《助産之栞》

女醫 萩谷淸江女史【関西杏林名家集. 第1輯】明治42年

女醫 萩谷淸江女史【関西杏林名家集. 第1輯】明治42年

【関西杏林名家集. 第1輯】明治42年
  女 醫  萩谷淸江女史  p42-43/283
       大阪市南區谷町七丁目四番地
 婦女子にして刀圭の業に從ふもの近時其人に乏しからずと雖も、
大阪にありて最も聞ゆるもの萩谷淸江女史あり、
其門戸の盛、
堂々たる大家の壘を摩せんとするものあるは特に偉とすべし。
 女史の夫君義則氏は舊水戸の藩士にして、
勤王の義擧に加はり時人に知らる、
維新後大阪に來りて職を陸軍醫官に奉じて令名あり、
明治拾七年官を辭して醫業を開き、
内科の達人として重せらる。
 女史明治八年を以て北區櫻之宮の寓に生る、
幼より其起居既に尋常女兒に異るものあるを以て、
父君見るところあり、
女史をして其業を繼がしめんとし
明治廿六年東京に送り濟生學舎に入らしむ、
拮据黽勉校中に聞え、
廿八年四月前期試驗に及第し、
後病を以つて其研學を癈するの已むなきに至りたるに拘はらず、
三拾年三月京都に於て後期試驗を通過し、
同年六月より開業するに至れり、
妙齢の身を以て既に此事ある、生平の用意想ふべきなり。
 女史は夙に婦人科に就て造詣するところ深かりしに關せず、
同年六月より更に緒方病院に入り、
開業の傍ら研究を積み、
又佐多博士に師事して細菌學を修め出色の譽あり、
特に婦德堅固にして儕輩の崇敬を受けつゝありたりと云へり。
 女史は一意專心醫道の研鑽を以て任とし、
今尚ほ之れを怠らず、篤學の風あるは、
人の知るところなりと雖も、
一面又家長として理想的家庭を作りつゝあるは、
藝術に長けたる婦女子の、
往々家庭の圓滿と背馳する行動の多き時流に卓出するものと云ふべく、
愛兒の養育を以て唯一の娯樂と爲し、
其天職に忠實なる、特に稱揚するに足るべし。
明治四十二年十二月 二十日印刷  關西杏林名家集第壹輯
明治四十二年十二月三十一日發行       正價金拾圓
編輯兼發行者 山口 守治
印 刷 者  福山福太郎
       大阪市北區東梅田町參百參番地
發 行 所  衛生新聞社
       大阪市南區難波河原町二丁目千四百六十八番屋敷
印 刷 所  福山印刷製本所
       大阪市北區曾根崎中二丁目貳百參番地
發賣書肆   東京市神田區表神保町   東京堂
       大阪市北區東梅田町    盛文舘
       京都市寺町二條下ル    若林書店
       神戸市元町三丁目     丸善書店
       岡山市上ノ町       渡邊書店
       熊本市新二丁目      長崎書店
       長崎市地引町       安中集榮堂
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年08月19日
T0110《助産之栞》(記念號)大正01年(1912)10月
緒方洪庵記念財団所蔵
《助産之栞》 記念號
醫學博士 緒方正淸主幹
大正元年十月 創立十五周年
緒方病院助産婦學會
<写 真> p2/3
小野利教  岩崎勘治  梶 完次  山本貞次  藤岡耐三
二川鋭男  足立 貫  飯島貫一  石井嘉四郎 後藤誠一
緒方政治郎 三浦久治  緒方會長  幣原 節  萩谷淸江
高橋辰五郎 五井 徹  龜山忠良  橘  薫  村上 琴
池田義玄  池田 保  水口耕治  福井 繁  小野 安
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小野安子(祖母):西太后の主治医にという話

小野安子(祖母):西太后の主治医にという話

《助産之栞》大隈侯 mail 2021/02/10 18:12
西太后の主治医にという話を聞いたことがあります。
この記載(赤字部)の延長線上にあった話ではないかと思います。
小野 雄二

