名張隆政

《黒井 久》オクダ電機(株)取締 京都市下京區西七條市部町【全日本紳士録 昭和25年版】

【全日本紳士録 昭和25年版】
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 1950
黑井 久
オクダ電機(株)取締
京都市下京區西七條市部町
 p140【全日本紳士録 昭和25年版】
〔画像〕p140【全日本紳士録 昭和25年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/3007853/1/140
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オクダ電機(株) 京都市下京區唐橋經田町【日本職員録 昭和22年版】

【日本職員録 昭和22年版】
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 昭和22年

オクダ電機(株)
 京都市下京區唐橋經田町
 設立 昭和12年9月
 資本(濟) 1,000,000
 株數    20,000
 事業 電熱器製造
社長  奥田憲太郎
專務  瀧野 彌二
取締  津田 九郎
〃   鴻池 正通
〃   大場 俊三
〃   時森 良穗
監査  津田 三郎
〃   和田由太郎
課長
總務  川崎 重喜
作業  岡島繁太郎
會計  守永 治三
 p87【日本職員録 昭和22年版】
〔画像〕p87【日本職員録 昭和22年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/8797857/1/87
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【官報 1947年11月19日】昭和22年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和22年
 ◎工場財團
京都市下京区唐橋経田町三番地
オクダ電機株式会社より
同会社所有の工場に属する建物及び機械器其に対し
工場財國組成のため所有権保存登記の申請があつたから
右財團に属する動産に付き
権利を有する者又は差押、仮差押若しくは
仮処分の債権者は本公告掲載の日から三十二日以内に
その権利を当廰に申し出られたい。
 但し工場財團に属すべきものの目錄は
 当廰に備付あるから関係者の閲覽に供する。
 昭和二十二年十一月十九日
  京都司法事務局下京出張所
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オクダ電機株式會社 接續器 電氣用品ノ製造ヲ免許セリ【官報 1941年03月26日】昭和16年

【官報 1941年03月26日】昭和16年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和16年
◎遞信省告示 第八百十九號
 昭和十年九月遞信省令第三十號
 電氣用品取締規則ニ依リ
 左記ノ通
 昭和十六年三月十八日
 電氣用品ノ製造ヲ免許セリ
  昭和十六年三月二十六日
    遞信大臣 村田 省藏

免許證書番號   第五八七號
電氣用品ノ種別  接續器
申請者ノ營業所  京都市下京區唐橋經田町三番地
及 名稱     オクダ電機株式會社
 p16【官報 1941年03月26日】昭和16年
〔画像〕p16【官報 1941年03月26日】昭和16年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2960761/1/16
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オクダ電熱器改組、電機器へも進出:オクダ電機株式會社と改稱【電気工学 26(11)】昭和12年(1937)

【電気工学 26(11)】昭和12年(1937)
出版者   技能図書出版社
出版年月日 1937-11
 オクダ電熱器改組、電機器へも進出
京都オクダ電熱器製造所は從來個人經營で
10數年の歷史を閲して今日を築き上げた
我國電熱器界の草分けであるが、
近時事業の擴張に迫られたので組織を
株式會社に變更することになり、
オクダ電機株式會社と改稱
資本金20萬圓(全額拂込)として
近く登記をなす筈である。
而して從來は電熱器專門に製作してゐたが
今後は一般の電氣機械器具も製作することになり、
近く現在の工場に隣接して工場の增設をなすか
或は他に適當の土地を選定して
第二工場を新設するかを考慮中である。
尚ほ同社の重役は
社 長   奥田憲太郎、
專務取締役 奥田繁治郎、
取締役   奥田彌一、
監査役   奥田榮造の諸氏である。

昭和12年10月25日 印刷納本
昭和12年11月1日發行
編輯兼發行人 竹中 治郎
印刷所    電氣工學社 印刷部
發行所    電氣工學社
       東京市日本橋區呉服橋二ノ五
       電話日本橋(24)0403番
       振替口座 東京82058番
大賣捌 東京堂・東海堂・大東館・北隆館
 p34【電気工学 26(11)】昭和12年(1937)
〔画像〕p34【電気工学 26(11)】昭和12年(1937)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1548098/1/34
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オクダ電機株式會社・オクダ電熱器製造所・奥田憲太郎氏經營【電気経済時論 9(10)】昭和12年(1937)

