谷暘卿

《谷 暘卿》名 暘・字 養德・号 霧谷山人:洛医人名録(文久元年版)【新撰京都叢書 第9巻】1986

【新撰京都叢書 第9巻】1986
著者    新撰京都叢書刊行会 編著
出版者   臨川書店
出版年月日 1986.2
p3【新撰京都叢書 第9巻】1986
〔画像〕p3【新撰京都叢書 第9巻】1986
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575908/1/3
   洛医人名録(文久元年版)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575908/1/224
本道 兼 女科 眼科
東洞院四条上
《谷 暘卿》
名 暘 字 養德 号 霧谷山人
p226【新撰京都叢書 第9巻】1986
〔画像〕p226【新撰京都叢書 第9巻】1986
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575908/1/226
『新撰京都叢書』第九巻
昭和六十一年二月 二十日 印刷
昭和六十一年二月二十五日 発行
     定価九、四〇〇円
編著者 新撰京都叢書刊行会
    代表 野間 光辰
発行者 片岡 英三
印 刷 株式会社 太洋社
    明文堂印刷所
製 本 新生製本株式会社
発行所 株式会社 臨川書店
    京都市左京区今出川通川端東入
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年04月02日06:15
《谷赫也:ショイベ妻 父 谷暘卿》
《松山節子:父 ショイベ 母 谷赫也》
【京都府立医科大学八十年史】昭和30年

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年04月02日10:00
《ショイベ》谷暘卿の次女赫也と結婚:
赫也はハル〔松山節子〕を生んだ
【臨床科学 22(10)(355)】1986-10
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[獨逸人ト日本人ト婚姻一件]独逸国来翰/独逸来翰:明治9年(1876)8月20日

標題:(1)独逸国来翰/独逸来翰 1876年(目次のみ)
獨逸來翰 千八百七十六年
p1- B13080261900
〔画像〕p1- B13080261900

千八百七十六年獨國來翰  p8/13
日月 八月廿日 ※明治9年(1876)8月20日
番號 
自誰 獨辯理公使 アイゼンデッヘル
至誰 鮫島大輔
大意 獨逸人ト日本人ト婚姻一件
p8- B13080261900
〔画像〕p8- B13080261900
レファレンスコード B13080261900
件名 (1)独逸国来翰/独逸来翰 1876年(目次のみ)
外務省外交史料館 戦前期外務省記録
7門 文書及図書 1類 文書3項 記録
幕末ヨリ明治初年マデノ各国トノ来往翰/独逸国来往翰
[規模]13
作成年月日 1876年
組織歴 外務省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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(1844年3月3日〈天保15年1月15日〉 – 
 1914年〈大正3年〉2月16日)は、
明治・大正期の日本の外交官、政治家。
栄典は贈正二位贈勲一等子爵。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
外務省勤務
1873年(明治6年)に外務省へ入省する。
外務省一等書記官を経て本省に勤務したが、
翌1874年(明治7年)には駐独代理公使、
さらに駐独公使となってドイツに赴任、
プロイセン貴族の令嬢エリザベートと知り合う。
1875年(明治8年)には
オーストリア=ハンガリー帝国公使を兼任した。
翌年[1876年(明治9年)]に
エリザベートと結婚を決意し、
1877年(明治10年)に外務省の許可を得るものの、
テルとの離婚が青木家から承諾を得られず、難航する。
親族
継妻:エリザベート(エリーザベト)・フォン・ラーデ
(Elisabeth von Rhade、1849–1931) - プロイセン貴族令嬢
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[明治初年の雑居地住人]⑤「大坂居留地外国人人名帖」【大阪の歴史 (24)】1988-03

