◆【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

『日本撮影監督名鑑』[小笠原プロダクション]【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

『日本撮影監督名鑑』
[小笠原プロダクション]
【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

小笠原プロダクション p179/334

日本撮影監督名鑑 p181/334
 凡 例
( )内は雅號
〔一〕現住所 〔二〕生年月日 〔三〕生地  〔四〕學歷
〔五〕職業歷 〔六〕撮影歷  〔七〕處女作品
〔八〕昨年度主要作品     〔九〕趣味  〔十〕愛讀書
〔十一〕豊富 〔十二〕備考

D,小笠原プロダクション p187/334
小笠原長隆(明峰)
〔一〕
〔二〕 明治卅三年(1900)六月二十六日。
〔三〕 東京府代々幡。
〔四〕 明治大學商科卒業。
〔五〕
〔六〕 三色すみれ、落葉の唄、海賊島、水兵の母等。
〔七〕 愛の導き。
〔八〕 日本武尊の豫定。
〔九〕 映畫製作を除いては六代目の芝居を見物すること。
〔十〕 默阿彌先生の脚本。
〔十一〕自分の天職を全うする爲にどうしても
    世界第何番位の製作者になつてやりたいと思ひます。
〔十二〕

小笠原長英(三善英芳)
〔一〕
〔二〕 明治三十五年(1902)七月廿六日。
〔三〕 代々幡町。
〔四〕 學習院卒業。
〔五〕
〔六〕 行けロスアンゼルス、泥棒日記、天馬嘶く等。
〔七〕 行けロスアンゼルス。
〔八〕 西遊記の豫定。
〔九〕 映畫觀賞、長唄、甘いものを食ふ等。
〔十〕 近松先生、默阿彌先生の脚本、泉鏡花のもの。
〔十一〕日本趣味を發揮した喜劇を製りたいと思ふ。
〔十二〕
大正十三、四年度 映畫年鑑 【定價】一圓八十錢
  不許複製
大正十四年六月 八日印刷
大正十四年六月十三日發行
著作兼發行兼印刷人
    成澤金兵衛
印刷所 東京市京橋區瀧山町一・二・三番地
    東京朝日新聞發行所
發行所 東京市京橋區瀧山町一、二、三番地
    株式會社 朝日新聞社支店
    東京朝日新聞發行所

【学習院一覧. 昭和5年12月纂】
◉初等學科卒業 p130/176
大正二年三月
小笠原長隆
◉中等科卒業 p116/176
大正九年三月
小笠原長隆

◉初等學科卒業 p131/176
大正四年三月
小笠原長英
昭和六年四月三十日印刷
昭和六年五月十一日發行
    學 習 院
印刷者 兩角正右
    東京府下中野町多田六十三番地
印刷所 旭印刷所
    東京府下中野町多田六十三番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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『日本撮影監督名鑑』[東亞キネマ株式會社]助監督【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

『日本撮影監督名鑑』
[東亞キネマ株式會社]助監督
【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

【日本映画年鑑. 大正13・4年度】
日本撮影監督名鑑 p181/334
 凡 例
( )内は雅號
〔一〕現住所 〔二〕生年月日 〔三〕生地  〔四〕學歷
〔五〕職業歷 〔六〕撮影歷  〔七〕處女作品
〔八〕昨年度主要作品     〔九〕趣味  〔十〕愛讀書
〔十一〕豊富 〔十二〕備考

C、東亞キネマ株式會社 p184-7/334
  △助監督      p186-7/334
檜山美都
〔一〕
〔二〕 明治卅三年(1900)十二月二十五日。
〔三〕 廣島市荒神町。
〔四〕 日本大學 文學科 卒業。
〔五〕 有りとも云ひ、無しとも云ふ、極めて雜多。
〔六〕 
〔七〕 
〔八〕 
〔九〕 音樂、讀書。
〔十〕 獨逸近世の古典劇の或る物、マーテルリンクの戯曲、
    ヴント其の他。
〔十一〕猛烈な革命的劇壇運動、
    雄大な、深刻な古典及社會劇映畫の製作、
    小供の夢の如し。
〔十二〕

小坂 齊(柳蛙)
〔一〕 
〔二〕 明治卅年(1897)三月五日。
〔三〕 神戸市。
〔四〕 關西學院 中學部 卒業。
〔五〕 
〔六〕 活動常設館 經營。
〔七〕 
〔八〕 
〔九〕 劇。
〔十〕 岡本綺堂氏の脚本集 其他 脚本集 種々。
〔十一〕
〔十二〕ポロダクシヨンの設立。

