西岸寺所蔵文書

[和泉式部の墓]瑞穂町(現京丹波町)西岸寺境内【丹波路】昭和46年(1971)

【丹波路】昭和46年(1971)
著者    写真: 山本建三 [他]
出版者   写真評論社
出版年月日 1971

 p3【丹波路】昭和46年(1971)
〔画像〕p3【丹波路】昭和46年(1971)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9572636/1/3

 [和泉式部の墓]
 瑞穂町(現京丹波町)西岸寺境内
 p20【丹波路】昭和46年(1971)
〔画像〕p20【丹波路】昭和46年(1971)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9572636/1/20

これも園部ではないが、
丹波町を出はずれて山際にはいった
瑞穗の農家のあいだに西岸寺があって、
その横の杉五、六本が立つ下に
和泉式部の墓と伝える苔むした
小さな宝筐印塔がある。

なかなか風情もあり、
形から見て室町期ごろの
古いもののように思われるが、
和泉式部の墓であるかどうかはわからない。

寺には文化二年(一八〇五)に
書かれたという写本があって、
式部がここで尼となって
「人皇六十六代一条院御宇、
 正暦四癸巳(九九三)の年、
 三月二十一日大往生」
 ※西暦993年4月20日
をとげたとある。
 p68【丹波路】昭和46年(1971)
〔画像〕p68【丹波路】昭和46年(1971)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9572636/1/68
丹波路  一二五〇円
昭和四十六年七月二十五日 初版発行
著 者 岸  哲男
    山本 建三
発行者 吉村 伸哉
製版・印刷・製本
    凸版印刷株式会社
    株式会社 写真評論社
一〇四 東京都中央区銀座五ノ一四ノ三
    ザ・フロントビル4F
 電話(五四一)六四五四・六六二八
      振替 東京一〇〇二一八
https://dl.ndl.go.jp/pid/9572636/1/139
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2022年07月02日05:00
和泉式部の墓(京丹波町中台桜梅)
【丹波風物誌】昭和57年(1982)
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和泉式部の墓(京丹波町中台桜梅)【丹波風物誌】昭和57年(1982)

和泉式部の墓(京丹波町中台桜梅)【丹波風物誌】昭和57年(1982)

【丹波風物誌】昭和57年(1982)
国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書
湯浅貞夫 著 (文理閣, 1982)  

 平安貴族の恋の通い路   p16/90
  和泉式部の墓(瑞穗町)
 船井郡瑞穂町字中台、
 ※船井郡京丹波町中台桜梅一番地
西岸寺の鐘が聞けなくなってもう五年になる。
 ※数年前から地元有志の方が
  12時と17時(夏は18時)に
  鐘を衝いて居られる。
雪深い越前の永平寺で荒行をしたという
蒔那喚道師が亡くなって、
この寺は無住となった。
それでも境内の西隅にある和泉式部の墓は
線香こそたっていないが、
だれかが世話をしているのだろう、
周囲の草がきれいに刈ってある。
 苔むす宝篋印塔は、
隅飾突起が直立し時代の古さを表している。

