《小野すみ》小野墨・松村墨

[母方の従兄松村仙造の妻すみ子]大隈重信の幕友、政治学者小野梓の娘、東京女子高等師範出身の才媛『鈴江言一伝』昭和59年

[母方の従兄松村仙造の妻すみ子]
大隈重信の幕友、政治学者小野梓の娘、
東京女子高等師範出身の才媛
『鈴江言一伝』昭和59年(1984)

 鈴江言一伝
 中国革命にかけた一日本人
 衛藤瀋吉 許淑真 著
 東京大学出版会
鈴江言一伝_001
〔画像〕鈴江言一伝_001

 この伝記が完成するまでに、
鈴江浪子、伊藤武雄、故加藤惟孝、
阪谷芳直の四氏をはじめ、
まことに多くの方々の協力を得た。
宇野たか、大国以都雄、大田遼一郎、小倉倉一、
風間丈吉、川合貞吉、 ―略―
 東大退官を控えて 衛藤瀋吉
鈴江言一伝_002
〔画像〕鈴江言一伝_002

幼時の不遇は、  p5
少年の反骨と夢と野心を逞しく育てあげた。
次兄はこの将来の夢を壮語する言一のことを、
「ホラ松」とあだ名をつけていた。

だが、この頃の少年言一を知る
母方の従兄松村仙造の妻すみ子は、
竹次郎と異なって、
大いに言一の才気と侠気を愛した。

言一が松村家を訪れた時は、
実の弟以上に可愛がり、
心を許して語りかけたという。

すみ子は大隈重信の幕友、
政治学者小野梓の娘、
東京女子高等師範出身の才媛だった。

仙造・すみ子の長女は後、
大国以都雄の妻となり、
この縁で言一と大国とは長じてのちも
つき合いつづける。(11)
鈴江言一伝_003
〔画像〕鈴江言一伝_003

 密使として来たのは、  p112
現在判明した限りでは以上述べた二度に過ぎないが、
実際はもっと頻繁に来ていたことはほぼ間違いない。
鈴江が度々泊った親戚の大国以都雄によると、
一年に四回程来たこともあるという。
関西では日本の情勢判断、大阪の経済状態、
東京では軍部の動き、政治の動き、
田中義一など大陸に関係ある人物の動きについて
調べて帰ったとのことである。(54)
鈴江言一伝_004
〔画像〕鈴江言一伝_004

227 註(第五章)  p227
(54) 大国以都雄談(一九六一年十一月四日)昭和36年
鈴江言一伝_005
〔画像〕鈴江言一伝_005

衛藤瀋吉
1923年 瀋陽に生まれる
1948年 東京大学法学部卒業
現  在 青山学院大学教授

許淑真
1936年 台北に生まれる
1963年 東京大学大学院修士課程卒業
現  在 摂南大学助教授

鈴江言一伝 1984年4月15日 初版
      [検印廃止]
著 者 衛藤瀋吉 許淑真 ©
発行所 財団法人 東京大学出版会
    代表者  田中英夫
    113 東京都文京区本郷7-3-1 東大構内
    電話(811)8814・振替東京6-59964
印刷所 研究社印刷株式会社
製本所 牧製本印刷株式会社
鈴江言一伝_006
〔画像〕鈴江言一伝_006

鈴江言一伝 中国革命にかけた一日本人
[単行本][1984]衛藤瀋吉 許淑真
注文日 2023年1月31日(火)
購入者の名前 小野一雄
出品者の名前 古書籍商 言ノ葉堂
商品の小計  ¥416
配送料の合計 ¥350
商品別の合計 ¥766
Amazonポイント 4ポイント
鈴江言一伝_領収書
〔画像〕鈴江言一伝_領収書
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[第三種補給生] 鈴江言一
昭和九年四月十八日
明治大學總長 木下友三郎
昭和九年三月三十一日
在中華民國日本公使館
公使館一等書記官 中山詳一
鈴江言一
原 籍 東京市日本橋區小網町三丁目四番地
現住所 中華民國北平市東城貢院西大街九號
中江丑吉 明治廿二年八月十四日生
レファレンスコード B05015636300
件名2.鈴江言一
外務省外交史料館 戦前期外務省記録
H門 東方文化事業 5類 学費補給、諸補給
7項 在華本邦留学生
0目 在華本邦第三種補給生関係雑件/
補給実施関係 第五巻
[規模]69
作成年月日 昭和9年4月16日
作成者 坪上文化事業部長//明治大学総長木下友三郎
組織歴 外務省//外務省文化事業部//外務省文化事業部
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《鈴江言一》母方の従兄(いとこ)
松村仙造の妻すみ子(小野梓の娘)
【教養学科紀要 (7)】昭和50年
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《鈴江言一》母方の従兄(いとこ)松村仙造の妻すみ子(小野梓の娘)【教養学科紀要 (7)】昭和50年

《鈴江言一》母方の従兄(いとこ)
松村仙造の妻すみ子(小野梓の娘)
【教養学科紀要 (7)】昭和50年

【教養学科紀要 (7)】昭和50年(1975)
著者    東京大学教養学部教養学科 編
出版者   東京大学教養学部教養学科
出版年月日 1975-03
 若き日の鈴江言一  p2/92
 ―中国革命のなかの一日本人—
 東京大学教養学部国際関係論研究室(著)
   第一章
 鈴江言一は、
一八九四年(明治二十七年)十二月三十一日、
島根県飯石郡飯石村大字多久和一一六四
(現三刀屋町大字多久和)に
[泰蔵・たる]の八男として生まれた。
ただし、戸籍上は十二月十一日生まれになっている。
当時、父泰蔵は国会議員であり、
(明治二十七年九月から明治三十年十二月まで)
盛んに殖産事業に手を出していた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1722196/1/2

