上海ピアスアパート

《陳日平・国民新聞社長》漢奸の摘発は文化人・ジャーナリストにも及び【海路遥かに】昭和60年(1985)

【海路遥かに】昭和60年(1985)
著者    胡美芳 著
出版者   静山社
出版年月日 1985.12
p3【海路遥かに】1985
〔画像〕p3【海路遥かに】1985
https://dl.ndl.go.jp/pid/12438728/1/3

こうして始まった
「漢奸狩り」はまたたく間に中国全土に広がり、
日本に協力した政治家・実業家たちが
次つぎに逮捕されていった。
翌(昭和)二十一年春、
漢奸裁判が開かれる迄に逮捕された数は、
著名人だけでも二千人を優に超え、
その中には、
次のような要人が含まれていた。
陳公博(南京国民政府主席)
周仏海(行政院副院長、上海市長)
周学昌(南京市長)
劉玉書(北京市長)
梁鴻志(立法院長)
王克敏(元華北政務委員会委員長)
殷汝耕(元冀東政府主席)
陳璧君(汪精衛未亡人)
梅思平(内政部長)
褚民誼(元外交部長)
周作人(北京大学文学院長)
朱博泉(上海銀行公会理事長)
李祖萊(中国銀行支配人)
鄭洪年(華中鉄道総裁)
聞蘭亭(全国商業統制総会理事長)

漢奸の摘発は文化人・ジャーナリストにも及び、
銭稲孫(北京大学校長)、
文元模(基北京大学理学院長)、
陳日平(国民新聞社長)
林谷(華南日報社長)らが逮捕された。

また、
李明、陳雲裳、李麗華らの名女優や、
梅熹、何仲山といった男優陣も検挙された。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12438728/1/87
海路遥かに
定 価 1,500円
発行日 1985年6月25日第1刷
    1985年12月24日第2刷
著 者 胡 美芳
発行者 松岡幸雄
発行所 株式会社 静山社
    〒162 東京都新宿区新小川町9番-10-701
    電話 03-267-6941
    振替 東京0-78892
印刷・製本 中央精版印刷株式会社
表紙カバー印刷 京美印刷株式会社
https://dl.ndl.go.jp/pid/12438728/1/187
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《陳日平・国民新聞社長》無期懲役:昭和21年(1946)12月22日【裁かれる汪政権:中国漢奸裁判秘録】昭和23年

【裁かれる汪政権:中国漢奸裁判秘録】昭和23年
著者    益井康一 著
出版者   植村書店
出版年月日 昭和23
p2【裁かれる汪政権:中国漢奸裁判秘録】昭和23年
〔画像〕p2【裁かれる汪政権:中国漢奸裁判秘録】昭和23年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1267325/1/2

  言論界の責任者
反共和平、重慶撃滅、
大東亞共榮圏建設の筆陣を張つた言論界からも、
多數の被告を送り出した。

卽ち中央電訊社總編輯、
許錫慶が懲役七年(七月二十四日上海高等法院)、

華南日報社長の
林谷が懲役八年(七月三十一日厦門高等法院)、

中華日報營業主任の
葉雪松(彼はその他蕪湖縣長などを歷任)が
https://dl.ndl.go.jp/pid/1267325/1/68
懲役六年(八月十七日上海高等法院)、

新中國日報出版委員、上海市敎育會理事、
私立上海女子中學校長などの職にあつた
呉益之が懲役二年六箇月
(十一月二十二日上海高等法院)、

南京平報社長の
金雄白が懲役二年六箇月(十月二十八日)、

中華畫報主編
蕭劍靑が懲役三年、

中華畫報編輯
蕭浪萍が懲役二年六箇月
(十一月二十五日上海高等法院)の判決を受けた。

なお上海の國民新聞社長の陳日平は無期懲役
(十二月二十二日上海高等法院)となつた。
※民国35年(昭和21年:1946)12月22日

また國民政府宣傳部は申報社長の陳彬和および
申報社總主筆の呉某が東亞共營圏の宣傳をしたにも
かかわらず懲罰されないのは不法であるとて、
兩名の罪狀を指摘した文書を司法行政部に提出した。
この結果兩名も十一月四日起訴されるに至つた。
 ―略―
(以上いずれも民國三十五年)
※民国35年(昭和21年:1946)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1267325/1/69
昭和二十三年三月一日印   刷 裁かれる汪政權
昭和二十三年三月五日第一刷發行 定價七拾圓
著 者 益井康一
發行者 植村道治
    東京都板橋區板橋町十丁目二四八四
印刷者 近藤藤雄
    東京都港區芝田村町六丁目一
發行所 植村書店
    東京都板橋區板橋町十丁目二四八四
    電話板橋(95)〇二六八番
    會員番號A二二一〇一六番
秀美堂印刷株式會社 印刷
https://dl.ndl.go.jp/pid/1267325/1/129
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《陳日平》(新聞社出身)早稲田大学出身:日本人の血を受けておられた【華興商業銀行回顧録】1964

