小野梓家系譜
[資料紹介 小野梓 留学関係資料]『早稲田学報』荒船俊太郎
『早稲田学報』2010 February
[資料紹介 小野梓 留学関係資料]p50
はじめに p50
謎につつまれた留学 p50
荒船俊太郎 あらふね しゅんたろう p51
2002年早稲田大学文学研究科修士課程修了、
08年同博士後期課程満期退学。
第二文学部非常勤講師兼大学史資料センター非常勤嘱託。
05年より『大隈重信関係文書』編纂に従事。
専門は日本近代政治史。
共編著に『近代日本の政党と社会』
(日本経済評論社、2009年)がある。
ところが昨年、 p51
小野の曾孫にあたる小野一雄氏(京都府在住)より、
黒羽芭蕉の館(写真①)に所蔵されている「大関家文書」に
小野の渡航記録が含まれている、との情報が寄せられた。
このほど筆者が現地調査を行った結果、
「御願届留録」と題された資料
(請求番号イ三六三、写真②③)に小野の名前が見え、
初めて小野の渡航が一八七二(明治五)年二月一八日と
確認されたのである。
大関家文書と「主君」大関増勤 p51
荒船俊太郎 50 資料紹介 小野梓留学関係資料
早稲田学報 2010年2月号
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[小野梓:明治5年2月18日
飛脚船「アメリカ」横浜港出帆]01~05
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2099902.html
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[小野梓の米英留学]〔履歴事項の検証と確定〕
大日方純夫:早稲田大学史記要
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2419171.html
『小野梓―未完のプロジェクト』大日方純夫
[(株)冨山房インターナショナル]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2343781.html
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[小野梓:明治5年2月18日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆]01~05
小野梓:明治5年2月18日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆-01
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2096276.html
小野梓:明治5年2月18日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆-02
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2096366.html
小野梓:明治5年2月18日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆-03
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2098716.html
小野梓:明治5年2月18日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆-04
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2098944.html
小野梓:明治5年2月18日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆-05
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2099162.html
※明治5年2月18日(1872年3月26日)
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年11月21日(土)
[小野梓の米英留学]
〔履歴事項の検証と確定〕
大日方純夫:早稲田大学史記要
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2419171.html
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[小野梓:明治5年2月18日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆]01-05
