【小野梓】永田新之允

『故小野梓先生十年追悼會』④【小野梓】永田新之允・明治30年

『故小野梓先生十年追悼會』④【小野梓】永田新之允・明治30年

【小野梓】著述者 永田新之允・明治30年(1897)

然れば予が先生を追懐すること一層切なるは固より言を俟たす、
然るに先生と予の關係よりは寧ろ親しからさる諸君に於て
法會を營み十二分の文章と演説とを以て
稱揚追慕……所謂他人賞め…‥せられたるは
先生に親昵なる予に把りて感謝するに餘りありと陳じ
併せて先生の往時を述ふ、
其より獻酬の間互に先生の事蹟を語り
滿座追懐の情に堪へさりき、
散會したるは午後十一時過ぎなり其出席者は

 小野義眞   小野英之助  坂本嘉次馬 ※坂本嘉治馬
        淺香克孝   阿部興人
 鹽入太輔   漆間民夫   波多野傳三郎
        佐藤伊三郎  松島廉作
 天野爲之   齋藤順三   田中正造
        久保良平   高田早苗
 高田卓爾   松本義弘   橋本久太郎
        鹿島秀麿   箕浦勝人
 小山愛治   山澤俊夫   黑川九馬
        增田義一   今井鉄太郎
 犬養 毅   尾崎行雄   左納岩吉
        吉田俊雄   田中唯一郎
 永島富三郎  島田孝之   市島謙吉
        門馬尚經   小久江武三郎
 前島 密   呉 文聰   首藤陸三
        高橋至誠   井上彦左衞門
 關口又四郎  儘田甚太郎  佐藤 靜
        二宮育次郎  吉川義次
 千種 和   石井藤五郎  河村作三
        今井幸吉
 の諸氏なりき、

此の莊嚴なる式場に於て
會衆に告げられたる演説及び祭文は左の如し。
  祭 文
  ―略―
明治三十年十二月 九日印刷
明治三十年十二月十二日發行
 小野梓奥附
 實價金五十錢
著述者 永田新之允
發行者 合資會社 冨山房
    東京市神田區裏神保町九番地
代表者 合資會社 冨山房社長
    坂本嘉治馬
印刷者 吉岡嚴八
    東京市牛込區矢來町三番地字山里三十二
印刷所 株式會社 秀英舎
    東京市牛込區市谷加賀町一丁目十二番地
發兌先 合資會社 冨山房
   (電話本局一〇六二番)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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1-1【小野梓】永田新之允 2-1【小野梓】永田新之允
早稲田大学創立九十周年 記念出版
小野梓墓碑建立

3-1【小野梓】永田新之允 4-1【小野梓】永田新之允
表題「小野梓」 表紙説明
兩面摺込(東洋著作)の原稿用紙は
小野氏か生前其雄著國憲汎論を始め
凡百の大篇小作に用ゐし所のもの
表題「小野梓」の三文字は同氏が國憲汎論發行の際
自ら其書に題筆せし所のもの
印顆三個は同氏が存稿議案批評
(明治十一年地方官會議の際に於ける「本書九九頁」)
の題辭に捺せるを寫したるものにして
氏は之を以て常に其雄墨に用ゐたり
右何れも君の傳記と共に永久江湖に存すべきものなり
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小野梓の印章
2002年3月10日 小野一雄殿 寄贈
小野梓の印章
〔画像〕小野梓の印章

小野梓の印章・早稲田
〔画像〕小野梓の印章・早稲田
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『故小野梓先生十年追悼會』③【小野梓】永田新之允・明治30年

『故小野梓先生十年追悼會』③【小野梓】永田新之允・明治30年

【小野梓】著述者 永田新之允・明治30年(1897)

廿八年二月十日正午より知音の士發企となり、
東京專門學校、主動となり、
本校大講堂に於て莊嚴なる追悼會を營みたり、

此日惠風和暢、大講堂の樓下を來會者の休憩室に充て、
室内に老松其他珍奇の盆栽、參差陳列し、

鳩山、高田、天野、市島、田原諸氏
其他校友會幹事たる黑川九馬、田中唯一郎、吉田俊雄、
增田義一、細野繁莊、永島富三郎、高木守三郎の諸氏
接待の任に當る

又 樓上の式場には正面に三階の佛壇を飾付け、
先生の半身油繪額を安置し、
其後ろには石摺の碑文、
兩側には眞蹟
「民者國之本吏者民之雇」と
民者國之本吏者民之雇
〔画像〕民者國之本吏者民之雇