(明治34年)一九〇一年、
言一は飯石村尋常小学校に入学。
数年後、泰蔵が病で倒れたので、
[たる]は言一を連れて京都へ移った。
言一は京都の小学校三年に編入。
七条堀川あたりに住み、極貧の中にあったという。
(明治39年)一九〇六年二月十一日、
泰蔵は京都で不帰の人となった。
翌年、言一は早くも母から離され、
  ※翌年(1907)⇒前年(1905)
   【中江丑吉書簡集】1964
   https://dl.ndl.go.jp/pid/2985848/1/225
次兄竹次郎のもとへ引きとられた。
その一、二年前、竹次郎が鐘紡へ入社、
神戸市和田岬の社宅に住むようになったからである。
(明治40年)一九〇七年、
言一は兄の家から
神戸市道場尋常高等小学校高等科に入学。
(明治42年)一九〇九年 ※鈴江言一:15歳
同校同科を卒業した。

注記:太字部は『鈴江言一伝』と表現が違う所がある。
幼時の不遇は、少年の反骨を逞しく育てあげた。
次兄はこの反骨逞しい言一のことを
「木う松」とあだ名をつけていた。
 ※「ホラ松」:『鈴江言一伝』p5
だが、母方の従兄(いとこ)
松村仙造の妻すみ子は、
しきりに言一の才気と侠気を愛した。
言一が同家に客たりし時は、
実の同胞に会したる以上に
胸襟を開いて歓談したという。
すみ子は政客小野梓の娘、
女高師出の才媛・    ※松村墨(小野墨):下記
仙造・すみ子の長女は  ※松村 弘(こう):下記
大本教の大国以都雄の妻である。※大国 弘:下記
(11) ※下記 (11)

   第二章 北京に赴くまで
    第一節 書生時代
一九〇五年(1909年の誤記?)、
明治42年(1909)、
神戸市道場尋常高等小学高等科を卒業した言一は、
ちょうど兄竹次郎が鐘紡中島支店に転勤となったので、
同行して大阪府西成郡中島村柴島(現大阪市東淀川区)の
鐘紡社宅に移った。
ここに三ケ月程いて、
やがて竹次郎の慶大の先輩占部百太郎を通じて
「北川」某なる弁護士の書生となるべく単身上京した。
p3【教養学科紀要 (7)】昭和50年(1975)
〔画像〕p3【教養学科紀要 (7)】昭和50年(1975)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1722196/1/3

(1)加藤惟孝談(一九六一年九月八日)
(2)鈴江竹次郎『家史』及び三刀屋町長富田勇の
 鈴江新一宛書簡(一九七二年五月十一日付)
 新一は言一次兄竹次郎の次男。
p27-1【教養学科紀要 (7)】昭和50年(1975)
〔画像〕p27-1【教養学科紀要 (7)】昭和50年(1975)
p27-2【教養学科紀要 (7)】昭和50年(1975)
(3)前掲『家史』による。
(4)衆議院事務局
 『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員略歴』
 衆議院事務局、昭和十一年十二月。
 前掲『家史』
(5)鈴江新一の許淑真宛書簡
 (一九六一年六月五日付)
(6)重富福太郎の鈴江新一宛書簡
 (一九七二年四月十六日付)
 重富の父は元鈴江家小作人。
(7)鈴江新一談
 (一九六一年八月三十一日、一九七二年三月二十五日)
(8)同右。
(9)鈴江栄三郎手記「叔父言一に就いての記憶」
 (一九六一年十二月)
 栄三郎は言一次兄竹次郎の長男。
(10)同右。
(11)前掲鈴江新一書簡
(12)前掲鈴江栄三郎手記
(13)鈴江の土工生活は、彼を知る人によると
  次の通りである。―略―

〔画像〕p27-2【教養学科紀要 (7)】昭和50年(1975)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1722196/1/27
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年08月31日 13:05
女子高等師範學校及附屬高等女學校卒業生徒證書授與式
PFD【東京茗渓会雑誌. (159)】明治29年4月
《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校 本科
 明治26年9月入学
 明治29年3月卒業
《小野 すみ》小野 墨・松村 墨
父 小野 梓 母 小野利遠
夫 松村仙造(眞澄)
小野一雄・雄二の実祖母
生 明治11年(1878)10月18日
没 昭和22年(1947)2月14日 69才

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年04月04日 07:13
《大國以都雄》[昭和神聖會]
【愛国運動現勢. 第1輯】昭和10年4月10日発行
前列 大国以都雄(大国 弘 夫)
   松村一造 (小野又一 兄)
   松村正子 (松村一造 妻)
   坂本恭啓 (小野又一 二姉 文の夫)
中列 大国 弘 (大国以都雄 妻:小野又一 長姉)
   小野文子 (小野又一 妻)
   金岡 重 (小野又一 三姉)
   坂本善春 (坂本恭啓 長男)
後列 小野又一 (小野一雄 父)
   小野一雄 (小野又一 長男)
   金岡武夫 (金岡重 夫)
   坂本佳記 (坂本恭啓 二男)
撮影場所:松村一造宅 二階
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《兼松 中》京都帝國大學 理學部 昭和5年卒業(1930)

《兼松 中》京都帝國大學 理學部 昭和5年卒業(1930)