【大阪の歴史 (24)】1988-03
著者    大阪市史編纂所 編
出版者   大阪市史料調査会
出版年月日 1988-03
  堀田暁生
 表2 「人名帖」のカタカナ表記の原綴りの推定
「人名帖」の名      推定原綴り
ガワル(英)       Gower, Abel Anthony James
レツク(仏)       Leques
ロビネット(米)     ―――
ピストロユス(蘭)    Pistorius, P. E.
イヨールソン(孛)    Iwersen
イトン(英)       Eaton?
オールト(英)     〇Alt, W. J.
スミツベーカ(米)   〇Smith Baker
ハルトリ(英)     〇Hartley, J.
ヒュス(英)      〇Hughs, Dier
フライス(仏)      Vraise?
マノー(仏)       ―――
ロック(英)       ―――
レツプル(米)      ―――
レーマン(孛)      Lehmann,Carl  与力町1
アテリアン(英)     Adrian
コロン(仏)       Collomb, F.   与力町1
ショム(米)       ―――
カイマンス(仏)     Gaymans<長崎領事>
フラク(仏)       ―――
クツイン(仏)      Cousin, Jules Alphonse 富島
ボン(仏)        Bon, H.   道修橋※同心橋
クテル(仏)       ―――
ワッチ(米)       Watti?
メジョル(英)     〇Major, Frank 与力町
ヒンヤルト(仏)    〇Pignatel, V.
ウヲー(仏)       ―――
エス・エ・レヤル(仏) 〇Real, A.   梅本町
「人名帖」の名      推定原綴り
エホシア(孛)      ―――
グリン(英)       Green?
チョセツ(英)      ―――
マクロト(英)      Mcleod, N.  梅本町・同心町
gyテル(仏)      ―――
シウマン(米)      ―――
スミツスハン(孛)   〇Schmidt Spahn 道修町・与力町
                    ※同心町
ルック(英)       ―――
フハーブル(孛)    〇Favre-Brandt
フヰスセル(英)    〇Fisher
ガラハ(英)      〇Glover
ハツタケ(蘭)     〇Batteke,Geo.
テキストル(蘭)    〇Textor
アレッキー(英)     ―――

マンシュル(英)     ―――
スハン(蘭)       ―――
ライアンス(米)     Lyons, W.P. 道修町※同心町
スーイテ(米)      ―――
エムス(米)       ―――
レイマン(孛)     〇Lehmann, Carl  与力町
ハルーマン(孛)    〇Hartmann, Oscar 与力町
ヨーマン(英)      ―――

〔注〕 p30/45
(1)研究誌『川口居留地』1が
   昭和六十三年五月に創刊予定で
   川口居留地研究会の研究成果の一端が
   紹介されている。
   また、『大阪春秋』第五十三号も
   「開化大阪と外国人」という特集を
   昭和六十三年五月に発刊する予定である。
(2)雑居地の地域は
   古川・富島・本田・梅本の各町である。
   拙稿「明治初年大阪居留
      シュミット・スパン商会をめぐる
      諸事件について」
   (『大阪の歴史』第十四号)で、
   雑居地の範囲として、
   古川町を洩らし
   安治川通南一丁目を入れているが、
   安治川南通一丁目は雑居地外である。p31/45
   訂正をしておく。
(3)拙稿「川口居留地の分画」
   (『大阪の歴史』第十七号)、
   なお川口居留地研究会配布資料(未刊)。
(4)フライスはプライス、プレスとも記され、
   大阪開港当初朱引地内に住まなかったとして
   大阪府権判事兼外国官権判事
   五代才助から抗議がだされた
   (拙稿「明治初年の外国人とのトラブル」
    『大阪春秋』第五十三号)。
(5)拙稿「明治初年大阪居留
      シュミット・スパン商会をめぐる
      諸事件について」参照。
   (大阪市史料調査会)
 p31【大阪の歴史 (24)】1988-03
p31【大阪の歴史 (24)】1988-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/7953356/1/31
大阪の歴史 第二十四号
昭和六十三年三月三十日発行
編集 大阪市史編纂所
発行 大阪市史料調査会
   代表者 宮本又次
   大阪市西区北堀江四丁目三ノ三
   大阪市立中央図書館内
   電話 〇六(五三一)〇五五一
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印刷 ナニワ印刷株式会社
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「大坂居留地外国人人名帖」【大阪の歴史 (24)】1988-03
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[明治初年の雑居地住人]➃「大坂居留地外国人人名帖」【大阪の歴史 (24)】1988-03