「欲暖猶寒節序遲、朝々屈指數花期、
 花期未到意先到、爲賦墨江春色詩、」
小野梓著「待花」
〔画像〕小野梓著「待花」

と云ふ待花の題にて國會開設の遲きを嘆したる詩の軸を懸け、

靈前には遺著「國憲汎論」「民法の骨」「東洋論策」を供へ、

「國憲汎論」「民法の骨」「東洋論策」
〔画像〕「國憲汎論」「民法の骨」「東洋論策」

其他蘋蒭を捧け、
左方は遺族席並に來會者席に充て、
前面及右方は學生席と定む、

軈て
午後一時に至るや合圖の第一鐘に誘はれて學生入場し、
第二鐘に先生の義兄小野義眞氏並に同氏の令嗣同英之助
先生の令嬢、 ※小野墨
次て先生の知音にして嘗て導師に立ちし、
築地西本願寺内 眞光寺住 多田賢住氏は
石上北天氏 外三名の僧侶を伴ひ續て
伯爵萬里小路通房、子爵松平信正、
前島密、島田三郎、尾崎行雄、犬養毅の諸氏を始め
校友、改進黨、學生を併せて千有餘名相會したれは
さしもに廣き講堂立錐の餘地なし、

午後一時半
市島謙吉氏開式の辭を述べ、
次に讀經四十分餘に渉り、
其より我東京專門學校代表者 市島謙吉氏、
校友會總代 天野爲之氏、
學生總代 佐藤勇吉氏、
何れも追悼文を朗讀し、
次に大隈伯爵より寄せられたる追悼文を
左納岩吉氏朗讀し、
淺香克孝氏 立憲改進黨を代表して追悼文を朗讀し、
次に知音を代表して島田三郎氏の追懐の演説あり、
其より遠く書を寄せられたる山田一郎氏の演説文を
黑川九馬氏代讀し、
田中唯一郎氏は各地の知友より寄せたる追悼詞、
及 電音並に開式に當り
本校より郷里土佐宿毛の未亡人にあてゝ報道したる
其 返電等を報告し、 ※小野利遠:坂本利遠
學生某氏の演説あり、
後ち一同焼香し終て全く閉式を告ぐ、

當日來會者一同に頒ちたるは
先生が十數年前二才餘の愛兒を膝に抱き、※小野安
五六歳の令嬢を左側に寄添へるたる   ※小野墨

 写真[小野梓・墨・安]
 blog[小野一雄のルーツ]改訂版
 《大隈侯の思い出:小野安》
 [巨人の面影]丹尾磯之助/大隈重信生誕百二十五年記念
 《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校 本科
  明治29年3月卒業【官報. 1896年03月26日】明治29年

寫眞版及
先生自傳史料中の一節
「宿毛に歸りし後は熟々思ふよふ斯く藩廳の束縛を受くるは
必竟帶刀の身にて士分の列に在れはこそ然るなり、
されは兼て東京にて考へたる如く
今より士格を辭し平人と為し
この身を自由にするこそ今日の上策なりと
或る日其由を萱堂家兄等に話し
平人の願を出すことに爲したりき
然るに伊賀氏は之れを聞き届けなき爲め
據なく他家へ養子に往く躰にて
平人と為りたりき
この平人に爲る事に就きては人々大抵その
短氣なるを戒め今時は平人でさへ士格に成りたく思ひ
脇ざしの一本も差し度思ふ世の中なるに
態々帶力を抜き捨て平人と為るとは
誠に心得違ひなる由をさゝやきたれとも
我は少し見る所あれは
しはし我の心にまかせ呉かしと
堅く乞ひ
遂に平人とは成りにき」
の眞筆を併せて石版にしたる摺物と

「小野先生追悼」
と印たる菓子を配れり、

嗚呼天何ぞ無情なる、
當日頒布したる寫眞中
先生の左側に寄添へたる五六才の小女は遺族として
式場に臨まれたる令嬢ならんとは、
當日 令嬢が文章演説を聽き追慕の情に堪へさる狀を覗ひ
滿座暗涙を催さゝるはなかりき、
小野墨(17歳)女子高等師範學校 附屬高等女學校在学中