《兼松 中》
父 兼松 忠 ※別稿に記載
母 兼松 墨=小野 墨=松村 墨
  小野一雄 雄二の実祖母
明治32年(1899)10月29日生
昭和19年(1944)4月7日歿 45歳
高知三中        卒業
第三高等学校 理科甲類 入学 大正13年(1924)
第三高等学校 理科甲類 卒業 昭和2年(1927)
京都帝国大学 理学部  入学 昭和2年(1927)
京都帝国大学 理学部  卒業 昭和5年(1930)

【第三高等学校一覧 大正13年4月起大正14年3月止】
著者    第三高等学校 編
出版者   第三高等学校
出版年月日 大正1-15
〇本校高等科生徒(九百三十三人)p64/160
 (大正十三年四月三十日調)
〇理科一年甲類一學級 四十二人 p72/160
高知三 《兼松 中》 高知

【第三高等学校一覧 昭和2年4月至3年3月】
出版者   第三高等学校
出版年月日 昭和2
 昭和二年卒業生
〇理科甲類卒業生 九十三人 p170/176
京理 《兼松 中》 高知
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【官報 1927年05月25日】昭和2年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和2年
◎新入學生宣誓式  p6/26
京都帝國大學ニ於テ本月十四日
新入學生ノ宣誓式ヲ擧行セリ
參列新入學生氏名左ノ如シ(文部省)
 理學部      p7/26
《兼松 中》
 p7【官報 1927年05月25日】昭和2年
p7【官報 1927年05月25日】昭和2年

【京都帝国大学一覧 昭和2年至昭和3年】
著者    京都帝国大学 編
出版者   京都帝国大学
出版年月日 昭和3
  第六 理學部學生及生徒 p207/424
 昭和二年入學    p209/424
(化學ヲ學修スルモノ)p210/424
《兼松 中》 高知

【京都帝国大学一覧 昭和5年】1930
著者    京都帝国大学 編
出版者   京都帝国大学
出版年月日 昭和5
〇卒業生姓名 理學士   p234/329
 昭和五年三月學士試驗合格
(化)《兼松 中》 高知
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年01月07日 08:46
大阪計器(株)《技師長:兼松 中》
【日本紳士録 46版】昭和17年
社 長  倉田 正男  大阪
取締役  坂本 牛松  京都 ※坂本恭啓
〃    伊藤 英二  四日
〃    伊藤 佐一  島根
〃    林田 貞夫  熊本
〃    小林貞二郎  米子
監査役  公文喜久馬  高知
技師長  兼松  中  芦屋
營業部長 河野 義之  大阪
職 長  佐々生誠之助 大阪
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《小野すみ・松村墨》明治32~39年:高知縣幡多郡宿毛町尋常高等小学校ヘ奉職

《小野すみ・松村墨》明治32(1899)~39年(1906):
高知縣幡多郡宿毛町尋常高等小学校ヘ奉職

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年08月31日
《小野すみ》女子高等師範學校
 附屬高等女學校の入学年(明治26年9月)について
[履歴書]松村墨子(小野すみ)昭和5年
主ナル學歷
明治二十六年三月
高知縣幡多郡宿毛町尋常高等小学校卒業
明治二十六年九月
東京女子師範學校附屬お茶の水高等女学校入学
同二十九年三月卒業
明治二十九年四月
同校家政科?入学 中途退学
職業上ノ主ナル履歷
明治三十二年ヨリ同三十九年七月マデ
高知縣幡多郡宿毛町尋常高等小学校ヘ奉職
明治三十三年ヨリ同三十九年マデ
右学校ヘ奉職傍 経木麦稈眞田ノ傳習ニ從事ス
賞罰 ナシ
昭和五年二月十一日
  氏名 松村墨子
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【高知県統計書. 明治31年】
  第一五六 小學校敎授者ノ類別 p126/174
    本科正敎員
    訓導       准訓導
    男     女  男    女
幡多郡  七一   二  五三   一

【高知県統計書. 明治32年】※記録なし
【高知県統計書. 明治33年】※記録なし

【高知県統計書. 明治34年】
  第一九八 敎員ノ一 三十四年度末現在 p123/195
    本科正敎員
    尋常       高等
    男     女  男    女
幡多郡 一〇五   二  一八   

【高知県統計書. 明治35年】
  第二四〇 小學校敎員ノ一  p200/293
    本科正敎員
    尋常       高等
    男     女  男    女
幡多郡 一一〇   二  一九   

【高知県統計書. 明治36年(明治38年7月刊)】
  第二四三 小學校敎員ノ一  p212/304
    本科正敎員
    尋常       高等
    男     女  男    女
幡多郡 二八    三  二四   

【高知県統計書. 明治37年】
  第三四六 小學校敎員ノ一  p265/391
    本科正敎員
    尋常       高等
    男     女  男    女
幡多郡 一二五   三  二九   


【高知県統計書. 明治38年】
  第三四六 小學校本科敎員  p311/430
    本科正敎員
    尋常       高等
    男     女  男    女
幡多郡 一一八   五  二六   

【高知県統計書. 明治39年】
       小學校本科敎員  p312/440
    本科正敎員
    尋常       高等
    男     女  男    女
幡多郡 一二六   五  三七   

【高知県統計書】明治40~43年
※学事の記録なし

【高知県統計書. 明治44年度 第2編】
       小學校本科敎員  p10/37
    本科正敎員
    尋常       高等
    男     女  男    女
幡多郡 148   14 34   0
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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女子高等師範學校及附屬高等女學校卒業生徒證書授與式PFD【東京茗渓会雑誌. (159)】明治29年4月

