幣原 節・幣原 操

《幣原節子女史》門眞村女醫[幣原醫院]北河内郡門眞村字一番【河内集】明治45年7月

《幣原節子女史》門眞村女醫
[幣原醫院]北河内郡門眞村字一番
【河内集】明治45年(1912)7月

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年03月20日 05:28
《幣原 節》【日本醫籍録. 昭和13年版 近畿版】
《幣原 節》 p244/414
 兵庫縣 武庫郡 御影町岸本
 小兒科  明治十七年(1884)九月七日生
大阪府出身 明治卅五年(1902) 大阪慈惠醫學校卒業
登録 一六〇四四號
卒業後 大阪今橋 緒方産婦人科ニテ 二ヶ年間勤務
後 郷里ニ(門眞村)於テ九ヶ年間 開業
次デ 東大 小兒科 弘田博士ニ就キ研究
大正五年(1916) 現地開業 ※御影町
趣味 謡曲
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【河内集】明治45年7月
著者    小野清彦 著
出版者   河内出版社
出版年月日 明45.7
幣原醫院 婦人科  p2/13
北河内郡門眞村字一番
p2【河内集】明治45年7月
〔画像〕p2【河内集】明治45年7月
https://dl.ndl.go.jp/pid/900213/1/2
河内の女學生    p4/13
河北高等女學校長
三宅由太郎君談
https://dl.ndl.go.jp/pid/900213/1/4
婦人の花柳病    p9/13
門眞村女醫 幣原節子女史
p9【河内集】明治45年7月
〔画像〕p9【河内集】明治45年7月
病中各位の御見舞を深謝す
小野白雨
https://dl.ndl.go.jp/pid/900213/1/9
▼賛助員芳名第二回發表▼ p12/13
北河内郡門眞村字一番
普通 幣原 節君
◎河内出版社は毎月一回河内に關する冊子を刊行す
明治四十五年七月十九日印刷 送料共一部
明治四十五年七月廿三日發行 金十二錢
發行兼著者 小野 淸彦
      愛知縣名古屋市中區大阪町二丁目一番地
      當時 大阪府北河内郡守口町
         大字寺内百七十三番地
印刷者   岡本 省三
      大阪市東區内淡路町一丁目卅一番地
印刷所   大阪活版印刷所
      大阪市東區内淡路町一丁目卅一番地
發行所   河内出版社
      大阪府北河内郡守口町停留所南
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【河内集 前】大正1年
出版者   河内出版社
出版年月日 大正1
幣原醫院 婦人科  p2/15
北河内郡門眞村字一番
p2【河内集 前】大正1年
〔画像〕p2【河内集 前】大正1年
https://dl.ndl.go.jp/pid/923653/1/2
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      當時 大阪府北河内郡守口町
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印刷者   岡本 省三
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印刷所   大阪活版印刷所
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發行所   河内出版社
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【河内集 後】大正1年
出版者   河内出版社
出版年月日 大正1
幣原醫院 婦人科  p3/17
北河内郡門眞村字一番
p3【河内集 後】大正1年
〔画像〕p3【河内集 後】大正1年
https://dl.ndl.go.jp/pid/923654/1/3
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大正元年十一月十八日印刷 郵税共一部
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發行兼著者 小野 淸彦
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      當時 大阪府北河内郡守口町
         大字寺内百七十三番地
印刷者   岡本 省三
      大阪市東區内淡路町一丁目卅一番地
印刷所   大阪活版印刷所
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發行所   河内出版社
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《幣原康子》幣原文二 操の二女(本多正道の妻) 大正15年3月卒業【奈良女子高等師範学校】

《幣原康子》幣原文二 操の二女(本多正道の妻) 
大正15年3月卒業【奈良女子高等師範学校】

《幣原 康》【奈良女子高等師範学校】
大正11年4月入学
大正15年3月卒業

[河北高女]
【大東市史 近現代編】
著者    大東市教育委員会 編
出版者   大東市教育委員会
出版年月日 1980.3
府立寝屋川高等女学校
前身は府立寝屋川高女
その前身は河北高女
https://dl.ndl.go.jp/pid/9574478/1/194
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【奈良女子高等師範学校・
第三臨時教員養成所一覧 大正11年度】
著者    奈良女子高等師範学校 編
出版者   奈良女子高等師範学校
出版年月日 大正11-15
 ◎生 徒  p91/166
  生徒姓名(イロハ順)(大正十一年六月一日現在)
   第一學年  p94-95/166
 ◎文 科
《幣原 康》 河北高女

