【第五回内国勧業博覧会】明治36年

第五回内國勸業博覽會 観覧累計5,305,209人 明治36年3月1日~7月31日【官報. 1903年08月04日】

第五回内國勸業博覽會 観覧累計5,305,209人 
明治36年3月1日~7月31日【官報. 1903年08月04日】

【官報. 1903年08月04日】明治36年8月4日
  〇第五回内國勸業博覽會錄事  p3/14
〇觀覽人員
 去月三十、三十一日兩日ニ於ケル
 第五回内國勸業博覽會、同附屬水族館
 觀覽人員左ノ如シ
 (第五回内國勸業博覽會事務局)
           本   會    水族館     總人員
三十日  内國人  五四、〇二三  五、八四二  五九、八六五
     外國人     二四五     一二     二五七
三十一日 内國人  六一、八九七 一四、九三六  七六、八三三
     外國人     一六四     一六     一八〇
(備考)本年三月一日ヨリ去月三十一日ニ至ル
    累計五百三十万五千二百九人ナリ
   ※累計5,305,209人
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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臺灣館【第五回内国勧業博覧会事務報告. 上巻】明治37年8月

臺灣館【第五回内国勧業博覧会事務報告. 上巻】明治37年8月

【第五回内国勧業博覧会事務報告. 上巻】明治37年8月
 會場平面 縮尺千六百分ノ一  p9-12/509
  臺 灣 館         p11/509
 p11【第五回内国勧業博覧会事務報告. 上巻】
〔画像〕p11【第五回内国勧業博覧会事務報告. 上巻】

