安井榮之助(二男 安井莊次郎)

《安井英治郎商店》出身地 京都市【大日本帝国商工信用録 40版】大正14年

《安井英治郎商店》出身地 京都市
【大日本帝国商工信用録 40版】大正14年
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《安井榮之助》二男 莊次郎
【人事興信録 3版(明44.4刊)く之部―す之部】
《安井榮之助》  p131/793
 合名會社 松葉屋商店  業務擔當社員
 株式會社 京都貯藏銀行 監査役
 京都府平民
 妻  ナ ミ 明治 七年(1874)一〇月生、京都、平
        亡 富田伊助 長女
 男  英治郎 明治二三年(1890) 一月生
君は京都府平民 亡 安井ユキの養子にして
慶應二年九月十九日を以て生れ
※1866年10月27日
明治十九年(1886)一月 家督を相續す
現時 前記會社の重役たり
家族は尚
二男 莊次郎 明治二六年(1893) 九月生
三男 邦三  明治二八年(1895) 四月生
長女 ナヲ  明治三一年(1898) 二月生
二女 タマ  明治三四年(1901) 六月生
三女 トモ  明治三六年(1903)一一月生
(京都、下京、魚棚通新町東入)
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【帝国信用録 15版(大正11年)】
安井英治郞 大阪市 東、唐物、 p409/1199
洋傘生地 羅紗

【商工資産信用録 第25回】大正13年
安井英治郎 大阪市 東、唐物三 p109/769
クレープ  洋傘生地

【商工資産信用録 第26回】大正14年
安井英治郎 大阪市 東、唐物三 p118/790
クレープ  洋傘生地

【帝国信用録 18版(大正14年)】
安井英治郎 大阪市 東、唐物三 p325/1056
クレープ  洋傘生地

【大日本帝国商工信用録 40版】大正14年
 洋傘絹地
 絹綿織物商
 專賣特許ちゞまぬちゞみ
 中形浴衣地
  足利織物株式會社大阪出張所
 《安井英治郎商店》
  東區唐物町三丁目廿四番地
  電 話 船場長三八七三番
  創 業 大正十年八月
  銀 行 住友銀行備後町支店
      古河銀行大阪支店
  從業者 六 名
  出身地 京都市
p310【大日本帝国商工信用録 40版】大正14年
〔画像〕p310【大日本帝国商工信用録 40版】大正14年

【商工資産信用録 第30回 [大阪府ほか]】昭和4年
安井英治郎 大阪市 東、唐物三 p138/857
肩掛 洋傘 原料

【商工資産信用録. 第36回 近畿版】昭和10年
安井英治郎 大阪市 東、唐物三 p131/342
婦人子供服

【商工資産信用録. 第37回 近畿版】昭和11年
安井英治郎 大阪市 東、唐物三 p133/345
婦人子供服

【帝国信用録 29版(昭和11年)】
安井英治郎  p338/1282
肩掛 子供服製造
大阪市南區 安堂寺橋、二、二四

【帝国信用録 32版(昭和14年)】
安井英治郎  p368/1288
肩掛 子供服製造
大阪市南區 安堂寺橋、二、二四

【帝国信用録 第33版(昭和15年)】
安井英治郎  p382/1314
肩掛 子供服製造
大阪市南區 安堂寺橋、二、二四

【組合員名簿 昭和15年版】
 大阪服装雜貨同業組合
安井英治郎  p67/233
大阪市南區 安堂寺町通二丁目二四

【著名商工案内. 昭和16年度版】
  婦人子供服  p70/275
安井英治郎
商 號  安井英商店
營業所  南區安堂寺橋通二丁目
電 話  船場(23)三八七三
營業種目 婦人子供服製造

【著名商工案内 昭和17年版】
安井英商店    p139/433
經營主  安井英治郎
開業年月 昭和五年
營業所  南區安堂寺橋通二丁目
電 話  船場(23)三八七三
營業種目 婦人子供服製造卸