【華興商業銀行回顧録】1964
出版者   華興会
出版年月日 1964
p4【華興商業銀行回顧録】1964
〔画像〕p4【華興商業銀行回顧録】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/4

 華興商業銀行本店のビル<茶色>
 往時の上海バンド風景
p5【華興商業銀行回顧録】1964
〔画像〕p5【華興商業銀行回顧録】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/5

 華興商業銀行の仮事務所・
 ダラッチ路某邸を借りての開設記念(1939)
p7【華興商業銀行回顧録】1964
〔画像〕p7【華興商業銀行回顧録】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/7

 黄浦江対岸より望む上海バンド
p10【華興商業銀行回顧録】1964
〔画像〕p10【華興商業銀行回顧録】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/10

  機構と人事  落合英次
   重役陣とその異動
銀行の創立総会は
昭和十四年(民国二十八年)五月一日、
開業日は五月十五日で披露のカクテルパーティーが
新亜ホテルで盛大に行われたのは、
ついこの間のような気がする。
本店の所在地は北四川路の本通りから五十米位入った
ダラッチ路で三階建洋館の民家を改造したもので
勿論手狭なことは免れなかった。
創立当初の重役陣は次の通りである。
 総 裁(予定) 陳 錦 濤(もと財政部長)
              (病気のため固辞されたので
               実際は梁鴻志氏がなった)
 副総裁     鷲尾 磯一(正金銀行出身、満州中央銀行理事)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/35
 理 事     沈 爾 昌(浙江興業銀行重役)
  〃      海老原竹之助(正金銀行門司支店)
  〃      戴 克 階(中国銀行経理)
  〃      岡崎嘉平太(日本銀行参事)
 監 事     陳 日 平(新聞社出身)
    —略―
以上の如く六年半の間に瀕繁な異動があり
結局終戦時の陣容は次の通りである。
 董事長     梁 鴻 志
 副董事長    欠 員
 常務董事    陳 爾 昌
  〃      李 恵 竜
  〃      志茂 源吉
  〃      落合 英次
 監察人     陳 日 平
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/36

    其他の想い出
陳日平さんは早稲田大学出身で
その日本語は日本人そっくりで
一見中国人とは見えぬ風彩の温厚な仁であった。

その子弟もみな日本の教育を受け
中国人と云うよりも寧ろ日本人であった。

他の中国側重役が酒を殆んど嗜められなかった中で
陳さん一人が仲々の酒豪であり、
飲む程に酔う程に言論風発
真に親しみのある方でもあった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/39

 2 中国側重役のことなど
   亀山正夫
陳日平氏は日本人の血を受けておられた関係か、
非常に律儀な点があって、
また一旦主張し出したことは仲々
後に引かぬ気風があったから
無残な最後を遂げられたのではないかと思う。
遥かに冥福をお祈り申し上げる。

氏は時々日本向けの手紙を出されることがあり、
わたしが加筆修正して差上げていた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/40
    華興商業銀行回顧録
    昭和39年(1964)4月1日発行
    頒価2000円 (400部限定版)
発行者 華 興 会
連絡者 三上 金矢  東京都港区芝琴平町1
           カーボンブラック協会
           電話501-3241
           東京都目黒区清水町533
印刷所 (株)光文社 東京都港区芝西久保広町17
           電話431-6760
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/162
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《陳日平・財政部次長》維新政府の一周年記念式:昭和14年(1939)3月28日【生活・文学・歴史】昭和17年

【生活・文学・歴史】昭和17年
著者    本位田祥男 著
出版者   愛宕書房
出版年月日 昭和17
p3【生活・文学・歴史】昭和17年
〔画像〕p3【生活・文学・歴史】昭和17年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1129900/1/3

  租界のある街とない街
  一 記念日の南京
季節は桃李の咲き匂ふ頃であり、
而も維新政府の成立一周年記念の祝日前後で
あつたせいもあらう、
私達の南京でえた印象は、
平和そのものであつた。