【大阪の歴史 (24)】1988-03
著者    大阪市史編纂所 編
出版者   大阪市史料調査会
出版年月日 1988-03
  堀田暁生

『日録』は、その日にあったできごとを
記すだけであるから、
『日録』にでてくる外国人名や商社名、
所在場所も限られたものである。
しかし、「人名帖」の所在場所は
明治二年十一月段階での場所であるから、
『日録』に記載されている場所と異なれば、
それは『日録』に記載されているところから、
「人名帖」に記載されている場所へ移転したと考えられる。

例えばプライスは、
『日録』では梅本町筑前屋清蔵の家に住んでいるが、
「人名帖」では居留地二十五番と
元川口組川北喜左衛門の家を
借りていることになっている。
この場合、元川口組というのは、
幕府の御船手奉行の配下であった
与力や同心の住んだ場所で、
梅本町とは離れた場所であるから、
川北喜左衛門が筑前屋清蔵から家を借り、
それをプライスに貸したということは考えられない。
プライスは筑前屋清蔵の借家から移転したのである。

同様にシュミット=スパン商会も
古川二丁目播磨屋長三郎のところから、
元川口組黒崎吉兵衛宅へ移転したのであろう。

レイマン=ハルトマン商会については
『日録』と「人名帖」と一致するので、
場所の移動がないことがわかる。

なお、『大阪の歴史』第十九・二十号に、
西口忠・井上琢智両氏が
「川口居留地外国人名簿」上・下を掲載し、
川口居留地研究の最も基本的な資料となっている。

  blog[小野一雄のルーツ]改訂版
  2023年11月21日04:50
  Lehmann,Carl(レーマン)Lehmann,Rudolph
  川口居留地外国人名簿(上)井上琢智・西口忠
  【大阪の歴史 (19)】1986-09

この「川口居留地外国人名簿」
(以下「名簿」と略記)を参照して、
「人名帖」の原綴りを作成したのが表2である
(商会関係者には〇印を付した)。
居留地以外の場所に住んだ人物については町名を付した。

与力町の地名はさきに述べたように
元御船手奉行配下の与力が住んだところと考えられる。
西口・井上両氏の指摘のように。
「名簿」中の道修町・道修橋は
英字の綴りの誤記を漢字にしたもので、
元御船手奉行配下の同心が住んだところという意味で
(Doshinmati)とあるべきところを
nとuが間違って印刷され
(Doshiumati)となったのであろう。
したがって道修町・道修橋は
同心町・同心橋と読みかえるべきである。
同心橋というのは、
古川筋にかかっていた橋か、
元の川口組屋敷にあった堀割
(居留地造成の際に埋立てられた)
にあった橋と考えられる。

表2中のスミツスハンとフハープルの国籍が
孛(プロシア)となっているのは誤りで、
スイスとするのが正しいが、
当時は国籍が曖昧な場合があり、
その間の事情はよくわからない。

明治初年の雑居地に住んだ外国人について、
とりあえず記した次第であるが、
史料が少なく十分なものとなりえなかった。
雑居地・居留地を通じて、
外国人個人や商会の活動についても
明らかにする必要があるが、
それは後考に譲ることとしたい。

 表1 『日録』にみえる外国人名と借家
慶応四年
 8月22日 仏プライース
       梅本町  筑前屋清蔵
       英フルユスゴシメン
       梅本町  木地屋元治郎
 9月 8日 米ペイチ
       梅本町71 木地屋元治郎
          (代判源助所持家屋)

明治元年
 9月12日  ケエス
       富島1  堂島屋卯兵衛
 9月14日 英ガラバ
       梅本町  筑前屋三次郎
            (代判清蔵)
 9月22日 スミツスパン
       古川2  播磨屋長三郎
          (代判金兵衛土蔵)
10月 5日 英ヲールト
       ―――――
10月13日 孛インコリンス
       梅本町  木地屋元治郎
10月14日 英スチーブン
       富島1  灰屋治三郎
10月25日  ハエル
       梅本町  筑前屋清蔵
       英ハルトリー
       ―――――
10月29日  レイマンハルトマン
       古川2 兵庫屋猶次郎
11月25日 英エッチ・エ・ストーン
       梅本町 寺川屋伝七
12月10日 英ジョーセフ
        藤田屋伊三郎(家の下見)
12月11日 英ジョーセフ
        木屋太助(家の下見)
12月20日 孛シンイマルシテン
       梅本町  木地屋元治郎借家
            (美濃屋利助居宅)
明治二年
 1月 6日  マシス
       九条   和泉屋新右衛門
 p30【大阪の歴史 (24)】1988-03
p30【大阪の歴史 (24)】1988-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/7953356/1/30
大阪の歴史 第二十四号
昭和六十三年三月三十日発行
編集 大阪市史編纂所
発行 大阪市史料調査会
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《続く》[明治初年の雑居地住人]⑤
「大坂居留地外国人人名帖」【大阪の歴史 (24)】1988-03
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[明治初年の雑居地住人]③「大坂居留地外国人人名帖」【大阪の歴史 (24)】1988-03

