志賀郷村

[志賀尋常高等小學校]【京都府学事関係職員録】大正11年・昭和6年

[志賀尋常高等小學校]【京都府学事関係職員録】大正11年・昭和6年

【京都府学事関係職員録. 大正11年】
[志賀尋常高等小學校]  p80-81/187
 志賀郷村字志賀郷    電話 物部二ノ甲
訓導兼校長 梅垣喜藏   志賀郷村字志賀郷
訓導    岡村重太郎  物部村字白道路
同     由良福藏   物部村字物部
同     鹽見藤太郎  志賀郷村字西方
同     人見勝衞   物部村字物部
同     倉橋勇三   志賀郷村字志賀郷
同     瀧本喜太郎  志賀郷村字西方
同     市村 實   物部村字物部
同     鹽見正太郎  物部村字物部
同     上田ハナ   志賀郷村字志賀郷
同     白波瀬政一  志賀郷村字別所
同     今井とし   志賀郷村字志賀郷
同     大槻義一   志賀郷村字西方
同     岡井ミツ   志賀郷村字向田
代用    村上忠吉   以久田村字位山
同     谷口しげ   物部村字物部
學校醫   山田郁太郎  志賀郷村字志賀郷

【京都府学事関係職員録. 昭和6年4月15日現在】
[志賀尋常高等小學校] p131/204
 志賀郷村 電話 志賀郷七
訓導兼校長 梅垣喜藏   志賀郷村字志賀郷
訓導    由良福藏   物部村字物部
同     松本重喜   物部村字物部
同     上田ハナ   志賀郷村字志賀郷
同     齋宮 修   志賀郷村字兩河内
同     高倉實太郎  小畑村字中
同     鹽見孝造   志賀郷村字向田
同     山崎秀男   志賀郷村字兩河内
同     大槻政雄   物部村字新庄
同     四方壹次   以久田村字位田
同     田中恒太郎  以久田村字位田
同     谷口しげ   物部村字物部
同     冲  愛   西八田村字七百石
同     遠藤 和   志賀郷村字志賀郷
同     瀧本晴江   志賀郷村字西方
代用    鹽見藤太郎  志賀郷村字西方
校醫    山田郁太郎  志賀郷村字志賀郷
齒科醫囑託 武美内藏之助 綾部町字上野
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[何鹿郡]町長・村長【京都府官員録】明治22年8月調・明治27年12月調

[何鹿郡]町長・村長【京都府官員録】
明治22年8月調・明治27年12月調

【京都府官員録. 明治22年8月調】
[何鹿郡]   p37/46
綾部町長    大槻藤左衞門
中筋村長    羽室嘉右衞門
山家村長    菅沼通顯
口上林村長   片山慶藏
中上林村長   森津幸右衞門
奥上林村長   吉川新平
以久田村長   長岡九郎右衞門
物部村長    平和善右衞門
東八田村長   渡邊四郎兵衞
西八田村長   能勢長十郎
佐賀村長    片岡健之助
小畑村長    大槻權右衞門
志賀郷村長   遠藤春太郎
吉美村長    猪間一夫

【京都府官員録. 明治27年12月調】
[何鹿郡]   p42/53
山家村長    菅沼通顯
綾部町長    大槻藤衞門
中筋村長    鹽見豐藏
以久田村長   長岡九郎右衞門
佐賀村長    大志萬重晷
物部村長    平和善左衞門
西八田村長   能勢長十郎
志賀郷村長   大槻孫之丞
東八田村長   上原文次郎
小畑村長    大槻權右衞門
吉美村長    猪間一夫
口上林村長   川端政二郎
中上林村長   小林俊治
奥上林村長   吉川新平
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[何鹿郡]寺子屋【日本教育史資料集. 八】文部省・明治37年

