大本教関連

《浅岡信夫》早稲田の相撲部の大将、柔道2段、ラグビー選手、陸上競技の花形である【新体育 40(5)】昭和45年(1970-05)

【新体育 40(5)】昭和45年(1970-05)
出版者   新体育社
出版年月日 1970-05
p1【新体育 40(5)】昭和45年(1970-05)
〔画像〕p1【新体育 40(5)】昭和45年(1970-05)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2373782/1/1

  思い出のスポーツマン(4) 河井 勇
  浅岡信夫君
大正10年頃、
桂公爵の愛妾だった元新橋芸者のお鯉さんが
銀座7丁目にナショナルというカフェーを開いた。
その頃のカフェーというのは
今の喫茶店とはちがう。
ビール、日本酒、洋酒ものめるし、
洋食もたべられる。
女給さんはエプロンを後に蝶むすびにして、
髪は耳かくしで、
いわゆる大正の女給姿である。

その頃は”銀ながし“と称する不良が
こういう飯食店に出入して
ゆすり、たかりをするので、
どこの店でも用心棒をたのんでいた。

このお鯉さんのナショナルの用心棒にたのまれたのが、
浅岡信夫である。
彼は早稲田の相撲部の大将、柔道2段、
ラグビー選手、陸上競技の花形である。
相撲の稽古で片腕を負傷して包帯で腕を吊っていながら、
数名の暴力団を2階から突き落した大奮戦ぶりは
浅岡武勇伝として、
古い銀座を知っている人には
いまだに語り草になっている。
     〇
この浅岡は早稲田を出てから日活の俳優となり渡米したが、
あまりパッとせず、その後、
右翼や軍と連絡をとり上海へ渡り、紙商売をした。
それが当って上海ブロードウェー・マンションという
一流マンションに陣取って豪華な生活をしていた。

そのうちに大東亜戦争となって内地に引揚げて来たが、
親分肌で、引揚げの大将となって働いた。
その腕前が認められて、
ソ連からの引揚げも手伝って敦賀で活躍した。

引揚げの大将としての活躍で天下に名を知られたので、
衆議院選挙に出て、全国区で見事当選した。
だが当選は1回きりで終った。
その後、いろいろな斡旋業で成功し、
金も出来て熱海の海を見下す邸宅を買い、
庭の手入れをしているうちに、
崖からすべり落ちて、打ち所が悪く、
数年前、さすがの豪傑もあっけなく死んでしまった。

何しろ膂力(りょりょく)衆にすぐれ、
喧嘩ずきの豪傑だったので、
さまざまなエピソードを残したが、
最も有名なのは新橋カフェー事件である。

その頃はまだ銀座通りにカフェーの数も少なかったが、
「新橋カフェー」というのは、
銀座8丁目の新橋橋詰めの
今は天国のあるところにあった大きなカフェーだった。
そこの美人女給に浅岡が惚れた。
だが彼女にはもう一人、慶応の学生の愛人があって、
はからずも早慶戦ということになった。
この争いは仲裁に入るものがあって、
双方とも彼女から手を引くということになった。

浅岡は彼女を忘れるために陸上競技に熱中して、
上海で行われた極東選手権大会に出場し、
槍投でレコードを作って優勝して凱旋した。
彼の祝勝歓迎会の帰り、
銀座へ出て思い出深い新橋カフェーの下を通ると、
2階の窓際に、彼女とライバルの慶応生が顔を近づけて
話をしているではないか。
浅岡はそれを見るや否や、
階段をかけ上って慶応生を外へつれ出した。
2人は連れ立って、
何か二言、三言話していたと思ったら、
浅岡はいきなり相手を殴って、
新しい麦藁帽子を飛ばして、
それを踏みつぶした後、
腰車にかけて投げとばした。
慶応生は銀行の建物の台石の角に頭をぶつけて
人事不省に陥ってしまった。
そこへ夜警巡査の靴音が聞えて来たので、
浅岡は傍らを通った人力車をつかまえて、
「おい、どうしたい、
 そんなに酔っ払っちゃ困るじゃないか」
といって車へかつぎこんで病院へつれ込んでしまった。
慶応生はまもなく意識をとりもどしたからよかったものの、
あのまま息を吹きかえさなかったら、
どんなことになったであろう。
この事件以来、彼の友人は、
今にどんなかかり合いになるかも知れないと警戒して、
彼といっしょに歩くのは御免だということになった。
     〇
また、関西学院との対抗試合に遠征した時も、
負けてむかっ腹を立てていたのだろうか、
阪神電車の車掌と喧嘩して、
車掌の制服の片袖をちぎってしまって、
交番に拘留された。
神戸の牛肉店三輪で歓迎会をすべく
待っていた関学の選手たちは、
いつまでたっても早稲田の選手がこないので、
調べて見ると拘留されているというので、
貰いさげをしてもらったこともある。