⇒変更:01~06⇒01~05 平成29年4月27日
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小野梓:明治5年2月18日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆-05
2012年02月01日(水)
PDF-W06【海外旅券・英字新聞】[乗客名簿①]小野一雄作成
PDF-W09【THE JAPAN WEEKLY MAIL 日本名】小野一雄作成
W09【THE JAPAN WEEKLY
MAIL 日本名】小野一雄作成
〔変更〕小野梓:明治5年2月18日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆-05⇒06⇒05
〔追加〕PDF:平成29年4月27日
小野梓:明治5年2月18日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆-04
2012年02月01日(水)
〔THE JAPAN WEEKLY MAIL〕Apr.6.1872 p195
[日本初期新聞全集] 35 明治五年二月 北根豊 監修
ペリカン社 平成4年4月30日発行
PDF-W05【JAPAN WEEKLY MAIL】全7ページ
p2/7
〔変更〕小野梓:明治5年2月18日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆-04-1⇒05⇒04
〔追加〕PDF:平成29年4月27日
小野梓:明治5年2月18日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆-03
2012年02月01日(水)
〔在欧吉田少輔往復書類〕 p265-268
[明治前期 財政経済史料集成]第十巻 大内兵衛 土屋喬雄 編
昭和54年4月20日発行 原書房(復刻版)
昭和10年8月19日発行 改造社
PDF-W01 【在欧吉田少輔往復書類】p12
小野梓:明治5年2月18日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆-02
2012年02月01日(水)
〔在欧吉田少輔往復書類〕 p265-268
[明治前期 財政経済史料集成]第十巻 大内兵衛 土屋喬雄 編
昭和54年4月20日発行 原書房(復刻版)
昭和10年8月19日発行 改造社
PDF-W09【THE JAPAN WEEKLY MAIL 日本名】小野一雄作成
皇国人乗込人名(五十名) 〔THE JAPAN WEEKLY MAIL〕Apr.6.1872
吉田大蔵少輔 Yoshida
大鳥大蔵少丞 Otori
本田租税中属 Honda
南大蔵大録 Minami
千村 五郎 同行 Simoora
唐橋 在正 華族 Karabashi
大関 増勤 元黒羽県知事 Ozich
渋川 勝廸 Shebukawa
工藤 雋 Kudo Seichiro
税所 長八 Saisho Chohachi
市来 宗助 Ichike Sosuke
西郷 菊次郎 Saiyo Kikuyso
得能 新次郎 Tokuno Siuzuro
柴山 弥八 Sibayama Yahuchi
大山 助市 開拓使生徒 Ooyama Seichi
大和 七之丞 Yamato Scchinozu
村田 十藏 Murata Yuzo
鮫島 武之助 鹿児島県 Sameshima Takanosuke
志路 新之丞 Sedo Sinnoozu
榎本 彦太郎 静岡県佛国行 Yenomo Keicotaro
山口 彦二郎 佛行 Yamakuchi Keicozso
宮地 賢一郎 高知県 魯国行 Myachi Kanichiro
江村 次郎 山口県 魯国行 Hemura Ziro
桐原 仁平 山口県 魯国行 Kiebura Nihe
松平 忠和 元島原県知事 Matzudira
井上 三四郎 元島原県知事家扶 Enoeya
瀬谷 小次郎 元黒羽県知事随従 Sedzuma
小野 梓 Ono
由良 勧農助 和歌山 14 Japanese Students
山澤 静吾 鹿児島県 14 Japanese Students
山本 弥三 14 Japanese Students
井上 幾太郎 山口県 14 Japanese Students
吉田 慶蔵 14 Japanese Students
田代 静之助 14 Japanese Students
入江 音二郎 14 Japanese Students
梶山 鼎助 14 Japanese Students