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年08月18日
M4012《助産之栞》(139號)明治40年(1907)12月
◎同仁會會長大隈伯の演説 ※大隈重信
同氏女醫及助産婦養成に就て
大阪支部演説の大要を前號に掲載せしも
今東京總會の演説を得たれば茲に掲ぐ
尚演説中の早稻田大學創立者
故小野梓氏令嬢安子氏は
永年緒方博士の許にて醫學を研究し女醫となり
續て産婦人科研究の上
福岡醫科大學に於て小兒科を研學し
目下神戸にありて獨逸學を專心研究中なりと聽く
尚々同氏當院に在て研究中は
本誌編輯に少なからず貢献せらるゝ所ありき
 ―略―

また東京にては男子の醫學生を養成してありますが
何うか婦人の醫者又は産婆を養成せねばならぬ
夫れで是れは餘程望が多いのであります、

若しまた清國の風俗に合したところの
婦人の醫を派遣すると云ふことになれば、
淸國到る所の上流社會貴顯社會に
必ず歡迎せらると云ふことは私の友人、
其他淸國に精通せる人よりの報告談話等に依つて明である

また此の外淸國に此の文明の醫術を導て
而して淸國多數の人民を不幸の中より救ひ出し、
其の上に醫術其のものが他の文明を導くと云ふことになれば
淸國の國家に取りまた淸國民に取り
是れ程幸福なことはないと思のであります
助産之栞(大隈)_0001
〔画像)助産之栞(大隈)_0001

 ―略―
併しながら近年は東京邊にても女子にして醫學を修むる人が
追々に增して來たのである
大阪にも少しはあるだろうと思ひますが
私は只今熱心に醫學を研究されて居る
婦人にお目に懸つて來た
これは早稻田大學の創立者の一人たる
小野梓といふ名高い人のお嬢さん
殊に今より二十五年前
早稻田大學創立のときに生れたお嬢さん、
今二十五歳になる其のお嬢さんが
福岡大學に於て醫學を研究した
全体醫科大學に於てさふ云ふ婦人を入れることは
規則が許さぬと云ふやうなことで、
餘程面倒であつたが
さう云ふ熱心なる人の事であるからと云ふので
特殊の法を設け
漸く許されたと云ふのである
故に婦人の醫學を修むのは
目下の急務であると信ずるのであります

又産婆を養成する これは最も容易く行はる
而して其の人達が學びさへすれば
其の學問に對する報酬は内地にて働くよりも
遙かに大いなる報酬を得るのである
のみならず淸國の婦人方の幸福と云ふものは
非常に大いなる者である

其他我同仁會に資金さへ豐富であるならば
續々其人を淸國其他へ送り付けることが出來る
即ち施費を與へて送るので
さうすると必ず向ふにて自立して行くことが出來るやうで
さうすると必ず向ふに
て自立して行くことが出來るやうである ※二行追記:2021/02/11 12:22
何うも淸國には殆んど醫者がないのであります(以下略)
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M3603《助産之栞》(82號)明治36年(1903)03月

M3603《助産之栞》(82號)明治36年(1903)03月

緒方洪庵記念財団所蔵

《助産之栞》 第五十七號
明治三十六年三月十日發行
毎月一回十日發兌
緒方病院助産婦學會
M3603-1《助産之栞》(82號)
〔画像〕M3603-1《助産之栞》(82號)

◉明治三十四年及同三十五年生産及死産數
 左の如し
 ―略―

◉緒方助産婦學會例會
同會は今橋なる緒方婦人科病院内に於て
二月十日午後六時より
中央婦人科學會と共に開會せられたり
來會者六十有餘名にして頗る盛會なりき
今左に其演題を擧げん
※演題:画像不鮮明
第一席    小野 安
第二席    幣原 節
第三席    宮坂 文胤
第四席    村上 琴
第五席    緒方 會長 ※緒方正清
第六席    五井 徹
第七席    後藤 誠一
第八席    二川 鋭男
第九席    上田 友三郎
M3603-2《助産之栞》(82號)
〔画像〕M3603-2《助産之栞》(82號)
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【助産之栞. (82)】1903-03 明治36年03月
国立国会図書館/図書館送信限定
【助産之栞】所蔵事項 (holdingIssues)
1 (明29.1)-125 (明39.10), 180号 (明44.5)-188号 (明45.1)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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M3402《助産之栞》(57號)明治34年(1901)02月