【大阪の歴史 (24)】1988-03
著者    大阪市史編纂所 編
出版者   大阪市史料調査会
出版年月日 1988-03
  堀田暁生
合 五拾弐人
 内
  英 拾七人  内 壱人 岡士
  仏 拾五人  内 壱人 副岡士
  亜  九人  内 壱人 代岡士
  蘭  四人  内 壱人 副岡士
  孛  七人  内 壱人 副岡士
右之通御座候以上
 巳一一月
   阪府 外務局

以上にみたように「大坂居留地外国人人名帖」には
五十二人の名が挙げられている。
しかし、詳細に検討してみると、
いろいろな疑問が生じてくる。

まず、居留地に住んだ人物だけを挙げると、
孛副岡士イヨールソン(二十四番)・英商イトン(四番)・
英商オールト(十二番)・亜商スミツベーカ(十四番半)・
英商ハルトリ(十六番)・英商ヒュス(二十三番)・
仏商フライス(二十五番)の七人である。(4)
さきに述べたように居留地は
慶応四年七月二十九日の競売で
二六区画がすべて落札されているから、
この名簿にも二六区画すべてに居住者が
いなければならないはずであるが、
わずかに七人しかいないということは
どのように考えるべきであろうか。
しかもこの七人のうち
落札時と同一場所にいるのは、
イトン、スミツベーカ、
オールト、ヒュスの四人だけである。
ハルトリは落札時は二十六番であった。
また、イヨールソンの住む二十四番は
キニフルが取得したところである。
もっともキニフルの二十四番は
孛国の領事館を兼ねたようであるから、
孛副岡士であるイヨールソンが住んだのは一応納得できる。
フライスの場合はテキストルから借りたと思われる。
このフライスは、
明治三年仏岡士レックが去ったあとに、
箱館屋舗に移転している(箱館屋舗は雑居地内)。

さて、二六区画のうち七カ所しか
居住者がいない点については、
①落札時は更地であって、
落札者が明治二年十一月の時点では
まだ家屋を建設していなかった、
したがって所有者は雑居地あるいは
長崎や神戸などにいた、
②また家屋はできていたが、
実際には住んでいなかった、
③また家屋を他に貸していた、
という三点が考えられる。
②③のケースは少なく、
①のケースが多かったのではないかと考えたいが、
現段階では推定は困難である

七人のうち、
オールト、ヒュス、フライスの三人は雑居地にも、
別に家を借りているようである。
オールト、ヒュスは、①のケースに該当し、
建物ができる間、雑居地に住んだとも考えられる。
同様に、落札時に名がありながら、そこにはいず、
雑居地に名がでてくる
アテリアン、フハーブル、ガラハも
①に該当するのではないだろうか。
テキストルは自分で住まず、
フライスに貸したのであろう。

次に問題となるのは、
この人名録にでてくるものが
個人の名であるのかどうかという点である。
商社名と思われるものがあるからである。

その例としては、
スミツハン、ガラハ、ハツタケなどがある。

また、レーマンとレイマン・ハルーマンは
レイマン=ハルトマン商会と考えられるから、
レイマンが自分の個人的住居として
宇津尾金吾の家を借り、
商会として兵庫屋猶次郎の家を
借りたのではないだろうか。

