藤本ビルブローカー銀行

《松村仙造》神戸ビルブローカー明治42年7月設立【大和証券60年史】昭和38年

《松村仙造》神戸ビルブローカー明治42年7月設立
【大和証券60年史】昭和38年

【大和証券60年史】昭和38年
出版者   大和証券
出版年月日 1963
藤本ビルブローカーの従業員でビル・ブローカーを開業した
これらの内容は次の通りであった。

奥山ビルブローカー 奥山春枝、資本金5万円
<5月1日開業>
<『大阪銀行通信録』139号 明治42年4月368ページ>

神戸ビルブローカー 松村仙造
<元藤本ビルブローカー銀行神戸支店長>
<7月15日開業>
<『大阪銀行通信録』142号 明治42年7月50ページ>

浪速ビルブローカー 中西雅之
<元藤本ビルブローカー銀行名古屋支店長>
<8月20日開業>
<『大阪銀行通信録』143号 明治42年8月116ページ>
 p54【大和証券60年史】昭和38年
〔画像〕p54【大和証券60年史】昭和38年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2501158/1/54
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【短資市場七十年史】昭和41年
著者    短資協会 編
出版者   実業之日本社
出版年月日 1966
(第8表) p30/202
藤本ビル・ブローカー銀行のコール・マネー取扱高
 なお、明治四二年には、
藤本ビル・ブローカー出身者による
「ビル・ブローカー」が相ついで関西に設立された。
すなわち、同年五月奥山春枝が大阪に
「奥山ビル・ブローカー」を、
七月には松村仙造が神戸に
「神戸ビル・ブローカー」を、
そして八月には中西雅之が大阪に
「浪速ビル・ブローカー」を設立、開業した。
また東京においては、
同年五月柳田栄が
「柳田ビル・ブローカー」(現在の「東京短資」の前身)を、
七月には山根十吉が
「山根ビル・ブローカー」(現在の「山根短資」の前身)を
それぞれ設立、開業した。
 p30【短資市場七十年史】昭和41年
〔画像〕p30【短資市場七十年史】昭和41年
https://dl.ndl.go.jp/pid/3022937/1/30
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《松村仙造》神戸ビルブローカー新設【保険銀行時報 第12年(431)】明治42年

《松村仙造》神戸ビルブローカー新設
【保険銀行時報 第12年(431)】明治42年

【保険銀行時報 第12年(431)】明治42年(1909)7月
出版者   保険銀行時報社
出版年月日 1909-07
 ◎神戸ビルブローカー新設  p10/13
藤本ビルブローカー銀行神戸支店長たりし
松村仙造氏は藤本の破綻後
到底回復の見込み覺束なきより
辭任の上
今回自ら神戸ビルブローカーなる名稱を以て
同市元町四丁目に店舗を開設し
去十五日より開業せり
 p10【保険銀行時報 第12年(431)】明治42年7月
〔画像〕p10【保険銀行時報 第12年(431)】明治42年7月
https://dl.ndl.go.jp/pid/1581412/1/10

【保険銀行時報 第12年(433)】明治42年(1909)8月
出版者   保険銀行時報社
出版年月日 1909-08
 ◎ビルブローカーの蔟生  p10/13
藤本ビルブローカー破綻以來
關西金融界は一時
コールマネーの機關を失ひたりしは
其の反動として近來荐りに
ビルブローカー蔟生するに至れり
卽ち第一着に興りし奥山ビルブローカーを始め
松村仙造氏の神戸ビルブローカーあり
皆 藤本に多少の關係ありし人々なるが
今回更に藤本銀行の名古屋支店長たりし
中西雅之氏は當地に於て
ビルブローカーを開始する計畫を爲し
八月十日頃發表の筈なるが
商號を浪速ビルブローカーと稱し
東區淀屋橋附近に營業所を設くる由
 p10【保険銀行時報 第12年(433)】明治42年8月
〔画像〕p10【保険銀行時報 第12年(433)】明治42年8月
https://dl.ndl.go.jp/pid/1581414/1/10
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【新日本 5(5週年紀念號其之3)】大正1年(1912)11月
出版者   新日本社
出版年月日 1912-11
 祝新日本五周年
神戸市 神戸ビルブローカー
    松村仙造
 p15【新日本 5(5週年紀念號其之3)】大正1年
〔画像〕p15【新日本 5(5週年紀念號其之3)】大正1年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1543999/1/15
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主任 松村仙造 藤本ビルブローカー銀行 神戸出張所【神戸市要鑑】明治42年

