【同志社歳時記】1975

《同志社病院と京都看護婦学校の開校》明治20年(1887)11月15日【同志社歳時記】1975

【同志社歳時記】1975
著者    生島吉造, 松井全 共編
出版者   同志社大学出版部
出版年月日 1975

《同志社病院》(1887)
 この日、 ※1887年11月15日
 同志社病院と京都看病婦学校の開校、
 開院式行われる。
 校長 新島襄、
 教師兼院長 ベリー、
 教師兼看病婦長 ミス・リチャーズ。

  看護婦養成の急務
明治十六年(一八八三)五月、
京都の同志社に於いては、
新たに医学校創立の議が起った。
これは当時の社会の趨勢から鑑みて、
医を業とする者にとって
キリスト教の信仰が最も必要であることから
起ったものであった。

爾来同志社長新島襄氏をはじめ、
社員中村栄助氏外数名相会して、
岡山からベリー翁を招き、
創立に関する協議を開いたのである。
その結果、
医学校創立に就いては決定を見たのであるが、
医学校を設立する為には、
先づ付属病院の開設が必要であり、
病院の為めには
また看護婦の養成が更に必要であるというのが、
ベリー翁の説であった。
(大久保利武「日本におけるベリー翁」)
p99 【同志社歳時記】1975
p99 【同志社歳時記】1975
https://dl.ndl.go.jp/pid/12109658/1/99
生島吉造(いくしま きちぞう)
 1906年 京都市に生まれる
 アーモスト大学卒業、
 同志社大学学生主事
 同志社庶務部長
 同志社香里中、高校長
 学校法人同志社理事などを経る
 現住所〒603 京都市北区上賀茂南大路町15

松井 全(まつい あきら)
 1929年 高知市に生まれる
 同志社大学、同大学院(修士課程)卒業
 新聞社社員、教員を経て、現在、同志社職員
 元同志社時報編集人
 現住所〒603 京都市北区紫野西藤ノ森町15

同志社歳時記 定価600円
1975年2月10日 初版発行
1975年7月10日 第2刷発行
編 者 生島吉造
    松井 全
発行者 同志社大学出版部
    〒602
    京都市上京区今出川烏丸東入
印刷所 岩岡印刷株式会社
    〒559
    大阪市住之江区中加賀4丁目
https://dl.ndl.go.jp/pid/12109658/1/117
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]バスケットボール編
2024年05月30日
《青山霞村》同志社大学の理学部と医学部とは
是非これを完成せねばならぬ【同志社歳時記】1975
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《同志社女子部の同窓会創設》明治26年(1893)6月28日【同志社歳時記】1975

【同志社歳時記】1975
著者    生島吉造, 松井全 共編
出版者   同志社大学出版部
出版年月日 1975

 6月28日
《同窓会》(1893)
 この日、 ※1893年6月28日
 同志社女子部の同窓会創設され、
 第一回大会開催される。
 卒業生、関係者九六名入会、
 会則十カ条を制定する。

   歴代会長
明治時代
 能勢 道子  湯浅 初子  新島 八重
 根津 栄子  後藤 トク  佐伯 小糸
 大塚 文子  山下 ゑん  松田 道子
 岡島  鼎  半田 たき  荻原 芳枝
大正時代
 松田 道子  中目 たき  山県 久子
 海老名みや  佐伯 小糸
昭和時代
 荻原 芳枝  松田 道子  武間 富貴
(同窓会九十年小史)
p58【同志社歳時記】1975
p58【同志社歳時記】1975
https://dl.ndl.go.jp/pid/12109658/1/58
生島吉造(いくしま きちぞう)
 1906年 京都市に生まれる
 アーモスト大学卒業、
 同志社大学学生主事
 同志社庶務部長
 同志社香里中、高校長
 学校法人同志社理事などを経る
 現住所〒603 京都市北区上賀茂南大路町15

松井 全(まつい あきら)
 1929年 高知市に生まれる
 同志社大学、同大学院(修士課程)卒業
 新聞社社員、教員を経て、現在、同志社職員
 元同志社時報編集人
 現住所〒603 京都市北区紫野西藤ノ森町15

同志社歳時記 定価600円
1975年2月10日 初版発行
1975年7月10日 第2刷発行
編 者 生島吉造
    松井 全
発行者 同志社大学出版部
    〒602
    京都市上京区今出川烏丸東入
印刷所 岩岡印刷株式会社
    〒559
    大阪市住之江区中加賀4丁目
https://dl.ndl.go.jp/pid/12109658/1/117
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《第一回卒業式・卒業生十五名》明治12年(1879)6月12日【同志社歳時記】1975

【同志社歳時記】1975
著者    生島吉造, 松井全 共編
出版者   同志社大学出版部
出版年月日 1975

 6月12日
《第一回卒業式》(1879)
 この日、 ※1879年6月12日
 第二寮階下の講堂で卒業式を行う。
 卒業生十五名。
 新島襄は“Go, go, go in peace. Be strong.”
 のことばを以てはげます。

