下山京子

《伊賀 虎》《下山京子》當世成上り男女番附【世の中 2(9)】大正5年(1916-08)

《伊賀 虎》《下山京子》當世成上り男女番附
【世の中 2(9)】大正5年(1916-08)

【世の中 2(9)】大正5年(1916-08)
出版者   實業之世界社
出版年月日 1916-08
 當世成上り諸君  p11/95
右列上より 神田鐂藏氏、松崎天民氏、
      石井菊次郎子爵、曾我廼家五九郎氏、
中列上より 幣原喜重郎氏、松井須磨子氏、
      加藤高明子爵、豐竹呂升氏、
左列上より 中平文子氏、高木德子氏、
      菊村音丸氏、下山京子氏
p11【世の中 2(9)】大正5年(1916-08)
〔画像〕p11【世の中 2(9)】大正5年(1916-08)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1556331/1/11
 當世成上り男女番附(口繪を見よ) p31/95
前頭(髪結で)   伊賀 虎
前頭(なんでもで) 下山京子
前頭(美顔術で)  小口みち子
p31【世の中 2(9)】大正5年(1916-08)
〔画像〕p31【世の中 2(9)】大正5年(1916-08)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1556331/1/31
大正五年七月廿三日印刷納本
大正五年八月 一日發  行 第二巻第九號
編輯兼 倉若梅二郎
發行者 東京市麴町區有樂町一丁目四番地
印刷者 秋山 尚男
    東京市麴町區有樂町一丁目四番地
印刷所 凸版印刷株式會社分工場
    東京市本所區番場町四番地
發行所 實業之世界社
    東京市麴町區有樂町一丁目四番地
    振替東京三四三三番
    電話本局四五一五番(編輯用)
        四五一六番(營業用)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1556331/1/94
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《下山京子》『一葉』美人記者の料理店・築地一丁目十八番地【実業の世界 10(5);大正二年三月一日號】

《下山京子》『一葉』
美人記者の料理店・築地一丁目十八番地
【実業の世界 10(5);大正二年三月一日號】

【実業の世界 10(5);大正二年三月一日號】
出版者   実業之世界社
出版年月日 1913-03-01


東京變物傳  p54-55/69
馬賊式の豪傑飯屋
美人記者の料理店
     一記者
▼墨痕淋漓四壁落書
   口上……一
   口上……二
▼主人は早稻田出身の豪傑
▼廉くて旨い飯と酒
https://dl.ndl.go.jp/pid/10292863/1/54

美人記者の料理店
▼女記者から女將  p55/69
水滸の豪傑飯屋の主人公を叙した
その不似合な筆で、
記者は世にも優しき人の營む、
蘭燈の影春の夜よりも朦(おぼ)ろなる
酒樓の光景を描かねばならぬ。

優しき人、其名を下山京子と云ふ。
思出の酒樓、呼んで『一葉』と云ふ。
京子は生粹の江戸ッ兒と聞く、
無雜作に束ねた櫛巻の後れ毛から、
黑地に刺繍したねび紫の小袖から、
油斷の無い引締つた言葉付から、
何處までも懐古的氣分の勝つた
江戸女たるは爭はれない。

彼女自ら散りし一葉と物の憂ひを
水に流した氣でゐるが、
流れ流れて里から里へ、
何時かは岸に流れ着いて、
花咲き實結ぶ時もあらう。

さはれ、美しき京子の細腕は、
今や一料理店の女將として、
赤い前垂の女中の總大將として、
朝から晩まで眩(めくら)めくばかりの
帳場萬端を一手で斬廻してゐる。

何時の頃であつたか、
大阪時事新報の一三面記事が、
京阪地方さては中京あたりの
天地を震駭せしめたことがある。

堂々たる攻撃文でもない、
壯絶にして辛辣なる公開狀でもない。

僅かに花柳界の暗黑面を素ツ破抜いた、
艶種の少し氣の利いた
變装記體のものに過ぎなかつた、
而も其一文は女性の筆致であつた。

何が故に、女性の一戯文が
鬚髯男兒の膽(きも)を奪ふたのであるか、
他なし、其の日々現出し來る人物と、
活躍の舞臺といふ舞臺は、
渾て是れ架空の拈(ひねり)出した幻影にあらで、
筆勢の躍動する所、微に入り細を穿ち、
粹界の遊治郎共をして、
『嗚呼之れ誰が筆ぞ!』と
顔を蔽(お)ふて市に走らしむるに至つた。