内藤正雄
〔一〕 甲陽園 東亞キネマ社宅。
〔二〕 明治三十四年(1901)四月五日。
〔三〕 石川縣金澤市。
〔四〕 早大英語科 卒業。
〔五〕 社會事業。
〔六〕 
〔七〕 
〔八〕 
〔九〕 ?と音樂。
〔十〕 ゲーテとの對話、ヱツケンルマン。
〔十一〕地味な作品を作りたい。
〔十二〕

鷲見久雄
〔一〕 
〔二〕 明治卅八年(1905)三月十三日。
〔三〕 岐阜縣惠那郡。
〔四〕 中學三年にて退學。
〔五〕 大正八年より大正十年まで 小學校 敎員生活、
    藥種商をなす。
〔六〕 大正十二年十一月より 東亞キネマ撮影助手
    引きつづき 大正十三年九月まで勤務。
〔七〕 或る兄弟と城主、助監督。
〔八〕 
〔九〕 映畫を見る事、テニス。
〔十〕 あらゆる小説、飛行機に關する書物。
〔十一〕徒らに故人の轍を踏んだり、
    他人の模倣に專心であるよりも
    進んでよき物を求め度いと思ふ。
〔十二〕

横田豐秋
〔一〕 兵庫縣武庫郡公陽公園 東亞社宅。 ※公陽⇒甲陽
〔二〕 明治三十六年(1903)八月廿七日。
〔三〕 東京市麴町區内幸町。
〔四〕 東京 芝公園 私立 正則中學 卒業。
〔五〕 大活 解散後 食ふに困り 活字鑄造職工、
    凸版印版職工となりて二年程かせぎたり。
〔六〕 日活、大活、帝キネ、東亞。
〔七〕 
〔八〕 
〔九〕 
〔十〕 
〔十一〕
〔十二〕日活、大活は技術部にありしも
    感ずる所ありて 監督部へ入る。
大正十三、四年度 映畫年鑑 【定價】一圓八十錢
  不許複製
大正十四年六月 八日印刷
大正十四年六月十三日發行
著作兼發行兼印刷人
    成澤金兵衛
印刷所 東京市京橋區瀧山町一・二・三番地
    東京朝日新聞發行所
發行所 東京市京橋區瀧山町一、二、三番地
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『日本撮影監督名鑑』[東亞キネマ株式會社]監督【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

『日本撮影監督名鑑』
[東亞キネマ株式會社]監督
【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

【日本映画年鑑. 大正13・4年度】
日本撮影監督名鑑 p181/334
 凡 例
( )内は雅號
〔一〕現住所 〔二〕生年月日 〔三〕生地  〔四〕學歷
〔五〕職業歷 〔六〕撮影歷  〔七〕處女作品
〔八〕昨年度主要作品     〔九〕趣味  〔十〕愛讀書
〔十一〕豊富 〔十二〕備考

C、東亞キネマ株式會社 p184-6/334
二川文太郎
〔一〕 京都 花園 龍安寺前
〔二〕 明治卅二年(1899)六月十八日。
〔三〕 東京市。
〔四〕 中央大學 經濟科 中途退學。
〔五〕 大正十年四月 横濱大正活映に俳優として入社 技術部兼務、
    同年十一月 京都牧野敎育映畫製作所に轉社。
〔六〕 マキノキネマ、東亞キネマと引續き在任、
    タイトル撮影 カツテイング脚本書より監督となる。
〔七〕 蜃氣樓。
〔八〕 怪傑鷹、武惡の面、情熱の火、戀の獵人。
〔九〕 野球、庭球、音樂、美術。
〔十〕 眞書太閤記、夏目漱石物、近松物、北斎物。
〔十一〕民衆に親しみ多き敎育映畫の製作 遣りたし。
〔十二〕

賀古源五郎(殘夢) p184-185/334
〔一〕 
〔二〕 明治二年一月十三日。※1869年2月23日
〔三〕 金澤市。
〔四〕 露國神學校 卒業。
〔五〕 傳導師、新聞記者、新派劇、喜劇作者。
〔六〕 小林商會、國活、松竹キネマ。
〔七〕 井上正夫 主演、生さぬ仲。
〔八〕 牡丹燈籠、煩惱の鑿、高野長英、
〔九〕 書畫。
〔十〕 舊約聖書と落語。
〔十一〕金持ちに—。
〔十二〕

