満州引揚

《信濃丸》舞鶴入港(昭和22年2月13日)引揚者数【舞鶴市史 現代編】1988.9

《信濃丸》舞鶴入港(昭和22年2月13日)引揚者数
【舞鶴市史 現代編】1988.9

【舞鶴市史 現代編】1988.9
著者    舞鶴市史編さん委員会 編
出版者   舞鶴市
出版年月日 1988.9
 舞鶴入港引揚者数  p140/573
入港月日  昭和22年2月13日
船 名   信濃
出港地   大連
乗船人員  3,052
引揚者
 陸軍   253
 海軍    5
 一般邦人 2,784
  計   3,042
 その他   10
摘要    船内死亡 5
p141【舞鶴市史 現代編】1988.9
〔画像〕p141【舞鶴市史 現代編】1988.9
https://dl.ndl.go.jp/pid/9576477/1/141
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2020年11月14日05:52
【満州引揚】《小川清秀》《小川 梅》《小川清澄》
[乗船者名簿 信濃丸]舞鶴上陸 昭和22年2月15日
 名簿番号 第57号
 乘船者名簿
上陸年月日 昭和22年2月15日
船   名 信濃丸
出 港 地 大連
乗船人員  三、〇四七名
 舞鶴地方 引揚援護局
 DEBAKATION  ROSTER
   (引揚名簿)
氏  名   年令 在留地
小川清秀 男 56  大連
     行先地 京都市左京区下鴨松ノ木町四七番地
     原籍地 長崎市酒屋町三〇
小川梅子 女 55  大連
     行先地 京都市左京区下鴨松ノ木町四七番地
     原籍地 長崎市酒屋町三〇
小川清澄 男 22  大連
     行先地 京都市左京区下鴨松ノ木町四七番地
     原籍地 長崎市酒屋町三〇
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《辰日丸》舞鶴入港(昭和22年2月13日)引揚者数【舞鶴市史 現代編】1988.9

《辰日丸》舞鶴入港(昭和22年2月13日)引揚者数
【舞鶴市史 現代編】1988.9

【舞鶴市史 現代編】1988.9
著者    舞鶴市史編さん委員会 編
出版者   舞鶴市
出版年月日 1988.9
 舞鶴入港引揚者数  p140/573
入港月日  昭和22年2月13日
船 名   辰日
出港地   大連
乗船人員  3,549
引揚者
 陸軍   284
 海軍    8
 一般邦人 3,255
  計   3,547
 その他    2
摘要    船内死亡 7
      船内出生 3
p141【舞鶴市史 現代編】1988.9
〔画像〕p141【舞鶴市史 現代編】1988.9
https://dl.ndl.go.jp/pid/9576477/1/141
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2020年11月11日05:00
【満州引揚】《松村一造》《松村正子》《松村 墨》
舞鶴上陸 昭和22年2月14日
[引揚者在外事実調査票][外地引揚調査票]昭和31-32年
       世帯員の状況 そのⅠ(生存)
  氏  名
1 松村一造 続柄 世帯代表者 性別 男
       生年月日   明治40年9月18日(満48才)
       外地渡航年月 昭和16年8月
       引揚出港地  大連  船名 辰日丸
       上 陸 地  舞鶴
       引揚(上陸)年月日 昭和22年2月14日
       生活保護適用の有無 無
       現在地 京都府
2 松村正子 続柄  妻    性別 女
       生年月日   大正3年1月20日(満42才)
       外地渡航年月 昭和16年10月
       引揚出港地  大連  船名 辰日丸
       上 陸 地  舞鶴
       引揚(上陸)年月日 昭和22年2月14日
       生活保護適用の有無 無
       現在地 京都府
       世帯員の状況 そのⅡ(死亡)
氏名 続柄 性別 死亡時の年令 死亡年月日 死亡場所
※黒で抹消:恐らく[松村 墨]
      明治11年(1878)10月18日生
      昭和22年(1947)2月14日歿(69才)
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和合正治氏 (元松本市長)昭和21年6月。いよいよ引き揚げが始まった。私たちはコロ島(錦西市)へ移動。

