早稲田ラグビー

《田頭達市》中大ラグビー部OB エリスクラブ主将【産経日本紳士年鑑 第7版 下】昭和42年

【産経日本紳士年鑑 第7版 下】昭和42年(1967)
出版者   産経新聞年鑑局
出版年月日 1967
《田頭 達市》
 三幸建設(株)社長
 保谷建設業協力会幹事
(生)広島県 昭和5年5月2日
(歷)
昭和28年 中大法学部卒
小川造園に入り
昭和35年 三幸建設を設立 社長に就任
なお中大ラグビー部OB
エリスクラブ主将をつとめる
(趣)ラグビー
(住)東京都保谷市本町三ノ二
   ℡田無(61)一七八一
p130【産経日本紳士年鑑 第7版 下】昭和42年
p130【産経日本紳士年鑑 第7版 下】昭和42年
https://dl.ndl.go.jp/pid/3044850/1/130

【産経日本紳士年鑑 第9版 下】昭和45年(1970)
出版者   産経新聞年鑑局
出版年月日 1970
《田頭 達市》
 三幸建設(株)社長
 関東ラグビーフットボール協会評議員
(生)広島県 昭和5年5月2日
(歷)
昭和28年 中大法学部卒
小川造園に入り
昭和35年 三幸建設を設立 社長に就任
なお中大ラグビー部OB
エリスクラブ主将をつとめる
(趣)ラグビー
(住)東京都保谷市本町三ノ二
   ℡田無(61)一七八一
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《畠山一男》昭和37年エリスクラブ監督として台湾遠征【東京紳士録 昭和45年版】

【東京紳士録 昭和45年版】昭和44年(1969)
著者    東京探偵社 編
出版者   東京探偵社
出版年月日 1969
《畠山 一男》
 成蹊大学文学部助教授兼
 保健体育科主任
 東京ラグビースクール校長
 武蔵野市ラグビースクール校長
 秋田県出身
 東京都武蔵野市吉祥寺北三ノ五ノ三七
 電話(51)四〇〇一
勤務 東京都武蔵野市吉祥寺北町三ノ三ノ一
電話 (51)五一八一
歴  大正9年7月28日生
昭和一九年 東京高等師範学校体育科卒業後
土浦海軍航空隊予備学生
昭和二〇年 海軍少尉にて復員
昭和二一年 熊本薬専助教授
昭和二三年 成蹊高教諭
昭和四〇年 現職就任
現在に至る
此間
昭和三八年 ※昭和三七年の誤記
エリスクラブ監督として台湾遠征
関東ラグビーフットボール協会
レフリーソサエテイー委員
同協会評議員 同理事
日本ラグビーフットボール協会
普及指導委員会副委員長
同協会事故防止委員会副委員長
歴任
尚日本体育学会会員
日本体力医学会会員
特 昭和二五年第五回国民体育大会ラグビー東京
昭和二七年ニュージランド在日駐留軍ケーホース再度
各代表選手
著 「ラグビー」スライド及び解説書
  「保健体育概論」
論 「身体発育の加速化現像に関する縦断的研究」
処 フエアプレーとフアイテイングスピリット
宗 禅宗
趣 ゴルフ
家 妻  トミ(昭和4年)
     日本女子大助教授 園芸
  長男  武(昭和27年)
     成蹊高在
  長女 佳子(昭和31年)
親 従兄 財前正士
    (熊本市 鶴屋デパート常務取締役)
p499【東京紳士録 昭和45年版】昭和44年(1969)
p499【東京紳士録 昭和45年版】昭和44年(1969)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3016748/1/499
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《菱田一雄》エリスクラブ:台湾遠征に際してお会いした先輩達【蔵前工業会誌 (563)】昭和37年

【蔵前工業会誌 (563)】昭和37年(1962)
出版者   蔵前工業会
出版年月日 1962-07
 台湾に於ける会員の消息
 (ラグビー遠征に際してお会いした先輩達)
 《菱田一雄》
私は工大ラグビー部のOB会にも入っているが、
エリスクラブにも所属している。
エリスクラブは、工大だけでなく、
各大学のOB会で結成されており、
ラグビーをやっているものなら、
たいてい知っているし、
日本でも最強のクラブチームの一つである。

最近、台湾の中華民国ラグビー協会の招きで、
台湾に遠征することとなった。
期日は(昭和37年)2月24日から3月7日まで、
約2週間である。
幸いに私は、多数のクラブ員の中から選ばれて、
中、日親善試合のメンバーになったので、
さき程、台湾に遠征して来た。
その時お会いした工大の三人の先輩の
消息をお伝えしたいと思う。

 写真は台北の町で右から二人目《陳》氏
 三人目《筆者》
p12【蔵前工業会誌 (563)】昭和37年(1962)
p12【蔵前工業会誌 (563)】昭和37年(1962)