金森政治郎(萬象)
〔一〕 京都市御幸町御池角 牧野省三氏方。
〔二〕 明治二十八年(1895)七月十日。
〔三〕 京都市東洞松原。
〔四〕 京都市立 第二高等小學校 卒業。
〔五〕 大正六年 活動寫眞雜誌社 京都支局を開設す。
〔六〕 大正八年七月 日活關西撮影所に牧野省三氏の助監督として
    大正十年六月 牧野敎育映畫製作所へ轉じ 監督、
    撮影技師として勤務。
〔七〕 都に憧れて。
〔八〕 靑春の悲歌、爭闘。
〔九〕 謡曲、讀書。
〔十〕 北歐作家の著書。
〔十一〕
〔十二〕

衣笠貞之助
〔一〕 京都市等持院北町。
〔二〕 明治二十九年(1896)一月一日。
〔三〕 三重縣龜山町。
〔四〕 獨學。
〔五〕 俳優より監督へ。
〔六〕 大正六年 日活、大正十一年 マキノキネマ。
〔七〕 悲しき結婚。
〔八〕 
〔九〕 相の雨。
〔十〕 
〔十一〕ベース・ボール。
〔十二〕立派なヒルムが拵へたいのです。

河野正一(廣?雅妍)
〔一〕 
〔二〕 明治廿五年(1892)一月一日。
〔三〕 支那。
〔四〕 上海セント・フランス・スクール 卒業。
〔五〕 諸事業に提る。
〔六〕 牧野商會—マキノキネマ—東亞キネマ。
〔七〕 
〔八〕 
〔九〕 音樂、讀書、觀劇。
〔十〕 文藝書。
〔十一〕映畫製作と營業との別離を望む。
〔十二〕

本山裕兒
〔一〕 
〔二〕 明治三十三年(1900)十一月十三日。
〔三〕 福岡縣博多。
〔四〕 東京私立 京北中學 卒業、
    東京美術學校 半途退學す。
〔五〕 東京 丹靑座 入座、東京 北山映畫製作所、
    東京向島 日活、震災後 東亞キネマ 入社。
〔六〕 
〔七〕 散り行く魂。
〔八〕 馬賊の唄、黄塵。
〔九〕 洋畫、彫刻。
〔十〕 文學書。
〔十一〕
〔十二〕

仁科熊彦
〔一〕 京都市外 花園村 妙心寺 裏門 しなの屋方
〔二〕 明治卅一年(1898)十二月二十九日。
〔三〕 熊本市。
〔四〕 福島縣立 會津中學校 卒業。
〔五〕 
〔六〕 大正八年 國活に入り十二年まで 枝正義郎氏に就いて
    撮影及監督法を學び 十三年 東亞に入る。
〔七〕 撮影として、牛若丸、 監督として、母を尋ねて。
〔八〕 ある兄弟と城主。
〔九〕 音樂と、劇と、映畫並びにスポーツ。
〔十〕 これといつてなし。
〔十一〕文藝物の映畫化。
〔十二〕

沼田定次郎(紅綠)
〔一〕 京都市淨福寺通り下立賣下る。
〔二〕 明治廿五年(1892)四月九日。
〔三〕 京都市松屋町出水東入。
〔四〕 尋常 卒業。
〔五〕 家庭手傳 後 俳優となり、
    大正三年 日活關西撮影所に入社、
    大正六年頃より監督となる、
    大正九年 マキノ敎育映畫 入社
    續いて現在にあります。
〔六〕 
〔七〕 大正六年頃 日活にて松之助劇、郷の虎丸。
〔八〕 燃ゆる渦巻、雪の峠、花の春、遠山櫻、討るゝ者、
    淸水次郎長、刃光、時勢は移る、斬奸、戰國時代。
〔九〕 
〔十〕 コレと云ふて定めて居ません。
〔十一〕
〔十二〕

櫻庭喜八郎(靑蘭) p185-186/334
〔一〕 兵庫縣西宮字??。
〔二〕 明治三十二年(1899)十一月十二日。
〔三〕 秋田市。
〔四〕 秋田縣立 秋田中學校、
    東京 日本大學 美學科 半途退學。
〔五〕 酒商、其他なし。
〔六〕 帝キネ。
〔七〕 宿命の闇。
〔八〕 光明の前に、宿命の闇。
〔九〕 取立てゝ 此と言ふ物なし。
〔十〕 獨逸文學、佛文學、美術、美學、哲學。
〔十一〕自分の抱負を自分以外に語る事を知りません。
〔十二〕

