《近角常觀》《伊藤賢道》《春日圓城》【第一高等学校一覧】【東京帝国大学一覧】
《近角常觀》
第一高等学校 入学 明治23年(1890)
卒業 明治28年(1895)
東京帝国大学 文科大学 哲学科
入学 明治28年(1895)
卒業 明治31年(1898)
《伊藤賢道》
第一高等学校 入学 明治23年(1890)
卒業 明治28年(1895)
東京帝国大学 文科大学 漢学科
入学 明治28年(1895)
卒業 明治31年(1898)
《春日圓城》
東京帝国大学 文科大学 国史科
入学 明治28年(1895)
卒業 明治31年(1898)
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《近角常觀》《伊藤賢道》
第一高等中學校 予科入学 明治23年(1890)
【第一高等学校一覧. 明治23-24年】
第一高等中學校一覽目錄(本校分) p1/74
〇第二十章 生徒姓名 p39/74
〇本 科
〇豫 科 p48/74
英第三級二之組
就學所 入 學 年 月 等級 廰府 縣族 姓 名 生 年 月
應 募 明治廿三年七月 三級 滋賀縣平民 近角常觀 明治三年十二月
應 募 明治廿三年七月 三級 三重縣平民 伊藤賢道 慶應元年六月
【第一高等学校一覧. 明治24-26年】
英第一級三之組 p161/186
入 學 年 月 等級 廰府 縣族 姓 名 生 年 月
明治廿三年七月 三級 滋賀縣平民 近角常觀 明治三年十二月
明治廿三年七月 三級 三重縣平民 伊藤賢道 慶應元年六月
【第一高等学校一覧. 明治26-29年】
第一高等中學校一覽 自明治二十六年 至明治二十七年 p1/237
〇第十章 生徒姓名 p54/237
〇本 科
一部一年三之組(文科) p57/237
近角常觀 滋賀
伊藤賢道 三重
第一高等中學校一覽 自明治二十七年 至明治二十八年 p76/237
〇第九章 學生姓名(明治廿八年二月一日調) p132/237
一部三年四之組(文科) p133/237
近角常觀 滋賀
伊藤賢道 三重 p134/237
第一高等中學校一覽 自明治廿八年 至明治廿九年 p154/237
《近角常觀》《伊藤賢道》
第一高等学校 明治28年(1895) 卒業
【第一高等学校一覧. 明治33-35年】
〇第七章 卒業生姓名 p67/239
〇明治二十八年七月(第一高等學校大學豫科)卒業 p90/239
(二百二十九名)
文科志望(三十七名) p91/239
近角常觀 滋賀
伊藤賢道 三重
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《近角常觀》《伊藤賢道》《春日圓城》
東京帝国大学 文科大学 明治28年(1895) 入学
【東京帝国大学一覧. 明治28-29年】
第五 文科大學學生及生徒 p176/308
(姓名ノ上ニ〇印ヲ附スルハ特待生)
哲學科 p177/308
第一年(姓名イロハ順) p178/308
近角常觀 滋賀
漢學科 p179/308
第一年(姓名イロハ順) p179/308
伊藤賢道 三重
國史科 p179/308
第一年(姓名イロハ順) p180/308
春日圓城 新潟
【東京帝国大学一覧. 明治29-30年】
第五 文科大學學生及生徒 p195/334
(姓名ノ上ニ〇印ヲ附スルハ特待生)
哲學科 p195/334
第二年
近角常觀 滋賀 p196/334
漢學科 p197/334
第二年
〇伊藤賢道 三重 p198/334
國史科
第二年
春日圓城 新潟 p198/334
【東京帝国大学一覧. 明治30-31年】
第五 文科大學學生及生徒 p209/360
(姓名ノ上ニ〇印ヲ附スルハ特待生)
哲學科 p210/360
第三年
近角常觀 滋賀 p211/360
漢學科 p213/360
第三年
〇伊藤賢道 三重
國史科
第三年
春日圓城 新潟
《近角常觀》《伊藤賢道》《春日圓城》
東京帝国大学 文科大学 明治31年(1898)卒業
【東京帝国大学一覧. 明治31-32年】
哲學科 p263/331
明治三十一年七月卒業
近角常觀 滋賀 p263/331
漢學科
明治三十一年七月卒業
伊藤賢道 三重 p265/331
國史科
明治三十一年七月卒業
春日圓城 新潟 p265/331
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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第五章 第二節 近代の布教者に見る伊藤康善との比較
第一項 近角常観の廻心と獲信への導き
―略―
父から仏教を学んだ常観は、元彦根藩士が開いた寺子屋に通う。
その後、東本願寺が経営する京都府尋常中学校に学んだ。
同校の校長として一八八八年(明治21年)七月に赴任したのは
清澤満之(一八六三~一九〇三)であり、
常観は清澤から卒業証書を受け取っている。
成績優秀だった常観は、
一八八九年(明治22年)七月に東本願寺の留学生として、
春日圓成、伊藤賢道と東京留学に向かうこととなった。
※春日圓城
上京した常観は、
一八九〇年(明治23年)に第一高等中学校の予科へ入学、
一八九三年(明治26年)に同校本科へと進学し、
一八九五年(明治28年)に卒業した。
同じ年の九月に帝国大学文科大学哲学科へ進み、
一八九八年(明治31年)七月に学士号を取得した。
常観は、宗教哲学を研究するため大学院へ進んだ。
―略―
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