  其十四 臺灣館  p113-118/509
臺灣ハ我カ國ノ新版圖ニシテ其歷史風俗習慣物産等
大ニ本州ト其趣ヲ異ニシ從ヒテ博覽會出品モ
内地各府縣ノ例ニ準スヘカラス
其部類別及審査上ニ於テモ特別ノ取扱ヲ要スルモノアリ
又單ニ尋常ノ出品ノミニ局セスシテ
其風俗習慣ニ關スル標本模型乃至動植物等ニ至ルマテ
成ルヘク之ヲ具シテ特ニ一場ニ陳列シ
且賣店飲食店等ノ如キモ同所ニ之ヲ併置シテ以テ
一瞥ノ下ニ新領土ノ狀態ヲ
知悉セシムルノ方法ヲ取ルヲ可トスルカ故ニ
臺灣總督府ハ當初ヨリ一大規模ノ特別館ヲ建設シ
以テ此ノ目的ヲ達セントノ考案ナリシモ
頗ル其經費ニ苦ムヲ以テ
數回交渉ノ結果本局ハ約三千圓ヲ支出シテ
臺灣館ノ正門及其左右翼ニ篤慶堂ニ擬シタル
左方ノ建物計九十三坪五合ヲ建築シ以テ
總督府ノ出品場ニ提供シ
其他ハ同府ノ經費ヲ以テ支辨スルコトヽシ
之カ工事請負ノ契約ハ其全部ヲ總督府ニ委任シテ締結セシメ
建築上所屬區分ニ於テ全然區劃ヲ立ツルコトヽナセリ
一 門及陳列所        木造 三百八十七坪餘
   内本局ノ建設ニ係ルモノ    九十三坪五合
一 舞樂堂          同  九坪餘
一 賣 店          同  六十三坪餘
一 喫茶店及飲食店      同  九十七坪餘
一 事務所          同  四坪
         計   五百五十三坪餘
臺灣館(第四十五、第四十六、第四十七、第四十八圖)ハ
千四百三坪餘ノ地ヲ美術館ノ東北ニ占メ
庭園及賣店飲食店亦此ニ在リテ
全然特別ノ一區劃ヲ爲セリ
之ヲ臨ムニ只見ル一廓支那風ノ宮殿
彩壁彫甍輪奐陸離粲トシテ
人目ヲ奪ヒ會場中最モ異彩奇觀ヲ呈セリ
前面中央ニ重層ノ樓門アリ
左右ニ翼廓アリ翼廓ニ接シテ又左右ニ各一堂アリ
其南ナルヲ篤慶堂トス
樓間ハ臺灣城樓ノ形式ニ則リ
篤慶堂ハ臺灣ノ古建築ヲ移シ來レルモノナリ
堂元臺南城内ニ在リ淸朝嘉慶二十年
我カ文化十二年劉某ノ建立ニ係リ
其樣式裝飾ノ結構殆ト臺灣建築ノ上乘ニシテ
加フルニ明治二十七八年ノ役
領有ノ當時我カ南進軍ノ幕營ニ充テラレタル
戰勝ノ一紀念物タリ
爾來官有物トシテ保存セラレシカ
今回ノ設備ニ際シテ之ヲ臺灣協會大阪支部ニ賣下ケ
次ニ此處ニ移築セシメタルモノナリト云フ
翼廓ノ北ナル一堂ハ篤慶堂ニ擬シテ新築セルモノトス
中庭ニ亦彫飾最モ絢爛ヲ極メタル奇構ノ一建築アリ
之ヲ舞樂堂トス
コレハ元今ノ總督府タル
臺北城舊行臺ノ内ニ在リシ戯臺ニシテ
淸國光緒十八年我カ明治二十五年ノ建造ニ成リ
篤慶堂ト相竝ヒテ臺灣新古建築ノ
變絶ト稱スヘキモノナリト傳フ
是等ノ建築ト相擁シテ後方ニ賣店及飲食店ヲ設ク
其建築亦皆臺灣式ニ成ル
篤慶堂ノ後方阿部野門ヨリ入レル通路ニ
   ―略―
  第四十五圖  臺灣館
  第四十六圖  臺灣館庭内
  第四十七圖  臺灣館正面
   縮尺三百分ノ一
  第四十八圖  臺灣館平面
   縮尺四百分ノ一
對シテ横ニ一門アリ
コレハ元臺北北城内舊巡撫衙門ノ正門外
左右ニ建立セシ所ノ所謂轅門ノ一ニシテ
舞樂堂ト共ニ臺灣協會大阪支部ノ購得移築ニ係ルコト
篤慶堂ニ同シト云フ場ノ東北隅ニ築キタル
假山及中庭亦皆臺灣風ナリ
※台湾館はここまで
  其十五 式場
   ―略―
  其十六 奏樂堂
   ―略―
  第四十九圖  式 場
  第五十圖   式 場
  第五十一圖  奏樂堂
  第五十二圖  奏樂堂
   縮尺百分ノ一
  第五十三圖  事務所及小使室湯沸所等
  第五十四圖  荷解所
  第五十五圖  分析室
  第五十六圖  諸員詰所
  第五十七圖  見張所平面
  臺 灣  p493/509
     臺灣協會大阪支部長  住友吉左衛門
七千圓ノ費用ヲ投シテ篤慶堂舞樂堂及轅門ヲ移築シ
篤慶堂ハ以テ臺灣總督府出品ノ陳列ニ供シ
舞樂堂及轅門ト共ニ大ニ會場ノ壯觀ヲ添ヘ
本會ノ施設上裨益スル所アリ
又臺灣會館ヲ天下茶屋ニ設ケ
案内記ヲ印行頒布シテ
來觀臺灣人ノ接待ニ力メ
其効尠カラス仍テ玆ニ感謝ノ意ヲ表ス

【第五回内国勧業博覧会事務報告. 下巻】明治37年8月
明治三十七年八月十五日印刷
明治三十七年八月十八日發行
農商務省
印刷者 松本  魁
    東京市京橋區築地三丁目十五番地
印刷所 合資會社 東京國文社
    東京市京橋區宗十郎町十五番地

【第五回内国勧業博覧会重要物産案内】明治36年4月
  第十一舘 臺灣舘  p404-408/418

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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臺灣舘・臺灣舘内部【第五回内国勧業博覧会】著作:高木秀太郎 明治36年8月

臺灣舘・臺灣舘内部【第五回内国勧業博覧会】
著作:高木秀太郎 明治36年8月

【第五回内国勧業博覧会】明治36年8月

The Formosan Buildiug. 臺灣舘 p53/68
p53【第五回内国勧業博覧会】高木秀太郎m36
〔画像〕p53【第五回内国勧業博覧会】高木秀太郎m36