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2020年11月16日
【満州引揚】
《小野又一》昭和21年7月
《松村一造》昭和22年2月
《小川清秀》昭和22年2月
《小川清久》昭和28年8月
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《小野又一》《小野文子》《小野 安》
引揚出港地  コロ島  船名 L.S.T.
上 陸 地  仙崎港
引揚(上陸)年月日 昭和21年(1946)7月20日
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和合正治氏 (元松本市長)昭和21年6月。
いよいよ引き揚げが始まった。
私たちはコロ島(錦西市)へ移動。

信濃毎日新聞松本専売所WEB
◎私の半生 タウン情報掲載

私の半生 第8号
和合 正治氏 (元松本市長)

元松本市長 和合正治
略歴
1917年(大正6年)松本市に生まれる
1929年(昭和4年)松本市立旭町尋常小学校卒業
1934年(昭和9年)県立松本中学校(現深志高校)卒業
1938年(昭和13年)松本市役所に就職
1940年(昭和15年)満州国官吏
1946年(昭和21年)終戦により引き揚げ
     松本市役所に就職
     総務部長、総務、財政、税務、各課長
1969年(昭和44年)松本市助役
1976年(昭和51年)松本市長
     全国市長会副会長
北信越市長会、長野県市長会各会長
松本市、藤沢市、姫路市、ソルトレーク市、各市名誉市民

5 市役所に就職 振り出しは社会課 途中満州へ
 私は早速、熱河省公署に配属された。
ちょうど県庁のようなところである。
まず官房の総務課に配属が決まる。給料は80円。
松本の市役所の実績が買われて高給だった。
しかも物価が安く、住居も独身寮へ賄い付きで入ることができ、
費用は20円もかからなかった。
松本では自宅から通っていたが、給料は35円ぐらいで外食をしたり、
仲間同士で芸者遊びをしたりしたので貯金など全くできなかった。
それに比べて満州ではどうだろう。
給料は高いし、遊ぶ所は無いし、いくらかの貯金をすることができた。
 最初に住んだ所は人口5万人という承徳街。
私のまわりには日本人が200人ぐらい、
漢民族、満州族、蒙古人、韓国人などが大勢いて会話は中国語だった。
私は日本語しか話せず、最初のころは本当に困ったが、
身ぶり手ぶりで何とか通じるようになり、暇を見つけては勉強もした。
中国語にも方言があり、それらを覚えるのは苦労だった。
治安もあまりよくなかったが、当地の生活習慣が身につくと、
それほど恐ろしくなかった。
昭和18年の冬を迎えたころ、父親から手紙が来た。

6 いきなり挙式 父の一言で決めた花嫁の隣に
 新婚生活は満州の承徳街の官舎でスタートした。
承徳は関東軍の満州地区西南防衛司令部があったためか穏やかだった。
しかし、熱河省のあたりでは日本人の思想家、岡野進(後の野坂参三)が
広報宣伝活動をやっていることを聞き、不安はぬぐえなかった。
満州で生活していると、
日本の様子や戦争のことはラジオで聞くくらいで、
確かな情報は極めて少なかった。

7 妻と避難生活 邦人家庭に居候 タネ油売り
錦州県の県長は満州人だったが、副県長は日本人で、
しかも長野市出身の森山誠之さんだった。
この森山さんこそ私が承徳街にいた時の上司で人事課長だった人である。
ある日、その森山さんが小学校の校庭に来ていることが分かり、
私は会いに行った。