浅岡は喧嘩好きで、毎日武勇伝を聞かせるので、
喧嘩の原因がよくそんなにあるものだねと聞いて見ると、
他人の喧嘩の仲裁に入って、
両方とも殴ってしまうというのだから
困ったものである。

兎に角、彼は漢楚軍談か、三国志か、
水滸伝の時代に生れていれば、
もっと目ざましい活躍をしたのであろうが、
生れてくる所と時代が少しずれていたようだった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2373782/1/56
新体育 五月号 第四十巻 第五号
昭和四五年五月一日発行 二三〇円(送料一五円)
編集人 栗本義彦
発行人 小沢謙一
印刷人 中村 榊
発行所 株式会社 新体育社
    東京都文京区本郷二丁目二九番六号
    郵便番号113
    振替東京一六七三四
    電話(八一二)七四三五
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日活中堅女優 淺野雪子孃と淺岡信夫【キネマ週報 = The movie weekly (39)】1930-11

【キネマ週報 = The movie weekly (39)】1930-11
出版者   キネマ週報社
出版年月日 1930-11
p1【キネマ週報 = The movie weekly (39)】1930-11
〔画像〕p1【キネマ週報 = The movie weekly (39)】1930-11
https://dl.ndl.go.jp/pid/7965037/1/1
  スタヂオ千一夜物語
  第二十六夜
 冬近し、スター連の飲みつぷり
酒傑五斗又兵衞の風貌あるは、
何といつても淺岡の信ちやん。
今でこそ大いに控へてゐるが、
そのかみ
早稻田角力部の横綱として鳴らした頃は
斗酒あへて辭せず、
大盃でグイグイと傾けつくす豪快さ。

その飲みつぷりの男らしさに、
ゾツコン參つたのが、
カツフヱ・ライオンの花と咲いた
女給お種さんこと、
後の日活中堅女優 淺野雪子孃。
二人の間に出來た坊やは不幸夭折したが、
信ちやんの日活入りと共に、
夫婦共稼ぎの愉悦を神は與え給ふたのであつた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/7965037/1/12
昭和五年十一月廿七日 印刷納本
昭和五年十一月廿八日 發行
編輯人    田中純一郎
發行兼印刷人 片桐槌彌
發行所    キネマ週報社
       東京・京橋木挽町二ノ四
       電話京橋(56)三七三一番
       振替東京五六〇五八番
本誌取次店  東京堂、東海堂、北隆館、大東館
(安久社印刷)
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【昭和物故人名録 : 昭和元年~54年】1983
著者    日外アソシエーツ株式会社 編集
出版者   日外アソシエーツ
出版年月日 1983.7
浅野雪子 あさの・ゆきこ
1904.7.13~1973 69歳。
※明治37年(1904)~昭和48年(1973)
女優。本名・宮沢種子。
生・東京市京橋区。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12210190/1/12
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【早稲田大学校友会会員名簿  大正14年11月調】
出版者   早稲田大学校友会
出版年月日 大正4-14
 商學部 大正十一年得業
《淺岡信夫》 日活關西撮影所
京都市外花園村妙心寺北門上ル

【早稲田大学校友会会員名簿 [昭和10年用]】
出版者   早稲田大学校友会
出版年月日 1934.12
《淺岡信夫》 大正11年卒 商學部 廣島
割烹淺岡 經營
京橋區銀座八ノ三
(電話銀座一二二九)
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《伊賀とら》伊藤夫婦の婚禮・京都の美粧倶樂部の會員等【日月日記 2の巻】昭和4年