【日本紳士録 45版】昭和16年
安井英治郎  p577/1125
南、安堂寺橋二ノ二
綜合税 二九
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《安井英二郎》安井榮之助の長男 二男は莊次郎
【京都市立商業実修学校一覧  大正2年】
【京都市立商業実修学校一覧  大正2年】
 第十一回 明治三十六年三月卒業 百十五人 p66/83
安井英二郎  p67/83
京都市魚棚通室町西入 自宅營業
【京都市立商業実修学校一覧.  大正6年】
 第十一回 明治三十六年三月卒業 百十五人
安井英二郎  p55/68
大阪市東區久太郎町四丁目
 辻 久造方 雇人(洋傘原料商)
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《安井榮之助》松葉屋商店 取締役【信用交換録】大正12年

《安井榮之助》松葉屋商店 取締役【信用交換録】大正12年

【信用交換録】大正12年(1923)
 規定及凡例
一、符號ハ別表トナシ添付セリ p4/757
  ※添付なし
株式會社  松葉屋商店  p256/757
      京都市五條新町角
營業種目  古着小袖卸小賣
紀  元  明治三十七年(1904)
設  立  大正九年(1920)四月
資本金   參拾萬圓(拾五萬圓拂込)
株  數  六千株
株主範圍  緣故關係
年賣扱高  ●へ
商  勢  ●地
信用程度  ●交
取締役社長 遠藤富次郎
同     遠藤萬次郎
同     安井榮之助
監査役   後藤 武助
同     松本 宗陽
(大正十一年十月調)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《安井榮之助》京都貯藏銀行 監査役【帝国銀行会社要録;附・職員録 大正2年(2版)】

《安井榮之助》京都貯藏銀行 監査役
【帝国銀行会社要録;附・職員録 大正2年(2版)】1913年

【帝国銀行会社要録:附・職員録 大正2年(2版)】1913年
株式會社  京都貯藏銀行  p181/1056
京都市下京區烏丸通松原下ル
電話 下  貳四九、貳五〇、貳五壹、貳五貳、貳五參
設 立   明治貳拾六年五月
滿 期   四拾ケ年
資本金   拾萬圓(拂込濟)
總株數   貳千株
株主人員  九人
決算期   六月、拾貳月
諸積立金  五萬五千圓
預リ金總額 貳百六拾七萬貳千參百九拾七圓
當期純益金 五千參百七拾九圓
使用人總數 六拾人
取締役頭取   遠藤九右衞門
取締役兼支配人 紙  勇藏
取締役     遠藤萬治郎
監査役     土田勘兵衛
監査役     安井榮之助
監査役     中村楢次郎
支  店
一條支店  京都市一條大宮角
      電話 上  九參貳
二條支店  京都市二條麩屋町角
      電話 上  七七五
三條支店  京都市三條大橋東入
      電話 上 四六壹貳
五條支店  京都市五條大橋東入
      電話 下 壹〇貳貳
七條支店  京都市七條油小路東入
      電話 下 壹〇〇四
出町支店  京都市出町今出川上ル
下立賣支店 京都市下立賣堀川西入
      電話 上 貳七七壹
河原町支店 京都市河原町蛸藥師上ル
      電話 中  九參參
丸太町支店 京都市丸太町川端東入
      電話 上 參九九〇
安井榮之助  p982/1056
京都市魚棚新町東入
株式會社 京都貯藏銀行 監査役
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《安井榮之助》京都貯藏銀行 松葉屋商店【日本全国諸会社役員録 第20回】明治45年

《安井榮之助》
京都貯藏銀行 監査役
松葉屋商店  業務擔當社員
【日本全国諸会社役員録 第20回】明治45年(1912)
松葉屋商店  代表社員
【日本全国諸会社役員録 第27回】大正8年(1919)