彼の三業組合の如きは、
血眼になつて在らゆる迫害を、
此の華者たる一女性の上に加へんとした、
其女性こそ、
此處『一葉』の女將と濟まし込んだ
京子女史ならんとは、
扨(さて)も運命は今更奇なものである。

女記者として半生を送つた彼女に取つては、
兎角の世評は有るにした處で、
弊履のやうに生命の筆を抛り出して、
一料理店の帳場にドカンと座り込んだ處に、
捨て難い江戸ツ兒の淡然たる
猪突的勇氣を味ひ得る。
〔写真〕一葉の女將お京さん

▼野依社長の結婚申込
『妾(わたし)はもう噴火しない死火山ですよ、
 さらりと過去の生涯は捨てゝ了つて、
 妙なことには、此頃は靜かに靜かに、
 佛信心などがしたくなつてきました。』

招ぜられた見馴れぬ粹造りの四疊に固くなつて、
記者は彼女から沁々(しみじみ)と
述懐談を聞かされた。

『貴女は何の爲に、料理屋なんか行(や)るのです』
と問へば、
『妾(わたし)は小供の折から繪草紙が好きで、
 その幼い時の記憶が、
 知らず識らず妾(わたし)を導いて、
 一度は爲(な)つてみたいと思つた、
 この姿になりました』と、
夢見るやうな眼光である。

面白いのは我社の野依社長が曾(かつ)て
厖大な求婚廣告を出して配偶を天下に求め
一世の物議を醸した時、
社長は自ら大阪に下つて
京子女史に結婚を申込んだことがあるといふ、

『妾(わたし)もヒヨツトしたら、
 行つてみたい氣になつたかも知れません』といふ、
何故行かなかつたかと尋ねると
『でも阿母(おつか)さんが、
 アンナ狗(いぬ)の子でも貰ふやうに
 思つてる人には行つては不可ないと、
 それはそれは八釜敷(やかまし)かつたのです』
は何處までも變つた女なり。

『世の中は、何と言つても一金二金三金と
 つくづく想ひます、
 過去に社會から在らゆる迫害を受けた
 故でもありはしましやうが、
 如何(どう)しても金の土臺を 
確然(しつかり)築いて置いて、
 夫れから思ふ存分暴れてやるのです。』

恐ろしい拜金主義もあつたもの哉、
嗚呼されば子孫の爲に美田を買はずとか、
家に擔石の蓄へなしとか豪語した
堂々たる天下の國士さん、
媚を賣つては遊女風情同樣に、
巨頭公の羅織に甘んずる世の中ぢやもの、
記者は却つて、思切つて豪語する
彼女の眼底に涙の露の宿るのを壯とする。

『結婚した事はないのですか、
 如何(どう)です結婚しては!』と
矢繼早に攻立てると、
皮肉な笑を片頬に浮かべて、
秋の一葉を彩つた封筒を取出して、
『笑而不答』と筆走らせる。

通がらぬ所、新らしがらぬ所、
落着いて御座る所、
浮世の波を潜つただけに、
馬鹿に垢抜がして見える。

▼健氣な赤前垂
御料理、調理精撰輕便を旨として
御用相勉め申候、
何卒御引立御來駕待奉仕候

これは世間體の表看板ながら、
有繫(さすが)にソレ者の果の
槍一筋の夫れならぬ、
隱すとすれど現はるゝ譬へ、
何處やらに氣高い空氣が、
格子から、奥座敷まで漲つてゐる。

御常連は政治家や實業家が多いと聞けど、
記者の如き破れ袴に一升德利枕で轉やうな
珍客でも平等に相應に待遇なして呉れる道理、
デなければ『一葉』は
二葉にも三葉にも成り申すべし。

『如何です、
 貴方がたで牛飲馬食か何かなさる時は、
 何時でも接伴に參りますよ』とは
ちと物凄い。
一時は好きで呑んだ酒杯(さけなど)も
トント此頃に手にせぬとやら。