M3402《助産之栞》(57號)明治34年(1901)02月

緒方洪庵記念財団所蔵

《助産之栞》 第五十七號
明治三十四年二月十日發行
毎月一回十日發兌
緒方病院助産婦學會
M3402-1《助産之栞》(57號)
〔画像〕M3402-1《助産之栞》(57號)

 ◉緒方病院産科實地演習卒業生 p2/2
舊臘(昨年12月)緒方病院にては第七回産科實地演習を
開講されつゝありしが之を終結して卒業證書を授與せられたり
今卒業生諸君の氏名を聞き得たれば之を左に記載すべし
因(ちなみ)に曰く同講習生としては
醫師及醫學後期生を容るることゝなり居るが
醫師にして此科を講習するもの漸次多きを加ふるに至れりとぞ
 (姓名 いろは順)
兵庫縣 冲中 盤根
高知縣 小野 保子君 ※小野 安子
大阪府 長岡 悦子君
大阪府 村上 琴子君
大阪府 幣原 節子
 ◉内務省産婆開業試驗及第者
緒方産婆助産婦敎育所を卒業したる諸姉にして
昨■施行せられたる内務省の産婆開業試驗に及第したるものは
左の二十名にして内一名は學説試驗に合格せられたり
 (姓名いろは順)
伊東よし子   原 つら子
加藤はまの子  河■よしの子
中野きぬ子   中村みつ■子
上野きぬ子   尼池なを子
小串いよ子   山内けい子
山川しな子   山中すが子
安田とく子   松田りよ子
藤井つる子   澤上りう子
荒谷みさを子  幣原みさを子
樋口なか子
  學説合格者
高木りよ子

◉大阪慈惠病院醫學校女生徒
  修德會
名の如き會の舊年中より同校の女生徒によりて
開かれたりしことは嘗て本誌に記載せしが
今回同會員の過半數は我助産婦學會の會員となり
本會の爲に力を添へらるゝと云ふ
左の文章は同會員小野保子(小野安子)氏の
同會例會に於て述べられたる所にして
今回之を送られたれは左に記しつ
  德育に就きて
■■の中には智育と德育とは別物にして
之を應ずには各個特殊の方法と目的とあるものゝ如く考ふる人
少なからざるが如し
M3402-2《助産之栞》(57號)
〔画像〕M3402-2《助産之栞》(57號)
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【助産之栞. (57)】1901-02 明治34年02月
国立国会図書館/図書館送信限定
【助産之栞】所蔵事項 (holdingIssues)
1 (明29.1)-125 (明39.10), 180号 (明44.5)-188号 (明45.1)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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門真市 古川橋駅かいわい
幣原元首相ゆかりの地
2006年1月16日付「朝日新聞」
        週間まちぶら第69号より
 門真市の京阪古川橋駅は府警察門真運転免許試験場の最寄り駅。
免許の取得や更新で1度は立ち寄ったという人も多いだろう。
だが、この街に隠れた名所が数あることは、あまり知られていない。
 大阪府出身の首相は、
堺市生まれの鈴木貫太郎と門真市出身の幣原喜重郎だけ。
 喜重郎は1872(明治5)年、
現在の古川橋駅近くの豪農の家に生まれた。
幣原家の婿養子だった父新治郎は、親類の反対を押して田畑を売り、
4人の子たちの教育に力を注いだ。
 長男 坦(たいら)は国史学者で、台北帝国大初代総長などを歴任。
 外交官になった次男喜重郎は五つの内閣で外相を務めた。
1920年代に米英との協調、中国への内政不干渉を唱え
「幣原外交」として歴史に名を残した。
 長女 操は社会事業家として病院や保育園を開設。
 次女 節は女性医師の草分けとなった。
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M3301《助産之栞》(44號)明治33年(1900)01月

M3301《助産之栞》(44號)明治33年(1900)01月

緒方洪庵記念財団所蔵

《助産之栞》 第四十四號
明治三十三年一月發行
毎月一回發兌
緒方病院助産婦學會
M3301-1《助産之栞》(44號)
〔画像〕M3301-1《助産之栞》(44號)