主任 松村仙造 藤本ビルブローカー銀行 神戸出張所
【神戸市要鑑】明治42年

【神戸市要鑑】明治42年
◎株式會社 藤本ビルブローカー銀行 神戸出張所 p136/273
 西町   電話長一一五二
 設  立 明治三十九年
 資本金  百萬圓
 拂  込 四十萬圓
 前記配當 一割
 目  的 銀行及代辨業
 本  店 大阪横堀一
      頭取 藤本淸兵衛
 主  任 松村仙造
      下山手通三
小野 安 女醫  p132/273
 婦人 小兒科 三宮町一
 生田踏切東二丁目
 神戸市三宮町一 p213/273
   生田踏切東二丁鐵道側
産科 婦人科
   女醫 小野 安
明治四十二年五月十五日印刷
明治四十二年五月十八日發行 定價金參圓
編輯兼 山内 直一
發行者 神戸市奥平野村四百八番地ノ二
印刷者 梶原  景
    神戸市兵庫下澤通一丁目百七十六番邸
印刷所 大和印刷所
    神戸市榮町六丁目百七十六番邸
發行所 神戸市要鑑編纂事務所
    神戸市奥平野村四百八番地ノ二
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月01日
[小野安(安子)] 《女医への道》-01
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松村仙造→有価証券現物売買:元町四丁目[明治四十四年ころの商店街(五)]神戸元町商店街連合会

松村仙造→有価証券現物売買:元町四丁目
[明治四十四年ころの商店街(五)]神戸元町商店街連合会

 元町マガジン
[明治四十四年ころの商店街(五)]
 2009/04/01 夢街道
■元町四丁目
    片野歌次郎    →神戸取引所仲買人
    北門順作商店株式部→有価証券現物仲買業・神戸米穀株式取引所仲買人
    岸本銀行 
    大丸呉服店神戸支店→呉服太物その他諸雑貨販売
    日本蓄音機(株)  →蓄音機及び付属品製造販売
    神戸市行清合資会社→屎尿取業其他汚物掃除請負業
    澤野貞二郎    →玻・鏡
    吉川商店     →ウイスキー・葡萄酒・芥子粉・ジャム及ゼリー・其他香味料各種
    平尾重治郎    →下駄
    山路とめ     →牛肉
    野間辰次郎/澤野貞次郎/北門順作
          →神戸米穀株式会社取引所仲買人
    松村仙造     →有価証券現物売買
    和泉一枝     →時計・付属品・眼鏡
    三木新兵衛    →陶磁器
    八木甚兵衛    →土木請負
    魚谷松吉     →西洋料理
    山口林三郎    →絲
 元町四丁目
〔画像〕元町四丁目
神戸元町商店街連合会
〒650-0022 神戸市中央区元町通3丁目13-1
 TEL/FAX(078)391-0831
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《横田義夫》藤本ビルブローカー銀行(株)【人事興信録. 9版(昭和6年)】