好事家あらば叩いて見給へかし、
場所は築地一丁目十八番地、
驅出しの目下こそ
左して大なる結構とには非ねど、
今に日本一の料理店になつて見せると、
京子女史は鼻息は荒しとも荒し。
〔写真〕笑而不答 下山きやう子
https://dl.ndl.go.jp/pid/10292863/1/55
大正二年二月廿五日印刷納本
大正二年三月 一日發  行
發行兼 大塚 豐次
編輯人 東京市芝區露月町二番地
印刷者 宮村 富男
    東京市芝區露月町二番地
印刷所 凸版印刷株式會社
    本所分工場
發行所 實業之世界社
    東京市芝區露月町二番地
    振替貯金口座三四三三番
    電  話 芝 五八四番
    大阪支局 大阪市天王寺
         堂ケ芝町五六四九
https://dl.ndl.go.jp/pid/10292863/1/64
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《下山京子》築地木挽町『一葉』【活人剣殺人剣】大正2年

《下山京子》築地木挽町『一葉』【活人剣殺人剣】大正2年

【活人剣殺人剣】大正2年
著者    鵜崎鷺城 著
出版者   東亜堂書房
出版年月日 大正2
   四  p99-101/215
築地木挽町に『一葉』と稱する待合あり、
待合としては必ずしも第一流にあらず、
其誇りとする關西料理は必ずしも
珍とするに足らず。
然るに最近其名の世に著聞し、
殊に政治家の間に傳唱さるゝは何ぞや。
交詢社と一葉との關係に入るに先ち、
事の順序として交詢社と
帝劇及び歌舞伎との關係につき、
少しく説明せざるべからずや。

毎月一回開く處の演藝會は役者、
藝人の出入し、聲妓舞姫を傍聽人とし、
淸友會の名に副はざるより、
一時可否の論喧しかりしが、
演藝方面を擔當したる一代の粹士
大河内輝剛の、
さる野暮論を叩き伏せて以來、
當時の不粹家も漸次粹化して、
今日は家族と共に賤業婦と伍するを
怪(あやし)まざるに及べり。
初め交詢社と歌舞伎とを
結びつけたるものは大河内なりしが、
其歿後井上角五郎・岡本貞烋の同座に關係するあり、
殊に定連の一人たる三宅豹三の總支配人たるあり。
隨(したがつ)て二者依然として
親密の干繫(かんけい)を維持す。

帝劇には福澤捨次郎關係し、勢力家なりと稱せらる。
西野惠之助の專務となり、
山本久三郎の支配人となりしは一に彼の援護に出づ。
乃ち交詢社と歌舞伎と兄弟の關係ありとせば、
帝劇とは正に親子の關係ありとすべく、
現に交詢社に於て帝劇の入場券を購ふを得るの便あり。

『一葉』の現はれしは女優界との干繫(かんけい)に出づ。
蓋し主婦下山京子は多くの友人を女優に有し、
帝劇の大勢力家にして交詢社の准元老たる
福澤捨次郎は一葉の『覆面せる主人公』なればなり。
女優は頻々一葉に出入し帝劇關係者も此に遊ひ、
殊に交詢社員の資格ある者は
舞臺上の名花を擁して春閨夢裏の人

となるの好チヤンスあり。
桃介の如きはチヤンスを捕ふるに
最も熱心なる一人なり。

下山京子は抑々如何なる女性なるか。
靜岡に生れ、高等女子師範豫備校に學びしといひ、
一通り文才ありといひ、
萬更素性も學問もなき婦人なりと惟(おも)はれざるが、
捨次郎に寵せられて小星となりしは
時事の婦人記者時代とす。
肉體的にも精神的にも堕落せる一種の婦人を以て
所謂る『新しき女』とせば、
京子の如きは確に新しき女の名を冠するを得べし。
今日上流の婦人、良家の處女が一種の虚榮心より
新らしき女と呼ばるゝを喜び、
良妻賢母たるを冀はずして
堕落婦人の顰に倣はんとするの多きは
社會風敎の爲めに慨すべきの至りとす。
靑鞜社の一連の如きは
矢場女の少(すこ)しく文字あるものに過ぎず。