【電気経済時論 9(10)】昭和12年(1937)
出版者   電気経済時論社
出版年月日 1937-10
 ◆オクダ電熱 株式に改組
海軍省指定工場
オクダ電熱器製造所(京都市下京區東九條烏丸町)は
大正二年京都市西洞院七條下ルで創業以來
逐日發展して
大正十年現在地に工場新築移轉し、
爾來躍進物凄く
東京、大阪に出張所を設置し
各地代理店の新設を行ふなどして
漸次工場規模の擴大を計つて來たが
今回時勢に順應する爲め組織を改め
奥田憲太郎氏經營の事業全部を引繼いで
資本金二十萬圓(全額拂込濟)の
オクダ電機株式會社を設立し
去る九月十七日一切の手續を完了した。
同社重役は左の通り
取締役社長 奥田憲太郎、
專務取締役 奥田繁治郎、
取締役   奥田 彌一、
監査役   奥田 榮造、
尚同社では今後は從來の電熱器の外
一般電氣機具の製作にも乘出すことゝなり
之れが準備中である。
 p27【電気経済時論 9(10)】昭和12年(1937)
〔画像〕p27【電気経済時論 9(10)】昭和12年(1937)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1486602/1/27
昭和十二年十月十二日印刷納本
昭和十二年十月十五日發  行
編輯發行兼印刷人 渡久山朝康
發行所 電氣經濟持論社
    大阪市北區中之島二丁目二二番地
    電話北濱(23)五八〇八
    振替大阪四九五五八番
電氣經濟持論社 東京事務所
東京市神田區駿河臺三ノ一
電話神田(25)二七六九・四二〇六
振替東京八一九三八番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1486602/1/33
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[光に挑む二十年⑤]丹波工場完成予想図・丹波工場用地の確保・役員紹介【黒井電機株式会社20年史】1972

【光に挑む二十年:黒井電機株式会社20年史】1972
出版者   黒井電機
出版年月日 1972

 丹波工場完成予想図
 p167【黒井電機株式会社20年史】1972
〔画像〕p167【黒井電機株式会社20年史】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/167

 丹波工場用地の確保
住友生命に話をして
長期資金がかりられる見込みがついたので、
黒井(久)社長は、
京都府が将来の工場団地として計画をしていた、
福知山の近くの長田野団地を見に行った帰りに、
丹波町に府が何十億かの金をかけて、
四十万坪ぐらいの自然運動場の計画をしているのを知った。

この辺は京都府下の軽井沢みたいな高原地帯だが、
昔から水資源がなくて荒れ地になり、
過疎になりかかっていた町であった。

府は最初はその丘の下を流れている
小さい高屋川のほとりに井戸を掘って、
運動場の用水にする心積りであったらしい。

社長(黒井久)は運動場を作る位だから、
他にも水が出る所があるだろうと考え、
丹波町の役場へ問合せをすることを思いついた。

五カ年計画では人をふやさないで、
省力化省脳化の機械化をやって、
無人工場をつくる覚悟だから、
最初から人の有無は余り問題にしなかった。p166
 p164【黒井電機株式会社20年史】1972
〔画像〕p164【黒井電機株式会社20年史】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/164

[写真]丹波工場敷地風景
 p165【黒井電機株式会社20年史】1972
〔画像〕p165【黒井電機株式会社20年史】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/165

管理部の麻田次長に調査を命令したら、
何と彼は京都銀行在任時代、
初代の須知支店の支店長で、
町の開発に協力し、
町長以下顔役はみんな格別に親しいということが分った。

この点ではまことについていて、
町当局も特別に熱心に協力してくれ、
姫路工大の地質学の教授にボーリングをしてもらって、
運動場の近くに残っている、
たった一つの水の出る場所を教えてもらった。

これを聞いて黒井(久)社長は、
即座にこれだ、と決断した。

当時はこの辺は誰も買い手がなくて、
丘の上の雑地はただみたいに安くて、
町の斡旋で整地して
坪千五百円で六万坪余りの用地が確保できた。

この坪数の中には、
将来丹波町に工場を
黒井電機と一緒に作りたいという
希望の協力工場二十社分、
約二万坪も含まれている。

その後、京都府と関西電力との契約で、
由良川のダムから水をくみ上げて、
丹波町へ水道を引くことが府会で議決され、
水がないために発展をはばまれていた過疎の町も、
一躍さいきんは高級住宅地、
別荘地などとして時代の脚光をあび、
地価も二十倍以上にあがりつつあるようである。