ガラハは有名なグラバーのことであり、
二カ所借りているが、
これもグラバー個人ではなく
商会として借りていたのではないだろうか。

そのように考えてくると、
五十二人という数字も実人数とは考えにくい。

  『日録』との比較
大阪市史編纂所に、
慶応四年八月二十二日から明治二年一月六日までの
『日録』という史料が架蔵されている。
記録したのは、
北組総年寄であった比田小伝次と思われ、
その職掌上運上所の用を勤めた際のものと
考えられるが確証はない。

この『日録』に外国人の名前が散見する。
そこで、外国人の名前・日時・住所を
書き出すと表1のようになる。
(ヲールト・ハルトリーについては名前のみの記載)。

「大坂居留地外国人人名帖」
(以下「人名帖」と略記)よりも一年程早いが、
比較してみることにする。
まず、共通してでるのは、
プライース(フライス)・
ガラバ(ガラハ)・
スミツスパン(スミツスハン)・
ヲールト(オールト)・
ハルトリー(ハルトリ)・
レイマンハルトマン(レイマン、ハルーマン)
の六件である。
( )内は「人名帖」の表記であるが、
同一と考えられる。
プライース(以下プライスと記す)を除く五件は
商会名と考えたほうがよい。
ガラバはグラバー商会(Glover & Co.)、
スミツスパンは
シュミット=スパン商会(Schmidt Span & Co.)、(5)
ヲールトはオルト商会(Alt & Co.)、
ハルトリーはハルトリー商会(Hartley & Co.)、
レイマンハルトマンは
 p29【大阪の歴史 (24)】1988-03
p29【大阪の歴史 (24)】1988-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/7953356/1/29
レイマン=ハルトマン商会
(Lehmann, Hartmann & Co.)である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/7953356/1/30
大阪の歴史 第二十四号
昭和六十三年三月三十日発行
編集 大阪市史編纂所
発行 大阪市史料調査会
   代表者 宮本又次
   大阪市西区北堀江四丁目三ノ三
   大阪市立中央図書館内
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印刷 ナニワ印刷株式会社
   (実費頒布)
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《続く》[明治初年の雑居地住人]➃
「大坂居留地外国人人名帖」【大阪の歴史 (24)】1988-03
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[明治初年の雑居地住人]②「大坂居留地外国人人名帖」【大阪の歴史 (24)】1988-03

【大阪の歴史 (24)】1988-03
著者    大阪市史編纂所 編
出版者   大阪市史料調査会
出版年月日 1988-03
  堀田暁生
以下、全文を掲載し、
その内容については後に検討を加えることにする
(なお、岡士は領事、副領事のことであり、
 国名については亜が米国、孛はプロシアである)。