余の勃窣(ぼつそつ)なる
未だ一葉なるものを知らず、
一日友人に伴はれて至る。
亭婢皆な京都大阪の茶屋女に倣(なら)ひて
赤前垂を膝にし俗惡堪ふべからず。
既にして京子の座に現はるゝを看れば、
其服装といひ、容貌といひ、
待合の女將といふよりも女優といふに幾(ちか)し。
世間の噂に據れば絶世の美人の如く想像さるゝも、
來(きた)つて實物を見れば、
名其實に過ぐるの嫌ひなからず。

交詢社に綠屋組と一葉組とあり。
高田信次郎・磯野長藏・松本隆治・
靑木徹等は前者に屬し、
一葉の定連には福澤一門の外に
菊地・小山・小坂・野間・堀切・名取あり。
是等はいづれも一葉の草分にして、
漸次顧客を紹介し犬養・尾崎・岡崎等も
牛に引かれて光善寺參りをなすに至れり。

今一人一葉の大熱心家として知らるゝは竹越三叉なり。
文章、演説其他行くとして可ならざるなき才人は、
近頃淸元に淫し造詣する處深しといふ。
初め望月小太郎を一葉に伴ひしは彼れなり。

望小太は氣障(きざ)と滑稽を搗き交ぜたる
『妙な男』なり。
彼の自ら誇りとする演説について
噴飯すべき奇談あり。
或時福井三郎と共に某地の演説會に臨むや、
三郎は元と專門の講釋師だけに巧みに望月の態度、
口吻を眞似(まね)して前席を勤め、
代はりて望月の得意となりて辯じ立つるや、
聽客は三郎の眞似(まね)をなすものとして
一齊に罵り笑ひ、
折角の名演説も臺なしに終りて
大に面目を損じたり。
初め望月は何の故なるかを知らざりしが、
後ち三郎の惡戯に出づるを知るに及び、
知團太を踏みて口惜しがれり。

一葉に於ても人の惡戯の爲めに一笑話柄を殘せり。
竹越は名取と諜謀し、
望月の財豪にして且つ大政治家なるを吹聽し、
特別の待遇を與ふるの
一葉の爲めに利なる所以を京子に説き、
一方望月に對しては京子の彼に意あるを告げたり。
京子の待遇尋常一樣ならざるを見て、
己惚(うぬぼれ)心強き彼は屢々(しばしば)行きて
甘たるき言を吐き、
果ては情人氣取りにて帳場に坐りて
餘計の世話を燒くなど、
京子も煩に堪へずして(つひ)に
竹越・名取に愁訴するに至れり。
大正二年六月三十日印刷 活人劍・殺人劍
大正二年七月 五日發兌  正價 金壹圓
著作者 鵜埼 熊吾
發行者 伊東芳次郎
    東京市神田區鍛冶町八番地
印刷者 高橋 賢治
    東京市小石川區久堅町百八番地
印刷所 博文館印刷所
    東京市小石川區久堅町百八番地
發行所 東亞堂書房
    東京市神田區鍛冶町八番地
    電話本局八八四番
    振替東京一七一番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《伊賀とら》義侠者の伊賀お寅[下山京子]仲居變装記 常盤花壇【一葉草紙】大正3年(1914)

《伊賀とら》義侠者の伊賀お寅
[下山京子]仲居變装記 常盤花壇
【一葉草紙】大正3年(1914)

【一葉草紙】大正3年(1914)
著者    下山京子 著
出版者   玄黄社
出版年月日 大正3
   仲居變装記   p125/187
 私の婦人記者生活は
明治三十九年(1906)の三月より
大正元年(1912)の九月末までで
前後全七年間でした。

私は大阪時事新報に入社後
普通の婦人記者として執筆するかたはら先づ、
『中京行商日記』に第一の變装を試み、
ついで十九の秋
神戸に赴いて
常盤花壇に二回目の變装を致しました。

花壇のお通女お君はんは即ち
婦人記者下山京子でした、
そして京子はまた築地の一葉茶屋の女將お京でした。
私はただ斯う云つて過去の私の生涯の一頁である
このたどたどしい若い筆ぶりの變装記を
茲に再び取出しました。

  兵庫 常盤花壇  p126/187
 一 變装の門出
  ―略―
其他の事は梅田で俥を下りて
一時間餘を汽車に揉まれて
騒々しい三の宮驛へ著いたまで、
殆ど無意識と云つてよい位ゐ。