來會したるは左の如し
 多胡貞三郎   臼田甚八郎   坂本嘉次馬 ※坂本嘉治馬
         門馬尚經    小山愛治
 高根義人    高田早苗    今井鐵太郎
         高田貢平   (早苗氏嚴君)
 前島 密    鳩山和夫    並木覺太郎
         田原 榮    島村瀧太郎(島村抱月)
 池谷一孝    谷和一郎    古賀一基
         天野爲之    田中正造
         森脇 萬    淺香克孝
 島田三郎    山澤俊夫    首藤陸三
         尾崎行雄    波多野傳三郎
 鹽澤昌貞    犬養 毅    長谷部繁三郎
         町田熊雄    若林成昭
 關口又四郎   高橋至誠    齋藤順三
         小原金治    昆田文治郎
         久保良平    鹿島秀麿
 漆間民夫    松本義弘    高田卓爾
         鹽入太輔    橋本久太郎
 松島廉作    島田孝之    佐藤伊三郎
         廣住久道    能勢■二 ※津の下に土。
 儘田甚太郎   種村宗八    若代秀明
         大谷順作    左納岩吉
         高木守三郎   米田 精
 永島富三郎   黑川九馬    細野繁莊
         增田義一    吉田俊雄
         佐藤 靜    吉川義次
 光信壽吉    二宮育次郎
 其他校友及學生等なり

式後午後四時より牛込通寺町求友亭に遺族を招待し
會場に先生遺墨
「白砂千里淡斜暉、獨跨駱駝行更遲、乃兒河水洋々外、
 影聳尖塔古帝碑」の埃及口占の詩を懸く ※埃及:エジプト
埃及口占
〔画像〕埃及口占

來會する者 五十有餘名市島氏開會の詞を述へ、
次に增田義一、小山愛治、黑川九馬、田中正造の四氏は
交々立て最も莊嚴の辯と感慨の辭を以て先生の往時を演説し、
終りに高田早苗氏は悲愴の語にて
先生は予の最も親昵する所
而して先生兄
たれば予は弟たり、

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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『故小野梓先生十年追悼會』②【小野梓】永田新之允・明治30年

『故小野梓先生十年追悼會』②【小野梓】永田新之允・明治30年

【小野梓】著述者 永田新之允・明治30年(1897)

[一月十一日]
而して同月十一日溘焉 ※明治19年1月11日
として遂に簣を易ふるに至れり、
嗚呼萬物空寂、千古已んぬ、悲哉。

君既に逝く矣、
親戚故舊之を聞て慟哭哀悼せさる者なし、
同月十四日遺柩を奉じ錦街の宅を出で ※錦街:神田区錦町3丁目
谷中の墓地に葬むる、
會する者無慮千餘人亦た盛なりと云ふべし、
君歿する時歳正に三十五、
若し天生を假さは
有爲の時期は益々是れより盛んならんとし
政海の新潮流は幾多の君を要すべきに空しく、
願入院釋東洋居士の法號の下に瞑するに至る、
噫悼しゐ哉、

一二二回忌 法要
二〇〇七年三月十日 午後二時
願入院釋東洋居士 小野 梓先生 一二二回忌 法要
施主 早稲田大学
※平成19年(2007)3月10日 宿毛市 清宝寺
〔画像〕一二二回忌 法要

願入院釋東洋居士
〔画像〕願入院釋東洋居士

東洋小野梓之墓
東洋小野梓之墓
早稲田大学創立九十周年の歳
昭和四十七年十月
  早稲田大学建之
〔画像〕東洋小野梓之墓

[二男三女]
君曾て小野義眞氏の妹利遠を娶り二男三女を生む、
曰く義男夭す ※明治9年3月生 明治9年5月歿
曰く鐵麿夭す ※明治14年9月生 明治15年6月歿
曰く橡夭す  ※明治10年4月生 明治11年3月歿
曰く隅(墨) ※明治11年10月生 昭和22年2月歿
曰く安と、  ※明治16年9月生 昭和41年4月歿

二男三女
〔画像〕二男三女

而して當今此兩子の内
一は高知に在郷し、           ※小野安
一は橋場なる小野氏の邸に寄寓すといふ。 ※小野墨
 ※橋場町1380番地 小野義眞邸

[島地氏の追悼]
同年二月十三日 島地默雷氏 ※明治19年2月13日
會主となり舊友を集同して追悼會を
麴町區中六番町の白蓮社に開く、
會する者十數人、
氏時に追懐の詩あり、
蓋し君が國憲汎論に題せる待花の韻に次せるものなり。
  料峭寒殘春信遲。 多情久待百花期。
  花期未到身先死。 泣讀留題新著詩。
其後一年有餘にして左の報告書は君の遺友に依て頒付せられぬ。