【日本全国諸会社役員録 第20回】明治45年(1912)
株式會社 京都貯藏銀行  p239-241/1268
京都市  下京區烏丸通松原下ル
電 話  下 自二四九 至二五三
設 立  明治二十六年五月
資本金  拾萬圓(拂込濟)
一 株  五拾圓
諸積立金 四萬五千圓
諸預リ金 貳百四拾萬八千五百九拾九圓
頭 取  遠藤九右衞門
     下京、五條通新町東入
取締役  遠藤萬治郎
     下京、楊梅通室町西入
取締役  紙  勇藏
兼支配人 上京、河原町通竹屋町上ル
監査役  上田勘兵衞
     下京、不明門通松原下ル
監査役  安井榮之助
     下京、魚棚通新町東入ル
監査役  中村楢次郎
     奈良、内侍原
一條支店  上京區一條通大宮東入
      電話上  九三二
      主 任  小林治三郎
二條支店  上京區二條通麩屋町東入
      電話上  七七五
      主 任  鷲田 三郎
三條支店  下京區三條通大橋東入
      電話上 四六一二
      主 任  林田助三郎
五條支店  下京區五條通大橋東入
      電話下 一〇二二
      主 任  泉  淸
七條支店  下京區七條通油小路東入
      電話下 二〇〇四
      主任心得 川北定兵衞
出町支店  上京區出町通今出川上ル
      電話上 一二六二
      主 任  前田虎一郎
下立賣支店 上京區下立賣通堀川西入
      電話上 二七七一
      主 任  井田 由藏
河原町支店 下京區河原町通蛸藥師上ル
      電話上  九三三
      主任心得 中村繁次郎
合名會社 松葉屋商店  p263/1268
京都市    下京區五條通新町東入
電 話    下 長一三三〇 一三三一
設 立    明治三十六年九月
營業ノ目的  呉服古着販賣
資本金    拾五萬圓
諸積立金   五千圓
業務擔當社員 遠藤萬治郎
       下京、楊梅通室町西入
同      安井榮之助
       下京、魚之棚通室町西入

【日本全国諸会社役員録 第27回】大正8年(1919)
合名會社 松葉屋商店  p247/911
京都市    下京區五條通新町角
電 話    下 一三三〇 一三三一
設 立    明治三十六年十月
營業ノ目的  呉服古着販賣賃貸
資本金    拾五萬圓
諸積立金   參千圓
代表社員   遠藤萬治郎
       下京、楊梅通室町西入
同      安井榮之助
       下京、魚之棚通室町西入
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《安井榮之助》京都貯藏銀行取締役 松葉屋商店業務擔當社員【日本紳士録 】明治42年~大正4年

《安井榮之助》
京都貯藏銀行取締役
松葉屋商店業務擔當社員
京都市 下京區魚棚通新町東入
京都市 下京區魚棚通室町西入
【日本紳士録 】明治42年~大正4年

【日本紳士録 第13版】明治42年(1909)
《安井榮之助》  p681/1070
京都貯藏銀行 取締役
松葉屋商店  業務擔當社員
京都市 下京區魚棚通新町東入

【日本紳士録 第15版】明治43年(1910)
《安井榮之助》  p668/1044
京都貯藏銀行    監査役
合名會社松葉屋商店 業務擔當社員
京都市 下京區魚棚通新町東入

【日本紳士録】大正1年(1912)
《安井榮之助》  p710/1103
京都貯藏銀行 監査役
松葉屋商店  代表社員
京都市 下京區魚棚通室町西入

【日本紳士録】大正4年(1915)
《安井榮之助》  p743/1156
松葉屋商店 業務擔當社員
京都市 下京區魚之棚通室町西入
電話 下一三三〇
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《安井榮之助》魚棚室町西入 西魚屋町【京都市及接続町村地籍図. 第2 附録】