夫でも汽車が神戸に著(つい)たと思ふと同時に
今迄にない勇氣が胸に漲(みなぎ)つて來て、
何だか俄に蘇生(よみがへ)つたやうな氣がする。
急に足を早めて豫(かね)てから其名を聞及んで居た
神戸名物のさる有名な一婦人を賴つて見やうと
直に其方角へと志した。

 二 當世奴の小萬  p128/187
 漂浪娘(さすらいむすめ)に身を擬(やつ)した私が、
是非自分の一身を賴み込んで見やうと
偶然に思ひ定めた婦人とは
そも如何な筋の人であらうか。

 多くを云はずとも
神戸隨一の女髪結奴の小萬を當世にしたやうな、
義侠者の《伊賀お寅》と云つたら、
東京の故お愛—
大阪のお辰と、
三指に折られる三幅對の大姉御と、
恐らく其名を知らぬ人はあるまいと思ふ。

 大阪の藝妓連がお辰さんの髪を誇り顔なのと同樣に、
苟くも神戸の花柳界に籍を置いて、
《お寅さん》の腕に掛らないやうな藝妓は
藝者の數に這入らないやうに云はれて居る。

此の消息を聞知つて居る私は
@いな口入屋に掛つて此方の目算を外すは未だしも、
如何な拍子で意外の憂目に出逢ふまいものでもない、
殊に土地一流の茶屋にでも這入るには
怎(ど)うしても前の様な手順から往かなければ
先方の商賣がら滅多に油斷はあるまいと思ふ。
  ―略―
 《お寅さん》は女に似氣ない大の野球通で
東京の選手連にも大分顔が賣て居るとは聞いたが、
學生のお店番には場合が場合で
尠からず具合が惡い。
  ―略―

 三 藝者氣質  p130/187
 《お寅さん》は相變らず後姿を見せて仕事に餘念ない。
黄色い聲の賑かな話は彼方此方に起つて
既(も)う私の存在は認められて居ないらしい。
周圍の事情がこんなだから
私もツイ油斷してゐると突然横手から、
『若し貴女、一寸(ちょ)いと』
と優しげな聲がする。
ハツと膽(きも)を潰(つぶ)して向ふを見ると、
何時の間にか廿五六の束髪に
結(ゆつ)た品の好い奥樣風の人が立つてゐて、
『此方でお話をしませう』
と澄(すん)だ東京辯で次の間へ案内された。

丁寧に頭を下げると、
『私は《お寅》の姉ですが
 一體貴女は怎(ど)ういふ譯で―』
※伊賀いせ子[伊賀とら(伊賀治子の姉)]下記詳細
と凛々しい眼附で眤と見詰める。
 四 中檢の名妓おかつ  p133/187
 五 お寅さんと私    p135/187
 六 花壇へ乘込む    p138/187
 七 女將おいそさん   p140/187
 八 奉公はじめ     p142/187
 九 仲居の裏表     p144/187
 十 他人の御飯     p145/187
 十一 丸一の輕業そこのけp148/187
 十二 人氣舞妓の梅若  p149/187
 十三 萩の間の歌留多  p152/187
 十四 中檢の美妓日英  p154/187
 十五 お茶屋の丑滿過ぎ p157/187
 十六 舞妓の樂書    p159/187
 十七 大阪のお客樣   p160/187
 十八 活殺自在の口車  p162/187
 十九 寒い寒い湯女の役 p164/187
 二十 半裸體の美人   p167/187
 二十一 お客樣の強意見 p168/187
 二十二 お君さんの淺黄頭巾 p170-172/187
大正三年一月十七日印刷  一葉草紙
大正三年一月二十日發行  正價九十錢
著 者 下山 京子
發行者 鶴田 久作
    東京市神田區雉子町三十二番地
印刷者 中島藤太郎
    東京市神田區錦町三丁目一番地
印刷所 神田印刷所
    東京市神田區錦町三丁目一番地
發行所 玄 黄 社
    東京市神田區雉子町三十二番地
    電話本局 二〇九番
    振替東京七九九五番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年09月27日 05:15
「伊賀とら」さんのお墓:天王平(綾部市)
[小野雄二]平成30年9月23日
伊賀いせ子[伊賀とら(伊賀治子の姉)]
生 明治8年(1875)前後
歿 昭和10年(1935)10月11日 60歳
伊賀とら(伊賀治子)
生 明治13年(1880)前後
歿 昭和20年(1945)7月31日  65歳
松村正子(伊賀とら 長女)[小野一雄・雄二の伯母]
生 大正3年(1914)1月20日
歿 昭和62年(1987)1月25日  74歳
伊賀光枝(伊賀とら 二女)[松村正子の妹]
生 大正4年(1915)前後
歿 昭和5年(1930)12月15日  15歳
伊賀義男(伊賀とら 長男)
生 大正8年(1919)前後
歿 昭和19年(1944)7月30日  25歳
【大本 松村家代々神霊】を基に作成
平成30年(2018)9月24日
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《伊賀とら・伊賀おとら》[下山京子]變装記【一葉草紙】大正3年