女子高等師範學校及附屬高等女學校卒業生徒證書授與式
PFD【東京茗渓会雑誌. (159)】明治29年4月:1896-04

女子高等師範學校及
附屬高等女學校卒業生徒證書授與式 / p18~22 (0011.jp2)
(明治29年)三月二十四日
女子高等師範學校及ビ
附屬高等女學校卒業生徒ニ卒業證書授與式ヲ擧行セラル
其式ハ ―略―
公開範囲 国立国会図書館/図書館送信参加館内公開
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年07月23日 05:06 ◆小野梓《小野 すみ》小野 墨・松村 墨
《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校 本科 明治29年3月卒業
【官報. 1896年03月26日】明治29年

《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校 本科
 明治29年3月卒業

《小野 すみ》小野 墨・松村 墨
父 小野 梓 母 小野利遠
夫 松村仙造(眞澄)
小野一雄・雄二の実祖母
生 明治11年(1878)10月18日
没 昭和22年(1947)2月14日 69才
0507c2f2
左 安 右 墨
〔画像〕小野梓 墨 安[小野梓傳]
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《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校の入学年(明治26年9月)について

《小野すみ》女子高等師範學校
 附屬高等女學校の入学年(明治26年9月)について

[履歴書]松村墨子(小野すみ)昭和5年
主ナル學歷
明治二十六年三月
高知縣幡多郡宿毛町尋常高等小学校卒業
明治二十六年九月
東京女子師範學校附屬お茶の水高等女学校入学
同二十九年三月卒業
明治二十九年四月
同校家政科?入学 中途退学

職業上ノ主ナル履歷
明治三十二年ヨリ同三十九年七月マデ
高知縣幡多郡宿毛町尋常高等小学校ヘ奉職
明治三十三年ヨリ同三十九年マデ
右学校ヘ奉職傍 経木麦稈眞田ノ傳習ニ從事ス
賞罰 ナシ
昭和五年二月十一日
  氏名 松村墨子
[履歴書]松村墨子(小野墨)昭和5年_p2
〔画像〕[履歴書]松村墨子(小野墨)昭和5年_p2
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《小野すみ》明治26年9月入学(舊規則で入学の場合)
東京女子高等師範学校 附屬高等女學校(修業年限五箇年)
 ※下記省令に依り、三年生の二学期に編入

《小野すみ》明治26年9月入学(新規則で入学の場合)
東京女子高等師範学校 附屬高等女學校(修業年限六箇年)
 ※下記省令に依り、四年生の二学期に編入

【創立五十年】昭和7年
二三 入學資格及修業年限の變更 p57/154
從來當校の入學資格は高等小學校二箇年の課程を終りたる者、
若くは之に相當する學力を有する者にして、
修業年限五箇年なりしが、 ※《小野すみ》(舊規則)
明治二十六年三月之を改め、※《小野すみ》(新規則)
入學資格を四箇年の尋常小學卒業者、
若くは之と同等以上の敎育を受けたる者とし、
入學者の年齢を二年低下し、
修業年限を一箇年延長して六箇年となせり。
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【官報. 1893年08月05日】明治26年
⦿省令
文部省令第十一號 p1/7
高等師範學校及女子高等師範學校ニ於テ
生徒ノ缺員ヲ臨時補充スル必要アルトキハ
文部大臣ノ許可ヲ受ケ
明治十九年文部省令第十八號
高等師範學校生徒募集規則
第一條乃至第三條ノ規程ニ依ラス
學力年齢當該學級ニ相當ノ資格アル者ヲ募集シ
試驗ノ上入學セシムルコトヲ得
  明治二十六年八月五日  文部大臣 井上毅

文部省令第十一號參照
  文部省令第十八號高等師範學校生徒募集規則
  (明治十九年十月十四日)抄錄
 第一條 高等師範學校男女生徒ハ府縣知事之ヲ選擧シ
     高等師範學校長其中ニ就キ選抜スルモノトス
 第二條 高等師範學校ノ男生徒ハ
     尋常師範學校ヲ卒業シタルモノヨリ選擧シ
     女生徒ハ尋常師範學校ノ二箇年ノ課程ヲ終リタルモノ
     若クハ之ニ均シキ學力竝資格ヲ有スルモノヨリ選擧スヘシ
 第三條 高等師範學校ノ男女生徒ハ毎年一度之ヲ募集シ
     其期日及員數ハ其都度高等師範學校ヨリ府縣ニ通知スヘシ
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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東京高等女學校卒業證書授與式【官報】明治20年~23年