営繕地所 日記 明治二年
十一月十五日、大坂居留地外国人人名帖、壱冊、
庶務方へ差出ス
他港往復留

  大坂港居留地外国人名録
川口元一橋屋舗貸渡
  英岡士  ガウル
同所元箱館屋舗貸渡
  仏岡士  レック
梅本町
 木屋泰次郎家借
  亜代岡士 ロビネット
梅本町
 筑前屋卯之助家借
  蘭副岡士 ピストロユス
居留地第二十四番
  孛副岡士 イヨールソン
同所第四番
  英商   イトン
同所第十二番
 元川口組  増田全之助 岡部久馬司 家借
  英商   オールト
同所第十四番半
  亜商   スミツベーカ
同所第十六番
  英商   ハルトリ
同所第二十三番
 元川口組  村竹福太郎 黒崎与三次郎 家借
  英商   ヒユス
同所第二十五番
 元川口組  川北喜左衛門 家借
  仏商   フライス
元川口組   杉謙之助 家借
  同    マノー
同所     太田資左衛門 地借
  英商   ロック
同所     岡部与三士 家借
  亜商   レツプル
 p27【大阪の歴史 (24)】1988-03
p27【大阪の歴史 (24)】1988-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/7953356/1/27
同所     宇津尾金吾 家借
  孛商   レーマン
同所     人見橘太郎 家借
  英商   アテリアン
元川口組   津田孝太郎 家借
  仏商   コロン
同所     須藤俊太郎 家借
  亜商   ショム
同所     木羽政次郎 家借
  仏商   カイマンス
同所     三井作次郎 家借
  同    フラク
同所     吉田寅次郎 家借
  同    クツイン
同所     氷見延之助 家借
  同    ボン
同所     小松市太夫 家借
  同    クテル
同所     池田三藏  家借
  亜商   ワッチ
同所     吉田百太郎 川上和市 福井高蔵 家借
  英商   メジョル
同所     山口秀太郎 家借
  仏商   ヒンヤトル
同所     小山文次郎 家借
  同    ウヲー
同所     岡山良蔵  家借
  同    エス・エ・レヤル
同所     境甚次郎  家借
  孛商   エホシヤ
同所     川上小太郎 家借
  英商   グリン
同所     宮田仲蔵  家借
  英商   チヨセツ
同所     伊藤友太郎 家借
  同    マクロト
同所     上田藤太郎 家借
  仏商   グテル
同所     小山謙太郎 家借
  亜商   シウマン
同所     黒崎吉兵衛 家借
  孛商   スミツスハン
同所     岡本豊吉  家借
  英商   ルツク
元箱館屋舗  貸渡
  孛商   フハープル
九条村
 泉屋新右衛門 家借
  英商   フヰスセル
梅本町
 筑前屋三次郎 家借
古川壱丁目
 河内屋宗吉  同断
  英商   ガラハ
梅本町
 苫屋久兵衛 家借
  蘭商   ハツタケ
同町
 木屋太助  家借
  同    テキストル
同町
 柴屋太兵衛 家借
  英商   アレツキー
同町
 筑前屋卯之助 家借
  同    マンシュル
  蘭商   スハン
同町
 寺川屋傳七 家借
  亜商   ライアンス
       スーイテ
同町
 草野屋政吉 家借
  仏商   クテル
古川二丁目
 不二屋篤蔵 家借
  亜商   エムス
同町(古川二丁目)
 兵庫屋猶次郎 家借
  孛商   レーマン
       ハルーマン
同町壱丁目
 河内屋弥八郎 家借
  英商   ヨーマン
 p28【大阪の歴史 (24)】1988-03
p28【大阪の歴史 (24)】1988-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/7953356/1/28
大阪の歴史 第二十四号
昭和六十三年三月三十日発行
編集 大阪市史編纂所
発行 大阪市史料調査会
   代表者 宮本又次
   大阪市西区北堀江四丁目三ノ三
   大阪市立中央図書館内
   電話 〇六(五三一)〇五五一
   振替口座 大阪(三)八二二四一
印刷 ナニワ印刷株式会社
   (実費頒布)
https://dl.ndl.go.jp/pid/7953356/1/44
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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「大坂居留地外国人人名帖」【大阪の歴史 (24)】1988-03
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[明治初年の雑居地住人]①「大坂居留地外国人人名帖」【大阪の歴史 (24)】1988-03

【大阪の歴史 (24)】1988-03
著者    大阪市史編纂所 編
出版者   大阪市史料調査会
出版年月日 1988-03
[明治初年の雑居地住人]
  堀田暁生
  はじめに
近年、大阪にあった
川口居留地についての研究が進み、
新しい事実が次々と判明している。(1)
ただ、居留地という場合に
雑居地を含める場合と、
除外していう場合があり、
混乱を生じるケースがある。
川口居留地という場合には
雑居地を含めていうことが多い。
しかし、厳密には、
居留地と雑居地とは異るものであり、
居留地と雑居地を含めて、
外国人が住める範囲を示す表現としては
「朱引地」がふさわしいように思われる。
居留地とは、外国人だけが住めるところであり、
 p26【大阪の歴史 (24)】1988-03
p26【大阪の歴史 (24)】1988-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/7953356/1/26
雑居地とは居留地に入れなかった
外国人が日本人の家屋を借りて
住むことができる地域である。(2)
居留地と雑居地を含めた部分を
地図上に朱線で明示したことから、
朱引地と表される。

川口居留地は
慶応四年七月二十九日
(一八六八年九月一五日)に
二六区画が競売された。
その区画の所有者については
変遷はある程度明らかになりつつある。(3)
しかし、
雑居地についての研究はあまりされていない。
小稿は雑居地に住んだ外国人について、
史料紹介を兼ねて述べようとするものである。