[何鹿郡]寺子屋【日本教育史資料集. 八】文部省・明治37年

【日本教育史資料集. 八】文部省
 京都府  寺子屋 p102/378
[何鹿郡] 寺子屋 p113/378
名 稱   生々堂
學 科   讀 書
舊管轄   山家領
所在地   西方村
開 業   
廢 業   
敎 師   男  一
生 徒   男 二〇 女  五
調査年代  慶應元年
身 分   醫
習字師氏名 住田造酒造

名 稱   
學 科   讀 算
舊管轄   
所在地   物部村
開 業   
廢 業   
敎 師   男  一
生 徒   男 三五 女  五
調査年代  慶應元年
身 分   僧
習字師氏名 福田太郎左衛門

名 稱   
學 科   讀 書
舊管轄   旗下支配
所在地   私市村
開 業   
廢 業   
敎 師   男  一
生 徒   男 三五 女  五
調査年代  慶應三年
身 分   僧
習字師氏名 桐村半六

名 稱   南霞軒
學 科   讀 書
舊管轄   綾部領
所在地   綾部
開 業   
廢 業   
敎 師   男  一
生 徒   男 五〇 女  …
調査年代  文久元年
身 分   士
習字師氏名 長坂文内

名 稱   
學 科   和文
舊管轄   山家領
所在地   廣瀨村
開 業   
廢 業   
敎 師   男  六
生 徒   男 八三 女 二一
調査年代  慶應元年
身 分   士
習字師氏名 田丸雪耕
明治二十五年九月廿一日出  版
明治三十七年六月廿二日再版發行 (不發賣)
  文部省御藏版
印刷發賣所 合資會社 冨山房
      東京市神田區裏神保町九番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《山田郁太郎》何鹿郡 志賀郷村《長岡 保》何鹿郡 以久田村【日本医籍録】大正14年

《山田郁太郎》何鹿郡 志賀郷村
《長岡 保》何鹿郡 以久田村【日本医籍録】大正14年

【日本医籍録】大正14年
《山田郁太郎》 p849/1332
 京都府何鹿郡 志賀郷村
 内兒科 山田專生堂醫院
 明治十二年十二月八日生
明治丗九年 京都醫專卒 登録二一一六〇號
後 京大小兒科敎室ニテ研究
明治四十年 和歌山縣東牟婁郡南海療病院 副院長トシテ赴任
後 三重縣下ニ於テ 二ケ年開業
明治四四年 現地ニ父祖九代ノ業ヲ繼ギ開業
趣味 圍碁 寫眞 書畫

《長岡 保》  p849/1332
 京都府何鹿郡 以久田村栗
 産婦人科 長岡病院
 明治六年三月六日生
明治廿六年 京都醫學校卒 登録七一二五號
明治廿六年 府立療病院 助手勤務
明治廿九年 母校敎諭被命
明治丗一年 現地開業 村醫 校醫
趣味 書畫 骨董

【京都府立医学専門学校一覧. 明治40年】
明治二十六年第十六回卒業生三十五名   p46/106
《長岡英吉》 京都平
明治三十九年六月第廿九回卒業生六十二名 p55/106
《山田郁太郎》 京都平

【京都府立医学専門学校一覧. 大正10年】
明治二十六年第十六回卒業生三十五名   p67/139
《長岡 保》 京都
明治三十九年六月第廿九回卒業生六十二名 p72/139
《山田郁太郎》 京都
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[医師]京都府 何鹿郡 志賀郷村・以久田村【日本杏林要覧】明治42年12月

[医師]京都府 何鹿郡 志賀郷村・以久田村【日本杏林要覧】明治42年12月

【日本杏林要覧】明治42年12月
 京都府 何鹿郡 p144-155/976
《田中倉太》  p144/976
得業士丗九年七月 京都士族 明治九年生
志賀郷村四方小字松木坪二三