 黒髪の乱れも知らず打伏せば
  まずかきやりし人ぞ恋しき
          和泉式部

 和泉式部は、先ず橘道貞と結婚する。
次に為尊親王と結ばれた。
そして敦道親王との灼熱の恋。
さらに道長の家司・藤原保昌との愛の遍歴。
夫・保昌は丹後の国司として府中にいた。
和泉式部は大江山を越え幾度か
丹波の山野を往きかったことだろう。
 娘・小式部内侍も相当な歌人であった。
ある時宮中の御歌会の席で
「歌才豊かな母君がいなくて御心配でしょう」
とからかわれた。
小式部内侍は即座に
  大江山生野(いくの)の道の遠ければ
   まだふみもみず天の橋立
 とやり返した。
 律令時代、都から各地に派遣された
受領(づりょう)達の女房、
奴隷労働に寄生する貴族の女御(にょうご)、
恋と遊びに明け暮れた平安の宮廷歌人、
たしかに感情の詩的表現はうまい。
 和泉式部は都への帰路、
草深い丹波路でたおれたという。
ここに建てられたのが西岸寺の宝篋印塔である。
ところで、和泉式部の墓は、
誠心院智貞尊意の戒名で、
全国に十三もあるという。
歌(佳)人を慕う、
ゆかりの人は、
遺骨、遺品を各所にわけ、
このような供養塔を建てたのであろう。
 この優雅な和泉式部の夫君・藤原保昌の弟は、
都大路に出没した大盗賊袴垂保輔だというから、
歴史の真実というものは全く皮肉なものである。
【丹波風物誌】昭和57年(1982)p16
〔画像〕【丹波風物誌】昭和57年(1982)p16
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9576135/16
著者紹介
湯浅貞夫
一九二八年 京都府園部町で生れる
現在 日本共産党京都府委員
   衆議院議員 寺前いわお事務所事務長
主著 『歴史の群像』『いばらの道』
住所 京都府船井郡日吉町字下保野田
   TEL 〇七七一七(二)〇一四六
丹波風物詩
1982年11月30日発行   ¥1,200.
著 者  湯浅 貞夫
発行者  黒川美富子
発行所  図書出版 文理閣
 京都市下京区七条河原町西南角
 TEL 075(351)7553
 ISBN4-89259-056-8
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9576135/88
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年07月28日
[和泉式部之由来]西岸寺:京都府船井郡京丹波町中台桜梅
『西岸寺所蔵文書』
  本誓願寺由来
 本尊阿弥陀出来記
 並 和泉式部因縁記
      中臺村 西岸寺
 [和泉式部之由来]
人皇六十六代一条院の皇后 上東門院の侍女に
和泉式部と言いしは越前守雅致公の娘
和泉守(かみ)橘の道貞が妻女なり
故に夫の名によせて和泉式部とは申せしなり

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2017年12月19日
安養山 西岸寺(元松壽山誓願寺)1/2[檜山村誌]平成5年4月
宗 派 曹洞宗
所在地 字中台小字桜梅一番地
   ※京丹波町中台桜梅一番地 ※桜梅(さくらうめ)
開 創 天智七年(六六八)
開 基 和泉式部念称恵意比丘尼
本 山 吉祥山 永平寺
    諸嶽山 総持寺
又西方五十米の所に式部の墓といわれる宝篋印塔あり
(伊藤正雄氏 和泉式部を偲ぶ を参照)
https://kazuo1947.livedoor.blog/archives/20919241.html
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京丹波町 西岸寺 文化財保護へ 杉伐採─京都新聞 丹波版より

京丹波町 西岸寺 文化財保護へ 杉伐採─京都新聞 丹波版より

前 京丹波町議会議員 山崎裕二 活動誌 ブログ版
2021-02-04 07:03:14 | 町関連の報道・発信
 昨日の京都新聞 丹波版に、
「町 西岸寺 文化財保護へ 杉伐採」とあります。
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    文化財保護へスギ伐採
    京丹波・西岸寺「寂しいが気持ち新たに」
 京丹波町指定文化財の釣り鐘「銅造梵鐘」などがある
同町中台の西岸寺で境内のスギの伐採が行われた。
京丹波森林組合(京丹波町本庄)の作業員らが、
高さ約30メートルにもなるスギをクレーン車でつり上げ、
本堂や庭園を傷つけないように慎重に作業を進めた。
 府の森林保護事業の一環で、
台風や強風などによる倒木から文化財を保護するのが目的。
西岸寺は656年の創建とされ、
開創 天智七年(六六八)
百人一首でも知られる歌人
和泉式部の墓と言い伝えられる五輪塔がある。
 伐採作業は1月28日にあり、
樹齢60~80年と推定される全16本のスギを切った。
地域住民らが寒空の下で作業を見守った。
「寂しさもあるが、気持ちを新たにしていきたい」と話した。
(佐々木千奈)
 「京丹波町 西岸寺 文化財保護へ 杉伐採」
〔画像〕「京丹波町 西岸寺 文化財保護へ 杉伐採」
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年02月01日
西岸寺 京丹波町中台 不用木の伐採[1/5]令和3年1月28日