《伊賀とら・伊賀おとら》
[下山京子]變装記
【一葉草紙】大正3年

【一葉草紙】大正3年(1914)
著者    下山京子
出版者   玄黄社
出版年月日 大正3
   變装記  p85-87/187
 フランスの或雜誌に、
婦人記者の花賣りに化装した
面白い記事があるといつて、
或人から聞きました。
『私に一度、此の變装といふものをさして下さい』
私は或に編輯長の、高見さんにかう云ひました。
『それはまだ日本では、
 それぞといふことをしたものもないから、
 面白いかもしれませんね』
と、云ふので、私は俄かに旅立の用意をして、
名古屋に小間物行商にゆく事になりました。

それは私が入社した年の秋で、
十八の年でした。
飛行船に乗つて見たらといふ人もあり、
『尾行者をつけて、世界を一人で旅行したらどうだらう』
と、福澤さんまでが此時は言葉を入れました。
 さうかうする中仕度も充分に調(とゝの)ひましたので、
すつかり田舎娘
に變装した私は、
母と一緒に名古屋に出張して、
或る知邊(しるべ)の家にそつと宿(とま)りました。
そして靑い大風呂敷に包んだ、
三越から仕入れた小間物の
五貫目近い荷物を背負つた時は馬鹿々々しいとも、
悲しいとも、
何んともつかない嫌な心持がして、
今更ら私は何だつて
こんな眞似をしたからうかしらと
さへ思ひました。

おかしい事には、
その知合の家でも事の眞相をしりませんので、
若い田舎出の夫婦が、
『まあ、お嬢さんも何だつて、
 そんな氣におなりでした。
 まだお嫁入り前のからだをねエ』
と、しみじみ母の同情したさうでした。
當時の變装行商記事にも書いたかしりませんが、
あの名妓金吾でしられた金波樓へ賣りに行つた時なぞ、
私の小間物の荷の周圍を取かこんだ新造や
大勢の花魁連中が、
私をつかまへて口々に、
『あんたも、そんな事をして重い荷を負ふて歩くより、
 かう云ふところで女郎(つとめ)た方が
 樂でお金になりますよ』
と、云はれたのは、
泌々(しみじみ)女の弱さと
敢果(はか)なさの心に強い針を打つた。
生涯々々忘れられない、
冷たい淋しい感じのする言葉でした。

 それから後、私はまた兵庫の花壇に、
仲居の下の通ひと云ふ役目で住込みました。
これは僅か三日間でしたが、
記事は凡三十四五回もつづきましたらうか。

 ベースボールの《伊賀おとら》さんに、
今のように深い仲となつたのも、その時からでした。
惡(あく)たれだ、強情で、憎い程智恵のある、
皮肉で、天狗で、飽きぽくつて、
喧嘩早い、お寅さんは、
幾(いくら)ガラガラ、
雷のやうに怒(どな)り散らしても、
私の顔を見ると急に男が女に
早變りしたやうに、
弱い私の云ふことを、
『左樣か、左樣か』と、
大人しく聞いて呉れると云ふ妙な女です。
ずぬけた惡黨には、
また凡人以上の純な處もあるし、
潔白な部分もあると私はいつもさう思つて、
此の人を見てゐます。
私がどうかして、人に負けた話でもすると、
お寅さんは、我ことのやうに靑筋を出して、
『ほんまに憎らしいやつぢやな、
 其(そ)樣(な)いな奴の家へは、
 二階へ二十貫もあるやうな、
 大けな大けな大石を擔(かつ)ぎ込んで、
 座敷へおつ投(ぽ)つて來てやりまほ、
 あんたみたいな意氣地(いくじ)なしは、
 ほんまにあかんな、
 私なら、ウント虐めたるし』
と、心から怒氣を滿たして口惜しがります。