  【官報 1942年11月12日】昭和17年
  著者    大蔵省印刷局 [編]
  出版者   日本マイクロ写真
  出版年月日 昭和17年
  ◎臺灣總督府臺南高等工業學校(四十回卒業生)
   機械工學科
  《陳成慶》

《陳 成慶》昭和26年化工卒
名簿では昭和26年卒になっているが、
実際の卒業年度は昭和21年で、
帰国のため卒論が延びてしまったそうである。
現在、台北市にある国立台湾大学化工系副教授として、
台湾の最高学府の旧台北帝大の伝統を受け継いだ
名門校で活躍中である。
台湾大学は、現在、日本の東大、工大と同様に、
物凄く入学がむづかしく学生の勉学態度は、
日本人よりはるかに、真剣だとのことである。

それと云うのも
「中国では、徴兵制度があって、
 大学の途中から2年間は兵役に行かねばならないから、
 勉強の出来るうちは、
 しっかりと勉強するのだと云う意識が強いためである。
 その点日本の学生は、良い意味でのびのびとしているが、
 反面、自由に流れ過ぎているきらいがないでもない。」
と云っていた。

大学の講義は北京語で、
一般に話す言葉は台湾語、
日本に長く留学されていたので、
日本語は、われわれより上手、
アメリカへ2年程留学されていたので、
英語も得意と、
私なんか、日本語だけでも、苦手なものにとって、
誠に羨ましい話だった。

同氏は工大在学中にラグビーをやっておられたとのことで、
特に台湾にいる間ご迷惑をお掛けした。

第一試合は、昔の台北一中のOBとであって、
現在建国中学と名称が変っているところと行ったが、楽勝。
その試合のあとで、
古い写真を一枚持って来られた。
一見して、すぐ戦争中のものと分かった。
本館がきれいなものである。
大学の分析教室の前で、
ラグビーの白いジャージィーに
「生協」と書いたマークをつけて、
桜の木の下で、
本館をバックに15~6名が
坊主頭で試合前に写した写真である。

私の知っている顔は、
大野明(18金)氏しかなかったが、
陳氏は、塚本氏、中村氏などの名を挙げた。
特に塚本氏とは、高工時代の先輩、後輩であって、
なつかしいが、消息が分からないと云っていた。

半日、陳氏の案内で、日本の味の素と同じ、
「味全食品工場」を見た。
同工場は台北から約15分位のところにあって、
グルタミン酸を発酵法で造ったのは、
日本より先だったとのことである。
施、工場長の説明によれば、
現在、増設中の諸施設は、
陳氏の種々のアドバイスによるものだそうである。
現住所は 中華民国台湾省台北市紹興南街32巷14号
現在 長女15才、次女12才、
長男11才、次男9才、3男7才
と三男二女がある。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1805588/1/12

  【東京工業大学一覧 昭和15-16】
  出版者   東京工業大学
  出版年月日 昭和16
  《劉主安》 大正一五年 紡 昭和七年大紡
  【東京工業大学一覧 昭和7至8年】
  著者    東京工業大学 編
  出版者   東京工業大学
  出版年月日 昭和7
    染料化學科
  昭和七年三月卒業(八名)
  《劉 主安》臺灣

《劉 主安》 15紡、7染
台北での2戦を楽勝したあと、
第3戦は南下して、台南市営球場において、
全台南市と行った。
その時、グランドに見えられたのが、
劉先輩である。
台南のラグビー協会からの連絡で、
工大の卒業生が来るからと云うので、
始めて、ラグビーを見たとのことであった。

現在、台南市の長栄女子中学の校長を
おやりになっているそうで、
今日も生徒達に、大学時代の恩師、
菱山衡平先生や永海佐一郎先生のことを話して、
生徒達に訓辞をしたところだと、
非常に敬虔な態度で話された。
戦後、日本から来た工大の卒業生に
会ったのは始めてだと、
私のことを非常になつかしがられて、
同夜、台南市長の招待のあと、
一緒に同市を案内して下さった。
教育者としては、
出国が面倒で中々日本に行けないのが残念だが、
何んとかして、日本に行きたい、
そして日本に行ったら、まづ、
恩師の菱山先生のところに、
お見舞に行きたい。
私の日本に行きたい目的の半分は、
これであると、話しておられた。

《江 北辰》 昭和21年機
現在、台北のシンガーミシンに勤務中。
前の劉主安氏の女婿で、
台南から紹介を受けて、挨拶に行った。
今度、シンガーが工業用ミシンの工場を
台北に建てる計画があるが、
その工場の責任者として行く予定があるとのことであった。
現住所 台北市中山北路二段六八A号
    美商勝家縫紐機器股份有限公司
(23化工門 東京首都整備局都市公害部)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1805588/1/13
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日本のエリス・ラグビー・チーム一行25人が昭和37年2月24日台湾に遠征した【台湾青年 (16)】昭和37年

