[平明丸事件顛末]大正10年(1921)4月5日~10月19日
第七、 平明丸事件顚末 p1/12
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平明丸事件顚末 p2/12
一、本事件ノ發端
勝田汽船會社汽船平明丸ハ帝國政府ノ命ヲ承ケ
西比利亞(シベリア)ニ在リタル土耳古(トルコ)俘虜等
千十三名(非戰闘員、婦人小兒ヲ含ム)ヲ搭載シ
君府(コンスタンチノープル)ニ向ケ航行中
大正十年(1921)四月五日地中海ニ於テ
希臘(ギリシャ)海軍ノ爲停船ヲ命セラレ
「ミテイレーン」島ニ右俘虜ヲ上陸セシムヘキコトヲ
要求セラレタルカ同船乘組ノ帝國監督將校
之ニ應セサリシ爲
「ピレウス」港ニ拉致抑留セラレタリ
二、希臘(ギリシャ)政府ニ對スル第一次交渉
右希臘(ギリシャ)政府ノ措置ハ
希(ギリシャ)土(トルコ)兩國間ニ
交戰狀態ノ存在スルコトヲ理由トスル處
希臘(ギリシャ)及「アンゴラ」政府間ニハ
大正八年(1919)十月以來事實上
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ノ交戰狀態存シ居タルモ p3/12
「アンゴラ」政府ハ土耳古(トルコ)ノ
地方的事實上ノ政府タルニ止マリ
從テ之ヲ希(ギリシャ)土(トルコ)兩國間ノ戰爭ト目スルコトハ
少クトモ疑義アルノミナラス
元來土耳古(トルコ)俘虜ノ君府(コンスタンチノープル)輸送ハ
英國政府數次ノ委囑ニ基キ人道的見地ヨリ
帝國政府ニ於テ種々ノ困難ヲ排シ之ヲ引受ケ
土(トルコ)國有志家ノ醵金四萬八千磅(ポンド)及
我國自ラ負擔シタル金五萬七千圓ヲ以テ
勝田汽船會社ヲシテ輸送ノ任ニ當ラシメタルモノニシテ
素ヨリ希臘(ギリシャ)及「アンゴラ」政府間ノ關係ニ
干渉スルノ意志ニ出テタルニアラサルヲ以テ
帝國政府ハ直ニ希臘(ギリシャ)政府ニ對シ
平明丸及搭載俘虜ノ無條件解放ヲ要求シタルカ
希臘(ギリシャ)政府ハ日本政府カ英國政府同意ノ下ニ
當該俘虜カ抑留場所ヨリ逃亡スルコトヲ
事實上不可能ナラシムルニ十分ナル保障ヲ與フル條件ニ
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テ君府(コンスタンチノープル)ニ p4/12
上陸セシムルコトニ同意スル旨竝
同政府ノ所見ニ依レハ右目的ヲ達スル最良ノ手段ハ
俘虜ヲ君府(コンスタンチノープル)ニ抑留シ
戰闘終熄ニ至ル迄
之ヲ同盟側軍事官憲ノ監督下ニ置クニ在ルヘキ旨ヲ
回答シ來レリ
仍テ帝國政府ハ英(イギリス)佛(フランス)伊(イタリア)
三國政府ニ對シ在君府(コンスタンチノープル)軍憲ニ於テ
土耳古(トルコ)俘虜ノ監視ニ協力スル樣取計方ヲ
依頼シタルモ
君府(コンスタンチノープル)ニ於ケル
俘虜監視ハ事實上ノ困難アリシ爲
三國共我依賴ニ應スルニ至ラサリキ
三、希臘(ギリシャ)政府ニ對スル第二次交渉
然ルニ會々在君府(コンスタンチノープル)日本高級委員ハ
勃爾牙利(ブルガリア)船「キリロス」號カ
曾テ勃(ブルガリア)國ニ土耳古(トルコ)人百五十九名
(大部分ハ「アドリアノーブル」ニ於ケル・・・・・・ノ
敗軍ニシテ國境ヲ超エテ勃爾牙利(ブルガリア)ニ入リシモノ)
ヲ乘セ君府(コンスタンチノープル)ニ向ケ航行中
大正十年(1921)四月十八日黑海
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・・・・・・沖ニ於テ希臘(ギリシャ)水雷艇ノ爲 p5/12
「イスミツド」ニ一致抑留セラレタルカ
其後無條件ニテ解放セラルルコトトナリタル旨ヲ聞込ミ
其ノ例ニ倣ヒ在君府(コンスタンチノープル)休戰委員ヲシテ
平明丸搭乘土耳古(トルコ)俘虜ニ對シ
君府(コンスタンチノープル)歸還許可書ヲ發セシメ
希臘(ギリシャ)高級委員ヲ經テ同國政府ニ對シ
平明丸ノ無條件解放方ヲ交渉シタルカ
希臘(ギリシャ)政府ハ「キリロス」號搭乘
土耳古(トルコ)人ノ解放ヲ命シタルハ
其ノ人員僅ニ百五十九名ニ過キサルト
其ノ皆非戰闘員ナルトニ因ル旨並希臘(ギリシャ)政府ハ
平明丸ノ卽時出帆及搭乘非戰闘員ノ
希臘(ギリシャ)出發ヲ許可スヘキモ