維新政府の一周年記念式には日本人を交へて
※維新政府成立一周年記念祝典擧行
※昭和14年(1939)3月28日

五百人位參列したであらうか。
式場は國民黨政府以來の行政院廰であつたから、
立派なものであつた。
儀仗兵の列んでゐる廊下を、
幾つかの内庭を奥へ奥へと進むのは、
自ら劇中にある思であつた。
式は型通りであつたが、
宴會は珍しかつた。

會場は式の大禮堂である。
その中に三十許りの圓いテーブルがならべてある。

一テーブルに十二人づゝとして
三百六十人許りのお客である。

それぞれには政府の要人が主人役として坐つてゐるが、
私達のそれは財政部次長の陳日平氏である。

早大出の關東人で、
話し方と云ひ顏と云ひ、
全く日本人そつくりである。

財政部長が病勝ちのために財政部は
彼がやつてゐると云つてもよい。
前日來のなじみなので、心安かつた。

その中に行政院長(總理)の梁鴻志が乾盃に廻つて來られた。
彼は三十もあるテーブルを一々乾盃に廻つてゐるのである。
その酒量だけでも驚くべきであるが、
かうして總てのお客に氣を配るのは大變である。
彼は支那の所謂
德の人として尊敬されてゐるとの事であるが、
見るからに溫容の中に德が溢れてゐる樣であつた。

その間に奏樂は絶えず、
支那の花孃は愛國行進曲や妻戀道中迄謡つて、
實にあいあいたるものであつた。

遙々北京からやつて來た王克敏は、
「三月二十八日は私にとつても記念すべき日である。
 昨年の今日は北京で私は狙撃され、
※昭和13年(1938)3月28日
 同乘の山本先生は不幸にして他界された」
と述べて、
人々を感慨に耽らせた。
私もかうしてなごやかな空氣にひたつてはゐるが、
さうした陰謀が、
どこでどう計劃されてゐるか知れないとも思つた。
そして又前の上海事變の際の式場に於ける
爆弾事件なぞも憶ひ出したが、
それも瞬間的であり、
さうした懸念も吹き飛ばされる程、
愉快に宴會は進んだのであつた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1129900/1/112
昭和十七年七月十五日印刷
昭和十七年七月二十日發行
初刷・3,000部
出文協承認・あ10047號
  生活・文學・歷史
  定價 貳圓參拾錢
著 者 本位田祥男(ほんゐでん よしお)
發行者 山崎 泰雄
    東京市芝區新橋七ノ十二
印刷者 小坂  孟
    東京市牛込區市谷加賀町一ノ十二
印刷所 (東東壹)大日本印刷株式會社
    東京市牛込區市谷加賀町一ノ十二
製本所 大島製本所
    東京市芝區新櫻田町十九
發行所 愛宕書房
    東京市芝區新橋七ノ十二
    出文協會員番號・一〇一〇五六番
    電話・芝(43)一三六八番
    振替番號・東京一七三七一二番
配給元 日本出版配給株式會社
    東京市神田區淡路町二ノ九
https://dl.ndl.go.jp/pid/1129900/1/150
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《陳日平》財政部次長 辭職、華興商業銀行監事ニ任命:昭和14年5月11日【中華民国維新政府概史】昭和15年(1940)

【中華民国維新政府概史】昭和15年(1940)
著者    維新政府概史編纂委員会 編
出版者   行政院宣伝局
出版年月日 1940
p3【中華民国維新政府概史】昭和15年(1940)
〔画像〕p3【中華民国維新政府概史】昭和15年(1940)

 維新政府大事記
 (自民國二十七年三月二十八日)※昭和13年(1938)
 (至民國二十九年一月  末日)※昭和15年(1940)

中華民國二八年 ※昭和14年(1939)
三月二八日 ※昭和14年(1939)3月28日
◎維新政府成立一周年記念祝典擧行

五月一一日 ※昭和14年(1939)5月11日
◎財政部次長 陳日平 辭職、
 同日 華興商業銀行監事ニ任命

五月一三日 ※昭和14年(1939)5月13日
◎陳錦濤  華興商業銀行 總裁ニ就任
◎鷲尾磯一 華興商業銀行 副總裁ニ任命
 中華民國維新政府概史
中華民國二十九年(昭和15年)三月二十五日印刷
中華民國二十九年(昭和15年)三月 三十日發行
     非賣品
編纂發行 維新政概史
兼印刷人 編纂委員會
發行所  行政院宣傳局
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