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年10月15日03:30
《柯子彰:夫人 柯秀鳳は日本人》
【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
夫人秀鳳は日本人で、
和歌をよくし、
これらの作品は昭和39年(1964)春
南米へお嫁にゆく愛嬢の渡航の途に託して
機関誌”ラグビーフットボール“に寄せたもの。
  ラグビーによせて
   柯秀鳳
    エリスを迎えて
異なりし国に育てし ラグビーの
  術(わざ)に繋(つなが)る 精神(こころ)貴し
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【台湾青年 (16)】昭和37年(1962)
出版者   台湾独立建国聯盟日本本部
出版年月日 1962-03
  台湾のラグビー
日本のエリス・ラグビー・チーム一行25人が
昭和37年2月24日台湾に遠征した。
同チームの一員北村靖選手は、
台北から次のように報じてきた。
《日刊スポーツ》昭和37年3月3日付から
台北飛行場では、
かつて早大の名センターとして鳴らした
《柯子彰》氏をはじめ、
ラグビー関係者の歓迎をうけ、
台湾のラグビーがいかに日本ラグビー界に
期待をかけているかを深く感じた。

昭和37年2月25日午後3時半から
対建国中OBとの第一戦が行われたが、
結果は次のとおり。
 エリス 32(3-5)8 建国中OB
      (29-3)
ゲーム前に長々とした儀式があり、
立法院長《黄国書》氏の歓迎あいさつに始まって
各界各士のスピーチが一時間もつづき、
その間直立不動の姿勢をとらされているので、
われわれはすっかり調子が狂い、
前半はリードされる始末だった。
後半はFWの体力、
技術の差がはっきり現われて圧倒的に得点して
第一戦をものにした。
このゲームで感じた台湾チームの性格は、
実に忠実なラグビーに終始していることで、
FWはセット・スクラムの組み方などに、
まだ難点があるが、
ルース・プレーのタテに突っ込む力には
かなりの威力がある。
バックスは走力もあり、
柔らかいからだのこなし方は、
将来相当の強味をみせると思われる。

これは余談だが、
ゲーム終了後グラウンドの中央に飾られた
《蒋介石》総統の写真に対し三度最敬礼を
台湾の人たちといっしょにさせられたのは、
われわれの感覚としては一時代前のもので、
どうにもおかしく吹き出すのをこらえるのが
やっとだったが、
このあたりにも台湾の政情がうかがえた。

第二戦は昭和37年2月27日
大同中OBと行なわれた……
この間台湾ラグビー協会の人々に
聞いたところによると、
台湾には各中学(高校)ごとに
ほとんどラグビーチームがあり、
社会人、大学にも各15チームがある。
しかし、台湾ラグビーの最大の悩みは、
技術的にうまくなった選手がほとんど
兵役にとられて中断してしまうとのこと。
これは現在の台湾の政情としては
どうしようもないことだろうが、
惜しまれることだ。
p26【台湾青年 (16)】昭和37年(1962)
p26【台湾青年 (16)】昭和37年(1962)
https://dl.ndl.go.jp/pid/7886309/1/26
台湾青年 第16号 1962年3月25日
頒価 ¥100.
発行人 王 育 徳
編集長 梁 彰 海
発行所 台湾青年社
    東京都豊島区千早町2~35
    電話(957)6995番
    振替口座 東京 23534番
https://dl.ndl.go.jp/pid/7886309/1/34

【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
出版者   日本ラグビーフットボール協会
出版年月日 1964
  ■台湾・韓国との交流
以上のほか、
往年西部協会の支部として充実した活躍をしていた
朝鮮及び台湾が、
戦後韓国および中華民国として独立した今日も、
依然ラグビーの芽は死なず、
さかんに普及しているが、
台湾からは昭和34年5~6月に、
明大O・B・の《林全録》団長、
裁判員《柯子彰》の引率のもとに、
34名の選手団が来日し、
日本鋼管、東横、横河、トヨタ、京都市役所などと
8戦して3勝4敗1分の成績を収めた。

ついで昭和37年2月エリスクラブが招聘され、
「台北市選抜」、「建国中O・B・」、
「大同中O・B・全台南」、「全台北」
と4戦して4勝した。
得点合計98点、失点合計15点であった。
“赴台”の“球隊”のメンバーは、
関東諸大学のO・B・を網羅している。
一行に《香山蕃》会長も同行し、
日台ラグビー親善に役割をはたした。

台湾ではラグビーを橄欖球と名付け、
試合は比賽、スクラムは可克蘭、タックルは拓克路、
レフリーが裁判員などの訳語があるが、
罰踢進門(ペナルテーゴール)
[𧾷+並]踢進門(ドロップゴール)になると
われわれにはなじめない。

 エリスクラブ台湾遠征メンバー
   ( )内は出身校
団長 上岡 将男 (日 大)
主将 古賀浩二郎 (教 大)
FW 古賀浩二郎 (教 大)
   佐藤 喜義 (中 大)
   安部 泰人 (日体大)
   石崎 誠一 (成蹊大)
   関野 周治 (日 大)
   菊池 暁雄 (日体大)
   渡辺 一郎 (教 大)
   池  隆介 (日 大)
   中塚  充 (法 大)
   中山  亨 (明 大)
   渡辺 一男 (明 大)
HB 佐藤 達郎 (日体大)
   立花 正巳 (中 大)
TB 谷口 隆三 (早 大)
   原口 文雄 (日 大)
   鈴木 秀明 (法 大)
   北村  靖 (立 大)
FB 渡部 岑生 (教 大)
   永峰 恒雄 (法 大)