《武田良哉》  p144/976
〇〇十七年五月 京都平民 嘉永二年生
以久田村長砂二三

《長岡 保》  p144/976
醫學校廿六年九月 京都平民 明治六年生
以久田村栗小字佃一

《山田溝三》  p144/976
試驗十七年五月 京都平民 弘化三年生
志賀郷村字下町七

《佐原才太郎》 p145/976
試驗丗一年七月 京都士族 明治二年生
以久田村位田八一

《木下良益》  p145/976
〇〇十七年五月 京都平民 天保七年生
志賀郷村向田岫ケ岐二二
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[郡是製絲株式會社]社長 遠藤三郎兵衞 何鹿郡志賀郷村【日本全国諸会社役員録. 第34回】大正15年

[郡是製絲株式會社]社長 遠藤三郎兵衞 何鹿郡志賀郷村
【日本全国諸会社役員録. 第34回】大正15年

【日本全国諸会社役員録. 第34回】大正15年
 京都府之部     p319/911
[郡是製絲株式會社] p330-331/911
何鹿郡綾部町
電 話  一・二・四八・一四一・一六二
設 立  明治二十九年八月
資本金  貮千萬圓
一 株  五拾圓
拂込高  八百七拾九萬八千參百貮拾貮圓五拾錢
諸積立金 五百九拾六萬圓
配 當  年八分(十五年三月末決算) 十三年度貮割貮分
社 長      遠藤三郎兵衞 何鹿郡志賀郷村
專務取締役    片山金太郎  同、吉美村
常務取締役兼   波多野林一  同、綾部町
庶務課長     波多野林一  同、綾部町
産婆看護婦學校長 波多野林一  同、綾部町
常務取締役    由良源太郎  同、綾部町
取締役      森津幸一   同、中上林村
同        平野吉左衞門 加佐郡有路上村
同        高木半兵衞  天田郡福知山
同        長野友博   熊本、大江
常任監査役    宅間藤馬   船井郡富本村
監査役      荻野澄敏   何鹿郡綾部町
同        村上正夫   同、以久田村
同        高木重兵衞  天田郡福知山町
敎育總理兼    河合信水   何鹿郡綾部町
誠修學院長    河合信水   何鹿郡綾部町
幹部敎育科主事  河合信水   何鹿郡綾部町
養成科主事兼   池田 猷
學務科及     池田 猷
工場科主事    池田 猷
社會科主事    靑木正親
人事課      波多野 庸
文書課長心得   千原勝衞
衞生課長     八木卓爾
經理課長     加舎龜太郎
用度課長     中島熊吉
原料課長     小野藏三
工務課長     鈴木太一
販賣課長     白波瀨俊一
建設課長     服部濟人
機械課長心得   相川 貢
調査課長心得   由良 規
檢査課長心得   東原圓吾
蠶事所長     大城 鎭
整品所長     村上倉藏
製糸試驗所長   大道幸一郎
理化學研究所長  岩岡末彦
◆本 工 場   何鹿郡綾部町
  場 長    西垣藤松
◆口上林工場   何鹿郡口上林村
  場 長    福田藤右衞門
◆中上林工場   何鹿郡中上林村     電話  三
  場 長    角山東吉
◆山崎工場    兵庫縣宍粟郡郡山    電話 四六
  場 長    西 鹿藏
◆萩原工場    天田郡上六人部村    電話 一〇
  場 長    荒樋市之助
◆園部工場    船井郡園部村      電話 一一
  場 長    平野熊藏
◆和知工場    船井郡上和知村
  場 長    長谷部 晃
◆江原工場    兵庫縣城崎郡日高町   電話 一二
  場長事務取扱 白波瀨米吉
◆宮津工場    與謝郡宮津町      電話二〇七
  場 長    川崎又太郎
◆八鹿工場    兵庫縣養父郡八鹿町   電話一〇五
  場長心得   栗原幾藏
◆津山工場    岡山縣苫田郡二宮村   電話一〇二
  場長心得   石田一郎
◆梁瀨工場    兵庫縣朝來郡梁瀨村   電話  五
  場 長    森 又四郎
◆美濃工場    岐阜縣加茂郡古井町   電話  五
 場 長     森本治左衞門
◆養父工場    兵庫縣養父郡養父市場村 電話  一
 場 長     小野山鐵藏
◆成松工場    兵庫縣氷上郡成松町   電話 三六
 場 長     谷垣增太郎
◆長井工場    山形縣西置賜郡長井町  電話  八
 場 長     松井力太郎
◆宮崎工場    宮崎市江平町      電話四四四
 場 長     鬼塚捨造
◆舞鶴工場    加佐郡中筋村      電話一三九
 場長心得    山下伊作
◆福知山工場   天田郡福知山町     電話 六三
 場 長     鹽見孫四郎
◆宇島工場    福岡縣築上郡三毛門村  電話一一一
 場 長     甲斐 肇
◆三成工場    島根縣仁多郡三成村   電話  六
 場 長     水上茂一郎
◆今市工場    島根縣簸川郡鹽冶村   電話一二九
 場 長     山田律之助
◆大田工場    朝鮮忠淸南道大田    電話二〇五
 場 長     長野幸助
◆玉絲工場    何鹿郡綾部町
 場 長     橋本卯太郎
◆京都出張所   下京區四條通烏丸東入  電話中 二四八一
 所 長     平岡久吉
◆神戸出張所   神戸市榮町二丁目    電話三宮五四五八
 所長事務取扱  西野嘉壽夫
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[何鹿銀行]頭取 志賀覺兵衞 何鹿郡志賀郷村【日本全国諸会社役員録. 第34回】大正15年