東京高等女學校卒業證書授與式【官報】明治20年~23年

※明治23年:東京高等女學校➡女子高等師範學校附屬高等女學校
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校
 明治二十九年本科卒業者【創立五十年】昭和7年
 第四章 女子師範學校附屬高等女學校 p56/154
一九 女子高等師範學校附屬
明治二十三年三月二十四日勅號第四十二號を以て
高等師範學校女子部を分離して、
女子高等師範學校となす旨公布せられ、
翌二十五日文部大臣は東京高等女學校
高等師範學校附屬幼稚園を
女子高等師範學校の附屬とし、
別に同校に附屬小學校を置くべき旨訓令せり。
其の文左の如し。
   女子高等師範學校
 東京高等女學校ヲ其校附屬高等女學校トシ、
 高等師範學校附屬幼稚園ヲ其校附屬幼稚園トシ、
 又其校ニ於テハ附屬小學ヲ置クベシ。
 但高等師範學校附屬小學校小學科女生徒ヲ其校ニ引移サシメ候條、
 其校附屬小學校ニ受繼ギ授業スベシ。
茲に於て、一旦分離したりし附屬高等女學校は、
再び故に復し、以て今日に至れるなり。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【創立五十年】昭和7年
 第二章 東京女子師範學校附屬高等女學校 p51/154
一一 卒業生 p53/154
明治十八年(1885)七月二十九日、卒業式を擧行す。
此の時全科を卒業せる者六名、
之を當校最初の卒業生となす。  ※第一回(6名)
 第三章 東京高等女學校
〔写真〕現職員 p14/154
〔写真〕明治十八年本科卒業者  ※第一回(6名)
〔写真〕明治十九年本科卒業者  ※第二回
p14【創立五十年】昭和7年
〔画像〕p14【創立五十年】昭和7年
〔写真〕明治二十年本科卒業者  ※第三回(14名) p15/154
〔写真〕明治二十一年本科卒業者 ※第四回(12名+11名)
〔写真〕明治二十三年本科卒業者 ※第五回(12名+4名+3名)
〔写真〕明治二十四年本科卒業者
p15【創立五十年】昭和7年
〔画像〕p15【創立五十年】昭和7年
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【官報. 1887年07月09日】明治20年
◉東京高等女學校卒業證書授與式 ※第三回 p3/7
昨八日 文部省總務局所屬 東京高等女學校ニ於テ
卒業證書授與式ヲ施行セリ
當日午前十時 來賓及生徒等着席
第一 生徒ノ唱歌
第二 生徒 柳田てい ノ邦語作文朗讀
第三 生徒 岡本ゑい ノ邦語作文朗讀
第四 生徒 松本ゑい ノ英語作文朗讀アリ
次テ 文部省總務局長 辻新次
卒業生徒ニ卒業證書ヲ授與シ
更ニ祝詞ヲ述フ
其前後 生徒ノ唱歌アリ
午前十一時半 式 全ク畢ル
此日 卒業證書ヲ授與セル生徒姓名
左ノ如シ(文部省) (14名)
松本 ゑい
柳田 てい
岡本 ゑい
高塚 きよ
羽鳥 うめ
梅田 ゆう
前田 ■づ
太田 ふき
星名 りん
金井 うめ
西村 だい
今村 やす
伊東 みほ
菊池 ます

【官報. 1888年07月16日】明治21年
◉東京高等女學校卒業證書授與式 ※第四回 p3/7
東京高等女學校ニ於テハ去ル十二日午前九時
卒業證書授與式ヲ擧行シ
森文部大臣ノ演述、
生徒 大村はるよ ノ謝辭、
校長ノ演説等アリタリ
當日臨場セシ者ハ
森文部大臣、
山尾宮中顧問官、
辻文部次官、
山川高等師範學校長、
渡邊帝國大學總長、
其他 内外貴紳及學士等凡ソ三百名ニシテ
正午十二時 式畢リ
夫ヨリ別室ニ於テ
家事科生徒ノ製シタル西洋菓子ヲ以テ
來賓ニ供セリ
其授與式次第 左ノ如シ(文部省)
  全科卒業生姓名(12名)
長野縣士族  大村 てるよ
新潟縣士族  藤澤  うの
東京府士族  森   きみ
東京府平民  大塚  ゑつ
和歌山縣士族 大橋 もりゑ
靜岡縣士族  薗   かめ
東京府士族  瀨川  さく
石川縣士族  北川  よ志
熊本縣士族  白杉 みさほ
靜岡縣士族  大築  また
大阪府平民  安達  ぢう
新潟縣平民  星名  なか
  撰科卒業生姓名(いろは順)(11名)
岡山縣士族  石原 かずえ
東京府士族  石田  いう
靜岡縣士族  乙骨  まき
東京府士族  渡部  ■な
山口縣士族  片山  てる
三重縣士族  吉岡  志づ
東京府平民  棚橋  わか
東京府士族  山岡  志ん
和歌山縣士族 木村 志やう
東京府士族  菊名  かめ
東京府華族  平野  みつ

【官報. 1890年04月04日】明治23年
◉元東京高等女學校卒業證書授與式 ※第五回 p7/13
元東京高等女學校ニ於テ 去月二十九日
卒業證書授與式ヲ擧行セリ
當日 來賓凡ソ 三百餘名ニシテ
午後二時ヨリ 式ヲ始メ
第一 生徒一同ノ唱歌
第二 西たつ子 ノ邦語作文朗讀
第三 中村とね子 ノ「ピアノ」獨彈
第四 藤井じゆん子 ノ英語作文朗讀
第五 四年級一同ノ唱歌
第六 戸叶なか子 ノ家政ノ話
第七 北村とし子・橋本やう子 ノ「ピアノ」連彈
第八 宮崎ゑい子 ノ植物呼吸ノ話
第九 戸叶なか子 ノ「ピアノ」獨彈
第十 橋本やう子 ノ英語作文朗讀
第十一 宮崎ゑい子 ノピアノ」獨彈アリ
次ニ 校長 矢田部良吉 卒業生徒ニ證書ヲ授與ス
次テ 辻文部次官ノ演説
卒業生 北村とし子ノ謝辭
卒業生一同ノ英語唱歌アリテ 式 全ク終ル
卒業生徒ノ姓名 竝ニ 辻文部次官 及 校長ノ演説
卒業生 北村とし子ノ謝辭 左ノ如シ(文部省)
 本科卒業生(12名)
北村 とし子
宮崎 ゑい子
橋本 やう子
戸叶 なか子
西  たつ子
吉武 なつ子
藤井 じゆん子
增岡 としへ子
渡邊 しゆん子
横田 やう子
土岐 とくへ子
中村 とね子
 撰科卒業生(4名)
大島 ひさこ
安井 ■■江子
田邊 たつ子
西岡 とき子
 專修生ニシテ修業證書ヲ授與シタルモノ(3名)
柳田 てい子
西村 だい子
矢田部 じゆん子
 辻文部次官祝詞
  ―略―
 元東京高等女學校長 理學博士 矢田部良吉 演説
本日ハ本校第五回ノ卒業式ヲ擧行スルニ方リ
貴婦人紳士ノ來會ヲ忝クシ
本校教員卒業生一同ニ代リテ深ク之ヲ謝ス