8 引き揚げ キップを手にとにかく信州へ
 昭和21年6月。いよいよ引き揚げが始まった。
私たちはコロ島(錦西市)へ移動。
港に一番近い地区の滞在者から順に引き揚げることになり、
アメリカの船(LST)に乗ることが決まった。
 私たちは引き揚げるにあたって食料を準備した。
3日ほどで帰れると言われたが、5日分を用意。
途中で伝染病などが発生すると、
たちまち足止めになるので何もないことを願いながら船に乗り、
日本に向かった。
途中、船の中で自殺する者や病死する者もいて、
その人たちを葬るのがとてもつらかった。
船上で祈りを済ませたあと、海底へ沈める水葬を行ったが、
これが何とも悲しい祭事でもあった。
 3日間の航海の後、佐世保に寄港し、
手続きをするのにまた3日かかった。
ようやく故郷に帰ってもよいという知らせを受けると、
私たちは、自分が帰るところまで使えるキップの配給を受けた。
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【満州引揚】《小野又一》昭和21年7月《松村一造》昭和22年2月《小川清秀》昭和22年2月《小川清久》昭和28年8月

【満州引揚】
《小野又一》L.S.T.  昭和21年7月20日 コロ島⇒仙崎
《松村一造》辰日丸 昭和22年2月14日 大連⇒舞鶴
《小川清秀》信濃丸 昭和22年2月15日 大連⇒舞鶴
《小川清久》高砂丸 昭和28年8月11日 上海⇒舞鶴
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《小野又一》《小野文子》《小野 安》
引揚出港地  コロ島  船名 L.S.T.
上 陸 地  仙崎港
引揚(上陸)年月日 昭和21年(1946)7月20日
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《松村一造》《松村正子》《松村 墨》
引揚出港地  大連  船名 辰日丸
上 陸 地  舞鶴
引揚(上陸)年月日 昭和22年(1947)2月14日

《小川清秀》《小川 梅》《小川清澄》
引揚出港地  大連  船名 信濃丸
上 陸 地  舞鶴
引揚(上陸)年月日 昭和22年(1947)2月15日
※クリックで拡大
 舞鶴入港の引揚船一覧表①松村・小川清秀
〔画像〕舞鶴入港の引揚船一覧表①松村・小川清秀


《小川清久》《小川美津子》《小川久江》
引揚出港地  上海  船名 高砂丸
上 陸 地  舞鶴
引揚(上陸)年月日 昭和28年(1953)8月11日
※クリックで拡大
 舞鶴入港の引揚船一覧表②小川清久
〔画像〕舞鶴入港の引揚船一覧表②小川清久
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[C15010135200-終連報丙第464号 昭和22年2年8日]
終連報丙第四六四號 擔任嬉野事務官
       昭和二十二年二月八日
              連絡課
  情報 普通
        二月七日
    大連配給豫定
    出發港 同日時 大連着日時 歸還港 同日時
信濃丸            八  舞鶴   一四
辰日丸            八  舞鶴   一四
レファレンスコード C15010135200
件名 終連報丙第464号 昭和22年2年8日
   連絡課 2月7日 大連配船予定
    防衛省防衛研究所 陸軍一般史料
     中央 終戦処理
     「昭和21.9.3―22.3.28 終連報丙綴 3/4
      第1復員局史実調査部」
【 画像数 】2
作成年月日 昭和22年2月8日
作成者   連絡課
組織歴   陸軍省
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[C15010135500-終連報丙第469号 昭和22年2年18日]
終連報丙第四六九號 擔任嬉野事務官
       昭和二十二年二月十八日
              連絡課
  情報 普通
   引揚關係各省連絡事項  二月十四日
一、大陸課
  1 大連の情報で今迄は各地區別の貧困者から引揚てきたが
    今後は貧困者と關係なく地域別に引揚げることゝなつた。
  2 ソ連から引揚の際
    邦人所有の有價證券を取り上げて困るので
    司令部に申入れる筈であるが
    『レシート』を發行してくれゝば
    千圓迄の支拂は可能であると思ふ。
二、船舶運輸會
  1 昨日司令部からの連絡で
    二月は大連から九万人の引揚があるといふので
    一日置に二隻の船が佐世保に入ることになるが
    現在でも一万四、五千の帶留者かあるが
    受入に支障のない樣に研究して貰ひたい。
レファレンスコード C15010135500
件名 終連報丙第469号 昭和22年2年18日
   連絡課 引揚関係各省連絡事項 2月14日
    防衛省防衛研究所 陸軍一般史料
     中央 終戦処理
     「昭和21.9.3―22.3.28 終連報丙綴 3/4
      第1復員局史実調査部」
【 画像数 】1
作成年月日 昭和22年2月18日
作成者   連絡課
組織歴   陸軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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【満州引揚】舞鶴入港の引揚船一覧表[PDF] [jpg](昭和20年10月7日~昭和33年9月7日)

