鈴木国蔵

《鈴木國藏》布哇に於ける邦人最古の商店【在米日本人史観】昭和5年(1930)

《鈴木國藏》布哇に於ける邦人最古の商店
【在米日本人史観】昭和5年(1930)

【在米日本人史観】昭和5年(1930)
著者    鷲津尺魔 著
出版者   羅府新報社
出版年月日 1930.4
 商店及び一膳飯の元祖
   鈴木國藏
鈴木國藏は千葉縣人、
弘化二年生、
幼時家貧にして苦惨の生活を續け、
慶應三年四月横濱に於て
獨逸人ベレリウテーに雇はれ、
甘蔗栽培勞働者として布哇に渡つた、
(明治元年者より一年前)
爾來各所に轉働し、
明治十九年十月、
布哇島ヒロ市に來り、
初めて小店を開いた。
店には少許の果物を並べ一膳飯を商ふた。
之れ布哇に於ける邦人最古の商店である。
國藏は「ヒロの國」と呼ばれ
商運次第に盛大に赴き
數十萬弗の財産を作り
内外人の信用を博したが、
物故して其跡を留めてゐない。
p241【在米日本人史観】昭和5年(1930)
〔画像〕p241【在米日本人史観】昭和5年(1930)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1906530/1/241
一千九百三十年三月十五日印刷
一千九百三十年四月 一日發行 定價 金五弗
著 者 鷲津 尺魔
    北米 合衆國加州ロスアンゼルス市
    ホールデール通三千六百五十三番地
發行者 唐木 保藏
    北米 合衆國加州ロスアンゼルス市
    東一街二千六百十八番地
印刷者 佐渡 高一
    東京市外千駄ケ谷町原宿百七十番地十三號
發行所 羅府新報社
    北米 合衆國加州ロスアンゼルス市
    北ロスアンゼルス街百四番地
印刷所 中外印刷株式會社
https://dl.ndl.go.jp/pid/1906530/1/249
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《鈴木國藏》故參移民の奉納せる嚴島神社の石燈籠【母国見学記念誌】昭和4年(1929)

《鈴木國藏》故參移民の奉納せる嚴島神社の石燈籠
【母国見学記念誌】昭和4年(1929)

【母国見学記念誌】昭和4年(1929)
著者    布哇仏教青年会 編
出版者   布哇仏教青年会
出版年月日 昭和4
  二、故參移民の奉納せる嚴島神社の石燈籠
昨夏七月十七日
我が見學團が嚴島神社に參詣せし時、
計らずも我等に關係ある御影石の大燈籠一對を發見せり。
それには布哇島ヒロ鈴木國藏の奉納といふ銘あり。
我が見學團に因緣あるを以てこゝに紹介す。

抑も故鈴木國藏氏は私も相知の人なるが、
故參の在住者間には元年者として、
成功者として知られ居たり。

同氏は明治元年に外國人の計劃による
帆船サイト號に殆んど奴隷の如くにして
布哇に携れ行かれし
最古の日本人移民百五十三名中の一人なり。

故に上陸後數年勞働に從事せしと雖も
明治二十年頃には布哇島ヒロ市に獨立店舗を開き
白人間にも最も信用厚く
元年者隨一の成功者なりしなり。

目に一丁字なかりしも常に日本魂を失はず、
白人に對してもお世辭を使はず、
一歩も譲らず、
日本人たる事を誇として居れり。

その妻君はポルトガルの婦人なりしが、
子女も舉げし仲なれども、
明治二十七年の日淸戰爭の當時、
その妻君が日本は支那に負けんと放言しけるに、
氏は憤然として鐵拳を見舞へりと云ふ。

明治四十年頃布哇を引揚て歸朝し、
東京向島に邸宅を構へ老後を養ひ、
諸所遊歷せしが、
此燈籠もその頃奉納せしものならん、
大正三年頃七十餘歳に達し
終に東京にて逝去せられたり。

我が見學團と共に此燈籠に對して、
國藏老在住の昔と今日の發達を比するに
實に雲泥の差あり、
然るに六十一年前に移住したる故人は
此記念を内地の名所に遺せり、
今その事なし、
遺憾の至と謂ふべし。
p24【母国見学記念誌】昭和4年(1929)
〔画像〕p24【母国見学記念誌】昭和4年(1929)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1077781/1/24
昭和四年十二月十五日印刷
昭和四年十二月二十日發行
編輯兼發行者 布哇佛敎靑年會
       米領布哇ホノルル・フオート街
右代表者   高桑 與市
       東京市京橋區東港町一丁目二十六
印刷所    精興社
       東京市神田區錦町三丁目十七
印刷者    白井赫太郎
       東京市神田區錦町三丁目十七
https://dl.ndl.go.jp/pid/1077781/1/65
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《鈴木國藏》本所區須崎町一六一(金百圓) 【東京市養育院月報 (23)】明治36年(1903)