  明治二年の「大坂居留地外国人人名帖」
大阪府にはかつて、
「領事往復文書」「外務省往復文書」という簿冊があり、
これは『明治大正大阪市史』編纂のおりに
部分的に筆写されて同市史第七巻に掲載された。
部分的であることがわかるのは、
郷土雑誌『上方』第四十九号に木村武夫氏が
『明治初年の外交文書に現はれたる大阪』
という一文を載せられ、
引用された史料の出典として
右の二つの文書を挙げているのに、
『明治大正大阪市史』のほうには、
該当部分がないからである。
また、『明治大正大阪市史』では
各年の掲載分量のばらつきがあり、
筆写にあたって取捨選択がおこなわれたと考えられる。
もっとも、そのような取捨選択を経ても
四〇〇ページにもおよぶ分量が活字となって残り、
研究の上で大きな寄与をしていることに違いがない。
とりわけ「領事往復文書」「外務省往復文書」
とも現在残っていないので、
全部が翻刻されていたらという思いは捨てきれない。

大阪市立中央図書館に
「大阪府庁所蔵図書目録」というのが
架蔵されているが、
これは、『大阪市史』あるいは
『明治大正大阪市史』を編纂するにあたって、
大阪府の蔵書を調査したときに
作成されたものであろうと推測される。
そのなかに、
「領事往復文書」
「外務省往復文書」の名がみられるだけでなく、
現在『明治大正大阪市史』に引用されている
各種の史料名がある。
察するに、
火事や戦災その他でそれらの記録は
焼滅してしまったのだと思われる。
残念なことというほかない。

ところで、『大阪市史』を編纂した幸田成友博士は、
その編纂過程で、編年体の史料稿本を作成した。
これは古代から明治二十二年までおよぶものであるが、
そのうち慶応三年までの分はのちに
『大阪編年史』全二十七巻として刊行された。
明治以後は、史料不足が否定できず刊行が見送られた。
その未刊稿本のなかに、
大阪府が作成した『営繕地所日記』が引用されており、
それは居留地にも関係している。
それが、ここで紹介する史料である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/7953356/1/27
大阪の歴史 第二十四号
昭和六十三年三月三十日発行
編集 大阪市史編纂所
発行 大阪市史料調査会
   代表者 宮本又次
   大阪市西区北堀江四丁目三ノ三
   大阪市立中央図書館内
   電話 〇六(五三一)〇五五一
   振替口座 大阪(三)八二二四一
印刷 ナニワ印刷株式会社
   (実費頒布)
https://dl.ndl.go.jp/pid/7953356/1/44
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
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「大坂居留地外国人人名帖」【大阪の歴史 (24)】1988-03
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[女紅場]上京區6・14組 伏見區4組《生徒氏名》【京都博覧会出品目録 上巻】明治12年

【京都博覧会出品目録 上巻】明治12年
著者    博覧会社 編
出版者   博覧会社
出版年月日 明12序
明治十二年六月 京都博覽會社敬白
[女紅場]上京區六組
氍毺 「(くしゅ・くゆ)毛織の敷物。じゅうたん。」
二疊敷紺無地輪郭魚紋及茶葡萄鼠子母條
生徒中製
一疊敷輪織藍鼠地各色大草紋輪郭紺白雷紋其他一種
生徒中製
一疊敷輪織葡萄鼠及縞入等二種
生徒中製
一疊敷輪織麻絲入紺無地輪郭茶雷紋及白條
生徒中製
坐褥葡萄鼠地各色大花紋輪郭子母條
大藪むめ
住谷きみ製
坐褥藍鼠地茶白大花紋輪郭紺雷紋
大島ひさ
大貝とみ製
坐塾鼠色地各色大牡丹花輪郭茶色草紋
中井ちう
飯田くれ製
坐褥鶯茶地紺白大花紋輪郭紺草紋其他六種
生徒中製
靴拭
麻絲氍毺各色石疊紋
田中志う製