【満州引揚】舞鶴入港の引揚船一覧表 [PDF] [jpg]
(昭和20年10月7日~昭和33年9月7日)


舞鶴入港の引揚船一覧表①
昭和20年10月7日~昭和23年7月2日
※クリックで拡大
 舞鶴入港の引揚船一覧表①
〔画像〕舞鶴入港の引揚船一覧表①

舞鶴入港の引揚船一覧表②
昭和23年7月3日~昭和33年9月7日
※クリックで拡大
 舞鶴入港の引揚船一覧表②
〔画像〕舞鶴入港の引揚船一覧表②
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【満州引揚】《小川清久》[高砂丸帰還者名簿]舞鶴入港 昭和28年8月11日:定着地 京都市一時寮

【満州引揚】《小川清久》
[高砂丸帰還者名簿]舞鶴入港 昭和28年8月11日:
 定着地 京都市一時寮

第五次
 昭和二十八年八月十一日上陸(出港地 上海)
  高砂丸帰還者名簿
     舞鶴引揚援護局
21高砂丸帰還者名簿1-4小川清久
〔画像〕21高砂丸帰還者名簿1-4小川清久

京都
氏  名 小川清久
生年月日 大正12年3月29日
引揚証明書番号 四七五八九三
本籍地  長崎市酒屋町三〇
定着地  京都市一時寮
職 業  軍人
22高砂丸帰還者名簿2-4小川清久
〔画像〕22高砂丸帰還者名簿2-4小川清久

  高砂丸 乘船者名簿
出 發 地 上 海
出港年月日 昭和28年8月8日
入港年月日 昭和28年8月11日
乘船人員  1,508名
23高砂丸帰還者名簿3-4小川清久
〔画像〕23高砂丸帰還者名簿3-4小川清久

船名 高砂丸 出帆港 上海   三區
番  号 209
世帯主印 〇
氏  名 小川清久
性  別 男
生年月日 大正12年3月29日
定着地  京都市左京区下鴨松の木町四七
     京都一時寮
本籍地  長崎市酒屋町三十番地
24高砂丸帰還者名簿4-4小川清久
〔画像〕24高砂丸帰還者名簿4-4小川清久
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※小川清久:第5次(昭和28年)1953年8月11日
 下記写真:第4次(昭和28年)1953年7月8日
 下記写真:第6次(昭和28年)1953年9月6日

<AFLO 出版・報道写真>
[よみうり写真館]
RM13399289
第4次中国引き揚げ 赤旗に迎えられる帰国者/
京都・舞鶴港 1953年
中国引き揚げ第4陣/中国第4次帰国船「高砂丸」の帰国者を、
赤旗と労働歌「インターナショナル」の
日付:1953年7月8日
第4次引揚「高砂丸」
〔画像〕第4次引揚「高砂丸」

RM13401234
引揚船「高砂丸」(1953年9月6日)
第6次中国帰還船第1船高砂丸が
東北各省(旧満州)からの帰国者1191人と
遺骨5柱を乗せて秋晴れの故
日付:1953年9月6日

RM23285664
引揚船「高砂丸」(1953年9月6日)
第6次中共引き揚げ 高砂丸で帰国/京都・舞鶴港
1953年第6次中共帰還第1船「高砂丸」が東北各
日付:1953年9月6日