台湾での愛力斯

韓国へは昭和38年4~5月に日体大が招かれ、
《栗本義彦》学長みずから団長として京城に赴き、
第1戦を中央情報部(陸軍軍人)と苦戦し
9対8で辛勝したほか、
檀国、延世、慶北、慶煕の諸大学との
4戦を連勝して帰国した。
この遠征には日本協会から
《西野綱三、和田政雄、熊谷仁志》が同行し、
ラグビーを通じての日韓親善を深めた。
p167【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
p167【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2505473/1/167
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《柯秀鳳》中華民国台湾【婦人生活 19(5)】昭和40年(1965)

【婦人生活 19(5)】昭和40年(1965)
著者    婦人生活社 [編]
出版者   婦人生活社
出版年月日 1965-05
歌壇 婦人生活 五島美代子選
佳作(賞金各五百円)
中華民国台湾 《柯 秀鳳》
嫁ぐ娘の 晴れ着ながめつつ 耽々と
母の心にも 嫉(ねた)みの潜(ひそ)む
p123【婦人生活 19(5)】昭和40年(1965)
p123【婦人生活 19(5)】昭和40年(1965)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2324707/1/123
婦人生活5月号(第19巻・第5号)
昭和40年5月1日発行
定価240円(別冊付録友)
編集兼発行人 原田常治
発行所 株式会社 婦人生活社
    東京都文京区本郷3丁目23番15号
    電話東京(811)8175番(代表)
    振替口座 東京37892番
印刷所 共同印刷株式会社
製本所 共同製本株式会社
https://dl.ndl.go.jp/pid/2324707/1/239

【婦人生活 19(13)】昭和40年(1965)
著者    婦人生活社 [編]
出版者   婦人生活社
出版年月日 1965-12
歌壇 婦人生活 五島美代子選
一等(賞金壱千円)
台湾《柯 秀鳳》
長男のしたる くさめが
亡き父に似たりと思い
しばし覚(さ)めいる
(評)
夢うつつにきいたくさめであろう。
肉親のつづきは不思議なもので、
今は亡き父、
長男にとっては祖父にあたる人の、
何でもない日常のくせとか
生活のリズムとかが、
ふとさまざまと、
孫の上に出てくることがある。
それを枕の上にききとめて
覚めている作者の限りない感じが、
実に生き生きと詠み上げられている。
p103【婦人生活 19(13)】昭和40年(1965)
p103【婦人生活 19(13)】昭和40年(1965)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2324714/1/103
婦人生活12月号(第19巻・第13号)
昭和40年12月1日発行
定価250円(別冊付録友)
編集兼発行人 原田常治
発行所 株式会社 婦人生活社
    東京都文京区本郷三丁目二三番一五号
    電話東京(813)5331番(代表)
    振替口座 東京37892番
印刷所 共同印刷株式会社
製本所 共同製本株式会社
https://dl.ndl.go.jp/pid/2324714/1/247

【婦人生活 22(7)】昭和43年(1968)
著者    婦人生活社 [編]
出版者   婦人生活社
出版年月日 1968-06
短歌 五島美代子 選
   今月の作品の中から
今月は次の様な三首を寄せて来た方があります

 大学の子なる写真と幸せを
 財布に秘むる靴修理人
  台湾 《柯 秀鳳》
 大学の子の写真とぞ 靴修理なす人
 秘むる財布に幸を
  台湾 《柯 秀鳳》
 靴修理人は財布に大学の子の写真とぞ秘むる幸
  台湾 《柯 秀鳳》

この様に自分でいろいろ推敲するのは、
大変大事なことですが、
皆さんはどれがいいと思われますか。

この歌の大事なところは
「その靴修理の人が、
大学生の子の写真を財布に秘めている、
それがいかにも幸福そうで、
写真と一緒に幸福をしまっているようだ」と、
作者の感じているところだと思います。

第一首の「写真と」の「と」は
「といって」の意味らしいことは、
第二首、第三首には
「とぞ」といっているのでわかります。
その人が「大学の子」といったのでしょうから、
 大学の子の写真といいて
 幸を財布に秘むる靴修理人
とすれば、ともかくわかります。