卒業生は学校側と相談し、
山崎為徳、市原盛宏、森田久万人は
教師として学校にとどまり、
宮川経輝、加藤勇次郎は
女学校の教師となり、
不破唯次郎は福岡に、
海老名弾正は群馬県安中に、
伊勢(横井)時雄は今治に、
浮田和民は大阪天満教会に、
金森通倫は岡山に
赴任伝道することとなった。
また岡田松生は
東京学農社に
吉田作弥は
神戸女学校に教鞭をとり、
和田正修は
東京でさらに勉強をつづけ、
下村孝太郎は
熊本に帰って英語を教えることとなった。

後年これらの地方から
多数の学生が来るようになったのは、
多くは彼等の感化がその地に及んだ結果である。
(同志社五十年裏面史)
p54【同志社歳時記】1975
p54【同志社歳時記】1975
https://dl.ndl.go.jp/pid/12109658/1/54
生島吉造(いくしま きちぞう)
 1906年 京都市に生まれる
 アーモスト大学卒業、
 同志社大学学生主事
 同志社庶務部長
 同志社香里中、高校長
 学校法人同志社理事などを経る
 現住所〒603 京都市北区上賀茂南大路町15

松井 全(まつい あきら)
 1929年 高知市に生まれる
 同志社大学、同大学院(修士課程)卒業
 新聞社社員、教員を経て、現在、同志社職員
 元同志社時報編集人
 現住所〒603 京都市北区紫野西藤ノ森町15

同志社歳時記 定価600円
1975年2月10日 初版発行
1975年7月10日 第2刷発行
編 者 生島吉造
    松井 全
発行者 同志社大学出版部
    〒602
    京都市上京区今出川烏丸東入
印刷所 岩岡印刷株式会社
    〒559
    大阪市住之江区中加賀4丁目
https://dl.ndl.go.jp/pid/12109658/1/117
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年01月25日06:35
[明治12年~17年卒業生]
【同志社校友会便覧. 昭和3年用】
[明治十二年(1879)卒業生]  p109/187
 英學校餘科(十五名) ※バイブルクラス(餘課)
海老名彈正(喜三郎)
不破唯次郎    死亡
市原盛宏     死亡
金森通倫
加藤勇次郎
小崎弘道
宮川經輝
森田久萬人    死亡
岡田松生
下村孝太郎
浮田和民
和田正脩
山崎爲德     死亡
横井時雄(伊勢) 死亡
吉田作彌
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《岡崎喜一郎》島根県横田の社会福祉事業家【同志社歳時記】1975

【同志社歳時記】1975
著者    生島吉造, 松井全 共編
出版者   同志社大学出版部
出版年月日 1975

 2月5日
《岡崎喜一郎》(1873-1946)
 島根県横田の社会福祉事業家。
 この日永眠。
 初期同志社に学び、
 留岡幸助、山室軍平の影響をうけ、
 理想郷横田の実現に生涯をつくす。

   奥出雲の地の塩
同志社に学び、
実践的な基督者として
地域社会開発に一生を捧げた
留岡幸助の強い影響を受けた
岡崎喜一郎の存在によって、
横田のキリスト教は、
バックストンの後継者達の説く
聖霊と福音の教や、
聖潔とキリストの再臨を強調する
ホーリネスの信仰よりも、
著しく社会的、
実践的な方向へ進むことになった。
このため正統的な信仰を培う
という点では不充分で
「教会」の基礎が
強く固らなかったという趣はあるが、
その反面に、
大正の初年に奥出雲の一角で起った
キリスト教的社会活動が、
その地域に与えた社会的衝撃は、
極めて強烈なものであったといえる。
(加藤、藤原共著「奥出雲の地の塩」)
p18【同志社歳時記】1975
p18【同志社歳時記】1975
https://dl.ndl.go.jp/pid/12109658/1/18
生島吉造(いくしま きちぞう)
 1906年 京都市に生まれる
 アーモスト大学卒業、
 同志社大学学生主事
 同志社庶務部長
 同志社香里中、高校長
 学校法人同志社理事などを経る
 現住所〒603 京都市北区上賀茂南大路町15

松井 全(まつい あきら)
 1929年 高知市に生まれる
 同志社大学、同大学院(修士課程)卒業
 新聞社社員、教員を経て、現在、同志社職員
 元同志社時報編集人
 現住所〒603 京都市北区紫野西藤ノ森町15

同志社歳時記 定価600円
1975年2月10日 初版発行
1975年7月10日 第2刷発行
編 者 生島吉造
    松井 全
発行者 同志社大学出版部
    〒602
    京都市上京区今出川烏丸東入
印刷所 岩岡印刷株式会社
    〒559
    大阪市住之江区中加賀4丁目
https://dl.ndl.go.jp/pid/12109658/1/117
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年07月25日09:04
《岡崎喜一郎 家庭学校》
【早稲田大学校友会会員名簿. [昭和10年用]】
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《松田 道》三十年間同志社女子教育に捧げる【同志社歳時記】1975