後から農地を買いたして、
黒井電機の工場用地から土砂が流れても、
地元へ公害を起さないように配慮した。

農地転用の許可をもらった土地に、
黒井電機の独身寮と社員研修所の建設計画が進み、
(昭和)四十七年四月着工、
同年(昭和47年)十一月完成の予定である。

資本金も(昭和)四十七年一月、
一千万円から二千五百万円に増資したし、
逐年資本金をふやして、
近い将来には上場して、
従業員に持株をさせることも配慮して、
予定通り計画にそって未来に向って
着実に前進しているのである。
 p166【黒井電機株式会社20年史】1972
〔画像〕p166【黒井電機株式会社20年史】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/166

 役員紹介
社 長 黒井基仁(久)
常 務 中野嘉徳
取締役 山本 高
取締役 矢野武宏
取締役 黒井哲夫
取締役 北村正治
取締役 山崎佳郎
 p186【黒井電機株式会社20年史】1972
〔画像〕p186【黒井電機株式会社20年史】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/186
印 刷 昭和四十七年五月二十日
発 行 昭和四十七年六月 一日 非売品
発行所 黒井電機株式会社
    京都市下京区七条八幡町二十七番地
印刷所 株式会社 大美堂印刷社
    京都市下京区西洞院七条下ル
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/206
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[光に挑む二十年➃]久岡喜代松(名張隆政の義父)黒井電機(株)創設:昭和28年6月【黒井電機株式会社20年史】1972

【光に挑む二十年:黒井電機株式会社20年史】1972
出版者   黒井電機
出版年月日 1972

 p195【黒井電機株式会社20年史】1972
〔画像〕p195【黒井電機株式会社20年史】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/195

その光洋電気にSという一人の男が乗りこんできた。

(黒井)久の松下時代に一緒につとめたことのある男だが、
非常な策士で、
金もないのに口先一つで重役に納まってしまった。

(黒井)久は、むかしの同僚だと思って、
最初は気を許していたが、
その男の真意が会社を乗っ取る
”黒い魔手“であることを見抜いたので、
蛍光灯のパテントを持って、
あっさり身を退いてしまった。

(案の定、実力のない策士に乗っ取られた光洋電気は、
 それから一年足らずの間に周囲に迷惑を
 かけて破産してしまった)

それで、もう仕事を止めようと思っていたら、
日立造船、三井造船、三菱造船などの得意先から
(黒井)久の技術や人柄を買って、
光洋電気は信用できないから、
ぜひ蛍光灯をやれといってくるので、
やらざるを得なくなり、
独立した会社を創設しようということになった。

こうして(黒井)久は、
昭和二十七年六月二十日、
京都市中京区西ノ京冷泉町に黒井電機製作所を設立、
船舶用照明器具と計器類の製造販売を始めた。
これが現在の黒井電機株式会社の
記念すべきスタートだった。
 p42【黒井電機株式会社20年史】1972
〔画像〕p42【黒井電機株式会社20年史】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/42

松下電器への売込みの見通しがつくと、
黒井電機製作所という個人経営では、
なにかと都合が悪いというので、
株式会社組織に改めることになり、
大阪ガス(浪速ガス)営業所長を
定年退職して遊んでいた
名張(隆政)氏の義父の
久岡喜代松氏の退職金の一部五十万円を借り、
(黒井)久が工場の設備、機械などを現物出資し、
(黒井)久を社長、
久岡氏を専務に、
社員わずか十五人の黒井電機株式会社が、
昭和二十八年六月に創設された。

そして、その年(昭和28年)の十二月、
松下電器産業株式会社と
黒井電機株式会社の取引が開始された。
 p49【黒井電機株式会社20年史】1972
〔画像〕p49【黒井電機株式会社20年史】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/49
印 刷 昭和四十七年五月二十日
発 行 昭和四十七年六月 一日 非売品
発行所 黒井電機株式会社
    京都市下京区七条八幡町二十七番地
印刷所 株式会社 大美堂印刷社
    京都市下京区西洞院七条下ル
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/206
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[光に挑む二十年③]名張隆政氏(現蒼電舎社長)ステンレスで自転車のリム【黒井電機株式会社20年史】1972


【光に挑む二十年:黒井電機株式会社20年史】1972
出版者   黒井電機
出版年月日 1972

 p194【黒井電機株式会社20年史】1972
〔画像〕p194【黒井電機株式会社20年史】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/194

  ステンレスリムへ転向
発電ランプの製造を止めて、
毎日何をやろうかと考えている
(黒井)久のところに、
名張氏(現蒼電舎社長:名張隆政)から、
ステンレスで自転車のリムを作っては、
というすすめがあった。
よいアイデアだと思ったが、
ステンレスは電気熔接が非常にむつかしい。
そこへ、泉大津市の小さな工場の技師が
電気熔接を完成したという話をきき、
早速泉大津市へ出かけて品物を見せてもらい、
販売計画などについて調査し、
有望だと認めたので、
みんなで五十万円を出資し、
大阪工業という会社をつくって
発足することになった。
 p36【黒井電機株式会社20年史】1972
〔画像〕p36【黒井電機株式会社20年史】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/36