[建碑の擧]
 拜啓陳者小生等發起募集いたし候
 故小野梓氏建碑義捐金
 幸に諸君の賛成を得て左の金額に相達し候に付
 即ち碑石買入の上
 兼て中村正直君に撰文を
 大内靑巒君に揮毫を乞ひ置候碑文を
 宮龜年氏に彫刻相託し出來の上
 小野氏の故郷土佐國宿毛郷へ建設いたし
 又殘金を以て五姓田芳柳氏に托し
 油繪一面を畫かしめ
小野梓肖像 五姓田芳柳画
〔画像〕小野梓肖像 五姓田芳柳画

 小野氏生前關係薄からさる
 東京專門學校へ寄附いたし候事に取計ひ候に付
 右碑面摺物一葉及計算書相添此段及御報告候敬具
   發起人
  石上北天   加藤瓢乎   箕浦勝人
  林 包明   高田早苗   島田三郎
  尾崎行雄   牟田口元學  島地默雷
  岡山兼吉   前島 密   末廣重恭
  大隈英麿   增島六一郎
  大内靑巒   北畠治房
義捐金額三百四十九圓三十八錢にして
義捐者大隈伯以下百有餘名なりき、
乃ち之れに依つて成されたる碑文は左の如し。
[碑 文]
 從五位小野梓君碑
     元老院議官從四位中村正直撰

小野梓君碑:中村正直譔
〔画像〕小野梓君碑:中村正直譔

 blog[小野一雄のルーツ]改訂版
 [小野梓君碑:中村正直譔]「表紙拓刷は彩雲堂版」
 [小野梓君碑:中村正直譔]「読み下し文」

 明治二十年丁五月
   從三位勲一等伯爵大隈重信篆額
      大内靑巒書  宮 龜年刻

嗚呼天王寺畔永眠の夢既に十星霜を經過し、
花披き葉落ち春去り秋來り
人事天時の變移今の如くにして亦た昨の如し、

[十週年追悼會]
時に、明治廿八年二月十日東京專門學校は
一月二十七日校友大會の決議に依り、
君の十週年追悼會を同校大講堂に開き
式後 牛込通寺町求友亭に其遺族を招待しぬ、

當日式場の光景は左の如し。(中央時論に依る)
『故小野梓先生十年追悼會』
本校創立に最も與て力多き
本校の恩人故東洋小野先生は稀世の才と
和漢洋の學とを兼ね
身蒲柳の質を以て國事に鞅掌するの傍ら
著述と靑年の訓導とに赤誠を罩め、
官に在ては會計撿査院を起し、
野に下ては共存同衆
令智會立憲改進黨の創立に與り、
大隈伯爵の信任最も深く
伯が我東京專門學校の基を開くや、
先生大に努むる處ありしが天、
先生の睿智を嫉みてか年を假す、
僅かに三十五歳にして
去明治十九年一月十一日溘然遠逝せられ、
谷中天王寺に葬る、
法號を願入院釋東洋居士と稱ふ、
烏兎匇々、
先生去て茲に十年、知友
盍ぞ先生を忘れんや、

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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『故小野梓先生十年追悼會』①【小野梓】永田新之允・明治30年

『故小野梓先生十年追悼會』①【小野梓】永田新之允・明治30年

【小野梓】著述者 永田新之允・明治30年(1897)
  <病軀——永眠> p184-190/228
[生涯の一半]
君が生涯の一半は病軀史なり、
其幼少の頃資性羸弱なりしは嘗て記したるが如し、
而して外國に在りし頃も屢々リコメチズム發生し
大陸漫遊に出でたる事あり、
歸朝の後も虎列拉病に罹りたる事ありて ※虎列拉:コレラ
蒲柳の質は竟に治する能はず、
加ふるに君は意を攝生に用ゐずにして
過度の刻學を爲すが常なりし故
益々持病の增長を助けて、
官衙に出づるにも、
共存會館に赴くにも、
藥瓶は必ず隨伴を命ぜられ筆硯の前、
何時も其兀立して主公を護衛せるを見たりと云ふ、