【同志社歳時記】1975
著者    生島吉造, 松井全 共編
出版者   同志社大学出版部
出版年月日 1975
 1月15日
《松田 道》(1868-1956)
 この日、京都府峰山にて永眠。
 三十年間同志社女子教育に捧げる。
 京都府立一女、フェリス、
 プリンマー女子大学に学ぶ。
 同志社女専校長、同窓会長歴任

私は近頃非常に楽天家になりました。
それは考えてごらんなさい。
人間の悲しみ、くるしみ、
又は不快等は
ほんの一時的なものではありませんか。
人間性には悲しみに永く存在することを欲せず、
悲しみあれば早く喜びの境地に達したいと願望努力し、
又くるしみあれば、
このくるしみは何ぞやと自己反省して、
あらたなる神の御恵みに接するの
歓喜をうるの幸福を感ずるではありませんか。
……此世の悪とか、
悲しみとは皆
われわれの人生行路の一時的の存在にて、
われわれを到底いくひさしく支配するものでないと
私はこう考えております。
(松田道書簡)

彼女の死後、開かれた松田道日記の最後に、
「サラサラとサラリサラリと水の音」
p12【同志社歳時記】1975
p12【同志社歳時記】1975
https://dl.ndl.go.jp/pid/12109658/1/12
生島吉造(いくしま きちぞう)
 1906年 京都市に生まれる
 アーモスト大学卒業、
 同志社大学学生主事
 同志社庶務部長
 同志社香里中、高校長
 学校法人同志社理事などを経る
 現住所〒603 京都市北区上賀茂南大路町15

松井 全(まつい あきら)
 1929年 高知市に生まれる
 同志社大学、同大学院(修士課程)卒業
 新聞社社員、教員を経て、現在、同志社職員
 元同志社時報編集人
 現住所〒603 京都市北区紫野西藤ノ森町15

同志社歳時記 定価600円
1975年2月10日 初版発行
1975年7月10日 第2刷発行
編 者 生島吉造
    松井 全
発行者 同志社大学出版部
    〒602
    京都市上京区今出川烏丸東入
印刷所 岩岡印刷株式会社
    〒559
    大阪市住之江区中加賀4丁目
https://dl.ndl.go.jp/pid/12109658/1/117
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年06月19日10:37
[同志社女學校専門學部]
《部長:松田 道》と《高田久榮》
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[同志社女學校専門學部]《部長:松田 道》と《高田久榮》

[同志社女學校専門學部]
《部長:松田 道》と《高田久榮》

【学友会同窓会名簿 :
 同志社女学校専門学部・同志社女学校高等女学部.
 昭和3年6月10日調】
 昭和3年7月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1274313/169
同志社女學校専門學部 職員名簿(昭和三年六月十日現在) p2/170
總長・校長 海老名彈正 京都市上京區室町通上立賣下ル
部長    松田 道  京都市西陣局區内 同志社女學校
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1274313/2
明治四十一年 高等學部 文科卒業生(四名) p40/170
《高田久榮》 京都市室町御池角
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1274313/40

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[同志社女子大学]
<心の目を開く―ミス・デントンと松田道>
<紀嘉子(生活科学部 特任教授)>
 ―略―
松田道先生とのめぐり合い
 ―略―
この先生は松田道先生といわれ、
その昔、
同志社女子専門学校(同志社女子大学の前身)の教員であると共に、
同志社女学校の初の女性校長でいらしたこと、
若き日にアメリカの大学で学ばれたことなどが、
少女達の耳に伝わってきました。
 ―略―
http://www.dwc.doshisha.ac.jp/school_life/chapel_news/chapel_archive/125_years/125_years_10.html

[同志社女子大学]
DWCLA HISTORY 同志社女子大学物語
松田道
内容を読む(PDF:454KB)
1922年(大正11年)、
同志社女学校初の女性校長が誕生しました。
舎監や教授、同窓会長などを歴任し、
本学の女子教育に尽力した松田道の足跡をたどります。
http://www.dwc.doshisha.ac.jp/about/publicity/vine/backnumber/vol.39.html
内容を読む(PDF:454KB)
[同志社女子大学物語]
《松田 通 Michi Matsuda》
一九二二年(大正11年)、
同志社女学校初の女性校長が誕生しました。
舎監や教授、同窓会長などを歴任し、
本学の女子教育に尽力した
松田道の足跡をたどります。
―略―
一八六八(明治元)年、
松田道は京都府峰山の呉服商の家に生まれた。
―略―
長田多喜子は哲学者・谷川徹三と
五百通を超える恋文を交わした末に結婚、
詩人・谷川俊太郎が生まれた。
昨年、その恋文と夫妻の写真多数が本学に寄贈され、
史料室に収蔵された。
http://www.dwc.doshisha.ac.jp/about/parts/pdf/publicity/vine/backnumber/vol39/vol39_04.pdf

《松田甚八》[呉服太物商]

【大日本織物業者名鑑】明治40年8月25日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/901291/256
京都府 中郡
《松田甚八》 p94/266
峰山町
呉服太物商
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/901291/94

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

記事検索
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
アーカイブ
  • ライブドアブログ