山尾安史

川崎汽船の元取締役山尾安史さんが1996年7月30日に亡くなった【Container age:8月(349)】平成8年(1996)

【Container age : 
The authoritative voice of intermodal 
transportation and distribution 8月(349)】
出版者   コンテナエージ社
出版年月日 1996-08
  編集後記
川崎汽船の元取締役山尾安史さんが
1996年7月30日に亡くなった。(81歳)
※大正4年(1915)12月4日生
船社を退任後、
かなり長く米国タコマ港の日本事務所で
仕事をしていた。
むかしは濃い眉毛の精悍な顔で、
近寄り難い雰囲気を漂わせていたが、
タコマ港代表になったと、
前任者の河辺さんと一緒に挨拶に来られたときは、
誠に円満な顔になり、
ちょっとびっくりした記憶がある。
晩年は声が出ないという不幸に見舞われ
10年に近い療養生活を余儀無くされていた。
野球好きの山尾さんは、
あの世から高校野球を楽しんでいるだろうか。
ご冥福を祈る。

CONTAINER AGE
 8月号/第349号
1996年8月1日(毎月1回1日発行)
発行者 池田良作
編集者 新本英児
発行所 コンテナエージ社
東京都港区西新橋1-13-2・荻原ビル3階
電話(03)3501-0600 FAX(03)3501-0600
印刷所 中部印刷(株)
購読料 1年6,000円 2年11,000円
p16【Container age:8月(349)】平成8年(1996)
p16【Container age:8月(349)】平成8年(1996)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2859470/1/16
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《山尾安史》川崎航空社長:就任と退任【Space:月刊航空貨物専門誌 】昭和47年(1972)・49年(1974)

[川崎航空社長に山尾安史氏就任]
【Space:月刊航空貨物専門誌 2(2)(14)】昭和47年(1972)
出版者   ジャパンプレス社
出版年月日 1972-02
 PERSONAL
川崎航空社長に山尾氏就任
川崎航空サービスは、
昨11月25日の株主総会及び取締役会で
宮地襄二社長の辞任に伴う人事異動を決定。
後任として山尾安史前副社長が就任した。
なお、
宮地氏は今後も顧問として
同社の経営に参加する。
p33【Space:月刊航空貨物専門誌 2(2)(14)】昭和47年
p33【Space:月刊航空貨物専門誌 2(2)(14)】昭和47年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2631237/1/33

[川崎航空 山尾安史社長の退任]
【Space:月刊航空貨物専門誌 4(1)(37)】昭和49年(1974)
出版者   ジャパンプレス社
出版年月日 1974-01
川崎航空 新社長に長野氏
川崎航空サービス株式会社では、
このほど取締役社長に長野治夫氏が就任。
これは、
山尾安史社長の退任に伴い行われた人事異動。
長野氏は、引き続き
川崎汽船外航定期貨物株式会社の社長も兼任する。
なお、
そのほか中内省三専務取締役が退任したほか、
次の人事異動が行われた。
▶吉澤悟・取締役
▶工匠明・取締役
▶塚原正二・監査役
山尾安史・顧問
p30【Space:月刊航空貨物専門誌 4(1)(37)】昭和49年
p30【Space:月刊航空貨物専門誌 4(1)(37)】昭和49年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2631260/1/30
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《山尾安史》川崎汽船外航定期貨物(株)常務【人事興信録 第24版 下】昭和43年(1968)

【人事興信録 第24版 下】昭和43年(1968)
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 1968
《山尾 安史》
 川崎汽船外航定期貨物(株)常務
 兵庫県出身
 明石市在籍
 妻  佳世子 大正13年6月8日生
 長男 真 史 昭和19年9月1日生
        一橋大学在
 長女 祐喜子 昭和22年5月13日生
        青山学院大学在
大正4年12月4日生る
昭和12年
和歌山高商卒業
川崎汽船に入り
営業部副部長・大阪支店長を務め
昭和33年4月
紐育首席駐在員となり
昭和36年6月
東京支社貨物部長に転じ
昭和37年11月
取締役に選ばれ
昭和38年6月
貨物部業務担当
昭和39年8月
現職に就く
住所 東京都渋谷区代々木四ノ三四ノ四
電話 (370)六八四六
p1113【人事興信録 第24版 下】昭和43年(1968)
p1113【人事興信録 第24版 下】昭和43年(1968)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3044858/1/1113
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【人事興信録 第25版 下】昭和44年(1969)
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 1969
※上記と同一
https://dl.ndl.go.jp/pid/3044854/1/1179
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年07月04日 13:04
[思い出の写真帖]037
〔山尾安史さん:川崎汽船ニューヨーク支店長〕
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《山尾安史》川崎汽船外航定期貨物(株)常務取締役業務部長【大衆人事録 第26版 東日本編】昭和43年