緒方病院 助産婦學會 會員名簿 p2/3
 ○名譽會員
※画像:不鮮明
 ○通常會員
   東 區
東區今橋三丁目三番邸 緒方邸内  鳥取アイ
東區今橋三丁目三番邸 緒方邸内  小野ヤス
東區今橋三丁目三番邸       緒方正淸
東區今橋三丁目三番邸       緒方拙齋
M3301-2《助産之栞》(44號)
〔画像〕M3301-2《助産之栞》(44號)

東區横堀二丁目?         福井 繁
東區今橋三丁目三番邸 緒方邸内  幣原セツ
   西 區
西區立賣堀南通四丁目 緒方病院内 萩谷 淸江
   東 區
東區■■町二丁目百四十五番屋敷  橘  薫
M3301-3《助産之栞》(44號)
〔画像〕M3301-3《助産之栞》(44號)
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【助産之栞. (44)】1900-01 明治33年01月
国立国会図書館/図書館送信限定
【助産之栞】所蔵事項 (holdingIssues)
1 (明29.1)-125 (明39.10), 180号 (明44.5)-188号 (明45.1)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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助産婦養成:明治44年~大正8年【加東郡誌】大正12年

助産婦養成:明治44年~大正8年【加東郡誌】大正12年

【加東郡誌】大正12年
 第二章 助産婦養成 p271/530
本に郡は從來産婆と稱し無試驗の産婆
郡内各町村に多數ありと雖も
學理を辨へたるものに非れば
産兒の取扱には危險なると
不具廢疾者を生ずるの虞あり
依て明治四十四年度より助産婦の必要を感じ
郡方針として郡費を與へ
毎年三名の新智識を有する助産婦を養成し
各町村一名宛之を配置せんと企てたり
然るに經費の都合により
大正三年度より一名を減じ
毎年二名宛之を養成することゝせり。
今其補助生を擧ぐれば左の如し。

一、明治四十四年 神戸古川病院にて養成したるもの
  河合村  田中ます   福田村 宮崎くら   大部村 小林つる

一、明治四十五年 神戸古川病院にて養成したるもの
  小野町  永本わき   市場村 泰井まさゑ  社 町 松本房惠

一、大正二年   神戸古川病院にて養成したるもの
  上東條村 山本ミス   河合村 梶尾せき   社 町 門脇ちゑ

一、大正三年度は志願取消により養成するを得ず

一、大正四年   大阪市緒方病院にて養成したるもの
  瀧野村  藤本つるゑ  社 町 黑石ふじゑ

一、大正五年   大阪市緒方病院にて養成したるもの
  瀧野村  大久保こつる 中東條村 片山スヱ

一、大正六年   大阪市緒方病院にて養成したるもの
  鴨川村  柴崎とくゑ  下東條村 長谷川よしの

一、大正七年   大阪市緒方病院にて養成したるもの
  中東條村 土居靜子   上福田村 常峰こせい

一、大正八年   大阪市緒方病院にて養成したるもの
  下東條村 服部たきゑ  下東條村 藤井てるゑ
大正十二年十月十五日印刷
大正十二年十月二十日發行
  (非賣品)
編輯兼 兵庫縣加東郡役所内
發行者 加東郡敎育會
印刷者 黑田房次
    兵庫縣加古郡加古川町寺家町一一ノ一
印刷所 黑田盛文堂
    兵庫縣加古郡加古川町寺家町一一ノ一
    振替口座大阪二八九二五番
    電 話 七 二 番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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T0110《助産之栞》(記念號)大正01年(1912)10月

T0110《助産之栞》(記念號)大正01年(1912)10月

緒方洪庵記念財団所蔵

《助産之栞》 記念號
醫學博士 緒方正淸主幹
大正元年十月 創立十五周年
緒方病院助産婦學會
T0110-1《助産之栞》(記念號)
〔画像〕T0110-1《助産之栞》(記念號)