《鈴木國藏》本所區須崎町一六一(金百圓) 
【東京市養育院月報 (23)】明治36年(1903)

【東京市養育院月報 (23)】明治36年(1903)
著者    東京市養育院 [編]
出版者   東京市養育院
出版年月日 1903-01
◎特志の寄附
▲本所區須崎町一六一
 鈴木國藏氏は祖先供養の爲めとて
 金百圓を何れも本院へ寄附せられたり。
p7【東京市養育院月報 (23)】明治36年(1903)
〔画像〕p7【東京市養育院月報 (23)】明治36年(1903)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1515506/1/7
明治三十六年一月廿四日印刷
明治三十六年一月廿五日發行 (定價 金貳錢)
發行兼編輯人 高畠登代作
       東京市小石川區大塚辻町十八番地
印刷人    木村 龜作
       東京市日本橋區兜町二番地
印刷所    東京印刷株式會社
       東京市日本橋區兜町二番地
發行所    東京市養育院
       東京市小石川區大塚辻町十八番地
       (電話番號 番町四百四十二番)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1515506/1/9
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《鈴木國藏》嚴嶋神社石燈[Quni HILO.HAWAII]【石灯籠 第4回分冊】昭和7年(1932)

《鈴木國藏》嚴嶋神社石燈
[Quni HILO.HAWAII]
【石灯籠 第4回分冊】昭和7年(1932)

【石灯籠 第4回分冊】昭和7年(1932)
著者    天沼俊一 著
出版者   スズカケ出版部
出版年月日 昭和7
目測だから間違つてゐるかも知れぬが、
高さ十五尺位はあらうと思はれる大石燈で、
型式は平凡であるが、
第四重目の基礎正面に、拙い文字で
 「菱の内にD」
 Quni HILO.HAWAII
とあるのが眼立つてゐる。
撥型の竿には、大きな字で「明輝」、
後面に「明治三十一年一月一日」、
左右側面に
 東京府住人
 布哇國布哇島ヒロ街
 鈴木國藏
と、一は楷書、他は草體でほつてある。
そこでQuniとあるのは「國藏」の「國」らしく、
普通Kuniと綴るべきに、
KをQとし態(わざ)とであらう。
「菱の内にD」は商標か何かと思はれる。
單に大きいのみで平凡な石燈を圖示した理由は、
銘文をみせるのが目的で、
横文字でももう少し巧みにかいておいたならば、
全形の不滿足を幾分でも取返すことができたらうに、
鐵釘流では頗る心細いのである(六・四・六)。
p98【石灯籠 第4回分冊】昭和7年(1932)
〔画像〕p98【石灯籠 第4回分冊】昭和7年(1932)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1263998/1/98

第二百六十三図 嚴嶋神社石燈 其九
  上。全形
  下。基礎正面の銘文
    (左右に立てるは曲尺の一尺)
  (昭和六年三月二十九日)
p99【石灯籠 第4回分冊】昭和7年(1932)
〔画像〕p99【石灯籠 第4回分冊】昭和7年(1932)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1263998/1/99
昭和七年十二月二十日印刷 石燈籠 第四回分冊
昭和七年十二月三十日發行 價五・〇〇
著 者   天沼 俊一
發行者   川勝政太郎
      京都市烏丸通二條南
寫眞印刷者 桑名  節
      京都市夷川寺町四
活版印刷者 松永 貞藏
      京都市烏丸鞍馬口南
發行所   スズカケ出版部
      京都市烏丸通二條南
      電話上二二二九
      振替大阪八三七一四
叢文社印刷
https://dl.ndl.go.jp/pid/1263998/1/329
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鈴木国蔵が厳島神社へ寄進した石灯籠【ハワイ日本人移民史】昭和39年(1964)

鈴木国蔵が厳島神社へ寄進した石灯籠
【ハワイ日本人移民史】昭和39年(1964)

【ハワイ日本人移民史】昭和39年(1964)
著者    ハワイ日本人移民史刊行委員会 編
出版者   布哇日系人連合協会
出版年月日 1964
「元年者」の人々と「明治元年渡航者の碑」
→ヒロのクニ(鈴木国蔵)が厳島神社へ寄進した石灯籠。
p25【ハワイ日本人移民史】昭和39年(1964)
〔画像〕p25【ハワイ日本人移民史】昭和39年(1964)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3030154/1/25
ハワイ官約移住75年祭記念
ハワイ日本人移民史  頒価¥2500
1964年4月20日発行
編集/
ハワイ日本人移民史刊行委員会
委員長 岡畑 博
発行/
布哇日系人連合協会
代表者 仲嶺真助
米国ハワイ州ホノルル市ビショップ街1145
製作代行/
日本出版貿易株式会社
東京都千代田区神田猿楽街1丁目1番地
印刷/
凸版印刷株式会社
東京都台東区台東1丁目5番1号
Printed in Japan
https://dl.ndl.go.jp/pid/3030154/1/379
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千葉縣人鈴木國藏(弘化二年生) 【大日本海外移住民史 第1編】昭和13年

