《長瀬健四郎(塗屋)》
下郡:文政10年(1827)2月~安政(1855)2年2月
【横田町誌】1968
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年11月10日 05:22
[除籍謄本]平成18年1月10日発行
《戸主:松村康重・島根縣簸川郡直江村大字直江六拾番屋敷》
島根縣簸川郡直江村大字直江六拾番屋敷
前戸主 亡養父 松村康重
戸 主 松村康重 亡康重 養子
弘化元年九月拾九日生 ※1844年10月30日
仁多郡三澤町 長瀬健四郎 二男 入籍ス
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【横田町誌】1968
著者 横田町誌編纂委員会 編
出版者 横田町誌編纂委員会
出版年月日 1968
第三章
第一節 村と町と土地
一 郡役人と村の旧家
郡役人と村役人
郡奉行のもとには郡役人があり、
下郡は郡内行政一般にあたり、
与頭はその補佐役でそれぞれの組
(郡内を一〇数ケ町村を一組として)
の責任者として事務を分掌した。
下郡は一人、予頭は二名のちには三名置かれた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2991755/1/132
表2-3-1 下郡・与頭表
年号の右横は任命の月( )内は村と屋号
天明5(1785)-7年(1787) 寛政1(1789)-4年(1792)
与頭 長瀬祐右衛門(祐左衛門)(三沢塗屋)
寛政10年(1798)2月 享和1年(1801)
下郡 長瀬祐左衛門(塗屋)
文化12年(1815) 文政4年(1821)
与頭 長瀬助六(塗屋)
文政10年(1827)2月 文政12年(1829)
下郡 長瀬健四郎(塗屋)
文政10年(1827)2月 文政12年(1829)
嘉永2年(1849)(次頁)
下郡 長瀬健四郎(塗屋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2991755/1/133
天保5-8年 嘉永2年
下郡 長瀬健四郎(塗屋)
天保5(1834)-8年(1837)
与頭 長瀬丈四郎(長瀬健四郎)(塗屋)
安政2年(1855)
与頭 長瀬祐助(塗屋店)
明治9年(1876)
与頭 長瀬左五郎(上阿井三沢屋)
郡村役人共に官選で、
与頭以下は下郡の推挙によって藩が決定し、
郡奉行・代官の名で辞令書が渡された。
人物、家格、持高、年令を考慮して任命した。
奉職年限はなく、
長いものでは幕末の長瀬健四郎の下郡のみで
二七年間というものもあった。
※文政10年(1827)2月~安政(1855)2年2月迄
https://dl.ndl.go.jp/pid/2991755/1/134
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