【奈良女子高等師範学校・
第三臨時教員養成所一覧 大正13年度】
著者    奈良女子高等師範学校 編
出版者   奈良女子高等師範学校
出版年月日 大正11-15
   第三學年
 ◎文 科
《幣原 康》外國歷史 河北高女

【奈良女子高等師範学校・
第三臨時教員養成所一覧 大正14年度】
著者    奈良女子高等師範学校 編
出版者   奈良女子高等師範学校
出版年月日 大正11-15
   第四學年
 ◎文 科
《幣原 康》外國歷史 河北高女

【奈良女子高等師範学校・
第三臨時教員養成所一覧 大正15年度】
著者    奈良女子高等師範学校 編
出版者   奈良女子高等師範学校
出版年月日 大正11-15
第十四回卒業(大正十五年三月)
 ◎文 科
《幣原 康》外國歷史
兵庫縣私立甲南高等女學校敎諭

【奈良女子高等師範学校・
第三臨時教員養成所一覧 昭和2年度】
著者    奈良女子高等師範学校 編
出版者   奈良女子高等師範学校
出版年月日 昭和2
第十四回卒業(大正十五年三月)
 ◎文 科
《幣原 康》外國歷史
兵庫縣私立甲南高等女學校敎諭

【奈良女子高等師範学校・
第三臨時教員養成所一覧 昭和3年度】
著者    奈良女子高等師範学校 編
出版者   奈良女子高等師範学校
出版年月日 昭和3
第十四回卒業(大正十五年三月)
 ◎文 科
《幣原 康》外國歷史
兵庫縣私立甲南高等女學校敎諭

【奈良女子高等師範学校・
第三臨時教員養成所一覧 昭和4年度】
著者    奈良女子高等師範学校 編
出版者   奈良女子高等師範学校
出版年月日 昭和4
第十四回卒業(大正十五年三月)
 ◎文 科
《幣原 康》外國歷史

【奈良女子高等師範学校一覧 [昭和4年度]】
出版者   奈良女子高等師範学校
出版年月日 昭和4
第十四回卒業(大正十五年三月)
 ◎文 科
《幣原 康》外國歷史

【奈良女子高等師範学校一覧 昭和7年度】
著者    奈良女子高等師範学校 編
出版者   奈良女子高等師範学校
出版年月日 昭和7
第十四回卒業(大正十五年三月)
 ◎文 科
「幣原」《本田 康》外國歷史

【奈良女子高等師範学校一覧 昭和8年度】
出版者   奈良女子高等師範学校
出版年月日 昭和8
第十四回卒業(大正十五年三月)
 ◎文 科
「幣原」《本田 康》 河北高女

【奈良女子高等師範学校一覧 昭和12年度】
出版者   奈良女子高等師範学校
出版年月日 昭和12
第十四回卒業(大正十五年三月)
 ◎文 科
「幣原」《本田 康》 河北高女
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《土屋行藏》弟 土屋格の妻 倭(幣原文二 長女) 【人事興信録 第12版下】昭和15年

