭和27年11月」③

《寫眞㐧一》 p1/36
[現在の金日成と大分異る]  ※右側に記載
[東北抗日第一路軍第二方面軍]※左側に記載
3700-01
〔画像〕3700-01

《寫眞㐧一》 p2/36
東北抗日第一路軍第二方面軍
メ印第二方面軍長 金日成(共匪ノ撮影セルモノ)
3700-02
〔画像〕3700-02

《寫眞㐧二》 p3/36
區名? 崔賢
3700-03
〔画像〕3700-03

《寫眞㐧二》 p4/36
3700-04
〔画像〕3700-04

《寫眞㐧三》 p5/36
東北抗日第一路軍 女匪員
(共匪ノ撮影セルモノ)
3700-05
〔画像〕3700-05

《寫眞㐧三》 p6/36
東北抗日第一路軍 女匪員
(共匪ノ撮影セルモノ)
3700-06
〔画像〕3700-06
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6 レファレンスコード C13010013700
件名 第12巻・第4篇/第9章 匪賊及住民(3)
【 画像数 】36【 種別 】写真, 図
昭和27年11月 復員局資料整理課 陸軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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 第十章 気象(1) p1/38
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7 レファレンスコード C13010013800
件名 第12巻・第4篇/第10章 気象(1)
【 画像数 】38
昭和27年11月 復員局資料整理課 陸軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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    第六款 雲 p1/30
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8 レファレンスコード C13010013900
件名 第12巻・第4篇/第10章 気象(2)
【 画像数 】30
昭和27年11月 復員局資料整理課 陸軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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「満洲に関する用兵的観察 第12巻 昭和27年11月」②

「満洲に関する用兵的観察 第12巻 昭和27年11月」②

 第九章 匪賊及び住民 p1/49
  第一節 昭和十四年頃の匪勢概観
   第一款 匪賊と環境

    其の一 匪賊の種類 p2/49
     (一)土 匪
     (二)思想匪

    其の二 匪賊と外部との関係 p4/49
     (一)ソ聯と匪賊
        ―略―
3500-04
〔画像〕3500-04

ソ聯に糸をひく匪賊には p5/49
鮮人を匪首とするものが多く
その尤もなるものを
金日成(当時二十九才)とし
朴得範、崔賢、全光などの幹部が居る。
これら匪首の年齢を一瞥すると、
どれもこれも三十才以下の若者であることは
特に注意する必要がある。

就中 金日成(写真㐧一参照)は ※別稿に記載
在満朝鮮人間に多大の人気があり、
彼を目して朝鮮の英雄と賞賛し、
物心両面から密かに援助する者が多い
3500-05
〔画像〕3500-05

との噂が多かつた。 p6/49
金日成がソ聯邦と密接な関係がありと断定した理由は
彼が関東軍の討伐に会ひ、
滿洲内に潜むことができなくなると
必ず暉春北方地区からソ領に逃走し
討伐部隊が引き揚げると再び入満した
歷然たる証拠があつたからである。

     (二)重慶政権と匪賊
在満匪賊が重慶政権と如何なる関係にあつたかに就ては
金日成とソ聯のやうな確たる証拠はない。
(支那事変によつて中共が重慶と合体したゝめ、
 重慶政権の中には当然中国共産黨を含むものと
 承知せられたい。)

ただ彼ら匪賊が自ら中国共産黨と称へ、
中国政府の指令をうけて行動すると宣言し、
失地の回復と反満抗日を標謗して居たなどの点から
彼らと重慶政権とは
密接不離の関係にあつたものと推測するのである。

しかし彼らは
金日成がソ聯から武器や弾薬の供給を受けて居たやうなこ
3500-06
〔画像〕3500-06

とはなく、 p7/49
更にいかに苦しくなつても
滿洲から逃れる術もない。
ただ単に精神的の連繋があつたと想像する訳である。

これら匪賊の頭目を列挙すると
揚靖宇、陳翰章、曹亞範、金光などで
金光を除く外は漢人であることも、
ソ聯に操縦せられる匪首が朝鮮人であつたのと違う所であり、
また、これらの匪首が全部殺害せられるか
進退窮つて投降したことも
前者と違う点であらう。
 ―略―
3500-07
〔画像〕3500-07
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4 レファレンスコード C13010013500
件名 第12巻・第4篇/第9章 匪賊及住民(1)
【 画像数 】49【 種別 】図
昭和27年11月 復員局資料整理課 陸軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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 (二)討伐に任ずる部隊の心掛 p1/36
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5 レファレンスコード C13010013600
件名 第12巻・第4篇/第9章 匪賊及住民(2)
【 画像数 】36
昭和27年11月 復員局資料整理課 陸軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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「満洲に関する用兵的観察 第12巻 昭和27年11月」①