 大学生の子の写真とぞ
 靴修理の人は財布にその幸を秘む

 靴修理人は財布に大学生の子の写真秘めもちて
 その幸を抱けり
などといえば更にはっきりしますが、
 靴修理人は大学生の子の写真
 財布に深く秘めもちて居る
と作者の感傷をおさえてさりげなくいった方が
対象がはっきりして、
歌としてはよくなると思います。
(五島美代子)
p115【婦人生活 22(7)】昭和43年(1968)
p115【婦人生活 22(7)】昭和43年(1968)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2324728/1/115
婦人生活6月号(第22巻・第7号)
昭和43年6月1日発行
定価300円(別冊付録友)
発行人 原田 稔
編集人 太田栄三
発行所 株式会社 婦人生活社
    東京都文京区本郷3丁目23番15号
    電話東京(813)5331番(代表)
    振替口座 東京37892番
印刷所 共同印刷株式会社
製本所 共同製本株式会社
https://dl.ndl.go.jp/pid/2324728/1/195
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《柯子彰1940年橋本鶴代(柯秀鳳)結婚》(圖文:柯美伊)《台灣史料研究 第53期》2019年6月出版

[呉三連臺灣史料基金會]
《台灣史料研究 第53期》
2019年6月出版
主  編:戴寶村
執行編輯:陳朝海
定  價:250元
柯子彰【1910(明治43)〜2001(平成13)】
出生於臺北大橋頭基督教長老會家庭。
1918年(大正7)隨父經商前往中國福州生活。
1924年(大正13)負笈日本,進入同志社中學就讀,
加入橄欖球隊,從此與橄欖球運動結下不解之緣。
1929年(昭和4)加入早稻田大學橄欖球隊。
1930年(昭和5)獲選日本第一屆橄欖球國家代表選手,
赴加拿大比賽。
1933年(昭和8)柯子彰擔任早稻田大學橄欖球隊隊長,
帶領球隊獲得冠軍。
1934年(昭和9)擔任國家代表隊隊長,率領日本與澳洲對戰。
1934年(昭和9)柯子彰自早稻田大學業。
前往滿洲國南滿鐵道株式會社任職,
參加南滿鐵道株式會社橄欖球隊,
曾代表大連滿鐵、奉天滿鐵及滿洲國參加比賽。
也在「滿洲橄欖球蹴球協會」擔任理事一職,
在滿洲各地推動橄欖球運動,
是目前所知在日治時期唯一進入體育行政體系任職的臺灣人。
1940年(昭和15)柯子彰與日人橋本鶴代結婚。
1942年(昭和17)柯子彰派調上海滿鐵事務所。
中日戰爭結束前,他辭去滿鐵工作,
在父親介紹下於汪精衛政府做事,
短暫工作後以不適合為由而辭職。

 1934年早稻田大學獲得全國橄欖球比賽二連霸,
1934年(昭和9)早稻田大學獲得全國橄欖球比賽二連霸,
柯子彰擔任隊長(第二排右二手持獎盃者)

終戰後,柯子彰偕妻小回台定居,
先後在臺灣鐵路局和臺灣省合會任職。
回台之初,柯子彰積極參與公眾事務,
擔任臺灣鐵路局工會理事。
只是,經歷過二二八事件、
臺北市議員選舉失利和鐵路局人事改組等等挫折後,
柯子彰轉而將心力傾注於臺灣橄欖球運動的發展上。
對內,與一些志同道合之士成立臺灣橄欖球協會、
在臺灣各地、各級學校指導橄欖球隊伍、
書寫及翻譯橄欖球相關文章與書籍、
舉行研習活動培養橄欖球相關人才等。
對外,邀請外國隊伍來臺交流、
與日韓等國籌組「亞洲橄欖球聯盟」,
舉行第一屆亞洲盃橄欖球賽,
將臺灣的橄欖球運動與國際接軌。
(圖文:柯美伊)
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個人新聞台
愛玉香菜子的家
2022-05-30 13:04:11| 
新書發表會《TRY!柯子彰》
新書發表會“TRY!柯子彰”
橄欖球王子柯子彰大前輩的橄欖球人生,
由孫女柯美伊寫來特別有感情!
柯子彰校友的夫人柯秀鳳(橋本鶴代)於同志社台湾校友會時,
經常帶她折的紙鶴來送給我們這些後輩學弟妹們,
本書末頁也以此來做呈現,真是太有意義了。
當然更要謝謝柯美伊老師這麼多年的辛勤編輯撰寫。
 柯子彰校友的夫人柯秀鳳(橋本鶴代)
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《柯子彰:夫人 柯秀鳳は日本人》【日本ラグビー史】昭和39年(1964)

【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
出版者   日本ラグビーフットボール協会
出版年月日 1964
《柯子彰》 なつかしの背番号13
天才的なプレーを謳われた柯子彰は、
同志社中学時代、
C・T・Bに張万玉と列び、
W・T・Bに江原、吉田を配して、
その黄金時代を作り、
昭和5年(1930)から
5シーズン早大のC・T・Bをやり、
その間 加奈陀遠征に加わり、
早大主将もつとめた。