【日月日記 2の巻】昭和4年
著者    月の家 著
出版者   天声社
出版年月日 昭和4.7
p3【日月日記 2の巻】昭和4年
〔画像〕p3【日月日記 2の巻】昭和4年

(昭和四年)一月廿一日  於 明光殿
伊賀とら氏
伊藤夫婦の婚禮に列せんとして
神苑に上れり

京都の美粧倶樂部の會員等 ※別稿に記載
高天閣に數十人訪ふ

日活の淺野雪子たゞ一人  ※別稿に記載
神苑に上りて吾を訪ふゆく
p99【日月日記 2の巻】昭和4年
〔画像〕p99【日月日記 2の巻】昭和4年
昭和四年七月廿七日印刷 日月日記二の巻奥附
昭和四年七月三十日發行 定價 金壹圓貳拾錢
編輯者 藤津 進
    京都府何鹿郡綾部町大字本宮村字本宮下三十二番地
印刷兼 瓜生鑅吉
發行者 京都府何鹿郡綾部町大字本宮村字東四ツ辻十三番地
印刷兼 天聲社
發行所 京都府何鹿郡綾部町大字本宮村字東四ツ辻十三番地
    振替大阪六〇五三四番
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《伊賀とら》大本の熱心者にして祇園に女髪結業を營む婦人あり【壬申日記 7の巻】昭和7年7月

【壬申日記 7の巻】昭和7年7月
著者    月の家 著
出版者   天声社
出版年月日 昭和7.6
 月の家 著
 壬申日記 七の巻
 昭和七年 自 七月 一日
      至 七月卅一日
 p3【壬申日記 7の巻】昭和7年7月
〔画像〕p3【壬申日記 7の巻】昭和7年7月
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137838/1/3
  編輯日誌 p137/201
〇大本の熱心者にして祇園に女髪結業を營む婦人あり
△毎日必ず百以上を結ふ
 その収納の内より幾割かを割いて
 毎月必ず大本へ謝恩參詣する
△或る日天恩郷に行くべく
 網の袋の中に幾百金かを入れて
 右腕に吊し乍ら電車に乘る
△二條驛で下車すれば袋の底は巧みに切り抜かれて
 中の貨幣は全く消えてゐた
△けれども本人平氣なもので、
 「神さんが此處まで請取に來て下さつたのだ」
 と其儘歸宅した
△「大本信者らしい態度は何としても床しく見られた」
 と語つて聽かした人がある。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137838/1/137
昭和七年十一月十五日印刷
昭和七年十一月廿 日發行
壬申日記七の巻奥附
定價 一圓
編輯者     櫻井重雄
  京都府南桑田郡龜岡町字京町四十二番地
印刷者兼發行者 吉原常三郎
  京都府南桑田郡龜岡町字古世大垣内八十六番地
印刷所     第二天聲社
  京都府南桑田郡龜岡町荒塚内丸一番地
  振替大阪七五九一七番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137838/1/200
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《伊賀いせ子》須磨 伊賀邸 昭和7年1月4日【壬申日記 1の巻】昭和7年

《伊賀いせ子》須磨 伊賀邸 昭和7年1月4日
【壬申日記 1の巻】昭和7年

【壬申日記 1の巻】昭和7年
著者    月の家 著
出版者   天声社
出版年月日 昭和7.6
 壬申日記 一の巻
 昭和七年一月一日
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137768/1/8
 一月四日  於 須磨 伊賀邸
高木總務の滿洲行きをおくらんと
午前の八時龜岡をたつ
心地よく神苑晴れたり
汽車の窓に見る高殿は朝日かがよふ
高木總務小谷哲氏を伴いて
勇み出で行く奉天の旅
神戸にて高木一行と相わかれ
閑月伴ひ
須磨に向へり
伊賀いせ子舘に入りて
信徒と黄昏るるまで漫談をなす
須磨支部の中尾氏邸を訪ひ行きて
信徒ともに神言を宣る
尺八や三味に合して歌うたふ
咽喉の冴えをば聞かされにけり
小夜更くるまでも眠らず
信徒の讀む物語聞きてゐたりき
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137768/1/15
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※《伊賀ヒサ》と《伊賀とら》《伊賀いせ》の関連は不明。
【官報 1910年01月15日】明治43年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 明治43年
 〇貯金通帳亡失及盗難等
左記貯金通帳亡失及盗難等ノ事故ニ罹リタルニ付キ
若シ其所在ヲ發見シタル者ハ速ニ
最寄郵便貯金取扱局所ニ届出ツヘシ
 明治四十三年一月 郵便貯金局
記番號   ぬはか 一六二三
交付局所名 攝津 須磨
預人氏名  伊賀ヒサ
p11【官報 1910年01月15日】明治43年
〔画像〕p11【官報 1910年01月15日】明治43年
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年09月27日 05:15
「伊賀とら」さんのお墓:天王平(綾部市)
[小野雄二]平成30年9月23日