今回卒業シタル人々ハ
昨年ノ七月ニ卒業スヘキナリシモ
一昨年九月規則ヲ改定シ
四箇年ノ課程ヲ五箇年ニ改メタルヲ以テ
本日卒業スル事ニナリタルナリ
故ニ昨年ハ卒業式ヲ行ハサリキ又

本日證書ヲ受ケタル人ニ三類アリテ
第一類ハ全科卒業ノ者
第二類ハ撰科卒業ノ者
第三類ハ專修科修業證書ヲ受クル者ナリ
其第一類第二類ハ別ニ説明ヲ要セサレトモ
第三類ハ今回ヲ以テ始トスレハ少シク説明セサルヲ得ス
本校ニ於テ專修生ト稱スルモノハ
卒業後尚ホ引續キ修學スル者ヲ云ヒ
其就學年限一箇年以上ニ達シタルモノニハ
修業證書ヲ授與ス
而シテ本日其證書ヲ受ケタルモノハ
卒業後二年乃至四年間修學シタルモノナリ

本邦ニ於テ女子ノ高等教育ハ近頃始マリタルモノナレハ
歐米ニ比シテ尚ホ■キハ言フヲ俟タス
現ニ本校ニ於テ施ス所ノ教育ハ
明治十九年文部省ヨリ達セラレタル
本校教導方要項ニ據リテ定メタルモノニシテ
男子ノ教育トハ固ヨリ其目的トスル所異ナリ
隨テ教フル所ノ學科ニモ異ナル所少カラサレトモ
概シテ言ヘハ
其程度ハ男子ノ中學ニ比シテ幾何カ簡易ナル所ナキニアラス

然レトモ卒業生竝ニ專修生ノ中ニハ
漢文又ハ本邦雅文ヲ能ク解シ能ク綴リ
且ツ能ク英文ヲ解スルノ力
男子中學ノ程度ニ頗ル優ルモノアルナリ
  ―略―
 卒業生 北村とし子 謝辭
  ―略―

【官報. 1890年03月28日】明治23年
◉附屬高等女學校 p5/16
今般東京高等女學校ヲ女子高等師範學校ノ
附屬高等女學校ト定メタリ(文部省)

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校 明治二十九年本科卒業者【創立五十年】昭和7年

《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校
 明治二十九年本科卒業者【創立五十年】昭和7年

【創立五十年】昭和7年
右上・明治二十八年本科乙組卒業者
右下・明治二十九年本科卒業者(38名)  ※別稿に記載
左上・明治二十九年補習科卒業者(22名) ※別稿に記載
左下・明治三十年本科卒業者
p17【創立五十年】昭和7年-100
〔画像〕p17【創立五十年】昭和7年

 第四章 女子師範學校附屬高等女學校 p56/154
一九 女子高等師範學校附屬
明治二十三年三月二十四日勅號第四十二號を以て
高等師範學校女子部を分離して、
女子高等師範學校となす旨公布せられ、
翌二十五日文部大臣は東京高等女學校及
高等師範學校附屬幼稚園を
女子高等師範學校の附屬とし、
別に同校に附屬小學校を置くべき旨訓令せり。
其の文左の如し。
   女子高等師範學校
 東京高等女學校ヲ其校附屬高等女學校トシ、
 高等師範學校附屬幼稚園ヲ其校附屬幼稚園トシ、
 又其校ニ於テハ附屬小學ヲ置クベシ。
 但高等師範學校附屬小學校小學科女生徒ヲ其校ニ引移サシメ候條、
 其校附屬小學校ニ受繼ギ授業スベシ。
茲に於て、一旦分離したりし附屬高等女學校は、
再び故に復し、以て今日に至れるなり。

二三 入學資格及修業年限の變更 p57/154
從來當校の入學資格は高等小學校二箇年の課程を終りたる者、
若くは之に相當する學力を有する者にして、
修業年限五箇年なりしが、 ※《小野すみ》(舊規則)
明治二十六年三月之を改め、※《小野すみ》(新規則)
入學資格を四箇年の尋常小學卒業者、
若くは之と同等以上の敎育を受けたる者とし、
入學者の年齢を二年低下し、
修業年限を一箇年延長して六箇年となせり。
然るに三十二年三月再び之を改めて舊に復し、
爾來、變更することなく今日に及べり。

二四 專修科及補習科設置
明治二十六年三月專修科を設置す。
明治十八年四月專修科を設けたるが、
其の時の專修科は、
本科の學科課程中數科目を選擇專修せしめたるものなりしが、
今回設けたる專修科は、修業年限を二箇年とし、
高等女學校卒業者、
若くは之と同等以上の敎育ある者を入學せしめ、
稍々專門的知識を與へむとせるものなり。
然るに二十八年一月之を補習科と改稱す。
專修科は二箇年に至らずして改稱されたるを以て、
專修科卒業生なるものなし。
專修科及補習科の學科課程は第六章に掲ぐ。