富澤進郎
〔一〕 京都市上京 北野 市住宅六〇。
〔二〕 明治三十四年(1901)十月十日。
〔三〕 京都市。
〔四〕 京都市立 第一商業學校 豫科 卒業後
    繪畫研究に入る。
〔五〕 
〔六〕 大正十二年四月 等持院撮影所に入り
    字幕部に從事 傍 監督法を研究
    十三年八月より助監督 現在に及ぶ。
〔七〕 第一回作品、國定忠次信州落、
    二川文太郎氏監督に助監督に從事す。
〔八〕 
〔九〕 映畫、劇、野球。
〔十〕 苦樂、新潮、その他
    文藝雜誌を愛讀する事を樂しみとします。
〔十一〕抱負有る作品を發表する事の一日も早からん事を 樂しむ
    それが助監督の生命と思つて
    一日々々を有意義に送る事を望んで居ります。
〔十二〕

山本嘉次郎(平戸延介)
〔一〕
〔二〕 明治卅五年(1902)三月十五日。
〔三〕 東京市京橋區。
〔四〕 慶應義塾大學 經濟部 中途退學。
〔五〕 
〔六〕 日活、帝キネ、東亞。
〔七〕 斷雲。
〔八〕 山の神秘。
〔九〕 散歩。
〔十〕 先輩の手記。
〔十一〕映畫劇を叙述的表現より解放すること。
〔十二〕斷雲、山の神秘は、本年九月以後の作品なり
    その以前の作品なし。

山根幹人
〔一〕 京都市外 花園村一四。
〔二〕 明治廿八年(1895)十二月二十六日。
〔三〕 島根縣安濃郡河合村。
〔四〕 松江中學 四年 中途退學。
〔五〕 大正四年より雜誌記者、
    大正八年より敎育映畫製作、
    大正十三年 東亞入社。
〔六〕 大正八年より時々副業的に監督を始めました。
〔七〕 大正八年七月、勞資協調の鍵。
〔八〕 時に記すべきものはありません。
〔九〕 落語を聞くこと、野球。
〔十〕 
〔十一〕民衆娯樂としての活動寫眞を向上させること、
    社會政策の爲めの活動寫眞の利用を旺んにさせること。
〔十二〕現在では監督を殆どしてゐません、
    時折氣まぐれにするかも知れません。
大正十三、四年度 映畫年鑑 【定價】一圓八十錢
  不許複製
大正十四年六月 八日印刷
大正十四年六月十三日發行
著作兼發行兼印刷人
    成澤金兵衛
印刷所 東京市京橋區瀧山町一・二・三番地
    東京朝日新聞發行所
發行所 東京市京橋區瀧山町一、二、三番地
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『日本撮影監督名鑑』[松竹キネマ株式會社]監督【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

『日本撮影監督名鑑』
[松竹キネマ株式會社]監督
【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

【日本映画年鑑. 大正13・4年度】
日本撮影監督名鑑 p181/334
 凡 例
( )内は雅號
〔一〕現住所 〔二〕生年月日 〔三〕生地  〔四〕學歷
〔五〕職業歷 〔六〕撮影歷  〔七〕處女作品
〔八〕昨年度主要作品     〔九〕趣味  〔十〕愛讀書
〔十一〕豊富 〔十二〕備考

B、松竹キネマ株式會社 p183-4/334
太宰正夫(春峰)
〔一〕 東京市外 中澁谷町。
〔二〕 明治廿二年(1889)五月六日。
〔三〕 愛媛縣北宇和郡。
〔四〕 縣立中學より
    米國ワシントン レーキグランマー學校に轉じ
    後 パシフイツク大學に遊ぶ事 一年餘。
〔五〕 明治四十五年に 日米フイルム會社を創立
    以降 活動寫眞業につく、
    大正十二年 歸朝後 松竹に入社。
〔六〕 大正元年より十三年までに十七製作。
〔七〕 米國にて、ミスコンテクト・ウーメン。
〔八〕 果なしの海、罪なき罪。
〔九〕 旅行。
〔十〕 セキスペヤスコンプレートウオーク。
〔十一〕述べられません。
〔十二〕

池田義信 p183-184/334
〔一〕 
〔二〕 明治廿五年(1892)三月十日。
〔三〕 長野。
〔四〕 
〔五〕 特記するものなし。
〔六〕 松竹が初めてです。
〔七〕 新派大悲劇、生さぬ仲。
〔八〕 
〔九〕 
〔十〕 何でも讀む。
〔十一〕
〔十二〕