《土屋行藏》弟 土屋格の妻 倭(幣原文二 長女) 
【人事興信録 第12版下】昭和15年

【人事興信録 第12版下】昭和15年
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 昭和15
《土屋 行藏》  p260/1289
 神戸製鋼所(株)取締役
 ヂイゼル機器(株)取締役、作業部長
 兵庫縣在籍
 妻 シツコ 明治二二年五月生、
       廣島、深田耕一 三女、
       廣島縣立高女出身
 女 英 子 大正 三年三月生、
       聖心女子學院出身
 女 淑 子 大正 五年二月生、
       聖心女子學院專修科出身
 女 篤 子 大正 八年二月生、
       甲南高女出身
 女 美 子 大正 九年九月生、
       甲南高女出身
滋賀縣 土屋篤美の長男にして
明治十八年九月出生
昭和三年家督を相續す
明治四十三年
東京帝大工科機械科を卒業
現時前記會社の重役たり
趣味 讀書・園藝
宗敎 佛敎
家族
弟   格(明治二九年七月生、京都帝大理學部出身)
同 妻 倭(明治三五年九月生、大阪、幣原文二 長女)
     (東京女大出身)
弟  尚美(明治二六年一一月、京都帝大醫學部出身)
同妻 綾子(明治三八年一二月、滋賀、淺見達夫 二女)
     (京都府立第二高女出身)
妹  榮子(明治四〇年六月生、大津高女出身)あり
(兵庫縣武庫郡御影町榿一一三三)
(電話御影三七一一)
 p309【人事興信録 第12版下】昭和15年
〔画像〕p309【人事興信録 第12版下】昭和15年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《幣原文二》大阪府立医学校(明治36年10月卒業)【大阪医科大学一覧 昭和2年】

《幣原文二》大阪府立医学校(明治36年10月卒業)
【大阪医科大学一覧 昭和2年】

《幣原文二》明治36年10月卒業
明治 2年11月 大阪府医学校
明治13年 3月 府立大阪医学校
明治21年 1月 大阪医学校
明治34年 6月 大阪府立医学校
明治36年10月 大阪府立高等医学校
大正 4年10月 府立大阪医科大学
大正 8年11月 大阪医科大学
昭和 6年 5月 大阪帝国大学医学部
昭和22年10月 大阪大学医学部

【大阪府立医学校及病院一覧 明治35年10月】
出版者   大阪府立医学校
出版年月日 明35.11
 生徒氏名  p88/128
  卒業受驗生(明治三十五年十月調)
幣原 文二  大阪

【大阪医科大学一覧 昭和2年】
著者    大阪医科大学 [編]
出版者   大阪医科大学
出版年月日 昭和2
 明治三十六年十月卒業
幣原 文二  大阪

【職員録 明治37年(乙)】
出版者   印刷局
出版年月日 明治37年
〇神戸病院 神戸市楠町六丁目 p59/272
醫院 幣原 文二

【官報 1904年06月04日】明治37年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 明治37年
  〇醫籍登錄  p8/26
醫術開業免狀ヲ授與シ醫籍ニ登錄セシ者
左ノ如シ
 明治三十七年六月
 族 籍    姓 名
 成規ノ試驗ヲ經シ者
廣島縣平民  中村 アイ
大阪府平民  村上 コト
島根縣平民  福間 はる
福島縣平民  越智 俊子
京都府平民  上羽 志滿
 府縣立醫學專門學校卒業ノ者
大阪府平民  幣原 文二
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《幣原 操》二十八歳にして未亡人となり、二人の女兒を敎養し【日本婦人の鑑】昭和9年

《幣原 操》
二十八歳にして未亡人となり、二人の女兒を敎養し
【日本婦人の鑑】昭和9年

夫  文二(養子)
    [大阪高等医学校(現大阪大学医学部)卒業]
   歿:明治39年頃
長女  倭(夫 土屋 格)
二女 康子(夫 本多正道)
二女:康子(本多正道の妻)の二男
   映智(幣原節の養子となる)

【日本婦人の鑑】昭和9年
著者    婦人評論社 編
出版者   婦人評論社
出版年月日 昭和9
  幣原 操
   大阪府北河内郡門眞村
明治十一年現住所に生る、
長兄は文學博士幣原坦氏、
次兄は外務大臣幣原喜重郎男なり、
大阪梅花女學校に學び、
二十一歳の時産婆學を研究し
免許狀を受く、
されど實際職として働きしは
極めて暫時なり
敬虔なる基督敎信者にして
二十八歳にして未亡人となり、
 ※夫:幣原文二(養子)
二人の女兒を敎養し、
長女は日本女子大學出身にて
 ※長女:倭
京都大學敎授土屋格氏に嫁し、

