松村謙三

《小野 安》告別式:昭和41年(1966)4月1日死亡(83歳)

《小野 安》告別式:昭和41年(1966)4月1日死亡(83歳)

  死亡診斷書
一 氏     名  小野 安
二 男 女 ノ 別  女
三 出生ノ 年月日  明治16年(1883)9月12日生
四 職     業  死亡者ノ職業 なし
五 病     死  病死
六 病     名  老衰
七 発病ノ 年月日  不詳
八 死亡ノ年月日時  昭和41年4月1日午前10時52分
九 死亡ノ 場 所  京都市伏見区深草正覚町九番地
 右の通り証明致します
  昭和41年4月1日
      京都市伏見区深草正覚町二十七番地
    医療法人 大 羽 病 院
      医師 千葉ミエ子 印
【小野安・死亡診断書】-30
〔画像〕【小野安・死亡診断書】-30

告別式 二日 自二時 至三時 小野家
   ※昭和41年(1966)4月2日
【小野安・告別式】01
〔画像〕【小野安・告別式】01

【小野安・告別式】02
〔画像〕【小野安・告別式】02

【小野安・告別式】03
〔画像〕【小野安・告別式】03

金岡重 小野雄二 小野文子 小野又一 僧侶(下記)
【小野安・告別式】04
〔画像〕【小野安・告別式】04

小野又一 小野文子
【小野安・告別式】05
〔画像〕【小野安・告別式】05

小野雄二 小野一雄
【小野安・告別式】06
〔画像〕【小野安・告別式】06

受付 坂本善春 坂本佳記 金岡 勝
(深川・山田・本間・池本・?・?・?)
【小野安・告別式】07
〔画像〕【小野安・告別式】07

小野雄二 坂本佳記 坂本善春 小野一雄
松村一造 坂本恭啓夫人 僧侶(下記)
【小野安・告別式】08
〔画像〕【小野安・告別式】08

小野雄二 坂本善春 小川清澄 小川清久 松村一造
【小野安・告別式】09
〔画像〕【小野安・告別式】09

【小野安・告別式】10
〔画像〕【小野安・告別式】10

坂本恭啓 坂本美代子 金岡 重 坂本恭啓夫人
大国以都雄 (深川) 坂本善春
【小野安・告別式】11
〔画像〕【小野安・告別式】11

(山田・?・本間・池本・芦田・?)
小野一雄
【小野安・告別式】12
〔画像〕【小野安・告別式】12

(深川・?・芦田・?・?・?・?・?・
 本間・?・池本・?・男・貴舩・?・?)
【小野安・告別式】13
〔画像〕【小野安・告別式】13

小川 梅 小川文子 小川清澄
【小野安・告別式】14
〔画像〕【小野安・告別式】14

【小野安・告別式】15
〔画像〕【小野安・告別式】15

親鸞聖人御旧跡
玉日姫君御廟所
九條殿花園御遺地能荘厳院殿
 西 岸 寺
  京都市伏見区深草直違橋二丁目
  電話64-5501番
【名刺】西岸寺(伏見区深草)
〔画像〕【名刺】西岸寺(伏見区深草)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月04日
写真[小野梓・墨・安]
[林譲治・坂本恭啓・坂本佳記]
[中西清二 前宿毛市長]

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年04月03日
大隈重信侯の思い出:小野梓先生の娘さん(小野安子)
【三代回顧録】松村謙三 著

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年02月10日
小野安子(祖母):西太后の主治医にという話

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2020年04月27日
小野安(祖母)【女性の生き方】
「女は男に頼ってはいけません。自立できるように」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

大隈重信侯の思い出:小野梓先生の娘さん(小野安子)【三代回顧録】松村謙三 著

大隈重信侯の思い出:小野梓先生の娘さん(小野安子)【三代回顧録】松村謙三 著

【三代回顧録】松村謙三 著
p1【三代回顧録】松村謙三 著
〔画像〕p1【三代回顧録】松村謙三 著

p2【三代回顧録】松村謙三 著
〔画像〕p2【三代回顧録】松村謙三 著

   第三章 大隈侯の思い出
 一 大隈侯付きの記者に—婦人には温雅な態度—
 私が報知新聞の大阪支社に在任中に大隈老侯が来阪されたのは、
たしか明治四十一年か四十二年と思うが、
その旅行に随従するように—と本社に呼びよせられ、
東京からずっと随従してまわった。
 ―略―
p69【三代回顧録】松村謙三 著
〔画像〕p69【三代回顧録】松村謙三 著

 ―略―
 それから小野梓先生の娘さん—— ※小野安子
この人は、神戸の医学校を出て同地で開業していたが、
    ※神戸⇒大阪(大阪慈恵医院医学校)
    ※開業:神戸市三宮町一
その人が大阪の旅館に老侯を訪ねてきた。
すると非常に喜ばれた。
「あなたの顔をみると、
 おとうさまに会うような気持ちがする」といわれ、
親身になって自分の子をさとすように
「東京に出てこないか。
 すべて私がお世話するから……」と、
ねんごろにすすめられた。
 すると小野先生の血を受けただけに、
お嬢さんは、
「自分の力ひとつでここまできたのですから、
 あくまで独力でここでやっていきます」と、
厚意を謝して辞退した。
「さようなことをいわずに……」と、
老侯はすすめられたが、
ついに気持ちをひるがえさなかった。