[女紅場]上京區十四組
氍毺
坐褥葡萄鼠地各色鳳凰紋輪郭媚茶雷紋
田中いと
大村ゑい製
坐褥藍鼠地萌黄葉白牡丹花輪郭媚茶條中白遊蝶紋
長谷川とき製
坐褥葡萄鼠地各色櫻花輪郭蘇黄色雷紋
神尾鶴菊製
坐褥藍鼠地各色石榴輪郭納戸條中白飛鳥紋
小谷りう製
坐褥葡萄鼠地綠葉白牡丹花輪郭藍鼠地白遊蝶紋
八木たけ製
坐褥藍鼠地紺茶寶盡紋
吉田れい製
坐褥葡萄鼠地各色牽牛花輪郭蘇黄色地萌黄飛鳥紋
大原 米製
坐褥葡萄鼠地納戸白茶櫻花輪郭媚茶草紋
松尾とみゑ製
坐褥焦茶白茶石疊地納戸色寶盡紋
八木すへ製
坐褥藍鼠地綠葉白牡丹花輪郭納戸萌雷紋
東 とき製
坐褥葡萄鼠地各色佛手紺輪郭白茶麻葉其他一種
竹村小絲製
坐褥藍鼠地紺納戸大花紋輪郭白茶雷紋
竹村てる製

[女紅場]伏見區四組
氍毺
坐褥錢納戸地鼠色大花紋輪郭紺草紋
藤川さと製
坐褥葡萄鼠地媚茶白茶大花紋輪郭茶色雷紋
西村きみ製
坐褥銕納戸地鼠焦茶納戸大花紋輪郭茶色雷紋
江口 榮製
p61-k6-14h4【京都博覧会出品目録 上巻】明治12年
p61-k6-14h4【京都博覧会出品目録 上巻】明治12年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[女紅場]伏見區1組《生徒氏名》【京都博覧会出品目録 上巻】明治12年

【京都博覧会出品目録 上巻】明治12年
著者    博覧会社 編
出版者   博覧会社
出版年月日 明12序
明治十二年六月 京都博覽會社敬白
[女紅場]伏見區一組
卓懸
服連各色縫繼細工
生徒中製
剪綵
筆筒
桑樹綠四君子圖
生徒中製
外套
童子用二枚
生徒中製
臂敷
金襴紅白縫繼七寶形二個
河合はる
河合いそ製
縮緬夾纈及各色縮緬各色服連等
縫繼細工數十種百卅五個
河合はる
河合いそ
辻井はな
中島なか
本木とみ
村田みつ
河原林すへ
岸和田みね
太田こと
武村ひさ
河田千代
中井はま
寺内いと
石塚てる
寺本すて
池田とく
北村ぬい
寺西とら
木原はま
木村てつ
陸田まん
藤田きの
北林うの
藤田みね
河合きさ
小島ゆき
松井かう
荒木とら
寺内たみ
杉山あい
蔦本志を
淸水ふさ
渡邊とき
北村みか
山下すへ
山本ふさ
八田さと
八田とき
本田うの
澤田むめ
石川こう
藤井ふさ
楠 ふく
中溝とき製
p61-h01【京都博覧会出品目録 上巻】明治12年 - コピー
p61-h01【京都博覧会出品目録 上巻】明治12年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[女紅場]下京區24組《生徒氏名》【京都博覧会出品目録 上巻】明治12年

【京都博覧会出品目録 上巻】明治12年
著者    博覧会社 編
出版者   博覧会社
出版年月日 明12序
明治十二年六月 京都博覽會社敬白
[女紅場]下京區廿四組
巾着
各色縮緬繼細工其他小兒形袂寶形等三種百餘個
福田ちか
瀧橋たう
西村はる
福田てる
山本はつ
山崎ちう
蛭子あい製
迷子札
裂巾押繪
p60-s24【京都博覧会出品目録 上巻】明治12年
p60-s24【京都博覧会出品目録 上巻】明治12年
細工六歌仙等四種十個
生徒中製
手遊箱
裂巾貼交細工
生徒中製
人偶用衣服
縮緬服連友仙染裏縮緬服連萌黄色等四種十枚
生徒中製
p61-s24【京都博覧会出品目録 上巻】明治12年
p61-s24【京都博覧会出品目録 上巻】明治12年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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