[何鹿銀行]頭取 志賀覺兵衞 何鹿郡志賀郷村
【日本全国諸会社役員録. 第34回】大正15年

【日本全国諸会社役員録. 第34回】大正15年
 京都府之部      p319/911
[株式會社 何鹿銀行] p319/911
      何鹿郡綾部町
      電話一五五
設 立   明治三十三年三月
資本金   五拾萬圓(拂込濟)
一 株   五拾圓
諸積立金  八萬五千圓
諸預リ金  壹百七拾萬八千圓
配當前期及前々期 年八分八厘
頭 取   志賀覺兵衞 何鹿郡志賀郷村
常務取締役 高倉平兵衞 同、綾部町
取締役   森津幸一  同、中上林村
同     由良源太郎 同、綾部町
同     村上隆一  同、綾部町
監査役   遠坂憲治  同、綾部町
同     村上正夫  同、以久田村
同     西田千代藏 同、物部村
支配人   村上賴太郎 同、以久田村
◆志賀郷支店  何鹿郡志賀郷村
    主任  大槻恒太郎
◆東八田出張所 何鹿郡東八田村
◆中上林出張所 何鹿郡中上林村
◆山家出張所  何鹿郡山家村
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《遠藤三郎兵衞》郡是製絲(株)社長《瀧田淸兵衞》【人事興信録. 7版】大正14年

《遠藤三郎兵衞》郡是製絲(株)社長
《瀧田淸兵衞》【人事興信録. 7版】大正14年

【人事興信録. 7版】大正14年
《遠藤三郎兵衞》 p1095/1469
 郡是製絲(株) 社長
 京都府平民
 母  ナカ  安政二年一月生 ※1855年2月
        京都、大槻良左衞門 長女
 妻  テイ  明治元年一二月生 ※1869年1月
        養父 春太郎 長女
 養子 謙助  明治二二年(1889)七月生
        二女 多壽惠 夫
        兵庫、瀧田淸兵衞 弟
 女  多壽惠 明治三〇年(1897)一〇月生
        養子 謙助 妻
君は京都府 蘆田治左衞門の三男にして
明治元年十一月を以て生れ ※1868年12月
先代春太郎の養子となる
現時 郡是製絲會社社長たり
長女 久榮(明治二二年(1889)一月生)は
東京府士族 西田 由 長男 成秋に嫁せり
(京都、何鹿、志賀郷村)
 參照=瀧田淸兵衞の項