 第十一章 職員 p112-120/154
八七 校長 p112/154
中村 正直 自明治二十三年三月 至同二十四年六月 女子師範學校長
細川潤次郎 自明治二十四年八月 至同二十七年三月 同
秋月新太郎 自明治二十七年三月 至同三十年十一月 同
※《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校 本科
 明治24年4月入学 明治29年3月卒業

 第十二章 卒業生及生徒 p120/154
卒 業 年 度  本 科 補習科   計
明治二十九年三月  三八  二二  六〇
昭和七年十一月廿五日印刷
昭和七年十一月廿九日發行
(非賣品)
    東京女子高等師範學校
編輯兼   附屬高等女學校内
發行者 那須良利
印刷者 株式會社 秀英舎
    東京市牛込區市谷加賀町一丁目十二番地
印刷者 根本力三
    東京市牛込區市谷加賀町一丁目十二番地
發行所 東京女子高等師範學校
    附屬高等女學校
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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2012年03月04日 10:49 ◆小野梓 写真:小野梓・墨・安
写真[小野梓・墨・安]
[林譲治・坂本恭啓・坂本佳記][中西清二 前宿毛市長]
小野梓 墨 安[小野梓傳]
左 安 右 墨
〔画像〕小野梓 墨 安[小野梓傳]
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2017年06月01日 05:10 ◆小野梓 [小野梓君碑:中村正直譔]
[小野梓君碑:中村正直譔]「表紙拓刷は彩雲堂版」
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年07月23日 05:06 ◆小野梓《小野 すみ》 小野 墨・松村 墨
《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校 本科
 明治29年3月卒業【官報. 1896年03月26日】明治29年
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《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校 本科 明治29年3月卒業【官報. 1896年03月26日】明治29年

《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校 本科
 明治24年4月入学⇒明治26年9月入学
 別稿に詳細記載(平成30年8月31日)
 明治29年3月卒業
【官報. 1896年03月26日】明治29年

《小野 すみ》小野 墨・松村 墨
父 小野 梓 母 小野利遠
夫 松村仙造(眞澄)
小野一雄・雄二の実祖母
生 明治11年(1878)10月18日
没 昭和22年(1947)2月14日 69才

【官報. 1896年03月26日】明治29年
◉女子高等師範學校卒業證書授與式 p4/10
 女子高等師範學校ニ於テ
 一昨二十四日 卒業證書授與式ヲ擧行セリ
 當日 來賓ハ西園寺文部大臣ヲ始メ
 凡ソ 三百餘人ニシテ
 式ノ次第等 左ノ如シ(文部省)
 一 午前九時三十分 生徒職員 式場ニ入ル
   一 唱歌
   二 卒業證書授與
   三 校長 告辭
 一 來賓職員生徒退場
   四 文部大臣 祝辭
   五 女子高等師範學科 卒業生 總代 謝辭
   六 附屬高等女學校 卒業生 總代 謝辭
   七 唱歌

  女子學校長 秋月新太郎 告辭
卒業生諸氏 本日ハ當校創立後 第六回ノ記念辰ニ屬セリ
茲ニ證書授與式ヲ擧ケ以テ諸氏カ
本校規定スル諸學科ノ業ヲ卒ヘタルヲ
證ス榮ナリト謂フヘシ
惟フニ諸氏カ多年螢雪ノ功ヲ積ミ以テ
今日ニ至リシハ猶ホ
草木ノ風霜ヲ凌キ得テ
茲ニ美麗ナル花ヲ開キタルカ如シ
花ノ草木ニ於ケル
■ヨリ美ニシテ賞スヘシ
然レトモ花アリテ實ナクンハ
未タ其眞ニ賞スヘキヲ知ラス
人モ亦 何ソ之ニ異ナランヤ
諸氏ハ今ヨリ此校ヲ去リテ
人ノ師ト爲リ 又 妻ト爲リ 又 母ト爲ル者ナリ
三ノ者 其何シタルヲ問ハス
均シク國家教育ノ一部ヲ負擔スルモノナレハ
責任 最モ大ナリスト
其責任ヲ盡シテ以テ國家教育ノ基本ヲ立ツルハ
則チ是レ善良ノ美果ヲ収ムルナリ
是レ完全ノ地位ニ達スルナリ
果シテ此ノ如クンハ
啻ニ諸氏ノ光榮ノミナラス
亦以テ本校ノ光榮ト爲スヘシ
諸氏其レ之ヲ勗メヨ

  西園寺文部大臣祝辭大意
本日ハ此名譽アル式場ニ臨ミ
諸君ノ卒業ヲ祝スルハ本大臣ノ欣喜スル所ナリ
諺ニ一國ノ文明ハ女子ノ品位如何ニ於テ之ヲトス
蓋シ女子ノ社會ニ於ケル家庭ノ教育ヨリ
郷黨ノ風俗ニ及ヒ牽テ
一國ノ汚隆ニ至ル
皆是レ女子ノ學問ニ根底セサルヲ得ス
今ヤ帝國ノ進歩ハ駸々トシテ
世界ノ視聽ヲ驚セリ
然ルニ獨リ女子教育ノ點ニ於テハ
未タ此隆運ニ伴フコト能ハサルモノアルニ似タリ
本大臣カ深ク憂フル所ニシテ
本校卒業生諸君ノ如キ
其人ニ向ヒテ屬望スルノ大ナル所以ナリ
諸君ハ今日多年ノ勉強ニ因リ
終ニ其目的ヲ達セラレタリ
本大臣ハ益々女德ヲ修メ勉強ノ果實ヲ實地ニ活用シ
以テ帝國ノ文明ヲ翼賛セラレンコトヲ望ム