大久保忠素
〔一〕 
〔二〕 明治二十七年(1894)二月十日。
〔三〕 東京市神田。
〔四〕 明治大學文科卒業。
〔五〕 有樂座舞台監督より松竹キネマ入社。
〔六〕 
〔七〕 お初地藏。
〔八〕 カルメン、灼熱の戀。
〔九〕 運動 音樂。
〔十〕 ドストウイスキー
〔十一〕
〔十二〕

島津保次郎
〔一〕 東京府下 蒲田町字女塚四四六.
〔二〕 明治三十年(1897)六月三日。
〔三〕 神田區駿河台。
〔四〕 常盤尋常小學校、日本橋高等小學校 卒業、
    正則英語學校 卒業。
〔五〕 福島縣伊達郡湯ノ村製材所 設立
    南千住三ノ輪株式會社
    島津商店 設立 監査役。
〔六〕 撮影監督。
〔七〕 黑装束。
〔八〕 お父さん、日曜日、茶を作る家。
〔九〕 音樂、寫眞撮映、乘馬、養鶏。
〔十〕 森鴎外全集。
〔十一〕世界中に無き映畫の境地を開きたし。
〔十二〕

蔦見丈夫
〔一〕
〔二〕 明治三十五年(1902)七月卅一日。
〔三〕 東京市芝區。
〔四〕 明治學院 中途退學。
〔五〕 
〔六〕 監督。
〔七〕 少女の?み。
〔八〕 
〔九〕 洋酒。
〔十〕 
〔十一〕完成迄 秘密にして置きたし。
〔十二〕

牛原淸彦(虚彦)
〔一〕 東京府下蒲田町御園一三六。
〔二〕 明治卅年(1897)三月廿壹日。
〔三〕 熊本市。
〔四〕 東京帝國大學 英文科 大正九年出身。
〔五〕 學校卒業後 直ちに松竹キネマへ入社。
〔六〕 撮影監督。
〔七〕 山暮るる。
〔八〕 無花果、詩人と運動家、なつかしの蒲田。
〔九〕 音樂 特にレコードを集めること、
    タバコをすふこと。
〔十〕 Watts Dunton 及 George Borrow の作品
    主としてジプシイ文學。
〔十一〕別になし、いゝ寫眞を こさへれば足る。
〔十二〕

吉野二郎(半狂)
〔一〕 東京市淺草區千束町三五八
〔二〕 明治十四年(1881)八月十日。
〔三〕 東京市淺草公園。
〔四〕 
〔五〕 撮映監督。
〔六〕 
〔七〕 己が罪。
〔八〕 木下藤吉郎 及び 日光の圓藏。
〔九〕 讀書、音樂。
〔十〕 近松物。
〔十一〕在來の時代劇を徐々に改良し、
    最も堅實な藝術的價値あるものを作らうと思ふ。
〔十二〕情實の爲めに多數製作する事を廢し、
    優秀なる映畫を作る可く研究中。
大正十三、四年度 映畫年鑑 【定價】一圓八十錢
  不許複製
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大正十四年六月十三日發行
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發行所 東京市京橋區瀧山町一、二、三番地
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『日本撮影監督名鑑』[日本活動寫眞株式會社]第二部 助監督【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

『日本撮影監督名鑑』
[日本活動寫眞株式會社]第二部 助監督
【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

【日本映画年鑑. 大正13・4年度】
日本撮影監督名鑑 p181/334
 凡 例
( )内は雅號
〔一〕現住所 〔二〕生年月日 〔三〕生地  〔四〕學歷
〔五〕職業歷 〔六〕撮影歷  〔七〕處女作品
〔八〕昨年度主要作品     〔九〕趣味  〔十〕愛讀書
〔十一〕豊富 〔十二〕備考

A、日本活動寫眞株式會社 p181/334
  一、第二部      p182-183/334
    △助監督     p183/334
田坂具隆
〔一〕 
〔二〕 明治三十五年(1902)四月十四日。
〔三〕 廣島市。
〔四〕 中學 卒業。
〔五〕 新聞記者。
〔六〕 大正十三年一月 日活入社。
〔七〕 民族の黎命。 ※民族の黎明
〔八〕 たけくらべ、忍び泣く親。
〔九〕 音樂、煙草。
〔十〕 英國中世紀 及 德川時代文學書
〔十一〕唯一本にて良し、
    眞實に強き眞實に笑ふ得る映畫を作りたし。
〔十二〕