柯と並んだことのある川越藤一郎が述懐して曰くに
「柯さんはパスを受ける前からピョンピョン、
 ギャロップしていて、
 球を手にしてから、
 一瞬にモーションを
 二通りにも三通りにも使い分けました。
 1シーズンにいっぺんでも
 綺麗にかれをタックルすることが
 わたくしどもの念願でした」と。
かれは人のきらう13番の背番号を気にもせず、
かえって誇りにしていた。
掲出のバッジは昭和34年(1959)、
裁判員(レフリー)の資格で、
全台湾ラグビー大会で優勝した
台南市橄欖球隊を率いて来日した時の記念バッジ。

夫人秀鳳は日本人で、
和歌をよくし、
これらの作品は昭和39年(1964)春
南米へお嫁にゆく愛嬢の渡航の途に託して
機関誌”ラグビーフットボール“に寄せたもの。

  ラグビーによせて
   柯秀鳳
雨晴れしグランド駈ける 縞馬の
  転びつ 蹴りる 泥と汗とに

どしゃ降りに 泥まみれたる 選手等の
  ドリブル前進 球の重げに

ラグビーのキックの球に 観衆も
  一つになりて 空を仰げり

夕迫り立つグランドに 賞受くる
  悲喜交々の顔の並びて

初めての試合にのぞむ 吾子の背に
  見守る吾の 心ときめく

学友の夫にと土産はユニホーム
  ラグビー背番の十三懐かし

雨の日も試合あるとか レフリーに
  出立つ夫を ひそか嘆かむ

異なりし国に育てし ラグビーの
  術(わざ)に繋(つなが)る 精神(こころ)貴し
 p97【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
p97【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
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早稲田大学ラグビー蹴球部
商学部/年
最近の出場試合
1934/2/7 早大VSオーストラリア学生代表
1934/1/3 早大VS同大
1933/12/3 早大VS明大
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台湾ラグビーの星・柯子彰、
日本代表キャプテンを務めた台湾人選手の軌跡
スポーツ 歴史 2019.11.02
一青 妙 【Profile】
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《柯子彰》早大伝統の技術的にすぐれたラグビー
【早稲田ラグビー六十年史】昭和54年
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東亞競技大會ラグビー(於神宮競技場)昭和15年6月【滿洲年鑑 昭和16年】

【滿洲年鑑 昭和16年】
出版者   滿洲日日新聞社大連支店
出版年月日 1940.12
 東亞競技大會
紀元二千六百年奉祝東亞競技大會は
畏くも秩父宮殿下を總裁に奉戴して
新東亞の若人、
日本、滿洲、中華、比島の四國代表、
ハワイ朝日野球團等
役員選手一千餘名參加の下に
(昭和15年)六月五日から五日間
東京明治神宮競技場中心に開催
https://dl.ndl.go.jp/pid/1900841/1/351
 【第四日】昭和15年6月8日
https://dl.ndl.go.jp/pid/1900841/1/352
 ラグビー(於神宮競技場)
日本 22―14 滿洲
山下  FW 橘(武)※同志社大
長瀨     松村  ※同志社大
松木     小倉
大泉     久永  ※京都大学
大野     大田垣 ※太田垣鶴男(早稲田大)
篠崎     番匠  ※番匠金次郎(早稲田大)
新島     松本  ※松本文雄 (早稲田大)
山本春 HB 松本
山本幹    居樹
角田     植竹
伊地知 TB 井川  ※井川晴雄 (早稲田大)
加藤     内山
鈴木     橘(廣)
勝岡     内藤  ※同志社大
黑川  FB 高垣  ※同志社大
 p353-1【滿洲年鑑 昭和16年】
p353-1【滿洲年鑑 昭和16年】
https://dl.ndl.go.jp/pid/1900841/1/353

東亞大會滿洲代表軍對全大連ラグビー戰
(期日)昭和15年5月26日
(場所)大連運動場
満洲國48(28-13)33全大連
     (20-20)
橘(武)   FW   木村
小倉          松村
中野          江副
久永          增淵
太田垣         秋吉
榎本          岩垣
            薄  ※薄 常信(早稲田大)
            春木
番匠
居樹     HB   大西
植島          松田
外山
糸居     TB   永野
井川          長山
橘(廣)        山本
内藤          高橋
頴原     FB   樋村
(滿洲國)     (全大連)
 p355【滿洲年鑑 昭和16年】
p355【滿洲年鑑 昭和16年】
https://dl.ndl.go.jp/pid/1900841/1/355
昭和十五年十二月一日印刷
昭和十五年十二月五日發行
昭和十六年 康德八年 滿洲年鑑
   〔定價 壹圓五拾錢〕
   〔送料 二十錢〕
編輯人 福富八郎
    大連市東公園町三十一番地
發行人 白井由藏
    大連市東公園町三十一番地
印刷人 鍋田覺治
    大連市東公園町三十一番地
印刷所 滿洲日日新聞社印刷所
    大連市東公園町三十一番地
發行所 滿洲日日新聞社大連支店
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發賣所 滿洲書籍配給株式會社
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    滿洲日日新聞社
    奉天市大和區協和街四段
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    大連市東公園町三十一番地
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早大の勃興・早大ラグビーの創始【日本ラグビー史】昭和39年(1964)