《横田義夫》藤本ビルブローカー銀行(株)【人事興信録. 9版(昭和6年)】

【人事興信録. 9版(昭和6年)】
《横田義夫》 p1674/1755
 藤本ビルブローカー銀行(株)專務取締役
 大阪株式取引所 國債取引員
 大分縣士族
 妻  せ つ 明治一二年一〇月生
        大阪、堀口嘉右衞門 女
 男  泰 夫 明治四五年二月生
 女  信 子 大正五年一二月生
君は大分縣士族 横田眞臣の長男にして
明治七年一月を以て生れ
大正五年 家督を相續す
大阪取引所取引員
藤本ビルブローカー銀行專務取締役たり
家族は尚
四男 和 夫(大正七年三月生)
弟  武 夫(明治一二年三月生)
弟妻 コ マ(明治一三年一〇月生、大分、新名平藏 二女)
及其子女あり
二女 禎 子(明治四二年一一月生)は
       廣島縣人 小泉定吉 長男 計太郎に嫁せり
A九二六 B七〇
(大阪、住吉、松崎町二ノ九〇)
(電話 天王寺一三〇四)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《藤本淸兵衞》藤本ビルブローカー銀行【人事興信録. 9版(昭和6年)】

《藤本淸兵衞》藤本ビルブローカー銀行【人事興信録. 9版(昭和6年)】

【人事興信録. 9版(昭和6年)】
《藤本淸兵衞》 p1349/1755
 千代田木管(株)   取締役
 早川電氣(株)    取締役
 稗島土地(株)    取締役
 ナニハビルデング(株)取締役
 大阪府在籍
 妻  ヂ ウ 明治三年三月生
        先々代淸兵衞 長女
 男  淸之助 明治二六年一二月生
 婦  よ ね 明治三一年二月生
        長男淸之助 妻、
        京都、齋藤萬七 妹
 孫  芳 子 大正五年七月生
        長男淸之助 長女
君は和歌山縣人 柳仁兵衞の長男
柳林一の兄 柳俊了の養兄にして
柳廣藏の兄なり
明治三年十月を以て生れ
明治二十六年
先代ヂウの入夫となり家督を相續し
前名 爲之助を改む鳥淸と稱し
藤本家三代目の當主たり
君先々代淸兵衞の薫陶を受け
大に進取の方針を執る
明治二十九年(三十九年?)
藤本ビルブローカー銀行を設立し
數多の會社に關係して名聲頗る振ひ
關西實業界に名を成す
現時前記各會社の重役たり
家族は尚
孫  淸一郎(大正六年六月生、長男淸之助 長男)
孫  和 子(大正一二年五月生、長男淸之助 二女)
孫  文 子(大正一四年九月生、長男淸之助 三女)あり
妻繼母 いそ(慶應元年二月生、大阪、笹谷幸次 叔母)
二女   照(明治四二年三月生)は共に分家し
長女 き よ(明治三三年九月生)は大阪府人 森本淸兵衞に嫁せり
(大阪、天王寺、勝山通一ノ二五一)
(電話 天王寺四一八)
 參照=柳俊了、柳廣藏、柳林一※橋爪源助の項

《柳 俊了》 p1591/1755

《柳 廣藏》 p1592/1755
《柳 林一》 p1592/1755

《橋爪源助》 p1226/1755

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《谷村一太郎》【人事興信録. 9版(昭和6年)】【人事興信録. 10版(昭和9年) 下卷】