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年02月02日
西岸寺 京丹波町中台 不用木の伐採[2/5]令和3年1月28日

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年02月03日
西岸寺 京丹波町中台 不用木の伐採[3/5]令和3年1月28日

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年02月04日
西岸寺 京丹波町中台 不用木の伐採[4/5]令和3年1月28日

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年02月04日
西岸寺 京丹波町中台 不用木の伐採[5/5]令和3年1月28日
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西岸寺 京丹波町中台 不用木の伐採[5/5]令和3年1月28日

西岸寺 京丹波町中台 不用木の伐採[5/5]令和3年1月28日

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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2017年12月19日 05:10 ◆京丹波町 [檜山村誌]平成5年
安養山 西岸寺(元松壽山誓願寺)1/2[檜山村誌]平成5年4月

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2017年12月21日 05:00 ◆京丹波町 [檜山村誌]平成5年
安養山 西岸寺(元松壽山誓願寺)2/2[檜山村誌]平成5年4月
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西岸寺 京丹波町中台 不用木の伐採[4/5]令和3年1月28日

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2017年12月19日 05:10 ◆京丹波町 [檜山村誌]平成5年
安養山 西岸寺(元松壽山誓願寺)1/2[檜山村誌]平成5年4月

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2017年12月21日 05:00 ◆京丹波町 [檜山村誌]平成5年
安養山 西岸寺(元松壽山誓願寺)2/2[檜山村誌]平成5年4月
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西岸寺 京丹波町中台 不用木の伐採[3/5]令和3年1月28日

西岸寺 京丹波町中台 不用木の伐採[3/5]令和3年1月28日

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2017年12月19日 05:10 ◆京丹波町 [檜山村誌]平成5年
安養山 西岸寺(元松壽山誓願寺)1/2[檜山村誌]平成5年4月

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2017年12月21日 05:00 ◆京丹波町 [檜山村誌]平成5年
安養山 西岸寺(元松壽山誓願寺)2/2[檜山村誌]平成5年4月
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西岸寺 京丹波町中台 不用木の伐採[2/5]令和3年1月28日

西岸寺 京丹波町中台 不用木の伐採[2/5]令和3年1月28日

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安養山 西岸寺(元松壽山誓願寺)1/2[檜山村誌]平成5年4月

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安養山 西岸寺(元松壽山誓願寺)2/2[檜山村誌]平成5年4月
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西岸寺 京丹波町中台 不用木の伐採[1/5]令和3年1月28日

西岸寺 京丹波町中台 不用木の伐採[1/5]令和3年1月28日

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安養山 西岸寺(元松壽山誓願寺)1/2[檜山村誌]平成5年4月

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安養山 西岸寺(元松壽山誓願寺)2/2[檜山村誌]平成5年4月
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西岸寺 京都府船井郡京丹波町中台桜梅1番地:国税庁 法人番号公表サイト

西岸寺 京都府船井郡京丹波町中台桜梅1番地:
国税庁 法人番号公表サイト

国税庁 法人番号公表サイト
 令和2年11月27日16時10分時点の情報です。

 西岸寺の情報
 最新情報
法人番号
6130005007591
商号又は名称
西岸寺
本店又は主たる事務所の所在地
京都府船井郡京丹波町中台桜梅1番地

最終更新年月日
平成27年11月13日

変更履歴情報
No.1 法人番号指定年月日 平成27年10月5日
 新規

〒113-8582 東京都文京区湯島4丁目6-15 湯島地方合同庁舎
      国税庁 長官官房企画課 法人番号管理室
西岸寺の情報|国税庁法人番号公表サイト
〔画像〕西岸寺の情報|国税庁法人番号公表サイト
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[和泉式部之由来]西岸寺:京都府船井郡京丹波町中台桜梅『西岸寺所蔵文書』