【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
出版者   日本ラグビーフットボール協会
出版年月日 1964
Ⅰ 早大の勃興  p48-54/220
1 早大ラグビーの創始
  ■好餌の虎肉試食会
京都では三高、同志社その他が発足したものの、
お膝元の東京では、
大正にはいっても依然
慶応の独り舞台のまま幾年かを過ぎた。
この低迷をやぶって、
関東諸大学ラグビー勃興の導火線となったのが、
なにかにつけて慶応の好ライバルである
早大のラグビー創始であった。

早大ラグビーの創始者は、
井上成意である。
大正5年(1916)、
同志社普通部出身の井上は、
同窓の西村聰とともに早大に入学した。
ふたりは文科と法科にわかれたが、
法科の西村のクラスに、
慶応から転じた岩崎粂雄、斎藤亀四郎や、
三高の中心人物国光郁文の弟の
国光素介がおって、
かれらが井上が誘った
同志社出の玉貫力、増田修らとともに、
西村の下宿、戸塚の北越館へ集って、
いわば発起人会のようなものがつくられた。
みんなで早大にもラグビーチームを
つくろうではないかと衆議一決、
井上は同志社の旧友に頼んで、
同大の練習着の着古しと古ボール1個を送ってもらい、
岩崎もまた慶応の塩川潤一や滝川純三らに頼んで
ボールの寄贈をうけた。
大正7年のことである。

井上にせよ西村にせよ、
ラグビーはかくべつ深い経験があるわけでなく、
むしろその点では、
慶応普通からきた岩崎が一番の経験者であった。
仲間の勧誘には各自が奔走したが、
なかでもクラス委員の瀬尾俊三が
石丸五郎、黒沢昌弘、名和野秀雄らを引入れ、
文字どおりの苦肉の策として
虎肉懇親会という珍趣向を案出し、
これをやった機会に新たに仲間に加わったのが、
台北一中でラグビーをやっていたという
磯部秀景、角屋定政、小原兵蔵の3名であった。(注)

大正7年(1918)秋、いよいよ本格的活動に入った。
新入部員歓迎の虎肉試食の会を催すから、
ふるって参加されたいとの掲示が
学生控室にはりだされたが、
この珍奇な趣向にはだれも驚いた。
しかし、これは決して、
羊頭狗肉のインチキではなく、
実際に虎の肉を試食に供したのだから面白い。
というのは、
井上の従兄に佐久間秀雄という人がいて、
この人が当時虎大臣の仇名をつけられた
山本唯三郎の朝鮮の虎狩りに随行して
虎肉の分配に預ったのを、
井上がさらに分譲してもらって、
これを試食することにしたのであった。
もっとも場所は高田の馬場の程近い
桜肉屋であったというから、
虎肉は文字どおり試食で、
あとは馬肉であったことは確かなことだ。
問題の虎肉は塩漬だったので
味もなにもあったものではなかった。
(注)早くも大正7年(1918)に
   早大ラグビーに参加した
   磯部ら3人の台北一中出身者が、
   台北一中でのラグビー経験者で
   あったということは、
   大きな驚きであるが、
   その事情については、
   あとで"満鮮台のラグビー“の項で書こう。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2505473/1/48
  ■早大コーチの人々
さて、ようやく人員も整ってきた早大ラグビーは、
まず先輩のコーチを受けるべきだということになり、
井上ら同志社関係の縁もあって、
最初、同大の露無文雄を迎え、
ついで早大のメンバーであった
大久保謙治の弟、
大久保次郎(のちの博志)を招いた。

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《大久保謙治》[早稲田大学ラグビー部創設]
大正7年11月7日【早稲田ラグビー六十年史】
昭和54年(1979.3)
大久保謙治》は ※下記ブログに記載
ハードルの選手として名を知られ、
その弟の《大久保次郎》は ※下記ブログに記載
同志社の有名な選手だったことから、
ラグビーに関心はなくわない。
これもまた、
弟からボールをもらって蹴っていた。
77《次男 次郎(昭和二年 博司と改名)》
     ※大久保次郎:大久保博司
     明治三十一年(1898)四月二日生
     大正十三年(1924)
     京都 同志社大學卒業
     學生時代 ラグビー選手
     卒業二年前よりその主將を務む