上海ピアスアパート《高橋禮本》《塚本峯吉》《村上一武》《吉田義人》【大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇】昭和18年

【大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇】昭和18年
著者    帝国秘密探偵社 編
出版者   帝国秘密探偵社
出版年月日 昭和18
p7【大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇】昭和18年
〔画像〕p7【大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇】昭和18年

《高橋禮本》
 横濱正金銀行 上海支店 副支配人
 上海特別市文路ピアスアパート内
 電話四三七四六
【閲歷】本縣 ※愛知県
大野勝次郎 四男
明治廿八年九月廿七日生れ
高橋梅吉の養子となる
大正十年 東大 英法科卒業
現行に入り
新嘉坡(シンガポール)・神戸各支店 歷勤
奉天・名古屋各支店 副支配人を經て
昭和十七年二月 現職
【宗敎】眞宗
【家庭】
妻  敏子  明治三八年 津島高女卒
長女 梅子  大正一三年
二女 よし子 昭和 八年

   blog[小野一雄のルーツ]改訂版
   2025年02月22日04:13
   上海ピアスアパート《高橋禮本》
   横濱正金銀行 上海支店 副支配人
   【中国紳士録 第2版】昭和17年

《塚本峯吉》
 松坂屋(株) 中支支部支配人
 合同百貨公司(株) 代表
 中華煙草(株) 取締役
 上海特別市文路四一一 ピアスアパート四〇
 電話四二七〇九
【閲歷】愛知縣人
明治卅年十月 名古屋市に生る
大正八年 東京高商卒業
三井物産 上海支店勤務を經て
昭和十四年 現職
【宗敎】佛敎
【趣味】打球(ゴルフ)・庭球(テニス)

《村上一武》
 中支那振興(株) 業務部第二課長
 上海特別市乍浦路ピアスアパート内
【閲歷】
日本郵船 第二業務課長を經て
昭和十七年五月 現社に轉ず

《吉田義人》
 三菱重工業(株) 江南造船所 總務部長
 上海特別市文路ピアスアパート二二
 電話四三六九五
【閲歷】山口縣人
明治廿九年八月生る
大正九年 京大 政經科卒業
 大正9年7月卒業

長崎造船所勤務を經て
昭和十四年十一月 現職
『国立公文書館デジタルアーカイブ』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

上海ピアスアパート《栗原貞一》《島田靜夫》【大衆人事録 外地・満支・海外篇】昭和15年

【大衆人事録 外地・満支・海外篇】昭和15年
著者    帝国秘密探偵社 [編]
出版者   帝国秘密探偵社[ほか]
出版年月日 昭和15
p4【大衆人事録 外地・満支・海外篇】昭和15年
〔画像〕p4【大衆人事録 外地・満支・海外篇】昭和15年

《栗原貞一》
 上海花王香皀公司(株) 取締役
 上海市文路四一一
 ピアスアパートメント一九號
【閲歷】
昭和十四年十二月
現社設立と共に現職

   blog[小野一雄のルーツ]改訂版
   2025年02月23日04:10
   《花王石鹼株式會社》文路ビアスアパート內
   【中華民国・満洲国商工録 昭和15年版】

《島田靜夫》正七
 興亞院調査官
 華中連絡部 經濟第二局勤務
 上海市文路ピアスアパート 一一號
 電話四三九八八
【閲歷】滋賀縣人
副領事兼大使館書記
中華民國在勤を經て
昭和十四年五月
任 興亞院調査官と共に現職
『国立公文書館デジタルアーカイブ』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

上海ピアスアパート《島屋進治》滿洲日報[中南支]總局長【満洲紳士録 第2版】昭和15年

【満洲紳士録 第2版】昭和15年
著者    満蒙資料協会 編
出版者   満蒙資料協会
出版年月日 昭和15
p7【満洲紳士録 第2版】昭和15年
〔画像〕p7【満洲紳士録 第2版】昭和15年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1687712/1/7
《島屋進治》
 滿日(滿洲日報) 中南支 總局長
【出生】明治三四年四月 石川縣
【本籍】石川縣鹿島郡瀧尾村
【續柄】故 力藏 五男
【學歷】中學卒業後 北京留學四年
【經歷】横濱日日・報知各新聞社歷勤
    昭和三年六月
    滿日(滿洲日報)入社 爾來
    編輯局聯絡部長・調査部省兼支那部長を經て
    昭和十四年十二月 現職に就く
【趣味】讀書・支那問題研究
【宗敎】淨土眞宗
【家族】妻  ミユキ 明治四二年
    長男   裕 昭和 四年
    外
【住所】上海乍浦路ピアスアパート其局
https://dl.ndl.go.jp/pid/1687712/1/821
第一版 昭和十二年七月二十日發行
    昭和十五年七月 二十日印刷
    昭和十五年七月二十五日發行
    滿洲紳士錄
    金參拾圓也
編纂兼 中西 利八
發行人 東京市麻布區兵衞町一丁目六番地
印刷者 篠倉 政一
    東京市京橋區湊町二丁目十六番地
印刷所 第一印刷所
    東京市京橋區湊町二丁目十六番地
    電話京橋(56)三〇六〇番六〇三五番
發行所 滿蒙資料協會
    東京市麻布區兵衞町一丁目六番地
    電話赤坂(48)一二一八番
    振替口座東京三一五三五番
    振替口座大連 三八六二番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1687712/1/882
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