柳井 譲蔵 14 Japanese Students
白根 鼎蔵 14 Japanese Students
三井 辨藏 B Mitzea
三井 貞次郎 Takidgero Mitzea
三井 武之助 T Mitezea
三井 長四郎 C Mitzea
※三井養之助 記載なし J Mitzea
※野崎 周吉郎 三井養之助家人 S Noyori ※野崎→野依の誤記
吉岡 吉太郎 三井養之助家人 K Yosheoka
小谷 静二 14 Japanese Students
赤羽 四郎 青森 14 Japanese Students
池田 猪之助 14 Japanese Students
高木 貞作 14 Japanese Students
百武 安之助 大阪 Momotoke
外務省記録[本官勘合帳 外國官一号]旅1フラッシュ2 (001~121)
※ 三井養之助 壬申71号 p116 米 東京三井組為替座商人
※ 野依周吉郎 壬申72号 p116 米 東京三井組為替座商人 手代
外務省記録[航海人明細鑑3] 旅1 フラッシュ1(001~045)
※ 三井養之助 p16 銀行目撃
※ 野依周吉郎 p16 銀行目撃
[外務省外交史料館]
〒106-0041 東京都 港区 麻布台1-5-3
電話:03-3585-4511
ファックス:03-3585-4514
〔追加〕PDF:平成29年4月27日
小野梓:明治5年2月18日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆-01
2012年02月01日(水)
〔在欧吉田少輔往復書類〕 p265-268
[明治前期 財政経済史料集成]第十巻 大内兵衛 土屋喬雄 編
昭和54年4月20日発行 原書房(復刻版)
昭和10年8月19日発行 改造社
PDF-W01 【在欧吉田少輔往復書類】p12
『船中日記』
皇歴 明治五壬申二月十八日 西洋歴 1872年3月26日 p7/12
発 横浜港 午 第十二時也
見送諸友来リ別ヲ告ク、東風ニ向テ解纜ス。快晴。
皇歴 明治五壬申二月十九日 西洋歴 1872年3月27日
快晴、風昨ニ比スレハ稍烈シ、船客大ニ海病ニ臥ス。
皇歴 明治五壬申二月二十日 西洋歴 1872年3月28日
朝雨風頗ル烈シ、十字比ヨリ晴、然レド波猶高シ。
皇歴 明治五壬申二月二十一日 西洋歴 1872年3月29日
晴、波濤稍穏ナリ。
皇歴 明治五壬申二月二十二日 西洋歴 1872年3月30日
雨、波濤頗激烈、船大動揺スル又甚シ。
皇歴 明治五壬申二月二十三日 西洋歴 1872年3月31日
晴、波濤彌激烈、食堂ノ器椅子顛倒スルニ至ル。
皇歴 明治五壬申二月二十四日 西洋歴 1872年4月第1日 p8/12
風未収、時々驟雨来ル、日曜日ニテ船中会堂ニテ説法ノ様ナルヿアリ、
西洋人出席シテ講ス、後日曜日皆斯ノ如シ。
皇歴 明治五壬申二月二十五日 西洋歴 1872年4月2日
晴、船猶動揺、比比順風ナレド強風ナレハ波船舷ヲ噛テ船擔ニ入リ、
折々船客ヲ驚カシム。
皇歴 明治五壬申二月二十六日 西洋歴 1872年4月3日
晴、風稍静ニシテ動揺随テ休ム。
皇歴 明治五壬申二月二十七日 西洋歴 1872年4月4日
晴、如昨。
皇歴 明治五壬申二月後二十七日 西洋歴 1872年4月後4日
晴、今日西経百八十度ヲ過キ、因テ一日ノ閏ヲ得タリ。
皇歴 明治五壬申二月二十八日 西洋歴 1872年4月5日
晴
皇歴 明治五壬申二月二十九日 西洋歴 1872年4月6日
晴
皇歴 明治五壬申二月晦日 西洋歴 1872年4月7日
晴、風波大ニ静シテ海面春色ヲ浮ヘリ。
皇歴 明治五壬申三月朔日 西洋歴 1872年4月8日
晴、如昨春気洋々。
皇歴 明治五壬申三月二日 西洋歴 1872年4月9日
美晴、東風波ヲ吹テ春気勃前、
夜九時英米ノ男女相交リ一劇場ヲ催ス、大ニ奇興アリ。
船客積日航海ノ苦情ヲ慰タリ。
皇歴 明治五壬申三月三日 西洋歴 1872年4月10日
快晴、東風陣々波濤静寧、春色頗ル海面ニアラハル。
相談墨水ニ花應盛、各有思郷ノ情今日本朝ノ上已ナリ。
皇歴 明治五壬申三月四日 西洋歴 1872年4月11日
朗晴、東風少シク強キヲ以テ帆ケス、折々驟雨来ル、
横濱出帆後波モ高シ、
幼年ノ生徒多クハ海病ス、此頃ニ至リ船旅ニ馴レ、大ニ元気ニ復セリ。
皇歴 明治五壬申三月五日 西洋歴 1872年4月12日
快晴船東北ニ向テ走ル、帆半ヲ揚ケタル航海中ノ朗霽ト云ヘシ。
其寧静眞太平海ナリ。
夕五時器械少シ損スルノ由ニテ車ヲ止メ暫時ニテ前ノ如ク進行セリ。
皇歴 明治五壬申三月六日 西洋歴 1872年4月13日
快晴、東風来リ帆半ヲ揚タリ。
昨夜劇場ヲ催シ、業中ニ発砲セリ、大ニ欝情ヲ散セリ。