《谷村一太郎》
【人事興信録. 9版(昭和6年)】【人事興信録. 10版(昭和9年) 下卷】

【人事興信録. 9版(昭和6年)】
《谷村一太郎》 p1012/1755
 藤本ビルブローカー銀行(株)取締役會長
 湊鐵道(株)社長
 セ・フジモト・セキユリチース・コンパニー
          取締役兼支店代表者
 川崎造船所(株) 監査役
 川崎車輛(株)  監査役
 帝國人造絹絲(株)監査役
 日本活動寫眞(株)監査役
 八木商店(株)  監査役
 富山縣在籍
 妻  ち か 明治八年一一月生、京都、
        松村謙三 叔母
 男  順 藏 明治二五年四月生
 婦  ゆ き 明治三七年二月生、
        長男 順藏妻、
        文學博士 新村出 長女
 男  鐵三郎 明治三二年三月生
君は富山縣人 谷村友吉の長男にして
明治四年四月を以て生れ
同十六年 家督を相續す
夙に實業界入り
現時 藤本ビルブローカー銀行取締役會長たる外
前記諸會社の重役として知らる
家族は尚
孫  友一 (昭和二年八月生、長男 順藏 長男)
妹  國  (明治八年一一月生)あり
父  友吉 (嘉永元年二月生)は
母  たつ (嘉永五年六月生、富山、前村禮造 妹)と共に
弟  武次郎(明治六年五月生)
妹  つや (明治二一年四月生)を伴ひ分家し
二男 敬介 (明治二九年二月生)も亦分家し
四男 和雄 (明治三五年二月生)は
   京都府人 松村謙三の家籍に入り
妹  尚  (明治一一年八月生)は
   富山縣人 藤澤五三郎 長男 助太郎に
同  英  (明治一六年一月生)は
   同縣人 藤岡直次郎に嫁せり
A四六七一
(京都、中京、堺町通竹屋町下ル)
(電話 上一八一七)
 參照=新村出の項

【人事興信録. 10版(昭和9年) 下卷】
《谷村一太郎》 p116/902
 湊鐵道(株)   社長
 日本活動寫眞(株)取締役
 帝國人造絹絲(株)監査役
 八木商店(株)  監査役
 富山縣在籍
 妻  ち か 明治八年一一月生、京都、
        松村謙三 叔母
 男  順 藏 明治二五年四月生
 婦  ゆ き 明治三七年二月生、
        長男 順藏妻、
        文學博士 新村出 長女
 男  鐵三郎 明治三二年三月生
君は富山縣人 谷村友吉の長男にして
明治四年四月を以て生れ
同十六年 家督を相續す
夙に實業界入り
現時 湊鐵道會社々長たる外
前記諸會社の重役として知らる
曩に藤本ビルブローカー證券會社
川崎車輛各會社の重役たり
家族は尚
孫  友一 (昭和二年八月生、長男 順藏 長男)
妹  國  (明治八年一一月生)あり
父  友吉 (嘉永元年二月生)は
母  たつ (嘉永五年六月生、富山、前村禮造 妹)
弟  武次郎(明治六年五月生)
妹  ツヤ (明治二一年四月生)を伴ひ分家し
二男 敬介 (明治二九年二月生)も亦分家し
四男 和雄 (明治三五年二月生)は
   東京府人 松村謙三の家籍に入り
妹  尚  (明治一一年八月生)は
   富山縣人 藤澤五三郎 長男 助太郎に
同  英  (明治一六年一月生)は
   同縣人 藤岡直次郎に嫁せり
A一五〇
(京都市中京區堺町通竹屋町下ル)
(電話 上一八一七)
 參照=新村出の項
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《谷村一太郎》早稲田大学[推選校友之部]明治41年度【早稲田大学校友会会員名簿】

《谷村一太郎》早稲田大学[推選校友之部]明治41年度
【早稲田大学校友会会員名簿】

【早稲田大学校友会会員名簿.  大正4年11月調】
◉早稻田大學 評議員之部 p6/189
《谷村一太郎》
京都市堺町通竹屋町
[推選校友之部]
●明治四十一年 p144/189
《谷村一太郎》 京都
住所前出(評議員之部)
本大學評議員、
藤本ビルブローカー銀行取締役、
京都電氣鐵道會社監査役

【早稲田大学校友会会員名簿.  大正14年11月調】
[推 選]
●明治四十一年度 p361/517
《谷村一太郎》
京都市堺町通竹屋町南入
評議員
藤本ビルブローカー銀行取締役會長
日本活動監査役

【早稲田大学校友会会員名簿. [昭和10年用]】
[推 薦]
●明治四十一年度 p271/462
《谷村一太郎》 京都
京都市中京區堺町通竹屋町南入
電話 上京一八一七
藤本ビルブローカー證券會社取締役社長
日本活動監査役
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《谷村文庫の寄贈者:谷村一太郎氏》(笹本光代)京都大学付属図書館報[静脩]1983年10月