次女は奈良女子高等師範を出で
 ※二女:康子(本多正道の妻)の
     二男 映智(幣原節の養子となる)
目下自宅に在り、
女史は人のため世のため
獻身的の努力を捧ぐるを以て趣味となし、
天職となす、
矯風會理事、
ヨハネ敎會委員たる外に、
近郷六ケ村聯合婦人法話會支部長、
同聯合日曜學校校長たり
該聯合會は佛敎信者を以て主體とする會なるも
推されて會長となる、
超宗派的なる處
女史の崇高なる人格の然らしむる處なり。
 p688【日本婦人の鑑】昭和9年
〔画像〕p688【日本婦人の鑑】昭和9年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1235521/1/688
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【官報 1914年12月21日】大正3年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 大正3年
 〇法人登記
一 財團法人 大阪婦人ホーム
  大正三年十二月十二日
  大阪府北河内郡門眞村大字門眞百十番屋敷
  幣原 操 理事ニ就任
右大正三年十二月十五日登記
  大阪區裁判所
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年08月04日 08:15
明治35年[第一回]医術開業試験:
後期試験合格者(35名)名簿【官報】5677
なにわ人物伝 -光彩を放つ-
幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)(1)
門真出身の総理大臣
2008/02/02
幣原  操-明治十一年生まれ。
養子 文二
[大阪高等医学校(現大阪大学医学部)卒業]
門真で「幣原医院」を開き、
地域の医療に力を入れた。
しかし夫 文二が早世。
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《本多正道》【第三高等学校一覧】【京都帝国大学一覧】

《本多正道》【第三高等学校一覧】【京都帝国大学一覧】

《本多正道》第三高等学校 高等科
理科甲類 大正8年9月入学
理科甲類 大正11年3月卒業

【第三高等学校一覧 大正8年9月起大正9年8月止】
著者    第三高等学校 編
出版者   第三高等学校
出版年月日 大正1-15
〇本校高等科生徒(三百三十一名) p98/186
    (大正八年九月三十日調)
 〇理科一年甲類二組 四十一名 p101/186
松江 本多 正道  島根
粉河 岡   潔  和歌山

【第三高等学校一覧 大正11年4月起大正12年3月止】
著者    第三高等学校 編
出版者   第三高等学校
出版年月日 大正1-15
大正十一年三月高等科卒業生  p166/172
 〇理科甲類卒業生 九十七人 p168-169/172
京理 岡   潔  和歌山  p168/172
京理 本多 正道  島根
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《本多正道》京都帝国大学
 理学部(主として数学) 大正11年4月入学
 工学部 建築学科   大正12年4月入学
 工学部 建築学科   昭和2年3月卒業

【京都帝国大学一覧 自大正11年 至大正12年】
著者    京都帝国大学 編
出版者   京都帝国大学
出版年月日 大正2-15
 第六 理學部學生及生徒 p192-193/307
大正十一年入學
(主トシテ數學ヲ學修スルモノ)
本多 正道  島根
(主トシテ物理學ヲ學修スルモノ)
岡   潔  和歌山

【京都帝国大学一覧 自大正12年 至大正13年】
著者    京都帝国大学 編
出版者   京都帝国大学
出版年月日 大正2-15
 建築學科  p209/339
大正十二年入學
本多 正道  島根

【京都帝国大学一覧 昭和2年至昭和3年】昭和3年
著者    京都帝国大学 編
出版者   京都帝国大学
出版年月日 昭和3
 建築學科  p301-302/424
昭和二年三月卒業
本多 正道  島根
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【建築と社会 = Architecture and society 72(10)(835)】
出版者   日本建築協会
出版年月日 1991-10
本多 正道
①神戸市東灘区御影町岸本1566
②なし
③あと半年余で満90才となりますので、
 建築とは全く無縁の生活を続けております。
https://dl.ndl.go.jp/pid/6056741/1/34
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《幣原映智》養母 幣原節[実父 本多正道 実母 康子(幣原操二女)] 【人事興信録 第15版 下】昭和23年