<写 真> p2/3
小野利教  岩崎勘治  梶 完次  山本貞次  藤岡耐三
二川鋭男  足立 貫  飯島貫一  石井嘉四郎 後藤誠一
緒方政治郎 三浦久治  緒方會長  幣原 節  萩谷淸江
高橋辰五郎 五井 徹  龜山忠良  橘  薫  村上 琴
池田義玄  池田 保  水口耕治  福井 繁  小野 安
T0110-2《助産之栞》(記念號)
〔画像〕T0110-2《助産之栞》(記念號)

 ◎既往十五年間に於ける本會の事業 p3/3
◎姙娠及び褥婦に於ける水腫に就て  得業士  第八十二號
◎産婦及び褥婦の臥位        後藤誠一 第八十二號
◎産科に於ける一般看護法      幣原節子 第八十四號
◎初生兒保育器に就て        無名子  第八十五號
◎姙娠性惡咀の新療法        小野 安 第八十五號
 ―略―
T0110-3《助産之栞》(記念號)
〔画像〕T0110-3《助産之栞》(記念號)
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【助産之栞. (記念號)】1912-10大正01年10月
所蔵なし
【助産之栞】所蔵事項 (holdingIssues)
1 (明29.1)-125 (明39.10), 180号 (明44.5)-188号 (明45.1)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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M4101《助産之栞》(140號)明治41年(1908)01月

M4101《助産之栞》(140號)明治41年(1908)01月

緒方洪庵記念財団所蔵
《助産之栞》 第百四十號
明治四十一四年一月十五日發行
緒方病院助産婦學會
M4101-1《助産之栞》(140號)
〔画像〕M4101-1《助産之栞》(140號)

森本 志津 p2/2
本山八重野
關  すみ
須基 榮枝

 ◎名譽會員
伊庭 秀榮
池田 陽一
濱田 玄達
千秋雄雌郎
千葉稔次郎
小川 勝陳
大森英太郎
河野 徹志
高山 尚平
多田學三郎
高橋辰五郎
辻  高俊
中島 襄吉
熊谷 省三
楠田 謙藏
柳井 貴三
山田 謙治
藤野正太郎
福田 令壽
足立健三郎
秋元隆次郎
新井古芳
朝山 義六
櫻井三之助
榊 順次郎
佐伯理一郎
櫻井郁次郎
木下 正中
北畠 孝夫
水原  漸
柴田 耕一
樋口 繁次
鈴木愛之助

 ◎特別會員
神戸市東川崎町宇治川筋         井上學太郎
大阪市北區常安町一〇〇三        糸川 由平
大阪市北區瀧川町五十番         岩田 義玄

大阪市南區北桃谷(谷町二丁東ノ丁)   岩崎 勘次
東京市神田區淡路町二丁目        磯部 撿三
大阪市東區淡路町四丁目         濱田 美政
大阪市東區淡路町三丁目         春井  彰
大和田原本町              服部榮次郎
大阪市西區江戸堀橋詰西入        服部  哲
大阪市東區北濱三丁目          西山 壯三
大阪市東區今橋五丁目          西村 輔三
三重縣河藝郡玉垣村           西尾  重
大阪市東區今橋三丁目          堀内 謙吉
大阪市南區難波鐵眼寺前         舳松倉太郎
大阪市東區谷町一丁目五七        富田 惠之
大阪市東區内木町松屋町東ヘ入      鬼束 益三
神戸市諏訪山 安部莊之助氏方      小野  安
東京市本郷區曙町一四          大澤岳太郎
大阪市南區内安堂寺町三丁目       加納  讓
大阪市東區大川町 毎日新聞社向ヒ    加古  光
高松市外磨屋町 柏原病院長       柏原 長英
臺灣 彰化廳長官舎           加藤 尚志
大阪市北區福島淨正寺橋筋踏切南角    吉 律 度
臺灣 臺北醫院             高木 友枝