  女子高等師範學科 卒業生 總代 中西てつ 謝辭
   ―略―

  高等女學校 卒業生 總代 島川たけ 謝辭
   ―略―

 女子高等師範學科 卒業生   ※下記:高等師範科卒業写真
  △ハ隨意科 外國語修了ノ者 ※19名
京都府平民  △中西  てつ
富山縣平民  △神通  せき
京都府士族  △關口 しづこ
福岡縣平民   津和崎 こう
德島縣士族  △片山  くみ
長野縣士族   澤   とも
新潟縣平民  △塚田  つぎ
栃木縣士族   丹羽 ちやう
滋賀縣士族  △中澤 しづ尾
長野縣士族   林  志やう
山梨縣平民  △小田切 浦乃
群馬縣士族   美濃部  樂
佐賀縣士族   糸山   伸
東京府平民  △種村  ゆき
福岡縣士族   味岡  はな
石川縣平民  △倉元  いの
福島縣士族   富樫   孝
香川縣士族   三宅  すゑ
愛媛縣士族   岡本   譽

 附屬高等女學校 補習科 卒業生 ※22名:別稿に卒業写真
靜岡縣士族   田口  ウタ
福井縣士族   宮崎  きさ
埼玉縣士族   上原  さえ
東京府士族   山高  しげ
兵庫縣士族   濱尾  とく
東京府平民   石川  まさ
山形縣士族   成田  よつ
東京府士族   北條  とし

靜岡縣士族   牧野  しづ
東京府士族   布施 しゆん
東京府平民   今村  とら
兵庫縣士族   齋藤 ゆきの
東京府平民   塚越 ひで子
東京府華族   成瀬 かをる
東京府平民   猪俣 みさを
東京府平民   林   ゑい

東京府士族   峯   千代
北海道士族   石川  いと
巖手縣平民   村井  よし
東京府平民   田口  のぶ
東京府平民   田中  みち
新潟縣平民   大矢  しさ

 同(附屬高等女學校) 本科 卒業生 ※38名:別稿に卒業写真
三重縣士族   島川  たけ
山口縣士族   大谷   鶴
神奈川縣平民  大熊  しう
東京府平民   今村   照
東京府士族   池田  敏子
茨城縣平民   寺西  とら
東京府士族   津田  秋子
東京府士族   柴山  てる
東京府平民   松野  せん
東京府平民   五十子のぶえ
茨木縣平民   田中  いよ
長野縣士族   草間   貞
東京府士族   野上  たか

高知縣士族   川久保 靜枝
東京府士族   神方   幸
高知縣士族   武市   治
東京府平民   岩出   鐸
茨城縣平民   菊池  さく
東京府平民   辻    信
東京府平民   井上   幹
山口縣士族   渡邊   春
東京府平民   原田  てい
北海道士族   金田  智惠
東京府平民   風間  あか
東京府華族   田中  よし
東京府士族   山縣  のふ

京都府士族   鴨脚   芳
靜岡縣華族   赤松  かつ
岡山縣士族   中澤  愛子
東京府士族   渡邊  むゐ?
德島縣平民   原田  英榮
東京府士族   神保   英
靜岡縣華族   黑田   文
東京府平民   小野  すみ
山口縣士族   高田   秀
大阪府平民   西尾   廣
東京府平民   枌谷  千代
東京府士族   石坂   留
p4【官報. 1896年03月26日】明治29年
〔画像〕p4【官報. 1896年03月26日】明治29年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【女子高等師範学校. 自明治35年4月至明治36年3月】
 高等師範學科卒業
 明治二十九年三月卒業(十九人) p110/138
澤   伊藤 とも   長野士
    糸山  伸   佐賀士
    小田切 浦乃  山梨平
    岡本  譽   愛媛士
    片山 くみ   德島士
中澤  神武 しづ尾  北海道平
林   吉武 しやう  東京士
富樫  竹内  孝   富山平
    塚田 つぎ   新潟平
津和崎 根岸 こう   群馬士
美濃部 根岸 らく   群馬士
味岡  栗本 はな   山形士
    倉元 いの   石川平
中西  矢作 てつ   沖縄平
丹羽  安藤 ちやう  栃木士
種村  佐藤 ゆき   宮城平
    三宅 すえ   香川士
    神通 せき   富山平
    關口 しづこ  京都平
 明治二十九年五月卒業(一人)
    長田 たづ   三重平
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[お茶の水女子大学 デジタルアーカイブズ]
 女高師の時代 明治23(1890)年~明治40(1907)年
明治29(1896)年
3月:高等師範科19名 ※下記:高等師範科卒業写真
5月:高等師範科1名
高等師範学科卒業生アルバム 明治23年~明治34年
  高等師範科卒業写真
高等師範科卒業生の卒業記念写真。
年月日:明治29(1896)年3月
場所:校舎(後の西校舎)玄関前
被写体:高等師範科卒業生
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年07月24日 05:30 ◆小野梓《小野 すみ 》小野 墨・松村 墨
《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校
 明治二十九年本科卒業者【創立五十年】昭和7年
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