【大衆人事録 第26版 東日本編】昭和43年(1968)
著者    帝国秘密探偵社 編
出版者   帝国秘密探偵社
出版年月日 1968
《山尾安史(やまお やすひと)》
 川崎汽船外航定期貨物(株)
 常務取締役 業務部長
東京都渋谷区代々木四ノ一八ノ五
代々木社員アパートB一一五
電話(370)六八四六
〔歴〕
大正4年12月4日生
兵庫県明石市出身
昭和12年
和歌山高商卒業
現社に入り
昭和30年
営業部副部長
昭和33年3月
大阪支店長
昭和33年4月
紐育(ニューヨーク)首席駐在員
昭和36年
貨物部長
昭和37年11月
取締役となり
貨物部長委嘱
昭和39年8月
現職に就任
〔家〕
妻  タカ子(大正13年)
長男 真史 (昭和19年)
長女 裕喜子(昭和22年)
 p524【大衆人事録 第26版 東日本編】昭和43年
p524【大衆人事録 第26版 東日本編】昭和43年
https://dl.ndl.go.jp/pid/3013517/1/524
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年07月17日 10:12
[思い出の写真帖]063
〔山尾安史さん親子と都立小山台高校ラグビー部〕
 山尾真史 ? 山尾安史 小野又一
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《山尾安史》和歌山高等商業学校
入学 昭和9年4月 卒業 昭和12年3月
第一神戸中
卒業 昭和9年3月
【和歌山高等商業学校一覧 第14年度】昭和11年
著者    和歌山高等商業学校 編
出版者   和歌山高等商業学校
出版年月日 昭和11
  ◎生 徒
第三學年  山尾安史 兵庫 第一神戸中

【和歌山高等商業学校一覧 第13年度
(自昭和10年4月至昭和11年3月)】
著者    和歌山高等商業学校 編
出版者   和歌山高等商業学校
出版年月日 大正12-昭和10
第二學年  山尾安史 兵庫 第一神戸中

【和歌山高等商業学校一覧 第12年度
(自昭和9年4月至昭和10年3月)】
著者    和歌山高等商業学校 編
出版者   和歌山高等商業学校
出版年月日 大正12-昭和10
第一學年  山尾安史 兵庫 第一神戸中
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《山尾安史》川崎汽船外航定期貨物会社の常務取締役【海運人物譜 第4集】昭和41年(1966)

【海運人物譜 第4集】昭和41年(1966)
著者    堀卯太郎 著
出版者   国際海運新聞社
出版年月日 1966
  山尾安史
川崎汽船外航定期貨物会社の
常務取締役の山尾安史は、
野球に強い和歌山高商の出身である。
しかも学生時代は
その野球の選手だったというだけに、
いかにもスポーツマンらしい
キリッとしたところがある。
五尺六寸(171cm)、十八貫(67kg)
というその体格も
均斉がとれていて立派である。
さぞ女性にはもてることだろうと想像されるが、
本人も「銀座裏へでも行けば……」
とまんざらでもない口振りであった。
その内に行こう―ということだったが、
それはその場の口先だけで、
まだその「もてっ振り」を
一度も拝見したことはない。
〔山尾安史さん:川崎汽船ニューヨーク支店長〕
兵庫県は明石の生れで、
大正四年十二月-ということだから、
今年の十二月で満五十一才である。
川崎汽船の取締役になった
昭和三十七年十一月には、
まだ四十七才になっていなかったわけである。
p230【海運人物譜 第4集】昭和41年(1966)
p230【海運人物譜 第4集】昭和41年(1966)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2523787/1/230
若い重役であり、
それだけにまた、
川汽系の若々しさを
代表しているようなものである。
戦後川汽の社格の上昇は見事なものだが、
その急速な発展の秘密は、
こういうところにあるのかも知れない。