和歌山市中ノ島紀和町          谷本精一郎
大阪市東區瓦町二丁目          高安道太郎
京都市室町通リ丸太町下ル        谷本  富
高松市新通町              高畑 運夫
東京市麻布區千駄木村 日本赤十字社病院 高橋 種紀
東京市小石川區上冨坂町二三       長尾 折三
大阪府中河内郡龍美村字植松 産婆組合長 長崎司馬太郎
相州小田原御■小路           中川恭次郎
東京市麴町區内幸町 胃腸病院長     長與 稱吉
大阪市西區西長堀北通リ二丁目      内藤  達
滋賀縣神崎郡川並村           村地 研三
熊本衛戌病院              内海專太郎
大阪市東區大手通リ一丁目        宇野 良造
東京帝國醫科大學 神經科        呉  秀三
三河國岡崎町大字康生一一七       久野 良三
京都市下京區古門前通リ大和大路東へ入  日下 京平
愛知縣中島郡一宮町 山下病院      山下  隆
洋 行 中               山谷德二郎
大阪市南區天王寺 大阪精神病院     山本 宗一
大阪市西區江戸堀南通リ四丁目三二    柳  琢藏
大阪市東區備後町三丁目         松本百之助
M4101-2《助産之栞》(140號)
〔画像〕M4101-2《助産之栞》(140號)
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【助産之栞. (140)】1908-01 明治41年01月
所蔵なし
【助産之栞】所蔵事項 (holdingIssues)
1 (明29.1)-125 (明39.10), 180号 (明44.5)-188号 (明45.1)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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M4012《助産之栞》(139號)明治40年(1907)12月

M4012《助産之栞》(139號)明治40年(1907)12月

緒方洪庵記念財団所蔵

《助産之栞》 第百三十九號
明治四十年十二月十五日發行
緒方病院助産婦學會

《助産之栞》 第百三十七號の奥付 p1/4
明治四十年十月十三日印刷 同四十年十月十五發行
發行所  大阪市東區今橋三丁目番外三番邸
     緒方助産婦學會
編輯人  大阪市東區北濱二丁目十四番屋敷
     村上 琴
編輯兼  大阪市東區德井町二丁目三十五番地
發行人  橘  薫
印刷人  大阪市南區鰻谷仲之町五十三番邸
     井上仲藏
印刷所  大阪市南區中橋南詰東へ入(電話東八百十二番)
     井上活版製造所
發賣所  大阪市東區博勞町四丁目百十五番邸
     丸善株式會社支社書店
M4012-1《助産之栞》(139號)
〔画像〕M4012-1《助産之栞》(139號)
  雜 報 p24-29
◎助産婦學會例會
同會は去月十日今橋三丁目
緒方婦人科病院に於て例に依て午後七時より開催せらる
會長緒方博士(臀位分娩實驗覽内參照)に就て述べられ
水口醫學士の流産に就ての講演等あり
頗る盛會にて來會者五十四五名散會せしは午後十時なりき

⦿大阪府産婆試驗合格者
本年第二回大阪府に於ける内務省産婆受驗者
百四十六名ありしが合格せるもの六十二名なりしと

◎同仁會會長大隈伯の演説
同氏女醫及助産婦養成に就て
大阪支部演説の大要を前號に掲載せしも
今東京總會の演説を得たれば茲に掲ぐ
尚演説中の早稻田大學創立者
小野梓氏令嬢安子氏は
永年緒方博士の許にて醫學を研究し女醫となり
續て産婦人科研究の上
目下神戸にありて獨逸學を專心研究中なりと聽く
尚々同氏當院に在て研究中は
本誌編輯に少なからず貢献せらるゝ所ありき
 ―略―
M4012-2《助産之栞》(139號)
〔画像〕M4012-2《助産之栞》(139號)

M4012-3《助産之栞》(139號)
〔画像〕M4012-3《助産之栞》(139號)

 ―略―
併しながら近年は東京邊にても女子にして醫學を修むる人が
追々に增して來たのである
大阪にも少しはあるだろうと思ひますが
私は只今熱心に醫學を研究されて居る
婦人にお目に懸つて來た
これは早稻田大學の創立者の一人たる
小野梓といふ名高い人のお嬢さん
殊に今より二十五年前
早稻田大學創立のときに生れたお嬢さん、
今二十五歳になる其のお嬢さんが
福岡大學に於て醫學を研究した
全体醫科大學に於てさふ云ふ婦人を入れることは
規則が許さぬと云ふやうなことで、
餘程面倒であつたが
さう云ふ熱心なる人の事であるからと云ふので
特殊の法を設け
漸く許されたと云ふのである
故に婦人の醫學を修むのは
目下の急務であると信ずるのであります