三高の国光がやはり兄弟の好誼で
顔を出したこともある。

しかし、ラグビーをやるのに、
慶応を無視するのはおかしい、
という意見も出て、
かなり後のことではあるが、
大正11年(1922)夏の沓掛合宿に橋本寿三郎を招き、
同年秋の早慶1回戦直前には、
増田鉱太郎のコーチも受けた。
  ■5年続いた零敗
  ■最初の勝ちいくさ
  ■夏合宿の開祖
しかし、早慶両校にとってのみならず、
日本のラグビー史上に、
大跳躍台となったのは、
なんといっても大正11年(1922)11月23日の
早慶第1回戦の敢行である。
[早大の沓掛(軽井沢)の夏合宿]
 夏合宿練習の嚆矢、大正11年(1922)8月。
 早大は謙虚に慶応のコーチをうけた。
 前列中央Aのマークがコーチの橋本寿三郎。
 p49【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
p49【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2505473/1/49
〔写真・三枚〕
三高対早大第1回戦
大正8年(1919)1月15日、
於 戸塚球場。
[極東オリンピック余聞]
https://dl.ndl.go.jp/pid/2505473/1/50
〔写真・三枚〕
同志社対早大第1回戦
大正12年(1923)1125日、
於 戸塚球場。
2 第1回早慶戦前後
   ■難関の突破
https://dl.ndl.go.jp/pid/2505473/1/51
〔写真・三枚〕第1回早慶戦
   ■拍手以外の応援禁ず
大正11年(1922)11月23日 於三田綱町
 第1回戦メンバー
https://dl.ndl.go.jp/pid/2505473/1/52
   ■早大頭角あらわす
3 入場料問題
   ■慶応お家騒動か
   ■田辺メモ
https://dl.ndl.go.jp/pid/2505473/1/53
 入場料問題に関する田辺メモ
https://dl.ndl.go.jp/pid/2505473/1/54
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《柯子彰》早大伝統の技術的にすぐれたラグビー【早稲田ラグビー六十年史】昭和54年

【早稲田ラグビー六十年史】昭和54年(1979.3)
著者    早稲田ラグビー60年史編集委員会 編
出版者   早稲田大学R.O.B倶楽部
出版年月日 1979.3
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168261/1/19
著者    早稲田ラグビー60年史編集委員会 編
出版者   早稲田大学R.O.B倶楽部
出版年月日 1979.3
 ユサブリの前後
 柯 子 彰 昭和9年卒業
第10回と第11回の
全国中等学校ラグビー蹴球大会に連続優勝して
同志社中学を卒業した私は、
昭和4年
早稲田大学第二高等学院に入学、
体育会ラグビー蹴球部員となった。

昭和5年
全日本カナダ遠征チームのCTBとして、
その一員に選ばれたが、
WTBの北野孟郎君(慶応)とともに
最年少組であった。

昭和7年
田川潔主将のもとに全国制覇し、
昭和8年1月上海遠征、帰国し
昭和8年度の主将に任命された。

ラフプレイ問題が原因で中断していた
京都大学との定期戦の復活を
京大 那須嘉門主将との間で話し合った結果、
「復活しよう」との結論には達したが、
すぐには実現しなかった。

昭和7年度の全国制覇の原動力は、
戦車FWといわれた強力FWを編成した
明治を破るためにも考え出された
”ユサブリ戦法“であった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168261/1/142

そして2年連続して全国制覇を成し遂げる
という成績を残して、
私は昭和9年春卒業し満鉄に入社した。

奇しくも早稲田・京大定期戦復活交渉の
那須嘉門 京大主将も同時に満鉄に入社、
同僚となり同じチームでプレーする事となった。
昭和11年3月
早大満鮮遠征チームを迎えて対戦した。
この時の早大チーム(米華真四郎主将)は
実に見事な縦横の”ユサブリ“を展開して、
満鮮の全試合に完勝した。

大連、奉天と勤務し、
戦時中は上海に、
そして満鉄勤務の後、
終戦になってから台湾に帰り、
鉄道局につとめた。

台湾ではラグビー育成のため
50歳になるまでプレーを続けたし、
56歳までレフェリーをした。

現在は福禄旅行社の社長に就任して
旅行業に専念しているが、
台湾のおかれている複雑な情勢下でも、
台湾ラグビーの強化を念じている。
幸いなことに次第に強力チームが
育って来つゝある。

今年は母校早大ラグビー部創立60周年であり、
是非優勝日本一の覇権を奪取して欲しいと
心から願っています。

そして是非早大伝統の技術的にすぐれたラグビーと
台湾ラグビーの対戦を実現し、
台湾ラグビーの育成強化につながる事を熱願しています。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168261/1/143
 歴代部長、監督、主将等一覽表
昭和8年度 主将 《柯子彰》
p189【早稲田ラグビー六十年史】昭和54年
p189【早稲田ラグビー六十年史】昭和54年
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168261/1/189
昭和9年   柯 子 彰
昭和15年   井川晴雄
昭和16年   松元秀明
昭和16年12月 福留忠雄
p192-1【早稲田ラグビー六十年史】昭和54年
p192-1【早稲田ラグビー六十年史】昭和54年
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168261/1/192
早稲田ラグビー60年史
昭和54年3月31日
発行 早稲田大学R.O.B倶楽部©
編集 早稲田ラグビー60年史編集委員会
   東京都中央区銀座1-8-15
   陶雅堂内
   電話03-567-0071
印刷 大日本印刷株式会社
   東京都新宿区市谷加賀町1-12
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168261/1/196
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