もっとも、
社長の服部元三はまだ六十一才で、
社長になった
昭和二十五年十一月には四十五才であり、
取締役になった
昭和二十二年十二月には四十二才だったわけだ。
それからみると必ずしも若いとはいえないが、
事業にはやはり若さというものが必要である。
老令の経営者にもむろんそれ相応の長所があるが、
とかく新機軸や冒険を危ながり、
ともすると出遅れるキライがある。
川汽系の急速な発展の実績は、
若さもまた貴重な宝の一つだ
ということを教えている。

彼が学校を卒業したのは昭和十二年、
その年日華事変が勃発している。
川崎汽船に入社し、
さらに
昭和十七年四月船舶運営会が設立されると
運営会に出向し、
民営還元が実現し、
運営会が実質的に解散になった
昭和二十五年三月までいた。
運営会生活が何と八年の長きにわたった。
しかし、
そのためこの立派な体格にもかかわらず、
唯の一度も兵隊にとられることがなかった。
輸送という重要な仕事をしていたからであった。
その意味では、
運営会は決してマイナスではなく、
むしろ彼にはプラスになっていた
というべきであろう。

川汽でも入社いらい営業だったし、
運営会でも渡辺一良輸送部長の下での
配船課に所属していた。
その時机を並べていたのが
新和海運常務から
日和産業海運社長になっている石原重二郎、
商船三井の営業部長から
商船三井近海の常務になった綱頭正夫などであった。

昭和二十五年四月に川汽に復帰して
東京支店営業第一課長、
昭和二十六年三月には東京支店営業第三課長、
昭和二十六年六月に営業部副部長代理、
翌昭和二十七年八月桑港駐在員、
翌昭和二十八年十月桑港首席駐在員となり、
昭和二十九年五月帰国して東京支店勤務、
昭和二十九年七月営業部副部長代理、
昭和三十年十月営業部副部長、
昭和三十一年大阪支店長となり、
昭和三十三年紐育支店長となって武本成行と交替、
昭和三十六年七月に帰国して貨物部長に就任、
昭和三十七年十一月の総会で取締役に選任され就任、
昭和三十九年八月に
川崎汽船外航定期貨物株式会社
創立と同時に新会社に移り、
常務取締役になって現在にいたっている。

以上の略歴でも明らかなように
彼は営業畑で終始したのみでなく
桑港二年、
紐育二年、
計五年の海外生活もあり、
最初から幹部たるべきコースを順調に歩んでいる。
いまや海運生活二十九年、
四年前の二十五年目に重役になったとしても、
それはかねて予定されていたものであって
少しも不思議はないわけである。
同社の次代を担うホープの一人であること
いうまでもない。

元来がスポーツマンだが、
いまはゴルフ、ハンデイは十八、
囲碁、将棋はやらぬが、
麻雀は先生格、
酒はむろん相当なもの、
一度銀座裏へでも現われると、
近代的なきれいな遊び方をするらしい。
ダンスは元よりお手のもの、
溜息をつく娘っ子も多いと聞くが、
まだ実際をみたわけではない。
p231【海運人物譜 第4集】昭和41年(1966)
p231【海運人物譜 第4集】昭和41年(1966)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2523787/1/231

  藤谷正志
川崎汽船の常務取締役、
定航担当の藤谷正志は、
川汽外航定期貨物会社へ移った
山尾安史と入社が同じで、
ずーっと一緒に働いて来たし、
よく遊びもしたものだが、
働いていても相手が切れものなので、
うっかりしているわけにはいかず、
遊ぶ時には相手ばかりモテて、
随分歩が悪かった―とこぼしていた。
その代りに人間的には練れて、
少しぐらいのことでは
驚かない腹のすわった人間になったようである。
損ばかりしているようにみえて、
実のところは大きな利益を受けていたことになる。
全く何が修養の糧になるかは、
わからないものである。

彼は広島県の山奥で生まれ、
大分高商を昭和十二年に卒業した。
飯野海運の藤野精四郎も大分高商の出身だが、
彼よりも三年の先輩である。
昭和十二年といえば、
日華事変の起きた年で、
https://dl.ndl.go.jp/pid/2523787/1/185
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《山尾安史》川崎汽船の当時の主な人事異動【回想三十年史】昭和40年(1965)