又産婆を養成する これは最も容易く行はる
而して其の人達が學びさへすれば
其の學問に對する報酬は内地にて働くよりも
遙かに大いなる報酬を得るのである
のみならず淸國の婦人方の幸福と云ふものは
非常に大いなる者である

其他我同仁會に資金さへ豐富であるならば
續々其人を淸國其他へ送り付けることが出來る
即ち施費を與へて送るので
さうすると必ず向ふにて自立して行くことが出來るやうで
さうすると必ず向ふに
て自立して行くことが出來るやうである
何うも淸國には殆んど醫者がないのであります(以下略)
M4012-4《助産之栞》(139號)
〔画像〕M4012-4《助産之栞》(139號)
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【助産之栞. (139)】1907-12 明治40年12月
所蔵なし
【助産之栞】所蔵事項 (holdingIssues)
1 (明29.1)-125 (明39.10), 180号 (明44.5)-188号 (明45.1)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年02月10日
小野安子(祖母):西太后の主治医にという話
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M3907《助産之栞》(122號)明治39年(1906)07月

M3907《助産之栞》(122號)明治39年(1906)07月

緒方洪庵記念財団所蔵

《助産之栞》 第百二十二號
明治三十九年七月十五日發行
緒方病院助産婦學會

《助産之栞》 第百廿一號の奥付 p1/2
明治三十九年六月十三日印刷 同六月十五日發行
發行所  大阪市東區今橋三丁目番外三番邸
     緒方助産婦學會
發行人兼 大阪市南區長堀橋筋一丁目百八十四番屋敷寄留
編輯人  坂本 胖
印刷人  大阪市南區鰻谷仲之町五十三番邸
     井上仲藏
印刷所  大阪市南區中橋南詰東へ入(電話東八百十二番)
     井上活版製造所
發賣所  大阪市東區博勞町四丁目百十五番邸
     丸善株式會社支社書店
M3907-1《助産之栞》(122號)
〔画像〕M3907-1《助産之栞》(122號)

◎助産婦學會役員 p2/2
 去月助産婦學會開會に際し
 同會役員 左の如く撰定せられたり
   緒方助産婦學會役員
會 長 緒方 正淸    評議員 尾池 ナカ
副會長 後藤 誠一    仝   加島 フク
評議員 池上 ヨ子    仝   河村 フミ
仝   花村 フデ    仝   加藤芳千代
仝   長谷川ユキ    仝   米田 マス
仝   ?        仝   吉田 リエ

評議員 高垣 コト    評議員 淺田 フサ
仝   代田 キノ    仝   澤上 サワ
仝   仲島 サク    仝   三宅 サイ
仝   村上 キヌ    仝   三宅 小民
仝   久野 エン    仝   城 小ムメ
仝   安田シヨウ    仝   森本 シズ
仝   矢代 エイ    仝   本山八重野
仝   小林 ツギ    仝   關  スミ
仝   寺田 ヒサ    仝   山本 フク

   特別會員(いろは順)
得業士 飯室 省三君   醫 士 山本 貞次君
仝   半田 義祐君   醫 士 二川 鋭男君
女 醫 萩谷 淸江君   女 醫 福井  繁君
仝   小野  安君   得業士 後藤 誠一君
仝   橘  薫 君   仝   五井  徹君
醫 士 高橋辰五郎君   仝   三浦 久治君
女 醫 高橋 末子君   醫學士 水口 耕治君
醫 士 中山 義照君   得業士 志賀 正雄君
女 醫 村上  琴君   女 醫 幣原 セツ君

◎内務省産婆試驗
 本年第一回の同試驗は大阪議事堂に於て
 去月十一日より十四日迄學説試驗
 十八より十九日迄實地試驗を施行せられたり
 學説試驗問題左の如し
  ―略―
M3907-2《助産之栞》(122號)
〔画像〕M3907-2《助産之栞》(122號)
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【助産之栞. (122)】1906-07 明治39年07月
国立国会図書館/図書館送信限定
【助産之栞】所蔵事項 (holdingIssues)
1 (明29.1)-125 (明39.10), 180号 (明44.5)-188号 (明45.1)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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