土耳古(トルコ)俘虜ニ付テハ
抑留ノ已ムナキ旨回答シ來レリ
四、希臘(ギリシャ)政府ニ對スル第三次交渉
然レトモ「キリロス」號搭乘ノ土耳古(トルコ)人中ニハ
「アドリアノーブル」
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解隊軍人ヲ含ミ p6/12
從テ平明丸及「キリロス」號ノ二事件ハ
全然同一條件ノ下ニ在ルモノト認メラレタルヲ以テ
我高級委員ヲシテ希臘(ギリシャ)政府ニ對シ重ネテ
平明丸及土耳古(トルコ)俘虜ノ無條件解放ヲ交渉セシムルト
同時ニ右交渉ノ決着ヲ容易ナラシムル爲
在伊(イタリア)帝國大使ヲシテ
本件ニ關スル希臘(ギリシャ)政府トノ交渉落着ニ至ル迄
兎モ角平明丸カ伊(イタリア)國ノ一港ニ入港スルコトヲ
許容スル樣
伊(イタリア)政府ニ交渉セシメタリ
在君府(コンスタンチノープル)
英(イギリス)佛(フランス)伊(イタリア)三國
高級委員モ右希臘(ギリシャ)政府ニ對スル我要求ヲ支持シ
希臘(ギリシャ)高級委員ニ對シ
土耳古(トルコ)俘虜ノ無條件釋放ヲ求ムル所アリタルカ
希臘(ギリシャ)政府ハ前記「キリロス」號ニ對スル
約束スラ實行ヲ肯セス
我要求ニ對シテ容易ニ同意スルノ模樣ナキノミナラス
一方伊太利(イタリア)
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政府亦自國ノ一港ニ平明丸ヲ入港セシムルコトヲ p7/12
躊躇スルノ色アリタリ
五、聯盟理事會行動
然ルニ本件交渉モ意外ニ長引キ
船主ノ損失俘虜ノ衞生狀態等ニ顧ミ
急速解決ヲ必要トスル事情アリタルヲ以テ
在佛(フランス)石井大使ノ稟議ニ基キ
右聯合國高級委員及
在君府(コンスタンチノープル)帝國高級委員ノ
對希臘(ギリシャ)交渉ヲ側面ヨリ援助スル意味ヲ以テ
國際聯盟理事會ノ行動ヲ要求スルニ決シタルカ
同理事會ハ萬國赤十字中央局ノ申出ニ依リ
六月二十七日「ナンセン」博士ニ託スルニ
理事會ノ名ニ於テ希臘(ギリシャ)政府ニ向ヒ
第一 平明丸ニアル負傷看護婦其ノ他
赤十字關係一切ノ人員ノ放免
第二 其ノ他人員ヲ中立國ニ上陸セシムルコト
若シ此ノ點實行不能ノ
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場合ニハ p8/12
「ミテイレーン」島ノ一點ニ上陸セシメ
此ノ地點ヲ中立地帶ト認メ
俘虜ハ「ナンセン」博士ノ指定スル人ノ監督ニ
委スルコトニ付
交渉セシムルコトヲ決議セリ
「ナンセン」博士ハ其ノ代表者ヲ「アデン」ニ派シ
希臘(ギリシャ)政府ト交渉ノ結果
希臘(ギリシャ)政府ハ土耳古(トルコ)俘虜中
戰闘參加可能者ト不可能者トヲ區別シ
不可能者ハ婦人小兒ト共ニ
希臘(ギリシャ)船ヲ以テ直ニ
君府(コンスタンチノープル)ニ歸還セシメ
可能者ハ希(ギリシャ)土(トルコ)間ノ戰闘終熄迄
中立國乃至中立地帶ニ抑留スルコトヲ承諾セシメ
八月六日不具者婦人共三百九十二名ハ
君府(コンスタンチノープル)ニ到着セリ
一方健康ナル俘虜ハ之ヲ伊(イタリア)國ニ収容スルノ意嚮ニテ
國際聯盟側及帝國政府ヨリ同國政府ニ交渉スル所アリタルカ
伊(イタリア)國側ニ於テハ
俘虜収容ニ付テハ承諾シタルモ
之ニ伴フ費用一箇月七十萬「リラ」
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費用一箇月七十萬「リラ」ハ果シテ土耳古(トルコ)ニ於テ
負擔ノ責ヲ果シ得ヘキヤ否ヤヲ懸念シ
土耳古(トルコ)不支拂ノ場合ニ付
聯盟理事會ニ於テ責任引受ノ保障ヲ與ヘムコトヲ希望シ
逡巡容易ニ決セス
其ノ間平明丸船長ハ遂ニ病死シ
他ノ船員中ニモ數名ノ病人發生スル等
同船乘組員ノ衞生狀態不良トナリ
此ノ上本件ノ解決遲延スルニ於テハ
或ハ同船ニ於テ土耳古(トルコ)俘虜ヲ伊(イタリア)國ニ
輸送シ得サルコトトナルヤモ計リ難キ處アリタルヲ以テ
帝國政府ハ土耳古(トルコ)政府ニ懇談ノ上
前記費用ノ前拂ヲ承諾セシメタリ
然レトモ伊(イタリア)國政府ハ依然トシテ
費用ニ關シ確實ナル保障ヲ得ムコトヲ希望シ
「ナンセン」博士個人ノ保障若ハ財政上極メテ信用シ難キ