The Inner Part of the Formosan Building. 臺灣舘内部 p54/68
p54【第五回内国勧業博覧会】高木秀太郎m36
〔画像〕p54【第五回内国勧業博覧会】高木秀太郎m36

明治三十六年八月 二十日印刷
明治三十六年八月二十二日發行
著作兼   高木秀太郎
發行者   神戸市再度筋字楠三十四番屋敷
發行所   關西寫眞製版印刷合資會社出版部
      大阪市東區心齋橋筋北久寳寺町北ヘ入ル
印刷者   内藤雄太郎
      神戸市再度筋字楠三十四番屋敷
印刷所   關西寫眞製版印刷合資會社神戸支店
      神戸市再度筋字楠三十四番屋敷
賣捌所   關西寫眞製版印刷合資會社東京支店
      東京市日本橋區檜物町
一手賣捌所 山田芸艸堂
      京都市上京區寺町通二條南ヘ入二十五番戸
賣捌所   丸善株式會社書店
      東京市日本橋區通三丁目
賣捌所   丸善株式會社
      大阪市心齋橋通博勞町
賣捌所   荒木商店
      大阪市心齋橋通南久寳寺町
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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台灣館・台灣館内庭【[第五回]内国勧業博覧会】発行:川地喜三郎 明治36年8月

台灣館・台灣館内庭【[第五回]内国勧業博覧会】
発行:川地喜三郎 明治36年8月

【[第五回]内国勧業博覧会】明治36年8月

The Formosan building. 台灣館  p42/57
(東京製版所印刷)
p42【[第五回]内国勧業博覧会】川地喜三郎m36
〔画像〕p42【[第五回]内国勧業博覧会】川地喜三郎m36

The court-yard of the Formosan building. 台灣館内庭 p43/57
(東京製版所印刷)
p43【[第五回]内国勧業博覧会】川地喜三郎m36
〔画像〕p43【[第五回]内国勧業博覧会】川地喜三郎m36

  第五回内國勸業博覧會
  協賛會藏版
明治三拾六年八月廿五日印刷
明治三拾六年八月卅一日發行
發行者 第五回内國勸業博覧會協賛會代表者
    川地喜三郎
    大阪市北區中ノ島一丁目一番地
    公會堂内
撮影者 大阪寫眞會
    大阪市南區鹽町三丁目十六番屋敷
印刷者 合名會社 淺沼商會大阪支店長
    桑田正三郎
    大阪市南區安堂寺橋道
    三丁目三拾貳番地
印刷所 東京製版所
    東京市日本橋區久松町三十七番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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第五回内國勸業博覽會餘興動物園【集容動物写真帖. 第1集】明治36年5月

第五回内國勸業博覽會餘興動物園
【集容動物写真帖. 第1集】明治36年5月

【集容動物写真帖. 第1集】明治36年5月
   集 容
 動物寫眞帖 第一集
 第五回内國勸業博覽會餘興動物園
   目 錄
一  餘興動物園庭園及鵞鳥
二  食火鷄
三  スマタラ島コウノトリ、鷲
四  蟒 蛇
五  鰐 魚
六  貓 鼬(イタチ 子コ)、蛇舅母(カナヘビ)
七  インド牛
八  象
九  山 猫
十  豹
十一 黑 豹
十二 茶鼠豹
十三 虎
   以 上
明治卅六年四月卅日印刷
明治卅六年五月五日發行 定價金貳拾錢
著作兼 山岡千太郎
發行者 大阪市東區北濱三丁目五十七番屋敷
印刷者 渡邊 益夫
    大阪市東區高麗橋二丁目八十六番屋敷
印刷所 大林帳簿製造者
    大阪市東區高麗橋四丁目十五番屋敷
發行所 第五回内國勸業博覽會
    餘興動物園
    大阪市南區北霞町
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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臺灣館【第五回内国勧業博覧会案内記】明治36年2月