 《お寅さん》の大石の敵討ちや看板下しの惡戯は、
神戸時代から有名なもので、
随分その憂目に遇つた人もあるそうですが、
それでゐてされた方でも、
お寅さんを憎む程腹を立たないと云ふことです。
 《お寅さん》は時々私の花壇の變装當時の話をして、
『あんたが大阪へ去(い)なはつてから
 家へ來る藝妓たちの話が、
 ほんまに面白おましたつせ、
 お君さん(私の變名)
 後日(ごじつ)物譚(ものがたり)の方が
 反へつて奇抜なことも、
 極端なことも多(おお)うおまつせ』
と、幾度もその話を繰返しました。

 私が神戸の花壇を歸つてから、
あつちの花柳界では、誰いふとなく
こんな流行唄(はやりうた)が座敷に流行して、
私が褄を端折つて逃出しゆく眞似(まね)をする
振まで附いたさうでした。
『お君さん、
 好きで仲居をするのぢやないが、
 新聞材料のしかたなし、
 僅か三日のね、
 苦勞して、
 後は野となれ山となれ。』
大正三年一月十七日印刷  一葉草紙
大正三年一月二十日發行  正價九十錢
著 者 下山 京子
發行者 鶴田 久作
    東京市神田區雉子町三十二番地
印刷者 中島藤太郎
    東京市神田區錦町三丁目一番地
印刷所 神田印刷所
    東京市神田區錦町三丁目一番地
發行所 玄 黄 社
    東京市神田區雉子町三十二番地
    電話本局 二〇九番
    振替東京七九九五番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《下山京子》変型束髪「新しい女」次々に【近世近代150年性風俗図史 下巻】昭和44年(1969)

《下山京子》変型束髪
「新しい女」次々に
【近世近代150年性風俗図史 下巻】昭和44年(1969)

【近世近代150年性風俗図史 下巻】1969
著者    高橋鉄 著
出版者   久保書店
出版年月日 1969
 「新しい女」次々に……
(明治)四十四年九月、「大逆事件」で
ひどいショックを受けたのは、
先覚女性たちもであった。
その創刊号「青鞜」に
与謝野晶子が「そぞろごと」
という詩を寄せている。

 山の動く日来る
 かく云へども人われを信ぜじ
 山は姑(しばら)く眠りしのみ
 その昔に於て
 山は皆火に燃えて動きしものを
 されど、そは信ぜずともよし
 人よ、ああ、唯これを信ぜよ
 すべて眠りし女(おなご)
   今ぞ目覚めて動くなる

  大正時代
そして目覚めた女の中には
雷鳥女史を中心に田村敏子(上図)や
長谷川時雨(次頁上)、野上弥生子、伊藤野枝、
岡本かの子、原阿佐緒、尾竹紅吉などなどが
ここに結集して行った。

日本髪にマント、という姿も”反逆的“だったろうし、
俊子・時雨・下山京子(次頁右下)らの
変型束髪もメザメを感じさせる。

p73-1【近世近代150年性風俗図史 下巻】1969
〔画像〕p73-1【近世近代150年性風俗図史 下巻】1969

p73-2【近世近代150年性風俗図史 下巻】1969
〔画像〕p73-2【近世近代150年性風俗図史 下巻】1969

下山京子(次頁右下)
p73-3【近世近代150年性風俗図史 下巻】1969
〔画像〕p73-3【近世近代150年性風俗図史 下巻】1969
https://dl.ndl.go.jp/pid/9546087/1/73
    近世近代150年性風俗図史
      下  巻
    昭和44年1月25日発行
        定価2,300円
    著 者 高橋  鐵
    発行者 久保 藤吉
    発行所 株式会社 久保書店
        郵便番号165
        東京都中野区松が丘2-21
        振替 東京10756
        電話 東京(386)3151-4
用     紙 日本加工製紙株式会社
写真製版・印刷 半七写真印刷工業株式会社
表  紙  布 八光装幀社
表 紙 箔 押 有限会社 斉藤商会
製     本 株式会社 宮田製本
製     函 川合紙器加工所
https://dl.ndl.go.jp/pid/9546087/1/167
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《伊賀とら》束髪「女優巻」時事新報 婦人記者 下山京子樣【婦人くらぶ 4(5)】明治44年(1911)