[和泉式部之由来]西岸寺:京都府船井郡京丹波町中台桜梅
『西岸寺所蔵文書』

  本誓願寺由来
 本尊阿弥陀出来記
 並 和泉式部因縁記
      中臺村 西岸寺


 [和泉式部之由来]
人皇六十六代一条院の皇后 上東門院の侍女に
和泉式部と言いしは越前守雅致公の娘
和泉守(かみ)橘の道貞が妻女なり
故に夫の名によせて和泉式部とは申せしなり
 ―略―
[和泉式部之由来]1
〔画像〕[和泉式部之由来]1

[和泉式部之由来]2
〔画像〕[和泉式部之由来]2

[和泉式部之由来]3
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[和泉式部之由来]4
〔画像〕[和泉式部之由来]4

[和泉式部之由来]5
〔画像〕[和泉式部之由来]5

[和泉式部之由来]6
〔画像〕[和泉式部之由来]6

[和泉式部之由来]7
〔画像〕[和泉式部之由来]7

天にきこえ瑞香四方に薫じ 見る人々は怪しむばかり
聖来迎にあづかり奉り死刹に向い瑞坐合掌をなし
念仏数遍 高声にして
人皇六十六代 一条院の御宇
正暦四 癸巳の年三月二十一日正午の時に大往生
※長暦2年(1038)戊寅
 又 由緒中重要なる記録は
 「和泉式部法名は誠心院式部専念比丘尼にして
  正暦二年卒去す」とあり。
  正暦は長暦の誤りとすれば行年五十九才となる。
※赤字部は別稿:[和泉式部を偲ぶ]伊藤正雄著
本意をば遂(とげ)にける
  極楽や 中の臺(ウテナ)の誓願寺
   和泉式部の帰し所哉
 御堂関白 藤原道長公と申奉りしは
 大織冠 藤原鎌足公十二世の御孫公なり
 是のひめぎみを 上東門院と申奉也
  日本正暦癸巳歳 今 文化二乙丑年迄
   ※正暦4年癸巳:994年 文化2年乙丑:1805年
          凡 八百二十三歳ニ也 ※811歳
  大唐北宋 二代太宋 淳和四癸巳歳に当る
           ※淳化四年(994年)
[和泉式部之由来]8
〔画像〕[和泉式部之由来]8
※転記・文責:小野一雄
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お寺の風景と陶芸
西岸寺 (京都府京丹波町) 和泉式部の墓
作成日時 : 2018/04/30 16:01
京丹波町の西岸寺には、
平安時代中期の歌人・和泉式部の墓といわれる供養塔が建っている。
和泉式部は1013年頃、夫の勤務地丹後に赴いているが、
それ以降の動静については不明なところがあり、
数多くの伝説が各地域に伝わっている。
全国に数多くの和泉式部の墓があると伝わり、
西岸寺の墓もその内の一つである。
民族学者・柳田国男の説によれば、
奈良誓願寺(現在は京都市中京区)に関わる女性が
諸国を巡ったことから生まれた伝説だろうと。
恋多き和泉式部の伝説は生まれるべくして生まれたとも。
西岸寺の開創は668年ともいわれるが、詳細は不詳である。
<京都丹波のお寺一覧>参照
(1)寺名:西岸寺(せいがんじ)
(2)住所:京都府京丹波町中台桜梅1
(3)山号:安養山  (4)宗派:曹洞宗
(5)開創:668年 (6)本尊:阿弥陀如来
(7)その他
 1)阿弥陀如来坐像:町指定文化財
 2)梵鐘:町指定文化財
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