木村 勝
〔一〕 
〔二〕 明治卅五年(1902)二月廿五日。
〔三〕 東京市。
〔四〕 商業學校。
〔五〕 俳優及舞台監督助手。
〔六〕 村田實氏 助手。
〔七〕 
〔八〕 
〔九〕 音樂、旅行。
〔十〕 ゴーリキー、ミユンス・ターベルヒ、樗牛。
〔十一〕將來奥行きのある寫眞を作りたき事。
〔十二〕

高島達郎
〔一〕 
〔二〕 明治三十五年(1902)十月十一日。
〔三〕 東京市。
〔四〕 東京府立第三中學校より立敎文科豫科。
〔五〕 
〔六〕 溝口健二同監督。
〔七〕 曲馬團女王原作。
〔八〕 
〔九〕 茶がすきであること。
〔十〕 泉鏡花、愛蘭もの、獨墺ものゝ戯曲。
〔十一〕ゑらくなること。
〔十二〕

伊奈精一
〔一〕 
〔二〕 明治卅一年(1898)五月十七日。
〔三〕 東京市。
〔四〕 相州 小田原中學校。
〔五〕 北山線畫、活動寫眞資料研究會、
    舊國活=現在、日活第二部。
〔六〕 細川喜代松氏、鈴木謙作氏、若山治氏、助手。
〔七〕 曠野を行く。
〔八〕 冷火、海に鳴る男、春色梅麿。
〔九〕 日本音樂一般。
〔十〕 泉鏡花、浪六、南北默阿彌。
〔十一〕日本音樂より生れたる純日本映畫製作 並に日本における、
    漫畫線畫製作。
〔十二〕
大正十三、四年度 映畫年鑑 【定價】一圓八十錢
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『日本撮影監督名鑑』[日本活動寫眞株式會社]第二部 監督【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

『日本撮影監督名鑑』
[日本活動寫眞株式會社]第二部 監督
【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

【日本映画年鑑. 大正13・4年度】
日本撮影監督名鑑 p181/334
 凡 例
( )内は雅號
〔一〕現住所 〔二〕生年月日 〔三〕生地  〔四〕學歷
〔五〕職業歷 〔六〕撮影歷  〔七〕處女作品
〔八〕昨年度主要作品     〔九〕趣味  〔十〕愛讀書
〔十一〕豊富 〔十二〕備考

A、日本活動寫眞株式會社 p181/334
  一、第二部      p182-183/334
溝口健二
〔一〕 
〔二〕 明治卅一年(1898)五月十六日。
〔三〕 東京市。
〔四〕 轉々として、人生の岐路に。
〔五〕 彷徨すること十數年。
〔六〕 撮影監督。
〔七〕 愛に甦る日。
〔八〕 塵境、無錢不戰。
〔九〕 
〔十〕 
〔十一〕
〔十二〕

三枝源次郎
〔一〕 
〔二〕 明治卅三年(1900)九月八日。
〔三〕 東京市。
〔四〕 慶應義塾。
〔五〕 家庭にありて映畫の研究に久し。
〔六〕 大正十一年四月 東京向島撮影に入社。
〔七〕 民族の黎明。
〔八〕 たけくらべ、忍び泣く親、白鸚鵡夫人。
〔九〕 外國煙草、玩元集、長唄。
〔十〕 近松物、ロシヤ物。
〔十一〕世界的名畫の製作。
〔十二〕資本家は多くの人々の爲めに、
    金、命を掲げ出して
    人心を和らげて行くといいと思ふ如く
    同じく映畫にも同じ感。

鈴木謙作
〔一〕 京都市上京區等持院南町二十五。
〔二〕 明治十九年(1886)六月十八日。
〔三〕 横濱市
〔四〕 横濱商業學校
〔五〕 いろいろ。
〔六〕 撮影監督。
〔七〕 日活に於ては、カフエーの女。
〔八〕 常に平凡な者ばかり。
〔九〕 犬を愛する事、座談。
〔十〕 愛蘭もの。
〔十一〕遲?るばかり。
〔十二〕