《瀧田淸兵衞》 p658/1469
 新榮銀行(株) 頭取
 濱坂銀行(株) 取締役
 豐岡銀行(株) 取締役
 豐岡電氣(株) 取締役
 兵庫縣平民
 妻 加壽  明治二〇年(1887)一一月生
       兵庫、柴原甚十郎 長女
 男 達二郎 明治四五年(1912)六月生
君は兵庫縣 瀧田淸兵衞の長男にして
明治十二年(1879)五月を以て生れ
明治二十五年(1892) 家督を相續し
前名 淸市を改む
現時 新榮銀行外 前記會社の重役たり
家族は尚
二男 淸之介(大正三年(1914)二月生)
長女 隆子(大正五年(1916)五月生)の外
弟  虎之助(明治二一年(1888)一月生、新榮銀行(株)取締役)
同妻 靜惠(明治二八年(1895)一一月生、兵庫、上坂左衞門 二女)
及 一子あり
弟  元藏(明治一四年(1881)一月生)は
   兵庫縣人 佐伯昌造 長女 やす に
弟  謙助(明治二二年(1889)七月生)は
   京都府人 遠藤三郎兵衞 二女 多壽惠に
   各婿養子となり
妹  しわ(明治一七年(1884)五月生)は
   兵庫縣人 西村莊兵衞に
妹  千鶴(明治二三年(1890)九月生)
   兵庫縣人 片岡平八郎 二男 郁三に嫁し
養兄 磯太郎(明治八年(1875)一〇月生、
       兵庫、士、服部簡 長男)は分家せり
(兵庫、城崎、豐岡町)
 參照=遠藤三郎兵衞の項
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《遠藤三郎兵衞》郡是製絲株式會社 常務取締役《西田 由》【人事興信録. 5版】大正7年

《遠藤三郎兵衞》郡是製絲株式會社 常務取締役
《西田 由》【人事興信録. 5版】大正7年

【人事興信録. 5版】大正7年
《遠藤三郎兵衞》 p1058/1374
 郡是製絲株式會社  常務取締役
 株式會社京都府農工銀行 取締役
 京都府平民
 繼母 ナカ  安政二年一月生 ※1855年2月
        京都、平、亡 大槻良左衞門 長女
 妻  テイ  明治元年一二月生 ※1869年1月
        先代 春太郎 長女
 女  多壽惠 明治三〇年(1897)一〇月生
君は京都府平民 亡 芦田治左衞門の三男にして
明治元年十一月四日を以て生れ ※1868年12月17日
明治十五年(1882)一月 先代春太郎の養子となり
明治二十四年(1891)九月 家督を相續す
方今 郡是製絲株式會社常務取締役にして
株式會社京都府農工銀行取締役を兼ね
長女 久榮(明治二二年(1889)一月生)は
京都府士族 西田 由 長男 成秋に嫁せり
(京都、何鹿、志賀郷村)
 參照=西田 由の項

《西田 由》 p248/1374
 大同生命保險株式會社 取締役
 朝鮮殖産株式會社 監査役
 京都府士族
 妻 マン 文久元年一一月生 ※1861年12月
      京都、士、眞壁嘉寧 三女
 男 成秋 明治一二年(1879)一二月生
 婦 久榮 明治二二年(1889)一月生
      長男 成秋 妻
      京都、平、遠藤三郎兵衞 長女
 男 忠介 明治一四年(1881)一〇月生
 婦  靜 明治二五年(1892)四月生
      二男 忠介 妻
      廣島、平、島本村 叔母
 女 トヨ 明治三〇年(1897)一二月生
君は京都府平民 亡 高木文右衞門の三男にして
嘉永六年十月十六日を以て生れ ※1853年11月16日
安政五年八月 先代藤次の養子となり ※1858年9月
明治五年(1882)五月 家督を相續す
現今 前記會社の重役たり
家族は前記の外
五男 良介(明治三四年(1901)一一月生)
孫   明(大正 四年(1915)一一月生、二男 忠介 長男)あり
長女 滿佐(明治二三年(1890)一二月生)は京都府平民 伊藤秀に嫁せり
(京都、船井、園部村)
 參照=遠藤三郎兵衞の項
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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志賀郷Watch
七不思議伝説の里・志賀郷地域振興協議会
京都府綾部市志賀郷町
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志賀郷村 遠藤三郎兵衞 山田郁太郎  志賀覺馬【何鹿郡役所の蹟. 後編】大正15年