臺灣館【第五回内国勧業博覧会案内記】明治36年2月

【第五回内国勧業博覧会案内記】明治36年2月
臺灣館  p54-55/132
今回の博覽會中、來觀物の目を曳くもの多かるへきも、
臺灣館より其附近一面の光景の如きは、
最も衆目を惹くの場所となるべし、
今臺灣總督府の計畫設備の大要を述べんに、
總督にては、成るべく臺灣の出品を奨勵し、
内地人をして居なから、
臺灣の眞札を合点せしむると同時に、
成るべく多數の臺灣人を勸誘して、
博覽會を見せしめ、
大に彼等の智議啓發に資せんとの考より、
博覽會費として三萬圓を支出し、
外に有志の寄附を求め、
博覽會事務局とも交渉の結果、
出品は凡五六千点を陳列することゝなり、
其の爲め別に臺灣風建物を築造するに至りし次第にして、
單に樓門、家屋等を臺灣風にするのみならず、
喫茶店を設け料理店を拵へ、
來客への應待等より看守人に至るまでも、
凡て臺灣人を用ふることゝし、
此外臺灣の花卉、竹木を空地に栽江、
池には數頭の水牛を放つなど、
四圍の光景をして、
全く臺灣的たらしむると同時に、
出品の陳列棚、陳列箱の如きに至るまで、
特種の模型装飾を用ふるの趣向にして、
其出品物には、同地の天然産物製造品は云ふに及ばず、
昆虫標本、衣服の雛型、衣服刺縫までも陳列することゝし、
又土人の塑像十体を造り、
之に臺灣土人の服装を爲さしめ、
同土人の居家、交際の風俗習慣等までも、
實地に見るの思わらしむるの趣向なり、
明治三十六年二月 八日印刷
明治三十六年二月十六日發行 定價金貳拾五錢
編纂者 井上熊次郎
發行者 根子久三郎
    東京市神田區淡路町二丁目二番地
印刷者 田中富太郎
    東京市芝區櫻田本郷町十四番地
發行所 考文社
    東京市神田區淡路町二丁目二番地
    電話本局八五九番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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臺灣館の出品 第五回内國勸業博覧會【大阪と博覧会】明治35年12月

臺灣館の出品 第五回内國勸業博覧會【大阪と博覧会】明治35年12月

【大阪と博覧会】明治35年12月26日発行
 第五回内國勸業博覽會俯瞰圖    p8/242
 p8【大阪と博覧会】明治35年12月
〔画像〕p8【大阪と博覧会】明治35年12月
  第五回内國勸業博覧會      p128/242
第五回内國勸業博覽會は、
明治三十六年三月一日より同七月卅一日まで
大阪市南區天王寺今宮及
堺市大濱公園に開設せらるゝものにて、
 ―略―
正門を入りて正面に一個の塔門あり、 p138/242
其左右に棟を列ぬるは卽ち陳列館にて、
其面積(卅五年十一月十四日豫定)左の如くなり
塔 門             一五二坪七五
農業館、林業館、水産館   二、九九八坪二五
工業館           六、二九〇坪五〇
機械館           一、〇〇三坪〇〇
敎育館             四八〇坪四〇
美術館             五五八坪〇〇
動物館             六五四坪〇〇
家禽舎             一〇八坪〇〇
牧夫舎              八五坪〇〇
餌焚場              一二坪〇〇
通運館             八九六坪〇〇
温 室             一一九坪六一六
臺灣館             五〇〇坪〇〇
事務局出張所及審査所      六八二坪〇〇
參考館           一、七〇八坪三三
諸員詰所             四五坪〇〇
荷解所             三〇〇坪〇〇
供待及車置場           二四坪〇〇
湯沸所              七〇坪〇〇
  〇臺灣館の出品  p139-140/242
今回の博覧會は、臺灣領有以來初めての事とて、
同地の官民及台灣協會は大に奮發し、
内地人をして台灣の狀況を知らしむるに足るだけの
出品を爲さんとて、
昨今準備中なるが、其趣向は
一 總督府よりの出品
二 民間に於ける臺灣物産共同賣店の計畫
三 臺灣遊園地開設
の三ケ條にして、
共同賣店に對しては官民合して七千圓程の補助を支出し、
頗る立派なるものを設立する由、
又遊園地は美術館の裏手に當り
千二百坪方形の地面を劃し、
正面に臺灣風の樓門を設け、
これを入口とし、
樓門より左右に複道を造り、
右に彼の台灣協會の計畫にて
態々臺南より移したる篤慶堂を立て、
右に行けば臺灣館あり、
篤慶堂に沿ふて右折しれば、
共同賣店に達すべく、
共同賣店の後面に臺灣喫茶店、臺灣料理店あり、
料理店と臺灣館との間に小池を穿ち、
これに水牛數頭を放ち、
又中央の空地には臺灣の竹木花卉を植へ並べ、
更に其中心に舞樂堂を設け、
此處に於て斷へず臺灣音樂を奏せしむる筈にて、
其建物は總督府内に現在する
或建物を持來る都合なりしとの事なり、
其經費は凡貳萬七拾圓を要する由
明治三十五年十二月二十一日印刷
明治三十五年十二月二十六日發行
第五回内國勸業博覧會 協賛會藏版
發行者 入澤京太郎  協賛會代表者
    大阪市西區阿波堀通壹丁目五十八番屋敷
印刷者 阪井 省三  大阪國文社取締役
    大阪市東區本町壹丁目三十番屋敷
印刷所 株式會社 大阪國文社
    大阪市東區本町壹丁目三十番屋敷
    電話特東貳四〇番
製本 販賣所
    松村九兵衛
    大阪心齊橋壹丁目 電話東八四番
    大淵  渉
    大阪心齊橋北詰  電話東壹〇七壹番
    石塚猪男藏
    大阪安土町四丁目 電話東貳〇貳四番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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船井郡京丹波町 受賞人名【第五回内国勧業博覧会受賞人名録】明治36年9月