[よみうり写真館]
RM13401233
第6次中国引き揚げ 桟橋を渡る帰国者ら/
京都・舞鶴港 1953年
第6次中国帰還船第1船高砂丸が
東北各省(旧満州)からの帰国者1191人と
遺骨5柱を乗せて秋晴れの故
日付:1953年9月6日
第6次引揚「高砂丸」
〔画像〕第6次引揚「高砂丸」
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丹後の地名 地理・歴史 資料集
過去を忘れて、戦争へ行こう
[引揚船32隻の画像]
“高砂丸”を湾口まで出迎える
(懐かしい日本の唱歌、童謡のメロディーを流して)(1)
“高砂丸”を湾口まで出迎える
〔画像〕“高砂丸”を湾口まで出迎える

高砂丸
総トン数:9,315トン
速力:20.15ノット
登録寸法:139.9×18.5メートル
建造年:昭和12年
船の種類:貨客船
主な引揚地:ナホトカ・大連
就航回数:30回
引揚乗船者総数:55,205名
高砂丸
〔画像〕高砂丸
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【満州引揚】《小川清久》(終戦時)璦琿 独歩795大隊:舞鶴上陸 昭和28年8月11日[身上申告書]

【満州引揚】《小川清久》
(終戦時)璦琿 独歩795大隊:
舞鶴上陸 昭和28年8月11日[身上申告書]

 身上申告書 寫 昭和28年8月11日 於 舞 上陸
高砂丸
 所属部隊(終戦時) 独歩795大隊
通稱号 満37563
部隊長官氏名 山田大尉 中隊長 前田博之少尉
駐屯地 璦琿
終戦時の職名 大隊本部附主計下士官

役 種 現  兵種 経理  徴集年
官等級  兵長
氏 名  小川清久
生年月日 大正12年3月29日
本籍地  長崎県長崎市酒屋町30
復員後の連絡先 京都市左京区下鴨松の木町47 西村方
        母 小川梅子

 行動(履歷)の概要
   最も長くいた所  斉斉哈爾市  胃潰瘍
昭和19年2月10日 璦琿 満洲第612部隊(第6国境守備隊)
         第8中隊に入隊―入営
昭和19年6月?日 璦琿陣地にて戦車壕作業に從事
昭和20年1月?日 新京 関東軍経理部教育部
         下士官候補者隊にて教育を受く
昭和20年6月?日 原部隊に皈る 部隊編成改まる
昭和20年8月8日 東山陣地にて戦闘参加
昭和20年8月22日 部隊降伏し同日武装解除を受く
         孫呉に南下し収容所に入る
昭和20年9月?日 北上し ブラゴエチエンシク収容所に入り
         労働に從事
昭和21年4月?日 恢復患者として ブラゴエ 出発
昭和21年4月?日 黒河収容所に入り 労働に從事
昭和21年9月?日 黒河にて炊事夫
    〔28 9 29〕 現残処決了  裏面に続く
19身上申告書寫1-2小川清久
〔画像〕19身上申告書寫1-2小川清久

20身上申告書寫2-2小川清久
19の続き
 行動(履歷)の概要
昭和23年4月?日 通化省 日本人部落にて教育、後農業に從事す
昭和25年4月?日 斉斉哈爾 日本人小学校教員
          皈國に到る
20身上申告書寫2-2小川清久
〔画像〕20身上申告書寫2-2小川清久
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【引揚検疫史. [第2巻] (第2・3部)】昭和23年
  復員衞生部員より聽取せる情報 p33/66
舞鶴檢疫所入港引揚船、明優丸及び遠州丸にて歸還せる
衞生部員より齎らしたソ聯地區の邦人収容狀況、
主として衞生的見地よりの視察情報は左の通りである

一、収容地區の気候風土、衞生狀況
(イ)ブロクレヒスク地區
   (シベリア本線 ブレーヤ驛より支線にて南へ四十分
    ブレーヤ河と黑龍江との合流地附近)
  ―略―

(ロ)グクビシユフカ地區(黑河の東北方約一〇〇粁)
   収容員一、〇〇〇名 人口一萬近き
   シベリア鐵道のブラゴエへの分岐點に當る要衝で
   収容所は市内にある
   作業は材木運搬が主である
   冬期は零下四十度に下る、
   水は乏しく夏期は雨多く赤痢患者の發生を見た
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【満州引揚】《小川清久》(終戰當時)黒龍江省璦琿:高砂丸 上陸 昭和28年8月11日[証明書發行原票]