オクダ電機の設備を使って、
蛍光灯器具を作り、
松下電器に売りこもうとしたのもこのころである。

オクダ電機の工場を税務署が差し押さえしていたので、
五百万円で払い下げをうけ、
光洋電気工業(株)という第二会社を作って、
ナショナルの蛍光灯器具量産工場として
再起させようと計画もした。
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/40
そのオクダ電機の従業員を生かすために、
大株主であった
亀田六神丸の亀田さんがスポンサーになり、
富和商会の冨和さんが社長になり、
第二会社として光洋電気が設立され、
(黒井)久はひきつづき専務として関与した。
 p42【黒井電機株式会社20年史】1972
〔画像〕p42【黒井電機株式会社20年史】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/42
印 刷 昭和四十七年五月二十日
発 行 昭和四十七年六月 一日 非売品
発行所 黒井電機株式会社
    京都市下京区七条八幡町二十七番地
印刷所 株式会社 大美堂印刷社
    京都市下京区西洞院七条下ル
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/206
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[光に挑む二十年②]発電ランプ:I(井植歳男)専務・S(三洋電機)社【黒井電機株式会社20年史】1972

【光に挑む二十年:黒井電機株式会社20年史】1972
出版者   黒井電機
出版年月日 1972

 黑井電気製作所
 p29【黒井電機株式会社20年史】1972
〔画像〕p29【黒井電機株式会社20年史】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/29

  ステンレスリムへ転向
話は発電ランプ売り出しのころに戻る―。
その後、全国各所に同業者ができて
競争がはげしくなり、
それまでの下請けの設備では、
量産も限界にきて工場を作るかどうか
迷っていたとき、
松下(幸之助)社長から、
ちょっと来てくれ、という連絡があった。

行ってみると
「君のところで、ナショナルのブランドで
 発電ランプを作ってくれないか」
という話である。

松下は戦前、
東京の工場で発電ランプを量産していたが、
空襲でつぶれてしまい、
その後まだ生産するところまでいってなかった。
「こんど来るとき見本一個と君の方の要望を出してくれ」
といわれて、その日は帰り、
次回に訪問すると
専務のI(井植歳男)氏が代りに出てきた。

I(井植歳男)専務から、
(黒井)久の作った発電ランプの性能や、
いままでの販売方法を根ほり葉ほりきかれた。

相手が昔の上司の専務なので信用して、
(黒井)久は洗いざらい話をした。

こちら側の要求として、
ナショナルの発電ランプを作るなら、
そちらの工場を貸してもらうか
月賦で売ってほしい、
という条件を出し、
見本一個を渡して帰った。

自分の松下時代の上司である
I(井植歳男)専務のことだから、
自分の将来のことを十分考えてくれるだろう―
という(黒井)久の判断の甘かったことを、
彼はいやというほど思い知らされた。

その後何の連絡もないので、
催促に行ってみると、
I(井植歳男)専務はとっくに会社を辞めて、
S(三洋電機)を創立したとのことで、
(黒井)久はアッケにとられた。

年が変って正月に、
S(三洋電機)社の社長となった
I(井植歳男)氏から来てくれという
連絡があったので行ってみると、
「君に悪いけれど、
 うちの会社でこれから
 発電ランプをやるから、
 悪く思わんでくれ」
とのあいさつであった。

早速、
S(三洋電機)社の発電ランプを調べてみると、
(黒井)久の発明した製品を
ちょっともじっただけの模造品であった。
 p34【黒井電機株式会社20年史】1972
〔画像〕p34【黒井電機株式会社20年史】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/34

(黒井)久はカンカンになったが、
力のあるものが勝つのは資本主義社会の鉄則であるし、
完全にこちらの真似をしている
S(三洋電機)社に対し
特許法で訴訟をおこしたが、
こちらの資力がつづかなければ負けることになる。