【回想三十年史】昭和40年(1965)
著者    回想三十年史編集室 編
出版者   大東運輸
出版年月日 1965
 第三節 役員人事と機構改革
当社に関係深い、
川崎汽船の当時の主な人事異動、
機構改革は次表のとおりである。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2508646/1/305
昭和三七年一一月
戸塚元一郎、釈種秀岳、片山誠、
山尾安史、藤谷正志の五氏
取締役就任
p306【回想三十年史】昭和40年(1965)
p306【回想三十年史】昭和40年(1965)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2508646/1/306
昭和三九年七月
曽野勇二、山尾安史、辻本毅の三氏
取締役辞任
昭和三九年八月
川崎汽船外航定期貨物株式会社 発足
https://dl.ndl.go.jp/pid/2508646/1/307
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《取締役 山尾安史》川崎汽船株式会社【日本企業要覧 1964年版】昭和39年

【日本企業要覧 1964年版】昭和39年
出版者   食糧経済新聞社
出版年月日 1964
[川崎汽船株式会社]
取締役 山尾安史 (25,000株)
大正4年生 兵庫
昭和12年3月 和歌山高商卒
昭和12年4月 入社
昭和30年12月 営業部副部長
昭和33年3月 大阪支店長
昭和33年4月 紐育首席駐在員
昭和36年6月 貨物部長
昭和37年11月 取締役
(住所)東京都渋谷区代々木4の18の5
    電話(369)5325
 合計 17名(昭和39年5月現在)
p1040【日本企業要覧 1964年版】昭和39年
p1040【日本企業要覧 1964年版】昭和39年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2522059/1/1040
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《山尾安史》川崎汽船(株)取締役・貨物部長【東洋経済会社人事録 1963年版】昭和38年

【東洋経済会社人事録 1963年版】昭和38年
出版者   東洋経済新報社
出版年月日 1963
[川崎汽船株式会社]
 神戸市生田区海岸通8
 電話 神戸(39)8151(代表)
 設立 大正8年4月
《山尾安史》
取締役・貨物部長
東京都渋谷区代々木4-18-5
代々木社員アパートB-115
電話(369)5325
大正4年生 兵庫
昭和12年卒業 和歌山高商
昭和12年入社
妻 タカ子
p540-【東洋経済会社人事録 1963年版】
p540【東洋経済会社人事録 1963年版】昭和38年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2473861/1/540
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《山尾安史:川崎汽船貨物部長》子供は立派な外交官【Kaiun = 海運 9月夏季特集(408)】昭和36年

【Kaiun = 海運:総合物流情報誌 9月夏季特集(408)】昭和36年
出版者   日本海運集会所
出版年月日 1961-09
  座談会
子供は立派な外交官
家族を通じた日米親善は効果的
最近帰国の各社紐育駐在員が語る現地事情
 まえがき
日 時 (昭和36年)八月八日午前十一時
場 所 東京三井本館七階会議室
出席者
 三井船舶取締役        水野 利重氏
 日本郵船営業第二部長     栖原  正氏
 大同海運貨物部長       小林  馨氏
 川崎汽船貨物部長       山尾 安史氏
 大阪商船営業部次長      木村 清蔵氏
 三菱海運定航部営業課長    天野 博史氏
 新日本汽船第一営業部輸入課長 照内嘉三郎氏

 ボナー法案と関係当局の努力
山尾…その当時、
私もウエスト・サイドのハイウエイで
車を止めて休んでいるのを見たことがある。
それほどに精力を消耗して
勉強しておられたようだ。

 根強いシップ・アメリカン運動
p51【Kaiun = 海運 9月夏季特集(408)】昭和36年
p51【Kaiun = 海運 9月夏季特集(408)】昭和36年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2639686/1/51