伊賀いせ子[伊賀とら(伊賀治子の姉)]
生 明治8年(1875)前後
歿 昭和10年(1935)10月11日 60歳

伊賀とら(伊賀治子)
生 明治13年(1880)前後
歿 昭和20年(1945)7月31日  65歳

松村正子(伊賀とら 長女)[小野一雄・雄二の伯母]
生 大正3年(1914)1月20日
歿 昭和62年(1987)1月25日  74歳

伊賀光枝(伊賀とら 二女)[松村正子の妹]
生 大正4年(1915)前後
歿 昭和5年(1930)12月15日  15歳

伊賀義男(伊賀とら 長男)
生 大正8年(1919)前後
歿 昭和19年(1944)7月30日  25歳
【大本 松村家代々神霊】を基に作成
平成30年(2018)9月24日
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須磨より伊賀伊勢子(伊賀とら姉)【東北日記 1之巻】昭和3年

須磨より伊賀伊勢子(伊賀とら姉)
【東北日記 1之巻】昭和3年

【東北日記 1之巻】昭和3年
著者    月の家 著
出版者   天声社
出版年月日 昭和3.8-4.2
   東北日記
 昭和三年七月十一日
梅田安子 伊賀伊勢 純子の三婦人
 ※伊賀伊勢:伊賀いせ(伊賀とら姉)
伊都雄 吉原 岩田氏 同車す。
 ※伊都雄:大国浩三(戸籍名)
  大国 弘(小野又一の姉)の夫
 七月十二日  於 高天閣
大津驛まで同車見送りたる
宣、信氏名左の如し。
京都より
出口日出麿、
伊賀治子(※伊賀とら)、
鎌光よね子、平野松三郎、木全仙右衛門、
大谷敬祐、粟辻忠造、荒川安史、南貴太郎、
三雲孝四郎、三雲麻子。
天恩郷より
加藤明子、日田井輝男、出村喜一郎。
宇治より
石田要之助(但し米原まで)。
大阪より
米倉一郎。
須磨より
伊賀伊勢子 ※伊賀治子(とら)の姉
の諸士にして、
大津に出むかへたる人々は、
西村爲次郎、藤丸、辻、堀江の夫妻諸氏なりき。
暑さの時節諸氏の厚情を感謝す。
又滋賀縣の農林主事補
北村常三氏の繁中の出迎を感謝す。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年03月08日 05:40
《伊賀とら》義侠者の伊賀お寅
[下山京子]仲居變装記 常盤花壇
【一葉草紙】大正3年(1914)
 三 藝者氣質  p130/187
《お寅さん》は相變らず後姿を見せて仕事に餘念ない。
黄色い聲の賑かな話は彼方此方に起つて
既(も)う私の存在は認められて居ないらしい。
周圍の事情がこんなだから
私もツイ油斷してゐると突然横手から、
『若し貴女、一寸(ちょ)いと』
と優しげな聲がする。
ハツと膽(きも)を潰(つぶ)して向ふを見ると、
何時の間にか廿五六の束髪に
結(ゆつ)た品の好い奥樣風の人が立つてゐて、
『此方でお話をしませう』
と澄(すん)だ東京辯で次の間へ案内された。
丁寧に頭を下げると、
『私は《お寅》の姉ですが
 一體貴女は怎(ど)ういふ譯で―』
※伊賀いせ子[伊賀とら(伊賀治子の姉)]下記詳細
と凛々しい眼附で眤と見詰める。
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《女髪結の伊賀トラさんは著名で》大本敎の新風景【更生日記 4の巻】昭和6年