千葉縣人鈴木國藏(弘化二年生)
【大日本海外移住民史 第1編】昭和13年

【大日本海外移住民史 第1編】昭和13年
出版者   海外調査会
出版年月日 昭13
  第二、實業界
一、商業經濟
  日布貿易
これより先、千葉縣人鈴木國藏は(弘化二年生)
明治十九年十月にヒロ市に來りて開店し、
少し許りの果物を表に並べて一膳飯屋を始め、
後食料雜貨を商つて大成功し、
數十萬弗の財を作つた。

彼が安藝の嚴島神社に奉納した石燈駕籠は
今も尚輝いてゐる。
p105【大日本海外移住民史 第1編】昭和13年
〔画像〕p105【大日本海外移住民史 第1編】昭和13年
昭和十二年十月一日印刷
昭和十二年十月十日發行 非賣品
著者兼   藤井秀五郎
印刷發行人 大阪市北區兎我野町二八
印刷所   美術日報社
      大阪市北區兎我野町二八
發行所   海外調査會
      大阪市北區兎我野町二八
      電話北四八三一番
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《鈴木國藏の立志》【地方資料小鑑:千葉県展覧会記念】明治44年

《鈴木國藏の立志》【地方資料小鑑:千葉県展覧会記念】明治44年

【地方資料小鑑:千葉県展覧会記念】明治44年
  鈴木國藏の立志  印旛郡六合村  p383-/456
木下町に舟漕を業とせる德次郎の長子なり
十五六歳の頃より晝は行商
夜は湯屋の三助となり糊口し
幾何ならず行商に失敗し
終に人の憐みを乞ひ
神社に起臥して露命を繫ぐに至り
一夜社殿内風冷なるの時
熱々靑春の身を以てして
其腑甲斐なきを嘆じ
奮然志を立て東都に出て
千住大橋に至りしも方向定まらず
饑餓に迫り橋下に投ぜんとせしに
一土工あり
止めて情を聞き
且つ握飯三個と錢若干を與へ示すに
横濱に於て募集中なる
布哇渡航人夫に應ずべしとの事を以てす
國藏之を聞き大に喜び謝して乃ち行き
人夫中に加はりて渡航し
爾來辛酸勞苦を嘗め
自から期す五百金を貯へ得ば歸國せんと
日夜勤勞怠らず後
雜貨商を營み
傍ら本邦人の通辨をなし信用を博し
遂に巨萬の富を爲し大に成功を遂ぐ
爰に於てか商店には管理人を置き
三十年郷里に歸り親戚知友を訪ひ
往年起臥したる八幡神社には額堂を建て
自己閲歷上の額面及幟を捧げ
料理を調へ父老に饗し
小學校に二百圓を寄附し
不動堂へ五十圓を納め
又曾て某に三圓の負債ありしかば
二十圓を以て恩償し
八幡社に起臥の日
天保錢一枚を惠まれたる者に若干を致し
厚く謝したりと其舊を忘れざるの深情
洵に鑑みとすべし
爾來又親戚某より金融の求めあるや
左の返書を送れり
氏素より文字なし
然るに其誠意紙面に躍然たり
人をして三省せしむるものあらん
 お前の父も酒を飲むだし
 お前も酒を飲むからだめだ
 わしは方々あるいて見たが
 酒を飲むもので成功した者はない
 しかし酒を飲んでは惡いと云ふわけではない
 成功してから後なら飲んでもよい
 わしは今一日に八拾錢づゝ酒を飲むが
 家内は毎月七圓づゝ子供等へも
 夫々貯金さすることは怠らない
 人の力をあてにせず酒をやめて
 一生懸命に働く樣にならなければ
 金をやつてもだめだ云々
   鈴木國藏立志  p385/456
p385-鈴木國藏立志
〔画像〕p385-鈴木國藏立志
明治四十四年五月 十日印刷
明治四十四年五月二十六日發行  地方資料小鑑奥付
編纂者 千葉縣
發行兼 能勢 鼎三
印刷者 千葉縣千葉郡千葉町千葉五百貳拾貳番地
印刷所 多田屋印刷工場 千葉活版所
    千葉縣千葉郡千葉町千葉五百四十八ばんち
發行所 多田屋書店
    千葉縣千葉郡千葉町千葉本町三丁目