《幣原映智》養母 幣原節
[実父 本多正道 実母 康子(幣原操二女)] 
【人事興信録 第15版 下】昭和23年
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【人事興信録 第15版 下】昭和23年
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 1948
《本多正道》 p170/288
 日産土木(株)下關支社次長
 島根出身
明治三十五年二月
松彌の二男に生れた
昭和二年 京大建築科を卒業
大阪市建築課に勤務し
昭和十五年 現社設計部長に轉じた
[家]
妻  康子 明治三七年 六月生
      幣原操二女、奈良女高師卒
長男 律理 昭和 六年 六月生 中學在
三男 啓志 昭和一一年一〇月生
二男 映智 昭和一〇年 五月生
      幣原節の養子となった
下關市大和町 日産土木(株)下關支社内
p170【人事興信録 第15版 下】昭和23年
〔画像〕p170【人事興信録 第15版 下】昭和23年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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音楽学者。1935年神戸市生まれ。
東京大学文学部美学科卒、
同大学院人文科学研究科美学芸術学専門課程修士課程修了。
1969年武蔵野音楽大学講師、助教授、
1984年広島大学教育学部教授、
1994年同志社女子大学教授。2006年退任。
翻訳
『ベートーヴェン』ハンス・ルッツ 音楽之友社 1971
『16世紀の実作に学ぶ古典純粋対位法』
サルヴァトーレ・ニコローシ 日本語校訂 音楽之友社 1997
 《幣原映智》
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【大衆人事録 [全国篇] 12版】昭和12年
著者    帝国秘密探偵社 [編]
出版者   帝国秘密探偵社[ほか]
出版年月日 昭和12
《幣原 節》 p1032/1278
 産婦人小兒科醫
 武庫郡御影町岸本一五六四
 電話二二八九
[閲歷]大阪府 新次郎 二女
幣原坦・幣原喜重郎の妹
明治十七年九月七日
大阪府北河内郡門眞村に生る
大阪慈惠醫學校卒業
緒方病院産婦人科
東大弘田小兒科敎室に各研究
大阪府に開業
大正五年 現地に轉ず
宗敎 基督敎
趣味 謡曲
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年03月20日 05:28
《幣原 節》【日本醫籍録. 昭和13年版 近畿版】
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《幣原 節》財團法人祥樹保育園【官報 1936年07月03日】昭和11年

《幣原 節》財團法人祥樹保育園
【官報 1936年07月03日】昭和11年

【官報 1936年07月03日】昭和11年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和11年
◎財團法人設立  p30/34
一 名 稱 財團法人 祥樹保育園
一 事務所 武庫郡御影町御影字岸本千五百六十五番地
一 目 的 母ヲ失ヒタル乳兒
      母乳不足又ハ
      母乳ナキ乳兒
      若ハ家庭ニ傳染性疾患アル爲
      隔離ノ要アル乳幼兒及
      之ニ準スル乳幼兒ヲ収容シ
      醫學上適切ナル保育ヲ爲スト共ニ
      一般婦人ニ對シ
      乳幼兒ノ保育營養ニ關スル
      知識ノ普及ヲ圖ル
一 設立ノ年月日 昭和十一年四月二十二日
一 資産ノ總額  金五万一千三百圓也
一 理事ノ氏名住所
  玉木敬太衞 武庫郡御影町
        郡家下リ二百十二番地ノ一
  村田 省藏 武庫郡御影町
        御影字篠坪千三百六十二番地
  幣原  節 武庫郡御影町
        御影字岸本千五百六十五番地
右昭和十一年五月六日登記
  神戸區裁判所御影出張所
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【毎日年鑑 昭和12年】昭和11年
著者    大阪毎日新聞社, 東京日日新聞社 編
出版者   大阪毎日新聞社
出版年月日 昭和11
 婦人界の一年  p134/247
祥樹保育園建設
台北帝大總長 幣原坦博士ならびに
元外相 幣原喜重郎男爵の令妹で、
阪急沿線御影で女醫を開業してゐる
幣原節子女史は、
私財數万円を投じて
乳幼兒保育事業のために、
御影西平野の六甲山麓に財團法人
「祥樹保育園」を建設、
昭和十一年四月から開業の豫定である(十二月)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年10月01日 06:25
[日本女医会雑誌]第73号〔4/4〕
《祥樹保育園》昭和11年6月30日発行
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