「満洲に関する用兵的観察 第12巻 昭和27年11月」①

満洲に関する用兵的観察 第十二巻
 第四篇 満洲に於ける各種作戦の史的観察
  第九章 匪賊 及 住民
  第十章 気象
      昭和二十七年十一月
      防衛研修所戰史室
       復員局資料整理課
3200-1
〔画像〕3200-1
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1 レファレンスコード C13010013200
件名 表紙「満洲に関する用兵的観察 第12巻 昭和27年11月」
【 画像数 】1
昭和27年12月 復員局資料整理課 陸軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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満洲に関する用兵的観察 第十二巻
 第四篇 満洲に於ける各種作戦の史的観察
  第九章 匪賊 及 住民
  第十章 気象
      昭和二十七年十一月
       復員局資料整理課
3300-1
〔画像〕3300-1

   編輯担任者 元中佐 橋本正勝
   資料提供者 元大佐 倉沢勤三郎
   同     元大佐 古林和一郎
   同     元少佐 荻洲博之
右の者の軍歴の概要左の如し

   橋本正勝
 昭和 八年(一九三三)十月 任陸軍砲兵少尉
 昭和 十年      十月 任陸軍砲兵中尉
 昭和十三年      三月 任陸軍砲兵大尉
 昭和十五年      六月 陸軍大学校卒業
 昭和十五年     十二月 補関東軍参謀(總動員業務)
 昭和十六年      十月 任陸軍少佐
 昭和十八年      一月 補陸軍省軍務局課員
 昭和十八年     十一月 補大本営陸軍参謀
3300-2
〔画像〕3300-2

 昭和二十年      四月 補第二總軍参謀(作戦)
 昭和二十年      六月 任陸軍中佐

   倉沢勤三郎
 大正十一年(一九二二)七月 陸軍士官学校卒業
 同   年      十月 任陸軍砲兵少尉
 同 十四年      十月 任陸軍砲兵中尉
 昭和 七年(一九三二)四月 任陸軍砲兵大尉
 同   年     十二月 陸軍大学校入校
 同  十年     十二月 陸軍大学校卒業
 同 十一年     十二月 補東京警備参謀
 同 十二年      八月 任陸軍砲兵少佐
 同 十三年     十二月 補関東軍参謀
 同 十四年      八月 任陸軍砲兵中佐
3300-3
〔画像〕3300-3

 昭和十六年      八月 補東部軍参謀
 同 十七年      七月 補第二軍参謀(満洲)
 同          八月 任陸軍大佐
 同 十九年      二月 補第二十九軍参謀(馬来)

   古林和一郎
 昭和十 年 十二月二十五日 陸軍習志野学校
              (化学気象研究担任)
               研究部主事
               此間に研究のため満洲出張六回
                     中華民国出張二回
 昭和十六年 十二月二十五日 関東軍司令部附
              (気象研究調査班長)
               企劃院大東亞気象協議会常任委員
3300-4
〔画像〕3300-4

 昭和十八年 十二月二十七日 陸軍気象部總務課長、
               陸軍中央気象部課長
               兼陸軍大学兵学教官
                陸海軍気象委員会委員
                学術振興会第九特別委員会委員
 昭和二十年  三月 十七日 気象第四聯隊長
           (戦闘地域、中華民国全土、南滿洲、朝鮮)
 昭和二十一年 五月  十日 中央気象台囑託
              (産業気象関係担任)
 昭和二十二年 七月三十一日 追放令該当につき辞職

   荻洲博之
 昭和 十二年    十二月 陸軍砲兵学校教官(気象)
 昭和 十三年     四月 陸軍気象部教官(統計、研究調査班長)
                     (砲兵気象、兵要気象誌)
                      教官
 昭和 十三年     八月 同右参謀本部兼勤(兵要地誌関係)
3300-5
〔画像〕3300-5

 昭和 十五年     八月 関東軍気象隊中隊長
                  (斉々哈郊外衛内屯)
 昭和 十六年     四月 第二気象聯隊大隊長(新京)
 昭和 十六年     八月 第二気象聯隊附(教育主任、企畫部長)
 昭和 十八年     四月 第二航空軍気象部長
               一時関東軍司令部兼勤
 昭和 二十年     七月 第二気象隊長(大阪)
 昭和 二十年     八月 終戦
3300-6
〔画像〕3300-6
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2 レファレンスコード C13010013300
件名 満洲に関する用兵的観察
   第12巻 第4篇 満洲に於ける各種作戦の史的観察
   第9章 匪賊及住民、第10章 気象
【 画像数 】6
昭和27年11月 復員局資料整理課 陸軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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 目次 p1-6/6
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3 レファレンスコード C13010013400
件名 目次「満洲に関する用兵的観察 第12巻
   第4篇 満洲に於ける各種作戦の史的観察
   第9章 匪賊及住民、第10章 気象」
【 画像数 】6
昭和27年11月 復員局資料整理課 陸軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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