志賀郷村 遠藤三郎兵衞 山田郁太郎  志賀覺馬
【何鹿郡役所の蹟. 後編】大正15年

【何鹿郡役所の蹟. 後編】
四、綾部診療所        p51/263
京都支部に於ける赤十字社の主目的たる天災事變其他
公衆の災害に基因する傷病者の救護に從事する外、
社員の普及と博愛慈善の實を擧ぐる爲、
家庭の事情により自由に醫師の治療を受け難き人々の爲
大正十四年(1925)七月二十一日より
左記の通診療所を開設せらる
 (イ)診療日及場所
一、場所 綾部町井倉 何鹿病院内
一、診療日の時間 毎日二回、火、金曜日の
  午後一時より午後四時まで
一、受診手續 各町村役場に於て診療券の配布を受く
 (ロ)診療所開設資金寄附者  p51/263
本診療所開設に當り醫院增置、
器具購入及藥品調度等の爲め
多額の經費を要するを以て
地方篤志家に寄附金を依頼する事となり、
左の寄附を受く
佩有功章(金千圓の寄附に當る)
 志賀郷村  遠藤三郎兵衞氏
 吉美村   片山金太郎氏
 山家村   中山辰次郎氏
 綾部町在住 小倉瀧藏氏(寄附金受領拒絶)

特別社員(金 二百圓の寄附に當る)
綾部町
 波多野林一氏
 福井大藏氏   村上隆一氏   田中行一氏
 出口常次郎氏  高倉平兵衞氏  遠坂憲治氏
 高木武治氏   由良金一氏   川合信水氏
 小倉サタ子氏  波多野花子氏  荻野澄敏氏
 小野藏三氏   羽室寅吉氏
中筋村
 鹽見午市氏
以久田村
 長岡 保氏   村上靜枝氏   村上賴太郎氏
佐賀村
 片岡健之助氏  片岡 均氏
物部村
 永井岩太郎氏  平和幹雄氏
志賀郷村
 山田郁太郎氏  志賀覺馬氏
東八田村
 今井鐵三郎氏
奥上林村
 福井彦太郎氏
大正十五年六月廿五日印刷
大正十五年六月三十日發行
京都府何鹿郡役所
    京都府何鹿郡綾部町
印刷者 森田健次郎
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年06月16日 13:01 ◆【物部村誌梗概】 平和姓
《平和寛治》《平和幹雄》《平和縱子》《平和洞然》
【何鹿郡役所の蹟.後編】大正15
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京都新聞【 2018年06月14日 13時40分 】
築74年の村役場改修 京都・綾部の地域拠点一新
 志賀郷公民館(京都府綾部市志賀郷町)の改修がこのほど完了した。
建物は太平洋戦争中に住民の力で建てた築74年の旧志賀郷村役場で、
地域の思い入れが深かった。
外観はそのままに、内部は、新たに整備した多目的室を中心に
五つの空間がつながる構造に一新し、
お年寄りから子どもまで住民が集いやすい、
地域活性化の拠点に生まれ変わった。
 志賀郷公民館は木造2階建て、延べ床面積477平方メートル。
戦時中の1944年に村役場として建設された。
村出身の実業家が多額の寄付をして費用を捻出
材木も地域の山から切り出すなど、
くぎすら入手困難な戦時中に住民の力を得て村が建てた。
55年に綾部市と合併後は公民館として使われてきたが、
老朽化したため、市が1億1800万円をかけ、耐震面も含め改修した。
 ―略―
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