《安井榮之助》魚棚室町西入 西魚屋町
【京都市及接続町村地籍図. 第2 附録】大正1年

【京都市及接続町村地籍図. 第2 附録】大正1年
元廿五組 魚棚室町西入 p5/252
町  名   地圖頁  附錄頁
西魚屋町    九七  三四三
  魚棚室町西入  p185/252
西魚屋町 ※いずれも地目は宅地
地 番  地主姓名    坪   数
二三五  松葉屋商店   三五・四六
二三六  和田 直七   四五・八一
二三七  丹羽 久吉   三五・四五
二三八  川端 末吉   四八・八三
二三九  松葉屋商店   三一・八二
二四〇  松葉屋商店  二〇九・〇〇
二四一  安井榮之助   六一・八六
二四二  安井榮之助   三三・一三
二四三  松葉屋商店   三〇・八八
二四四  松葉屋商店   三一・二六
二四五  三宅 四郎   四三・七一
二四六  伊東 テル   三五・九七
二四七  池垣定次郎   四〇・一七
二四八  伊東 テル   三七・八〇
二四九  奥村 政七   四一・六六
p185【京都市及接続町村地籍図. 第2 附録】
〔画像〕p185【京都市及接続町村地籍図. 第2 附録】

【京都市及接続町村地籍図. 第2】大正1年
(元二十五組ノ内) p99/155
佛具屋町     下柳町
橋詰町(西部)  西魚屋町
富田町(西部)  八百屋町
高槻町      上珠数屋町
北 町      乾 町
烏丸二丁目    東魚屋町
上柳町
p99【京都市及接続町村地籍図. 第2】大正1年
〔画像〕p99【京都市及接続町村地籍図. 第2】大正1年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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Google-京都市下京区西魚屋町の地図
日の丸歯科医院 235番地
※松葉屋商店  二三五   三五・四六坪
松原商店    246番地
※伊東 テル  二四六   三五・九七坪
稚松やまぶき庵 247番地
※池垣定次郎  二四七   四〇・一七坪
Google-京都市下京区西魚屋町の地図
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《安井英二郎・英治郎》安井榮之助の長男 二男は莊次郎【京都市立商業実修学校一覧  大正2年】

《安井英二郎・英治郎》安井榮之助の長男 二男は莊次郎
【京都市立商業実修学校一覧  大正2年】

【京都市立商業実修学校一覧. 明治42年】
 第十一回 明治三十六年三月卒業 百十五人
安井英二郎  p69/88
大阪市東區久太郎町四丁目
 辻 久藏方 雇人

【京都市立商業実修学校一覧. 明治43年】
 第十一回 明治三十六年三月卒業 百十五人
安井英二郎  p58/76
大阪市東區久太郎町四丁目
 辻 久藏方 雇人

【京都市立商業実修学校一覧. 明治44年】
 第十一回 明治三十六年三月卒業 百十五人
安井英二郎  p60/76
大阪市東區久太郎町四丁目
 辻 久藏方 雇人

【京都市立商業実修学校一覧  大正2年】
 第十一回 明治三十六年三月卒業 百十五人 p66/83
安井英二郎  p67/83
京都市魚棚通室町西入 自宅營業
p67【京都市立商業実修学校一覧  大正2年】
〔画像〕p67【京都市立商業実修学校一覧  大正2年】

【京都市立商業実修学校一覧.  大正3年】
 第十一回 明治三十六年三月卒業 百十五人
安井英二郎  p69/85
大阪市東區久太郎町四丁目
 辻 久藏方 雇人

【京都市立商業実修学校一覧.  大正5年】
 第十一回 明治三十六年三月卒業 百十五人
安井英二郎  p61/74
大阪市東區久太郎町四丁目
 辻 久造方 雇人(洋傘原料商)

【京都市立商業実修学校一覧.  大正6年】
 第十一回 明治三十六年三月卒業 百十五人
安井英二郎  p55/68
大阪市東區久太郎町四丁目
 辻 久造方 雇人(洋傘原料商)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《安井榮之助》長男 英治郎 二男 莊次郎【人事興信録 3版(明44.4刊)く之部―す之部】