土耳古(トルコ)政府ノ聲明ノミニテハ滿足セス
只管國際聯盟ノ保障ヲ得ムコトヲ主張シタルヲ以テ
帝國政府ハ國際聯盟
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ヲシテ p10/12
土耳古(トルコ)ノ支拂ヲ保障セシムル樣取計方
石井大使ニ訓令スルト共ニ
土耳古(トルコ)政府ヲシテ右前拂ヲ實行セシムル樣
同政府ニ説示方
内田公使ニ訓令スル等
本事件ノ迅速解決ニ極力盡瘁スル所アリタルカ
十月六日ニ至リ
伊(イタリア)國政府ハ在伊(イタリア)帝國大使ニ對シ
十月十日以後何時ニテモ「サルジニア」ノ「アシナラ」ニ
平明丸回航方差支ナキ旨ヲ告ケタリ
六、事件落着
茲ニ於テ平明丸ハ十月十二日「ピレウス」港ヲ發シ
「アシナラ」ニ至リ俘虜陸揚ヲ了シ
次テ十九日「チユニス」ニ向ケ出發シ
茲ニ事件發生以來七箇月ニ亘レル
本件ハ無事解決ヲ告ケタリ
七、船主ニ對スル損害賠償
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勝田汽船會社ハ本事件ノ爲
二十五萬千六百八十八圓十錢 [251,688.10] ※下記に詳細画像あり
ニ上ル損害ヲ被リタル旨ヲ述ベ
ニ上ル損害ヲ被リタル旨ヲ述ベ
政府ノ賠償ヲ請願シタルニ依リ
閣議ニ於テ同會所(會社)ノ立場ヲ諒トシ
右金額ヲ交付スルコトトナレリ
〔画像〕B13081281100-11
※裏表紙
〔画像〕B13081281100-12
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レファレンスコード B13081281100
件名 7、平明丸事件顛末
外務省外交史料館 議会調書 欧米局第四十五議会用 最近外交経過
[規模]12
組織歴 外務省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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欧州戦争関係在西比利亜敵国俘虜関係雑件 第五巻
大正十年十二月二十七日 勝田汽船太田氏持参 p69/103
平明丸希臘(ギリシャ)抑留ニ因ル損害計算書
但シ大正十年(1921)四月五日本船於
ミチレニ島拿捕ノ日ヨリ
大正十年(1921)十月十七日
俘虜揚陸地アシナラ島到着日ニ至ル
壹百九拾五日ヨリ
拿捕地ヨリ君府ニ至ル航程壹日ヲ差引ケル
壹百九拾四日分
一 金貳拾五萬壹千六百八拾八圓拾錢也 [251,688.10]
内 譯
-略-
右之通リ御請求申上候間何卒御詮議ノ上
御支拂被下度候也
大正拾年(1921)拾貳月廿四日
神戸市仲町貳拾七番
太洋汽船株式會社
專務取締役
社 長 勝田銀次郎
陸軍省經理局長 田中政明殿
平明丸希臘(ギリシャ)抑留ニ因ル損害計算書 p94/103
但シ大正十年(1921)四月五日本船於
ミチレニ島拿捕ノ日ヨリ
大正十年(1921)十月十七日
俘虜揚陸地アシナラ島到着日ニ至ル
壹百九拾五日ヨリ
拿捕地ヨリ君府ニ至ル航程壹日ヲ差引ケル
壹百九拾四日分
一 金貳拾五萬壹千六百八拾八圓拾錢也 [251,688.10]
内 譯
-略-
-略-
右之通リ御請求申上候間何卒御詮議ノ上
御支拂被下度候也
大正拾年(1921)拾貳月貳拾四日
神戸市仲町貳拾七番
太洋汽船株式會社
專務取締役
社 長 勝田銀次郎
陸軍省經理局長 田中政明殿
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レファレンスコード B07090956000
件名 分割2
外務省外交史料館 戦前期外務省記録 5門 軍事 2類 戦争
8項 俘虜、非戦闘員、傷病者、救護
欧州戦争関係在西比利亜敵国俘虜関係雑件 第五巻
[規模]103
作成年月日 大正10年9月9日~大正12年11月8日
作成者 内田大臣//逓信次官//落合大使
組織歴 外務省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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