上海ピアスアパート《春山 茂》日滿商事(株)上海出張所長【満洲紳士録 第1版】昭和12年

【満洲紳士録 第1版】昭和12年
著者    満蒙資料協会 編
出版者   満蒙資料協会
出版年月日 昭和12
p3【満洲紳士録 第1版】昭和12年
〔画像〕p3【満洲紳士録 第1版】昭和12年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1687711/1/3
《春山 茂》
 日滿商事(株)上海出張所長
【本籍】岐阜縣大垣市外側町四三
【生年月日】明治三十一年七月三日
【續柄】淸彌 長男
【學歷】大正十二年
    早稻田大學商學部卒業
【經歷】大正十二年四月
    滿鐵に入社 販賣課勤務
    昭和六年八月
    同社商事部石炭課輸出係主任心得
    昭和十一年六月
    同社上海事務所勤務
    昭和十一年十月
    日滿商事の創立と共に現職に就く
【趣味】ゴルフ
【信仰】佛敎
【家族】妻  ひで子
    長女 好子
【住所】上海文路ピアスアパート一二ノA
    電話四二九一三
https://dl.ndl.go.jp/pid/1687711/1/587

《小川清秀》
https://dl.ndl.go.jp/pid/1687711/1/439
  blog[小野一雄のルーツ]改訂版
  2023年06月02日05:18
  《小川清秀》税關監視官、大連税關勤務
  【満洲紳士録 第1版】昭和12年(1937)

昭和十二年七月十五日印刷
昭和十二年七月二十日發行
    滿洲紳士錄
    並製 金貳拾圓也
編纂兼 中西 利八
發行人 東京市麻布區兵衞町一丁目六番地
印刷者 篠倉 政一
    東京市京橋區湊町二丁目十六番地
印刷所 第一印刷所
    東京市京橋區湊町二丁目十六番地
    電話京橋(56)三〇六〇番六〇三五番
發行所 滿蒙資料協會
    東京市麻布區兵衞町一丁目六番地
    電話赤坂(48)一二一八番
    振替口座東京三一五三五番
    振替口座大連 三八六二番
    振替口座新京 一〇七〇番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1687711/1/814
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

上海ピアスアパート《野村祐三》《黑田鼎造》《有田孝二》【慶応義塾塾員名簿 昭和17年版】

【慶応義塾塾員名簿 昭和17年版】
著者    慶応義塾 編
出版者   慶応義塾
出版年月日 昭和17
p2【慶応義塾塾員名簿 昭和17年版】
〔画像〕p2【慶応義塾塾員名簿 昭和17年版】
《野村祐三》 福岡
理財 大正10年
野村伊藤爲替事務所
上海市文路ビアスアパート

《黑田鼎造》 佐賀
高等 大正15年
山九運輸會社 取締役
上海商事 部長
上海市乍浦路ピアスアパート二五

《有田孝二》 東京
經濟 昭和9年
中国海關總税務司公署
上海市文路、ビアス、アパート四二號
昭和十七年十二月二十五日印刷
昭和十七年十二月二十九日發行
編纂者  慶應義塾
發行者  慶應義塾
右代表者 西村 敢
印刷者  白井祐吉
     東京市牛込區西五軒町五二番地
印刷所  帝國法規出版株式會社印刷工場 東東四
     東京市牛込區西五軒町五二番地
發行所  慶應義塾
     東京市芝區三田二丁目二番地
     電話三田(45)〇一六八番、〇一六九番
         (45)〇二八七番、三四〇五番
     振替口座東京一八二〇四番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

記事検索
最新記事
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
アーカイブ
  • ライブドアブログ