《女髪結の伊賀トラさんは著名で》
大本敎の新風景【更生日記 4の巻】昭和6年

【更生日記 4の巻】昭和6年
著者    月の家 著
出版者   第一天声社
出版年月日 昭和6.4-7.5
更生日記 四の巻  月の家著
昭和六年 自 四月一日
     至 四月卅日
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137567/1/4

 ◇四月十一日 江州日々新聞所載記事 p153-154
  女性でバツクする
   大本敎の新風景
    信者や宣傳使に
     著しい女性の進出
女性を開祖に持ちその又
敎主を女のお世嗣と定めた
京都府の大本敎では
エロ、グロの兩女性風景が敎團を彩る。
大本には男女平等制が布かれ
滿二十歳以上の信者には
參政權の淸き一票が與へられてゐる。
全國初回の賛襄(代議員)の中に
二人の女性が當選した時には
豫期したとは云へ信者間で奇異の目を睜つたもので、
その一人が本縣彦根町の高祖富士子女史であつた。
今では女の大宣傳使、正宣傳使、准宣傳使がザラにあり、
女の分院長を始め、分所、支部長があつて
斷然男性の壘を摩してゐる始末、
從つて女傑も少なくない。
開祖が超人であれば
二代、三代その姉妹の方々にも
思藻的にも思想界にも秀でゝゐるし
女髪結の伊賀トラさんは著名で
墨西哥(メキシコ)より修業にて歸朝の宮本ツネ、
竹内テル子、三段崎ミチ、田端サキ、
成川アサ子、遠山幾子、
吉野分院長吉野時子、
大宣傳使加藤明子女史の如きは
確に男まさりの豪のものであらう。
此の外藝界方面、文藝、内侍方面には女大を始め
高等敎育、普通敎育を受けた
エロ、グロによつて色とりどりの交響樂を奏してゐる。
瑞の御魂變性女子たる王仁師御大によつて
太陽系を形造り之を圍繞する衛星にも
前兩樣の經緯によつて錦の機を織り上げた。
曰く筑紫女王柳原燁子、
曰く江木欣々女史、
曰く桂公愛妾お鯉の方、
曰く古屋登代子女史など、
尚平塚雷鳥女史の王仁師訪問の噂もある。
昨今信者や宣傳使に著しく女性の進出を見つゝある
大本は女性の魅力によつて將來榮えもし、
幾多のナンセンスが貽されても行きさう、
是れが大本をバツクする
現在の新風景とも云へよう。
(吉野花明)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137567/1/153
昭和六年七月三日印刷 更生日記四の巻奥附
昭和六年七月十日發行 定價壹圓
編輯兼 第一天聲社
發行者 京都府何鹿郡綾部町大字本宮村
    字東四ツ辻十三番地
    振替大阪六〇五三四番
印刷者 東尾吉三郎
    京都府何鹿郡綾部町大字本宮村
    字東四ツ辻十三番地
販賣所 第二天聲社
    京都府南桑田郡龜岡町
    大本天恩郷内
    振替大阪七五九一七番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137567/1/249
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《髪結さんの伊賀とら》婦人界だより【又新公論 1(2)】大正12年

《髪結さんの伊賀とら》婦人界だより【又新公論 1(2)】大正12年

【又新公論 1(2)】大正12年(1923)4月
出版者   又新公論社
出版年月日 1923-04
 婦人界だより ハルノ・ハナサク     p37/73
▲大本敎の淺野和三郎氏が再舉を計るさうで p38/73
 例の中六番町中野岩太の確信會なども
 大分活氣づいて來たそうな。
 この確信會には婦人部といふのがあり、
 岩太夫人と並んで
 元の梅花女學校長木村定子さんなどが
 手傳つて居るのだと。
髪結さんの伊賀とら なんといふ人達も、
 熱心ださうだから、
 將來何かの婦人運動が此邊からも起つて來はしないか
p38【又新公論 1(2)】大正12年(1923)
〔画像〕p38【又新公論 1(2)】大正12年(1923)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1525371/1/38
大正十二年四月十三日印刷納本(毎月一回)
大正十二年四月十五日發行  (一日發行)
發行編輯 弓削 新吾
印刷人  東京市芝區金杉川口町二十番地
印刷所  文正堂
     東京市芝區愛宕町三丁目一番地
發行所  又新公論社
     東京市京橋區日吉町十三番地
     電話 銀座一九二〇番
     振替東京四九九九一番
     横濱支社
     横濱市尾上町二丁目十八番地
     神戸支社
     神戸市再度筋一〇一番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/1525371/1/68
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《伊賀とら氏》中村純一氏と結婚 昭和4年4月17日【日月日記. 4之巻】昭和4年