《谷村文庫の寄贈者:谷村一太郎氏》(笹本光代)
京都大学付属図書館報[静脩]1983年10月

京都大学付属図書館報
[静 脩]1983年10月 Vol. 20, No.1

     ―資料紹介— ②   p5-6
 谷 村 文 庫

 本文庫の寄贈者谷村一太郎氏は、
藤本ビルブローカー銀行取締役会長などを歴任した実業家であり、
また、明治・大正・昭和の三代を通じて蒐書家として有名であった。

 同氏は明治4年(1871)に富山県福光町の素封家に生れ,
父友吉氏は地方有数の名望家で代々祖谷屋と云い,
絹布の商いと殖産工業に力を尽したが,
遺憾ながら家業は衰退に向った。
一太郎氏は十三才にして家を相続し,発奮努力,
東京に出て慶応義塾大学に入学したが,
のちに早稲田大学に転じ同校を卒業した。
帰郷してのち中越鉄道支配人となり,
泉州紡績株式会社支配人を経て,
明治39年藤本ビルブローカー証券会社に入社した。
そのかたわら湊鉄道株式会社々長,
日本活動写真株式会社取締役,
帝国人造絹糸監査役などを兼ね,
所謂帝人騒動を巧みに乗り切り危機を脱した。

 昭和7年健康を害したが,静養すること1年,漸く回復した。
以後諸会社の重職を悉く辞して晴耕雨読を友とし,
昭和11年(1936)3月13日
京都中京区堺町通竹屋町の自宅で66才の多彩な生涯を閉じられた。

 氏は実業界にあっては鋭才を駆使して華々しく活躍したが,
その反面書窓の閑寂を愛し,
秋村と号し(明治新聞界の先覚者,藤田茂吉氏が名付けた),
また別に石山(滋賀県石山寺の風景を愛したことから),
そのほか故郷の名山の名から
二上太郎,東嶽隠士,匡王山人などのペンネームを持っていた。
また,学究としての一面もあり,
京都大学の教授達とも終始往来があって,
特に新村出博士とは度々書物探訪の旅行をした。
 ―略―
 ―5—

 ―略―
 本文庫が附属図書館に寄贈されるようになった
経緯についてふれておく。
一太郎氏の遺子に四男あり,
何れも翁の性格気風を受け継ぎ,各界に名を成していたが,
氏の歿後兄弟相寄り蒐集された書物を将来永遠に保蔵し,
その整理の上は死蔵せず,
広く学者の為に公開することに合議一決し,
長男順蔵氏の夫人の父君である
元館長,新村出博士の進言を容れて
昭和17年,
愛蔵書9200余冊全部を本学附属図書館に寄贈されたのであった。

 なお,本文庫の各冊毎に一太郎氏の雅号,秋村に因み
「秋邨遺愛」の朱印を捺印して
故人の遺徳と芳志を永久に記念している。
又この文庫に対する利用が多く,
文庫の総目録の刊行が久しく期待されながら
徒らに時を過していたが,
順蔵氏及び次男敬介氏より所要経費につき御協力を得ることになり,
本館の職員が目録編纂し,
昭和38年『京都大学谷村文庫目録』(235P.書名索引付)を
刊行することができた。

 近年和漢書目録掛全員で,
文庫中の貴重書を詳細整理する機会を得,
目のあたりに宋版,古活字版等を展げて比較する事が出来たのは,
新刊書ばかりで古書に接する事の少なくなった現在,
多くの善本を蔵する本館に仕事を持つ者の喜びであり,
一同谷村氏の遺徳への感謝の念をあらたにしたことであった。
 (附属図書館 笹本光代)
 ―6—

京都大学附属図書館報「静脩」VoL20,No1(通巻75号)
1983年10月1日発行
・編集:静脩編集委員会(責任者附属図書館事務部長)
発行=京都大学附属図書館・京都市左京区吉田本町
・電大代751-2111(内線)2611~264
 ―12—
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藤本ビルブローカー銀行【大阪案内記:近畿陸軍特別大演習記念】昭和7年