前年、小野先生没後、七十年の記念会が催されたときに
その遺族をさがしたいというので、
私が当時のことを渡辺幾治郎氏に話すと、
それが縁となって娘さんの住所が判明したが、
京都に独身でおられる。
往年の佳人もいまは八十歳を越えている。

 人生の縁故は不可思議なもので、
私の叔母は京都に住んでいたが、
重病で大阪の緒方病院に入っていると、
その主治医が小野さんであったというし、
それから私の叔母の谷村家とは ※谷村ちか(松村謙三 叔母)
まことに懇意な交際をしていられたようである。

小野先生の記念会にも出席されて、
あいさつをされたが立派なものであった。
それから衆議院の長老であった故林譲治氏とも
親戚の関係にあったようだ。
当時の追憶の数々の話もうけたまわり、
帰洛されてから手紙をよこされたが、
その字体も文章もしっかりしたもので、
まるで男子のようであった。

この小野さんが、大隈老侯の前に出たとき、
老侯の感慨がどれほどであったか。
そのあふれるばかりの温情を、
私はいまも忘れることができないのである。
そしてその情景もはや半世紀の昔のこととなった。
 ―略―
p70-71【三代回顧録】松村謙三 著
〔画像〕p70-71【三代回顧録】松村謙三 著

p72-73【三代回顧録】松村謙三 著
〔画像〕p72-73【三代回顧録】松村謙三 著
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
タイトル  三代回顧録
著 者   松村謙三 著
出版者   東洋経済新報社
出版年月日 1964
公開範囲 国立国会図書館/図書館送信参加館内公開
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年08月18日 05:55 ◆小野安子 《助産之栞》
M4012《助産之栞》(139號)明治40年(1907)12月
◎同仁會會長大隈伯の演説
同氏女醫及助産婦養成に就て
大阪支部演説の大要を前號に掲載せしも
今東京總會の演説を得たれば茲に掲ぐ
尚演説中の早稻田大學創立者
故小野梓氏令嬢安子氏は
永年緒方博士の許にて醫學を研究し女醫となり
續て産婦人科研究の上
福岡醫科大學に於て小兒科を研學し
目下神戸にありて獨逸學を專心研究中なりと聽く
尚々同氏當院に在て研究中は
本誌編輯に少なからず貢献せらるゝ所ありき
 ―略―
併しながら近年は東京邊にても女子にして醫學を修むる人が
追々に增して來たのである
大阪にも少しはあるだろうと思ひますが
私は只今熱心に醫學を研究されて居る
婦人にお目に懸つて來た
これは早稻田大學の創立者の一人たる
小野梓といふ名高い人のお嬢さん
殊に今より二十五年前
早稻田大學創立のときに生れたお嬢さん、
今二十五歳になる其のお嬢さんが
福岡大學に於て醫學を研究した
全体醫科大學に於てさふ云ふ婦人を入れることは
規則が許さぬと云ふやうなことで、
餘程面倒であつたが
さう云ふ熱心なる人の事であるからと云ふので
特殊の法を設け
漸く許されたと云ふのである
故に婦人の醫學を修むのは
目下の急務であると信ずるのであります
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2017年10月08日 06:27 ◆小野安子 [巨人の面影]
《大隈侯の思い出:小野安》
[巨人の面影]丹尾磯之助/大隈重信生誕百二十五年記念
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年05月07日 08:22 
◆小野梓 小野梓先生七十周年記念祭:昭和30年11月
[東洋 小野梓先生七十年記念祭]昭和三十年十一月:早稲田大學
『小野梓先生七十年記念祭式典』
日時 十一月十八日(金)午前九時三十分
場所 本大學共通教室講堂
式典次第
一 總長式辭
二 遺族挨拶
三 記念講演
  衆議院議員 林 譲治
  文部大臣  松村謙三
四 映畫 「早稲田大學」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年05月06日 12:43 
◆小野梓 小野梓先生七十周年記念祭:昭和30年11月
《小野梓先生七十周年:記念祭 記》[早稲田學報]昭和30年12月号
ついで衆議院議員林譲治氏と文部大臣松村謙三氏の記念講演に移り、
林氏は
「梓先生とは郷里が同じであるばかりではなく、多少緣がある。
先生の幼少の頃、若き日の俤」
を話してみたいと冒頭に述べ、さまざまなエピソードを話した。

松村氏は氏が大隈老候づきの記者であったころの思い出を淡々と語り、
話は老候と梓先生の關係また老候と梓先生の遺族の關係などに及んだ。
〔写真〕小野梓胸像前 前列右から四人目 林譲治衆議院議員
〔写真〕大隈重信銅像前 中央 松村謙三文部大臣
〔写真〕小野安子(小野梓 次女)
〔写真〕松村謙三文部大臣
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

記事検索
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
アーカイブ
  • ライブドアブログ