若山 治(南柯) p183/334
〔一〕 京都 等持院南町。
〔二〕 明治十九年(1886)二月廿五日。
〔三〕 栃木縣足利市
〔四〕 中學 卒業。
〔五〕 藥局、辯護士の書生、俳諧師の門下より轉々今日に至る。
〔六〕 大正八年六月 日活向島へ初めて監督となる。
〔七〕 自作脚本、紅の刃。
〔八〕 
〔九〕 座談、芝居、淸元。
〔十〕 俳書、戯曲もの、童話もの。
〔十一〕少年少女の出演映畫のみ作つて見たい。
〔十二〕思想善導社會敎化の効果ありし映畫を作りたる場合には
    政府が奬勵金でも出すといゝと思ふ。
大正十三、四年度 映畫年鑑 【定價】一圓八十錢
  不許複製
大正十四年六月 八日印刷
大正十四年六月十三日發行
著作兼發行兼印刷人
    成澤金兵衛
印刷所 東京市京橋區瀧山町一・二・三番地
    東京朝日新聞發行所
發行所 東京市京橋區瀧山町一、二、三番地
    株式會社 朝日新聞社支店
    東京朝日新聞發行所
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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『日本撮影監督名鑑』[日本活動寫眞株式會社]第一部 助監督【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

『日本撮影監督名鑑』
[日本活動寫眞株式會社]第一部 助監督
【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

【日本映画年鑑. 大正13・4年度】
日本撮影監督名鑑 p181/334
 凡 例
( )内は雅號
〔一〕現住所 〔二〕生年月日 〔三〕生地  〔四〕學歷
〔五〕職業歷 〔六〕撮影歷  〔七〕處女作品
〔八〕昨年度主要作品     〔九〕趣味  〔十〕愛讀書
〔十一〕豊富 〔十二〕備考

A、日本活動寫眞株式會社 p181/334
  一、第一部
    △助監督     p182/334
岡本喜一郎(﹅樂)
〔一〕 京都市仁和寺街道御前通東入
〔二〕 明治十一年(1878)七月十五日。
〔三〕 京都市上京區。
〔四〕 尋常四年 終了。
〔五〕 袋物職、
    京都市千本座 科白主任 在勤六年、
    大宮帝國館 大正十二年九月 撮影監督助手として入社
    今日に至る。
    明治三十八年十月 雇俳優として日活に入社
    大正六年 退社。
〔六〕 
〔七〕 
〔八〕 
〔九〕 演藝、淨瑠璃、歌。
〔十〕 講談本、小説。
〔十一〕
〔十二〕

大池源太郎
〔一〕 京都市上京區今出川上ル西入畠山町二〇八
〔二〕 明治十四年(1881)一月十四日。
〔三〕 名古屋市
〔四〕 尋常高等小學校 修業。
〔五〕 大正九年八月下旬 日活第二部 幹部俳優に入社し
    市川姉藏氏 死去後 第一部に變入 其後
    大正十三年一月 舞台監督助手となる。
〔六〕 
〔七〕 
〔八〕 
〔九〕 脚本を讀む事、活動寫眞觀る等。
〔十〕 活動に對する本。
〔十一〕舞台監督を望む。
〔十二〕

山路 信(孤夢草)
〔一〕 京都市外 太秦村安井。
〔二〕 明治廿七年(1894)四月廿五日。
〔三〕 東京市。
〔四〕 小學校 卒業。
〔五〕 書籍店の小僧、諸工場の職工、雜誌記者等。
〔六〕 大正十二年 松之助氏の時代劇部員となる。
〔七〕
〔八〕
〔九〕 活動寫眞を見る事。
〔十〕 武勇傳。
〔十一〕
〔十二〕常に忠君愛國主義を皷吹す。

吉本淸壽(甫夢)
〔一〕 京都市下京區。
〔二〕 明治二十年(1887)十二月八日。
〔三〕 大阪市北區。
〔四〕 高等小學校 卒業。
〔五〕 幼にして新劇に加入 中年舊劇に馳せ 活俳に轉ず。
〔六〕 大正十二年 監督助手となる。
〔七〕
〔八〕
〔九〕 讀書と映畫。
〔十〕 情話と武勇傳。
〔十一〕
〔十二〕
大正十三、四年度 映畫年鑑 【定價】一圓八十錢
  不許複製
大正十四年六月 八日印刷
大正十四年六月十三日發行
著作兼發行兼印刷人
    成澤金兵衛
印刷所 東京市京橋區瀧山町一・二・三番地
    東京朝日新聞發行所
發行所 東京市京橋區瀧山町一、二、三番地
    株式會社 朝日新聞社支店
    東京朝日新聞發行所
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『日本撮影監督名鑑』[日本活動寫眞株式會社]第一部 監督【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