株式會社 藤本ビルブローカー銀行
藤本ビルブローカー證券株式會社(昭和8年1月1日より)
【大阪案内記:近畿陸軍特別大演習記念】昭和7年

【大阪案内記 : 近畿陸軍特別大演習記念】昭和7年
株式會社 藤本ビルブローカー銀行 p122-123/134
     大阪市東區北濱五丁目三四
     電話本局 五九〇〇番 五九〇一番
          五九〇二番 五九〇三番
          五九〇四番 五九〇五番
           五三二番  五三三番
           五三四番
 創 立 明治三十九年十月十六日
 資本金 三百萬圓(全額拂込濟)
 重 役 會 長 谷村一太郎
   專務取締役 横田 義夫
   常   務 松葉 恭助  三輪小十郎
 取締役兼支配人 内村 保
   監 査 役 八木與三郎  柳 廣藏   桑原 虎治

 當行は明治三十九年十月十六日
資本金五十萬圓を以て創立され、
超えて四十年三月、一百萬圓に增資、
本邦唯一のビルブローカー銀行として、
特異の機能を發揮し、
漸次其營業殷賑を加ふることゝなり、
大正七年六月には、
現資本金三百萬圓に增資して今日に迨んでゐる。

 當行の營業主目は銀行部にあつては、
主としてコールマネー、コールコーン、
手形割引、預り金、諸貸出其の他銀行業務一般の取扱、
また證券部にありては、
有價證券の賣買引受及び募集取扱、
不動産賣買及び貸借の仲介その他一般證券業を取扱ひ、
此種金融機關としては、
其創業の古きと信用の博大なる點に於て、
夙に財界に重きを爲してゐる。

 輓近世界的の經濟界不况に災され、
如何なる事業と雖も、多少の難色あるを否まれないが、
別して當行の如き營業
内容を有するものは、
その陣容が大なれば、
大なる程それだけ打撃も亦大なるわけで、
期年營業不振の狀態に在るは深き同情に値する。

 而もこの不况の渦中に在つて、
敢然孤壘を殊守し
昨昭和六年上期迄は引續き株主配當を行ひ、
表面極めて平靜裡に營業を持續しつゝある一事は、
以て當行の基礎の手堅きと、
重役諸氏が手腕の凡ならざる左券なるべく、
我等の最も敬服に堪へざるところである。

 當行大阪本店の直屬機關として、
支店の業務を取扱ひつゝあるは、
東京、京都、名古屋等を首めとし、
横濱、神戸、金澤、福島、岡山、
廣島、門司、福岡の各都市に置かれ、
全國的に金融網を張り、
本店の活動と共に地方金融界、
證券界に貢献するところ頗る多きを見るは、
此年不况の財界に在つて尠からず人意を強ふするところである。

 猶、當社が何れは證券會社として、
新生命を開拓すべき事は、
久しく財界の話題であつたが、
愈々此程名稱變更に對する主務省の諒解を得たので、
明年一月一日より藤本ビルブローカー證券株式會社と改稱し、
宛然雞肋の觀ありし銀行業務を廢止する事となつた。
昭和七年十二月一日印刷
昭和七年十二月五日發行
著作兼 恒次 壽
發行人 大阪市東區岡山町三六二
印刷人 橋本正隆
    大阪市西區阿波座上通三丁目一五
印刷所 橋本兄成社
    大阪市西區阿波座上通三丁目一五
發行所 國勢協會
    大阪市東區岡山町三六二
    電 話  東  二四〇二番
    振替口座 大阪三七七一七番

【日本全国諸会社役員録. 第41回(昭和8年)】
藤本ビルブローカー證券株式會社 p356-357/978
(藤本ビルブローカー銀行變更)
 大阪市 東區北濱五丁目
設 立 明治三十九年十月
資本金 參百萬圓(拂込濟)
    ―略―

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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