皇歴 明治五壬申三月七日 西洋歴 1872年4月14日
日曜日ニ付船中清潔、順風帆ヲ満シ天気晴明船行尤モ速ナリ。
蒸気ノ器械ヲ見ル其機関ノ広大ト精巧ナルヿヲ驚嘆セリ。
皇歴 明治五壬申三月八日 西洋歴 1872年4月15日
快晴、西北風烈シ、船頗ル動揺ス。
皇歴 明治五壬申三月九日 西洋歴 1872年4月16日
美晴、無事。
皇歴 明治五壬申三月十日 西洋歴 1872年4月17日
晴、無事着岸ノ用意ヲナス、大ニ繁騰ス、
夜七時頃ヨリ桑港ノ前嶋上ノ一燈臺ヲ見ル、ソノ明星ノ如シ。
船客大ニ着岸ヲ喜ヒ、明朝ヲ待ツ。
皇歴 明治五壬申三月十一日 西洋歴 1872年4月18日
サンフランシスコ到着
晴、風波平穏、朝六字早起ス「カルホルニア」ノ山色模糊、
暁炯中ニ浮ヒ、
朝霽シテ景色明晰タリ。
桑港ヲ右方ニ望ミ湊口ニ入ル。
四方ノ景色自ラ異郷。
八時投錨暫時ニテ上陸、
馬車ニテ「グランドホテル」ニ入リ、各室ニ入ル。
互ニ着岸ヲ賀ス。
皇歴 明治五壬申三月十二日 西洋歴 1872年4月19日
明日開拓使生徒東発ニ付、一統朝九字写真楼ニ入リ、
「ウェルヤムス」氏ト共ニ写真ス。
飛脚船ノ名「アメリカ」、長サ三百八十「フート」幅五十「フート」、
「トン」数四千五百五十四トン、蒸気器械二千馬力、
横浜ヲ発テヨリ、「サンフランシスコ」港着崕迄、器械ノ運転ヲ休ムヿナシ、
航海日数二十五日。
〔追加〕PDF:平成29年4月27日
〔履歴事項の検証と確定〕
大日方純夫:早稲田大学史記要
[小野梓の米英留学]
〔履歴事項の検証と確定〕
大日方純夫
ところが、二〇一〇年二月、 p5/17
荒船俊太郎氏(大学史資料センター非常勤嘱託)が、
『早稲田学報』に
『資料紹介 小野梓留学関係資料』を発表するに及んで、
この“定説”はくつがえされた。
これは、二〇〇八年当時、
大学史資料センター助手の職にあった荒船氏が、
小野梓の曽孫小野一雄氏からの情報と
資料提供にもとづいて調査した結果をまとめたものである
(小野氏は丹念な探索によって収集した資料を
ご自身のブログで公開している)。
※追記:平成28年(2016)7月19日 6時40分
Title:小野梓の米英留学 -履歴事項の検証と確定-
Authors:大日方, 純夫
Alternative:Obinata, Sumio
Publisher:早稲田大学大学史資料センター
Issue Date:27-2月-2015
jtitle:早稲田大学史記要
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[小野梓:明治5年2月18日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆]01-05
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2099902.html
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【新聞集成明治編年史】
【新聞集成明治編年史. 第一卷】昭和9年12月2日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920323/292
[日米航路開始:當時の「飛脚船」] p163/295
明治二年四月(皇紀二五二九 西暦一八六九)
〔四・一〇、もしほ草〕
サンフランシスコ幷ニ
横濱支那の飛脚船、
さきだつてより相はじまり、
諸國の商人旅人のために、
大便利なること
いはんかたなし。
船の着する時は、
カリホルニア往返の旅人、
乗組きたる事おびただし、
且飛脚船諸方の港より、
當港さして來りあつまるゆゑに、
その三四日のあひだは、
横濱のにぎはひ
おほかたならず。
此飛脚船の仲間も、
おほきに利を得たるにより、
以來は船の横濱へきたる事、
ひと月二度づゝともなるべし。
當港よりサンフランシスコ迄、
海上廿日路なり、
支那までは六日路なり。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920323/163
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
[小野梓:明治5年2月18日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆]01-05
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2099902.html
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