[初の喀血]
明治十四年九月二十七日
君始めて喀血を病みき、其日記に曰く。
 退食の後喀血す驚て醫を迎ふ、
 先人喀血の病を以て命を終ふ、
 余の念い知るべし
 既にして緒方來り診斷して曰く ※緒方惟準
 肺膜の動作平生に異ならず
 且其血鮮紅に非ずして
 稍異色を帶ぶ是れ胃血の證也
 以て驚く勿れ、
 惟ふに君日々登衙し途遠し
 腕車の胃部を揺動し以て其血管を破りし也と、 ※腕車:人力車
 藥を投じて去る、

 余の意始めて安し
 余や前途猶ほ遠し
 平生の望未だ其十が一を酬ゐず
 然かも遽かに不治の病を懼る
 則ち其遺憾應に少なからさるべき也
 今や幸に肺部の出血に非ず
 胃部の出血は則ち其病自から輕し
 余復た何をか驚かん
君是れより痛く自ら攝養を加へて嘗て飲酒せず、
食は必ず洋饌二回を限り
數年の間其則を違へず、
常人の能くし易からさるを履行せり、
然れとも改進黨時代に至りても
猶ほ臥床黨務を見さる事數次なりしが、

明治十七年九月十三日
書店東洋館に於て事を處するの際
忽ち一咳喀血す、
即ち家に還り蓐に臥したるに又た喀血を發す、
池田國手を請ふて在らず ※池田謙齋
暫らく他の醫師をして之を療せしむ、
氷嚢を以て胸部を冷し出血を止む
而れとも終夜恍惚として寝ぬること能はず、

十月一日
池田氏來診して曰く   ※池田謙齋
是れ氣管支の迸血なりと、
是れより一月有半病蓐に在りき、

同月三日の記に曰く
熱度稍高、
然れども久しからずして散ぜん、

五日の記に曰く
又喀血す、
九日の記に曰く
此夜熱度頗る高し
殆んど華氏四十度、 ※華氏104度 摂氏40度
苦悶恍惚として寝ねず、
唯だ氷塊を欲するのみ、

二十八日の記に曰く
病輕し起て席上を歩す、

十一月一日の記に曰く
自傳志料を筆して無聊を遣る、

八日の記に曰く
感胃未だ全癒せず
閑居愛々物語の筆を始しむ云々、
此年遂に病癒へずして越歳せり、
君が改進黨掌事を辭したるは此時なりき。

明治十八年七月二日
又々喀血す
五日に再びし
十四日に三びせり
胃部冷を覺へ
膓亦攣急し
日を逐ふて激甚なり
而して國憲汎論は方に此蓐中に於て全部完成せり。
『國憲汎論』上中下巻
〔画像〕『國憲汎論』上中下巻

是れより先き五月
次兄稠松氏より態々贈藥し來れるに會し、
君同二十五日の日記に書して曰く、
稠松兄の書に接す
余が肺勞に罹りたりと訛傳し ※訛傳:誤った伝え
大に之を憂ひ贈藥し來れる也
即時書を裁して曰く
是れ訛傳也         ※訛傳:誤った伝え
微恙唯 氣管支炎耳 肺勞に非ず

[日本宰相の命を受くるに非されば則ち死せず]
梓 日本宰相の命を拜するに非されば
則ち死せず
斯精神軀躰の裏に盈つれば
病魔も亦之を畏る
阿嬢之を安んぜよと
意氣甚だ盛んなりと雖も
枯骨瘠軀追日衰弱に赴き
留客齋日記も遂に十月八日に至つて筆を絶せり。

[政府の大改革]
然るに同年十二月二十二日 ※第1次伊藤内閣
此生きたる墓の上には一大光明放射したり、
蓋し一大光明とは朝廷此日古今未曾有の大改革を行ひ、
太政官を廢して内閣十省を置き
參議伊藤博文を以て内閣總理大臣に任じ
歐洲政府の組織と其規を一にしたる是れ也、
抑も今回改革の大旨は
君が曾て國憲汎論下巻行政の篇に於て唱説せし所にして、
頗る君が年來の志望に協ひたれば
君は氣息奄々の中にも欣然として喜び
自ら禁ずる能はさりき。

翌十九年一月二日
天野爲之氏 君を錦街の病蓐に問ふ、 ※錦街:神田区錦町3丁目
君此時病殊に篤く殆んど言語に難み
纔に筆を執りて朝廷改革に對する哀情を告ぐる所
誠に此くの如くありしと云ふ、
然れとも當時未だ曾て辭世の念あらさりしなり、

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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