《伊賀とら氏》中村純一氏と結婚 昭和4年4月17日
【日月日記. 4之巻】昭和4年

昭和4年2月21日
【日月日記. 3之巻】昭和4年
月の家著 日月日記 三の巻
  昭和四年 自二月十五日 至三月廿一日
二月二十一日  於高天閣  p40/161
伊賀とら氏建築したる龜年館に色々道具持ち運びけり
午後よりは伊賀氏と共に龜年舘に入りて暫く憩ひにけり
亀年舘櫟の林隔てつゝ見る高天閣の灯の冴え

昭和4年4月17日
【日月日記. 4之巻】昭和4年
月の家著 日月日記 四の巻
  昭和四年 自三月廿二日 至四月十八日
四月十七日  於 高天閣 p163-164/173
中村氏伊賀とら氏との結婚を無事に了(をは)れり光照殿にて
※中村氏:中村純一
p164【日月日記. 4之巻】昭和4年
〔画像〕p164【日月日記. 4之巻】昭和4年
四月十七日  於 高天閣 p165/173
中村氏夫人伴ひ婚姻の謝禮述べんと高殿を訪ふ
p165【日月日記. 4之巻】昭和4年
〔画像〕p165【日月日記. 4之巻】昭和4年
※婚姻の事等        p166-171/173
=日月日記四の巻終=

【報告書 8】昭和12年(1937)
第四款 皇道大本の組織並檢擧前の幹部役員
會計課  中村純一
《中村純一》(51歳)  p89/243
 ※明治19年(1886)生?
本籍地ニハ約一万圓相當ノ資産ヲ有シ
内綠ノ妻 伊賀トラ(結髪業)ヨリ
補助ヲ受ケ生活シ居リタルモノ
皇道大本本部 會計課長
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年09月05日
[松村家遠津御祖代々祖等親族家族之神靈]〔大本教〕2/3
伊賀治子  昭和20年(1945) 7月31日 65才 妻の母
   生  明治14年(1881)?
《伊賀とら・伊賀登良:松村正子の実母》
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 … 光照殿(こうしょうでん)は、
亀岡の天恩郷にあった建物。
現在、朝陽館が建っている場所にあった。
大正14年(1925年)10月完成。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年03月11日
《伊賀トラ》大本教 亀岡支部 光照殿 建築費 献金者
[髙秘 第一六二七號]
四 光照殿 建築費 献金者 p31/48
客月末 竣成シタル 管下
大本教 亀岡支部 光照殿 建築費ハ
管下 在住信者ノ外
左記 二十六名ノ献金ニ依リ
完成シタル趣ナリ
大阪市 《伊賀トラ》
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《名倉周藏》神戸宅地經營株式會社 監査役【神戸市会社名鑑. 大正13年】

《名倉周藏》
神戸宅地經營株式會社 監査役
【神戸市会社名鑑. 大正13年】
神戸自動車株式會社
【神戸市会社名鑑. 昭和4年版】


【神戸市会社名鑑. 大正13年】
神戸宅地經營株式會社  p156/260
所 在   多聞通二丁目二三
電 話   元町四四五番
設 立   大正九年五月
資本金   1,000,000
拂込金   250,000
積立金   1,500
目 的   土地經營・住宅地開發
取締役社長 入江孝次郎
取締役   井上 善吉
同     和田 康文
監査役   西本作次郎
同     名倉 周藏

【神戸市会社名鑑. 昭和4年版】
神戸自動車株式會社  p153/197
所 在   多聞通八丁目八七
電 話   湊川二四二、二五三番
設 立   大正八年九月
資本金   100,000
拂込金   61,000
目 的   旅客運送
代表者   名倉 周藏

【神戸市商工名鑑. 昭和12年3月】
神戸自動車株式會社   p105/160
名倉 周藏
須磨區上細澤町七
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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