船井郡京丹波町 受賞人名
【第五回内国勧業博覧会受賞人名録】明治36年9月

【第五回内国勧業博覧会受賞人名録】明治36年9月
   京都府               p29/338
高配縮  與謝郡三河内村  江原德右衞門 p33/338
粳米   船井郡須知村   岡本萬次郎  p35/338
粳米   船井郡竹野村   山田菊次郎
大豆   船井郡質美村   大西 平吉  p36/338
大豆   船井郡高原村   寺井伊平太
煎茶   船井郡須知町   高谷安兵衞  p37/338
紅茶   船井郡高原村   田中半之助
味付山椒 船井郡竹野村   上原儀兵衞
蕨繩   船井郡梅田村   輕野善之助  p38/338
生柴栗  船井郡梅田村   輕野善之助
乾栗   船井郡下和知村  出野淸三郎
乾栗   船井郡下和知村  木下伊之助
乾栗   船井郡下和知村  樋口 吉助
醬油   與謝郡岩瀧村   小室 房藏  p39/338
生絲   天田郡雲原村   織田 團藏  p40/338
絹縮   與謝郡三河内村  千賀忠右衞門
薄手縮緬 與謝郡三河内村  小北佐多藏  p41/338
絹手巾  與謝郡三河内村  織物研究所  p44/338
   臺 灣               p327-333/338
明治三十六年九月 九日印刷
明治三十六年九月十二日發行
編輯兼   小倉政次郎 東京府士族
發行者   東京市京橋區南鍛冶町三番地
印刷者   由賀 房吉
      大阪市南區天王寺六万体町
印刷所   三原松印刷所
      東京市京橋區本湊町十三番地
      (電話新橋二三〇九番)
發行所   東浪館書房本館
      大阪市南區天王寺茶臼山町三七二丁四雲水前
發賣所   東浪館支館
      東京市京橋區南鍋町二丁目五番地
      (電話新橋一一三五番)
特約販賣店 服部書房
      東京市京橋區銀座二丁目
      (電話新橋一七二二番)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年07月19日
紅茶傳習所景況
【官報. 1889年06月25日】明治22年
【官報. 1890年06月16日】明治23年
同 丹波國船井郡須知村紅茶傳習所ニ於テハ
傳習人  十九人、
生 葉  五百十二貫三百八十匁、
其製造高 百十六貫五百二十八匁ナリ(京都府)

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年07月21日
丹波路茶産地の跡を訪ねて【京都府茶業史】昭和10年
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