《安井榮之助》長男 英治郎 二男 莊次郎
【人事興信録 3版(明44.4刊)く之部―す之部】

【人事興信録 3版(明44.4刊)く之部―す之部】
 ※目次は第3冊にあります
《安井榮之助》  p131/793
 合名會社 松葉屋商店  業務擔當社員
 株式會社 京都貯藏銀行 監査役
 京都府平民
 妻  ナ ミ 明治 七年(1874)一〇月生、京都、平
        亡 富田伊助 長女
 男  英治郎 明治二三年(1890) 一月生
君は京都府平民 亡 安井ユキの養子にして
慶應二年九月十九日を以て生れ
※1866年10月27日
明治十九年(1886)一月 家督を相續す
現時 前記會社の重役たり
家族は尚
二男 莊次郎 明治二六年(1893) 九月生
三男 邦三  明治二八年(1895) 四月生
長女 ナヲ  明治三一年(1898) 二月生
二女 タマ  明治三四年(1901) 六月生
三女 トモ  明治三六年(1903)一一月生
(京都、下京、魚棚通新町東入)
p131【人事興信録 3版(明44.4刊)く之部―す之部】
〔画像〕p131【人事興信録 3版(明44.4刊)く之部―す之部】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
〔画像拡大版〕[須知町安井航空研究所]
[開場記念写真帖]大正11年11月
[安井荘次郎]
墜落事故により昭和3年(1928)10月30日死去
明治26年(1893)9月22日生
昭和3年(1928)10月30日歿 35歳
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安井榮之助氏の令息莊次郎氏は民間飛行家として令名高く【京都太秦聖徳太子報徳会誌】大正15年

安井榮之助氏の令息莊次郎氏は民間飛行家として令名高く
京都市魚棚室町西入
【京都太秦聖徳太子報徳会誌:附・太秦能楽会紀要】大正15年

【京都太秦聖徳太子報徳会誌:附・太秦能楽会紀要】大正15年
大正十五年二月
京都太秦 聖德太子報德會誌
   附 太秦能樂會記要
   京都太秦 聖德太子報德會
p4【京都太秦聖徳太子報徳会誌】大正15年
〔画像〕p4【京都太秦聖徳太子報徳会誌】大正15年
 皇后陛下 廣隆寺行啓の光景
p8【京都太秦聖徳太子報徳会誌】大正15年
〔画像〕p8【京都太秦聖徳太子報徳会誌】大正15年
  評議員  p27/92
安井榮之助  p28/92
p28【京都太秦聖徳太子報徳会誌】大正15年
〔画像〕p28【京都太秦聖徳太子報徳会誌】大正15年

宣傳飛行  p52/92
京都市魚棚室町西入
安井榮之助氏の令息莊次郎氏は
民間飛行家として令名高く、
佛法を信じ太子を敬ふこと深し、
即ち特志を以て
法要中二回の宣傳飛行をなし、
五色の蓮葉に宣傳文を印刷したるもの
五萬枚を空中より散布し、紅白五旈の旗をも投下して
洛中洛外のものをして驚嘆せしめたり。
p52【京都太秦聖徳太子報徳会誌】大正15年
〔画像〕p52【京都太秦聖徳太子報徳会誌】大正15年
大正十五年二月二十五日印刷
大正十五年二月二十八日發行  非賣品
編輯兼發行人 京都太秦 聖德太子報德會
印刷人    沖本 寅雄
       京都市坊城通東寺西門上ル
印刷所    六大新報社印刷部
       京都市三哲通大宮東入一番戸
發行所    京都太秦 聖德太子報德會本部
       京都府葛野郡太秦村
       別格本山 廣隆寺内
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
〔画像拡大版〕[須知町安井航空研究所]
[開場記念写真帖]大正11年11月
[安井荘次郎]
墜落事故により昭和3年(1928)10月30日死去
明治26年(1893)9月22日生
昭和3年(1928)10月30日歿 35歳
https://kazuo1947.livedoor.blog/archives/28888366.html
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