(黒井)久の作った発電ランプもよく売れていたが、
これではとても競争に勝てないので、
涙をのんで訴訟を取り下げて生産を中止した。

南君や河畠さんにも話をして、
一緒に転進しようとすすめたが、
みすみす売れているものをやめる必要はないと、
彼ら二人が別に独立して売りはじめたが、
一年余り努力した結果、
S(三洋電機)社に押されてだんだん尻すぼりになり、
止めざるを得ないようになってしまった。
 p36【黒井電機株式会社20年史】1972
〔画像〕p36【黒井電機株式会社20年史】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/36
印 刷 昭和四十七年五月二十日
発 行 昭和四十七年六月 一日 非売品
発行所 黒井電機株式会社
    京都市下京区七条八幡町二十七番地
印刷所 株式会社 大美堂印刷社
    京都市下京区西洞院七条下ル
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/206
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[光に挑む二十年①]社長 黒井基仁(久)終戦と同時に松下電器を退社【黒井電機株式会社20年史】1972

【光に挑む二十年:黒井電機株式会社20年史】1972
出版者   黒井電機
出版年月日 1972

  二十周年を迎えて 黒井基仁
  社長 黒井基仁(久)
松下電器を今はやりのスピンオフして
黒井電機を終戦直後に創立し、
発電ランプやいろんなものを手がけたが、
企業の三本の柱といわれる、
人と金と物の三つともなわず、
自分自身の経営者としての力不足も、
あちこちで頭を打ってはじめて判り、
六年間ほど雌伏した。
 p8【黒井電機株式会社20年史】1972
〔画像〕p8【黒井電機株式会社20年史】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/8

  終戦と同時に退社
黒井電機株式会社社長黒井久(基仁)は、
大正四年三月二十九日、
香川県仲多度郡吉野村(現在は満濃町に合併)の、
代々庄屋をつとめていた旧家に生まれた。

旧制丸亀中学校を卒業した昭和七年春、
神戸高等工業学校(現神戸大学工学部の前身)の
電気科に入学、
昭和十年同校を卒業と同時に
現在の松下電器産業(株)の前身である
松下電器製作所(大阪府門真市)に入社した。

きびしい現場実習をへて、
研究部にはいってラジオの設計に取組み、
多くのベストセラーのラジオを生み出し、
半固定式再生受信機では、
松下では初めての発明有功賞を、
発明協会よりもらった。

昭和十二年十月、
召集令状を受取って三年間の戦場生活を体験、
いくたびか死地を脱して
(昭和)十五年十月松下電器に復帰し、
中央研究所無線研究室長として
陸軍用傍受用無線機の競争試作に一等入選し、
松下の設計で、
はじめての制式研究に没頭し、
これを成功させた。

(昭和)二十年八月十五日の終戦の日に、
松下電器に辞表を出し、
独立して、
一からやり直す決心をした。

松下(幸之助)社長(現会長)は、
「松下は、これから民需のラジオに力を入れたい。
 それには、真空管を自給自足しなくては勝てない。
 君はせっかくここまで
 松下の真空管部門を育ててきてくれたのだから、
 もうひと肌ぬいでくれんか。
 重役にもするし、
 君の思うようにやらせるから」
と止めてくれたが、
(黒井)久は、
「私は松下がきらいで辞めるのではありません。
 これまで松下で育ててもらい、
 重要な仕事をさせて頂いたご恩は心から感謝していますが、
 果してそれが自分の実力かどうか疑問に思っています。
 p22【黒井電機株式会社20年史】1972
〔画像〕p22【黒井電機株式会社20年史】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/22

 むかしから可愛い子には旅をさせよ、
 ということわざもあります。
 本当に私が可愛いと思われるなら
 私に苦労をさせてください」
と言ってきかなかった。

松下(幸之助)社長もあきらめて、
普通なら自己退職したものには
退職金は払わないことになっているが、
君は特別に功労があったので
退職金を渡す…と言って、
三千円余りの住友銀行の定期預金通帳を渡してくれた。

こうして(黒井)久は
昭和十年三月から(昭和)二十年八月までの十年間の
松下生活に別れを告げた。
(このときもらった退職金は、
 戦後のものすごいインフレで、
 定期預金が六カ月後に満期になって
 住友銀行へ出しに行ったころには、
 一カ月の生活費にも足りないようになっていた。)
[写真]母堂 黒井こよね夫人
    若き日の黒井久(基仁)社長
    生家・香川県仲多度郡吉野村
 p23【黒井電機株式会社20年史】1972
〔画像〕p23【黒井電機株式会社20年史】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/23
印 刷 昭和四十七年五月二十日
発 行 昭和四十七年六月 一日 非売品
発行所 黒井電機株式会社
    京都市下京区七条八幡町二十七番地
印刷所 株式会社 大美堂印刷社
    京都市下京区西洞院七条下ル
https://dl.ndl.go.jp/pid/11956998/1/206
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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