山尾…悲観したものではないだろうが、
決して楽観もできないというのが現状だ。

 規制を受ける米国船主
山尾…モノをいうというか、
モノをいわれた時に困るといったような
非常に狹いワクの中で行動しているような
気がする。

山尾…よく分からないが
モース長官と話をしていると、
当時、モース長官が援護政策をとったので、
その反撃が出たということも感じられた。

 徐々に回復のアメリカ景気
山尾…そんな傾向だね。

山尾…宣伝ほどではないが
多少上向きにはなっている。

 楽観出来ない対米輸出
山尾…やはり商売だから問題はコストだろう。
安くて品質が良ければ買う。

山尾…そうなのだ。
いままで日本の品物はコストが
安いという魅力があったのが、
これも所得倍増とやらで人件費をはじめ、
あらゆる面でコストの値上がり傾向にあるため、
現実問題として何年か先には
苦しい立場に追い込まれる時期がくると思う。
p52【Kaiun = 海運 9月夏季特集(408)】昭和36年
p52【Kaiun = 海運 9月夏季特集(408)】昭和36年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2639686/1/52

 国際政局緊迫と市民の表情
山尾…やはり若い世代では
科学的に一歩遅れをとっている
アメリカとしては、
これでは大変だという熱情的な
いわゆるヤンキー気質もみられるが、
中年以上のインテリ層になると
種々批判的な面もあるようだ。

 アメリカの日本ブーム
山尾…私が十年前カリフオルニアにいた時と
今回のニューヨーク駐在の時を比較すると、
その間、七、八年の時代の流れもあって
世の中も変わっているだろうが、
カリフオルニアでは
不愉快な思いをしたことが数多くあったが、
ニューヨークではほとんどなかった。

山尾…そういったケースは多いね。
私もゴルフ場でボールを捜していた時、
下手な英語で聞いても分らないと思い
一人で捜していたら、
「あなたのボール、こっちですよ」(一同笑)

 駐在員と子弟教育
山尾…うちの子供は照内君と一緒だが、
日本人が多すぎて
英語を話す必要がないほどだという。
とくに終戦直後の十四、五才の子供が多く、
クラスによって四十五人中
日本人が八、九人もいるらしい。
だから家を出て学校に着くまで日本語で喋り、
先生の講義は英語で聴き、
休憩時間中は日本語、
そして家に帰っても日本語で喋るといった状態だ。
はじめは宿題をやってこいとか、
これこれのお金を持ってこいといわれても
全然分らないものだから、
どうしても日本人のいるクラスに
入れられてしまう(一同笑)

 教育に熱心なアメリカ人
山尾…アメリカでは成績の良い生徒は
どんどん上へいかれるが、
日本人は言葉が分らないので
一番できないクラスに入っている(笑)
数学にしても日本で一年も二年も前に
勉強したことばかりらしいが、
そこで得々としてやっていると、
日本へ帰ってきた時には
えらいことになる。

 紐育生活の楽しみは
https://dl.ndl.go.jp/pid/2639686/1/53

山尾…非常に社交的だね。
 家族を通じて日米親善

山尾…アメリカは子供に対する教育が
非常に厳しいと思う。
とくに思慮分別がつくまでの小さい子には
厳格だと感じた。

 子供は立派な外交官

 今後駐在する人のために
山尾…水野さんは重役であるので
率先してやって下さい。
会社側はニューヨークを引き上げると
基準を上げることになるので
世界中の在勤員の手当の改訂を行なわせ
なければならないというのだ。

山尾…ニューヨークでも
シティーとステイツとでは差異がある。
現在の手当では何か起れば致命的な被害をうける。
各社の総務部長の会に出席して具体的な話をし、
数字を提示して実情を説明するのがよいと思う。
ニューヨークでは住宅に困っているが、
ダラスでは商社の人は
アパートに住むのがおかしい位だ。
住居費も安く、
事務所まで近いのだから
ニューヨークより非常に恵まれている。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2639686/1/54
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《山尾安史》川崎汽船~海外駐在員~紐育:首席駐在員【海運造船会社手帖 1959年下期版】昭和34年(1959)

【海運造船会社手帖 1959年下期版】昭和34年(1959)
出版者   中外海事新報社
出版年月日 1959
  川崎汽船 ~海外駐在員~
紐育 首席駐在員 山尾安史 
Hotel Marcy (Room No. 720)
95th Street , Westend Avenue,
N.Y.25,New York
(Tel. RI 9-3300)
p68【海運造船会社手帖 1959年下期版】昭和34年(1959)
p68【海運造船会社手帖 1959年下期版】昭和34年(1959)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2490110/1/68
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