【満州引揚】《小川清久》
(終戰當時)黒龍江省璦琿:
高砂丸 上陸 昭和28年8月11日[証明書發行原票]

証明書番號 ※475893
      証明書發行原票
船名 高砂丸
上陸年月日 ※昭和28年8月11日
外地の住所(終戰當時) 黒龍江省璦琿
出帆港   上海
本籍地   長崎市酒屋町三十番地
定着先   京都市左京区下鴨松の木町四七 西村方
      ※京都市一時寮
終戰時軍人軍属であつた方は左記に氏名を書いて
該当欄に〇印をして下さい
氏名 小川清久 陸軍 〇
   一名 黒色で抹消
1 世帶主 氏名 小川清久 性別 男
  生年月日 大正12年3月29日
  續柄 本人
  終戰當時の職業 陸軍人
2-3黒色で抹消
  ※おそらく:妻 小川美津  子 小川久江
編制番號 3・3・1
  ※印は記入を要しません
16証明書發行現票 小川清久
〔画像〕16証明書發行現票 小川清久
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【満州引揚】《小川清久》上海⇒舞鶴上陸 昭和28年8月11日[乗船名簿 高砂丸]

【満州引揚】《小川清久》
上海⇒舞鶴上陸 昭和28年8月11日
[乗船名簿 高砂丸]

 乘船名簿
上陸年月日 昭和28年8月11日
船名  高砂丸
出港地 上海
乗船人員  一、五〇九名
      (局内出生 一を含む)
 舞鶴地方 引揚援護局
13乗船者名簿 高砂丸1-2
〔画像〕13乗船者名簿 高砂丸1-2

船 名  高砂丸
出帆港  上海
番 号  269
世帯主印
氏 名  小川清久
性 別  男
生年月日 大正12年3月29日
定着地  京都市左京区下鴨松の木町四七
本籍地  長崎市酒屋町三十番地
14乗船者名簿 高砂丸2-2小川清久
〔画像〕14乗船者名簿 高砂丸2-2小川清久
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【満州引揚】《小川清秀》《小川梅子》《小川清澄》[外地引揚調査票][邦人帰還者連名簿]昭和30-31年

【満州引揚】《小川清秀》《小川梅子》《小川清澄》
[外地引揚調査票][邦人帰還者連名簿]昭和30-31年

    外地引揚調査票  舞鶴引揚援護局
證明書番號  ※11116
引揚者氏名  小川清秀 〔小川の印〕
年齢 五六歳 職業 無
上陸月日   昭和 年 月 日
船  名   信濃丸
出帆港名   大連港
外地ノ住所  大連市小龍街一三二
外地収容所名 
内地ノ本籍  長崎市酒屋町三拾番地
内地ノ落付先 京都市左京区下鴨松ノ木町四七 西村方(山陰線 京都驛)
同伴家族氏名 年齢 續柄 職業
1 小川梅子 五五 妻  ナシ
2 小川清澄 二二 次男 ナシ
持皈金豫備調査
持皈金 二千圓
15外地引揚調査票 小川清秀
〔画像〕15外地引揚調査票 小川清秀

 大連市(七の二)
  邦人帰還者連名簿
 え~き 昭和30年10月調製
17邦人帰還者連名簿1-2小川清秀
〔画像〕17邦人帰還者連名簿1-2小川清秀

NO 5302
乗船年月日   昭和22年2月8日
乗 船 地   大連
船   名   信濃
終戦当時の住所 大連市光風台一三九
職業(職域)
氏   名   小川清秀
生年 月日   明治25年11月16日
本   籍   長崎
現 住 所   京都市左京区下鴨松ノ木町47
行動 略歴
適   用
18邦人帰還者連名簿2-2小川清秀
〔画像〕18邦人帰還者連名簿2-2小川清秀
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