丹波育兒院一斑(大正6年12月末調査)
船井郡三ノ宮村 院長 辻原光治
<丹波誌巻七:船井郡下巻236頁>大正13年
船井郡三ノ宮村 院長 辻原光治
<丹波誌巻七:船井郡下巻236頁>大正13年
<丹波誌巻七:船井郡下巻236頁>
〔画像〕丹波誌巻七:船井郡下巻_p001
〇北村先生編 丹波誌 一部拾五巻 p2/236
先生に請ひて二部を淨寫し
京都帝國大學圖書舘と
京都府立圖書舘に各一部を寄託す
大正拾四年七月一日
北村龍象先生喜壽會
(北村先生喜壽會結末報告書を添附す)
〔画像〕丹波誌巻七:船井郡下巻_p002
三ノ宮村 p183/236
◉丹波育兒院一斑(大正六年十二月末調査) p195-196/236
創立 明治四十年六月廿七日
位置 京都府丹波國船井郡三ノ宮村
組織 個人經營
代表 創立者 院長 辻原光治
目的 汎ク◆告ノ孤児及之ト事情ヲ等シクスル児童ヲ救済教育シ
獨立自活ノ道ヲ得セシム
職員 院長一名、主婦一名、雜務二名、
維持 賛助會員ノ據金 音樂演藝會ノ収入
有志家ノ寄贈 院内勞働ノ収益
入院 十二歳以下ニシテ扶養者ナキモノハ
市町村長・學校長・警察官吏・特志家ノ紹介ニヨリ取調ノ上
入院セシム
教育 家庭ニ於テハ院長主婦等凡テ児童ト寝食ヲ共ニシテ
親子ノ愛情ヲ保ツヲ主トシ
學齡中ハ村立小學校ニ通學セシメテ國民教育ヲ施シ又
十歳以上ノ児童ニハ家庭ノ雜務農事ノ手助ケヲナサシメテ
勞働ノ習慣ヲ養テ且ツ日曜學校児童圖書舘ニヨリテ
精神教育ニ勉メ休日ヲ利用シテ娯楽ヲ供ス
退院 児童二十歳以上ニ達シ自活ノ道立タルモノハ退院セシム
退院后ハ情誼ヲ存スルモ義務ヲ負ハシメズ
〔画像〕丹波誌巻七:船井郡下巻_p195
經費 大正六年収支決算
収入之部
農事収入 一九〇円
賛助員據金 二七二円
臨時寄付 四八円
音樂演藝會収入 四〇五円
雜 収 入 七四円
計 九八九円
支出之部
事務費 九〇円
養育費 六〇六円
教育費 三〇円
諸税公課 三〇円
雜 費 七五円
臨時費 一四五円
計 九七六円
全經費在院者
一人 一ケ月 金五圓 八銭
食費在院者
一人 一ケ月 金三圓十六銭
成績 (明治四十年六月ヨリ大正六年十二月迄)
(十ケ年間 第一期)
實 業 就 職 者
會社員 男 一人
篭 職 男 一人
瓦 職 男 一人
左 官 男 一人
理 髪 男 一人
煙草工 女 一人
藥劑見習 男 一人
味噌店員 男 一人
紋 工 男 一人
農 男 五人
女 五人
計 男 十三人
女 六人
合 計 十九人
〇死亡者 男 五人
女 三人
計 八人
〇逃亡者 男 三人
女 〇人
計 三人
通 計 男二十一人
女 九人
計 三十人
〇現在員 男 九人
女 七人
内 院内 十一人
院外委托 五人
通 計 四十六人
現在員年齢別 此内、院外委托 五人
六歳以下 十四歳以下 十八歳以下 計
男 二人 三人 四人 九人
女 〇人 六人 一人 七人
計 二人 九人 五人 十六人
創業以降入院兒府縣別
京都府下 三十五人
岐阜縣下 四人
兵庫縣下 四人
新潟縣下 二人
鳥取縣下 一人
計 四十六人
計 畫 第二期(大正七年ヨリ仝十六年迄 十ケ年)ノ
事業ノ方針トシテ院内ニ機業ヲ開始セントス
依テ目下職工養成中
〔画像〕丹波誌巻七:船井郡下巻_p196
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『古文書資料置き場』
丹波誌全巻15巻
総論:1巻、亀岡町1巻、南桑田郡2巻、北桑田郡1巻、
船井郡2巻、何鹿郡2巻、天田郡2巻、多紀郡2巻、氷上郡2巻
著者:北村龍象
発行日:大正13年11月1日
寛政年間に福知山藩の古川茂正、
篠山藩の永戸貞が編纂した氷上、天田、多紀の三郡を再編し、
残りの桑田、船井、何鹿の三郡を追加
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《丹波育児院:辻原光治:辻原 澤太郎》郷土誌「三ノ宮」
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