《伊賀とら》束髪「女優巻」
時事新報 婦人記者 下山京子樣
【婦人くらぶ 4(5)】明治44年(1911)


【婦人くらぶ 4(5)】1911
出版者   紫明社
出版年月日 1911-05
 革新せる 五月號
 婦人くらぶ
 第四卷 第五號
 東京紫明社
p1【婦人くらぶ 4(5)】1911
〔画像〕p1【婦人くらぶ 4(5)】1911
https://dl.ndl.go.jp/pid/1553556/1/1

 女記者評判記
時事新報 婦人記者 下山京子樣
  眞(まこと)の婦人記者
  美しくて若い
https://dl.ndl.go.jp/pid/1553556/1/60

  京子樣は江戸趣味
   ―略―
又、京子樣は彼の新橋の髪結
《伊賀とら》を甚しく贔屓とし、
常に出入して種々の注意を與へ、
近く流行せんとする束髪「女優巻」の如き
《おとら》をして先づ此(こゝ)に出(いで)しめ
大に流行せしめんと力(つと)めつゝあるが如き
なかなかにおもしろく、
其趣味の那邊(なへん)にあるかを
窺ふに足るのである。
p62【婦人くらぶ 4(5)】1911
〔画像〕p62【婦人くらぶ 4(5)】1911
https://dl.ndl.go.jp/pid/1553556/1/62
明治四十四年四月廿七日印刷納本 定價金十五錢
明治四十四年五月 一日發  行 郵税一錢五厘
編輯人 澤田忠次郎
發行人 山本 秀雄
    東京市神田區駿河臺北甲賀町十番地
印刷人 吉野 貞治
    東京市小石川區久堅町百〇八番地
印刷所 精美堂
    東京市小石川區久堅町百〇八番地
    紫明社
    東京市神田區駿河臺北甲賀町拾番地
    振替口座東京一七五五四番地
    電話本局三六八四番
    電信略號〇フ
https://dl.ndl.go.jp/pid/1553556/1/84
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《伊賀とら・伊賀おとら》さんの紹介《下山京子》神戸の料亭「常磐華壇」【新劇その昔】昭和32年

《伊賀とら・伊賀おとら》さんの紹介
《下山京子》神戸の料亭「常磐華壇」
【新劇その昔】昭和32年

【新劇その昔】昭和32年
著者    田中栄三 著
出版者   文芸春秋新社
出版年月日 1957
 武田、勝見、正邦、住田に
笹本甲午、高山簣一郎、
それに小生と男ばかり七人、
女優はいらないというので、
先方指定の貸席、
新橋倶樂部の二階へずらりと顔を並べた。
世話役と稱する大平野虹氏が、
一人の女性を紹介した。
それは下山京子だつた。
「ゆく水に身をまかせる一葉哉」
という句を賣り物に、
築地に料亭「一葉茶屋」を開いていたが、
長田秋濤、松崎天民などの酒豪に飲み倒されて
忽ち ぽしやつた結果、
器具調度を氣前よく板前や女中にくれてやつて、
いつそのこと女優にでもなつてみようかと、
誘う水もないのに
芝居の方へ身をまかせる氣になつたらしい。
 京子はその以前、時事新報の女記者になつて、
化け込みを專門にやつた。

新橋で有名な女髪結、
《伊賀おとら》さんの紹介で、
神戸の料亭「常磐華壇」へ住み込み、
客席に侍して取材活動をやつた。

その暴露記事で京阪神の大實業家が、
片つ端から槍玉に上つた。
京子は時事の社長福澤捨次郎氏に認められて重用された。
p81【新劇その昔】昭和32年
〔画像〕p81【新劇その昔】昭和32年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2482685/1/81
昭和三十二年十月二十日印刷
昭和三十二年十月三十日発行  定価二九〇円
著作者 田中 榮三
發行者 車谷  弘
印刷者 北川武之輔
發行所 文藝春秋新社
    東京都中央區銀座西八ノ四
    振替口座東京七八七四三番
印 刷 細川活版社
製 本 福神製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/2482685/1/129
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