『日本撮影監督名鑑』
[日本活動寫眞株式會社]第一部 監督
【日本映画年鑑. 大正13・4年度】

【日本映画年鑑. 大正13・4年度】
日本撮影監督名鑑 p181/334
 凡 例
( )内は雅號
〔一〕現住所 〔二〕生年月日 〔三〕生地  〔四〕學歷
〔五〕職業歷 〔六〕撮影歷  〔七〕處女作品
〔八〕昨年度主要作品     〔九〕趣味  〔十〕愛讀書
〔十一〕豊富 〔十二〕備考

A、日本活動寫眞株式會社 p181/334
  一、第一部
波多野安正(冷洋)
〔一〕
〔二〕 明治廿年(1887)十二月十三日。
〔三〕 大分縣
〔四〕 大分縣立中學校 二年修業。
〔五〕 明治四十二年 大阪朝日座新派へ。
〔六〕 大正元年二月 日活へ、同八年 國活へ、
    同十二年 再び日活へ入社。
〔七〕 植物の娘。
〔八〕 憂國の士。
〔十〕 文藝に關する書類、中央公論。
〔十一〕未來の大監督。
〔十二〕

池田富保
〔一〕
〔二〕 明治廿五年(1892)五月十五日。
〔三〕 兵庫懸美嚢郡
〔四〕 中學 半途退學。
〔五〕 俳優及び會社員。
〔六〕 撮影監督。
〔七〕 「渡し守と武士」
〔八〕 「燃ゆる渦巻」「老女村岡」
〔九〕 創作物の舞台劇と映畫。
〔十〕 往昔の傳説物或は實説書類。
〔十一〕武士道劇忠孝愛國劇の進歩向上を計り
    海外輸出映畫の作製を望む。
〔十二〕

小林彌六(呑酒)
〔一〕
〔二〕 明治十一年(1878)十一月一日生。
〔三〕 金澤市
〔四〕 專門學校
〔五〕 明治四十年 京都横田商會に撮影技士として入會
    大正元年 同會は日活へ繼承と共に撮影監督として入社
    今日に至る。
〔六〕
〔七〕 怪猫佐賀の夜櫻。
〔八〕 大杯酒戰の剛者。
〔九〕
〔十〕 古事記。
〔十一〕酒。
〔十二〕映畫の發典。

高橋 章(笙靑)
〔一〕 京都 上京 大將軍 鷹司町二四ノ四
〔二〕 明治廿九年(1896)十月廿四日。
〔三〕 滋賀縣矢甲郡甚七町六番地
〔四〕 東京築地工學校 中途退學、
    京都工學校 卒業 今に至る。
〔五〕 撮影技士より今に至る。
〔六〕
〔七〕 三河武士。
〔八〕 三河武士。
〔九〕 書畫、子供。
〔十〕 東西を通ずる歷史。
〔十一〕將來映畫の上に常に一貫せる理想的主義を語らんとす。
〔十二〕

辻 吉郎
〔一〕 京都市上京區上植木町千本東入。
〔二〕 明治廿五年(1892)八月廿四日。
〔三〕 秋田市。
〔四〕 秋田縣立 横手中學 二年迄
    東京大成中學 四年中途退學。
〔五〕 日活入社迄 職業的處世 何等なし。
〔六〕 大正六年 俳優部に入り
    同八年 監督部に入る。
〔七〕 山中鹿之助。
〔八〕 高野長英、其他二三種。
〔九〕 文藝。
〔十〕 創作書。
〔十一〕映畫製作 進歩向上を。
〔十二〕

    第一部(舊劇) p182/334
築山光吉(鹿仙)
〔一〕 
〔二〕 明治十八年(1885)十二月十五日。
〔三〕 大阪市阪町
〔四〕 第一中學 卒業。
〔五〕 俳優。
〔六〕 監督。
〔七〕 お夏淸十郎
〔八〕 涙の捕繩。
〔九〕 
〔十〕 
〔十一〕院本。
〔十二〕
大正十三、四年度 映畫年鑑 【定價】一圓八十錢
  不許複製
大正十四年六月 八日印刷
大正十四年六月十三日發行
著作兼發行兼印刷人
    成澤金兵衛
印刷所 東京市京橋區瀧山町一・二・三番地
    東京朝日新聞發行所
發行所 東京市京橋區瀧山町一、二、三番地
    株式會社 朝日新聞社支店
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