【東京市養育院報告 第31回(明治35年度)】
 〇明治三十五年度寄附金      p101/127
  明治三十五年 十二月分     p106/127
一 金百圓  本所區須崎町一六一  鈴木國藏殿
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年09月27日
鈴木国藏:千葉縣印旛郡木下風【新布哇】明治35年1月5日発行

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年09月28日
[鈴木國藏]本所区向島須崎町一六一
【東京市及接続郡部地籍台帳】2:明治45年
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[印旛 下埴生 南相馬 郡役所:郡長]《石井晋一》

[印旛 下埴生 南相馬 郡役所:郡長]
《石井晋一》

【千葉県職員録. 明治30年3月改正】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779893/40
[千葉縣職員録]   p40/65
 知事 二等 正五位 勳六等   《阿部 浩》 岩手縣 士族 p41/65
 書記官   ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779893/41

 印旛 下埴生 南相馬 郡役所  p45/65
 長 七等 現金出納官吏 從七位 《石井晋一》
 書記   ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779893/45

明治三十年三月十八日印刷
明治三十年三月廿一日發行
編輯者 上代宗三郎
    千葉縣千葉郡千葉町寒川九百六十九番地
發行者 國松惣次郎
    千葉縣千葉郡千葉町六百八十二番地
印刷者 森脇平之助
    千葉縣千葉郡千葉町寒川九百八十番地
發行所 立舎眞
    千葉縣千葉郡千葉町六百八十二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779893/63

[印旛郡役所:郡長]《沼崎甚三》

【千葉県職員録. 明治30年3月改正】
[千葉縣職員録] 明治三十年十一月一日現在 p2/65
 知事 高等官 二等 年俸 參千圓 正五位 《柏田盛文》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779893/2

○印旛郡役所 印旛郡佐倉町    p13/65
 郡長 高等官 七等 現金出納官吏 從七 《沼崎甚三》
 郡書記    ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779893/13

明治三十年十一月三十日印刷
明治三十年十二月 四日發行
編輯者      本間美國
         千葉縣千葉郡千葉町寒川九百八十九番地
印刷 兼 發行者 股野 潜
         千葉縣千葉郡千葉町寒川九百八十九番地
         積成舎
發行所      積成舎
         千葉縣千葉郡千葉町寒川九百八十九番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779893/39

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

[千葉県印旛郡木下:町長]
《伊藤市平》
【職員録】明治28年~明治29年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572384.html

[千葉県印旛郡木下:町長]《伊藤市平》【職員録】明治28年~明治29年

[千葉県印旛郡木下:町長]
《伊藤市平》
【職員録】明治28年~明治29年

【職員録. 明治28年(乙)】
 明治二十八年十一月十日現在
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779771/1
○千葉縣  千葉郡千葉町    p82/227
○印旛、下埴生、南相馬 郡役所 p84/227
    印旛郡佐倉町
 郡長 七等 現金出納官吏 勳六 《増子永人》
 郡書記   ―略―
 印旛郡町長
  臼井  《山上辨三郎》
  佐倉  《櫻井義男》
  酒々井 《鶴岡道平》
  木下  《伊藤市平》
 印旛郡村長
  ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779771/84

【職員録. 明治29年(乙)】
 明治二十九年十一月一日現在
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779773/2
○千葉縣  千葉郡千葉町    p81/212
○印旛、下埴生、南相馬 郡役所 p82/212
    印旛郡佐倉町
 郡長 六等 現金出納官吏 正七、勳六 《増子永人》
 郡書記   ―略―
 印旛郡町長
  臼井  《山上辨三郎》
  佐倉  《櫻井義男》
  酒々井 《若林民助》
  木下  《伊藤市平》
 印旛郡村長
  ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779773/82

【職員録. 明治30年(乙)】
○千葉縣   千葉郡千葉町    p56/195
○印旛郡役所 印旛郡佐倉町    p57-58/195
 郡長 七等 現金出納官吏 勳七 《沼崎甚三》
 郡書記   ―略―
 町長
  臼井  《山上辨三郎》
  佐倉  《櫻井義男》
  酒々井 《岩林民助》 ※若林民助
  安食  《木原保兵衛》
  成田  《石原文蔵》
 村長
  ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779775/56

【職員録. 明治32年(乙)
 明治三十二年二月一日現在
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779777/1
○千葉縣   千葉郡千葉町    p64/213
○印旛郡役所 印旛郡佐倉町    p66/213
 郡長 六等 現金出納官吏 正七 《菅井 雄》
 郡書記   ―略―
 町長
  臼井  《山上辨三郎》
  佐倉  《柏谷 濟》
  木下  《中島文四郎》
  成田  《石原忠三郎》
 村長
  ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779777/66

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[鈴木国藏:千葉縣印旛郡木下風]

【新布哇】明治35年1月5日発行
鈴木国藏       p431/550
千葉縣印旛郡木下風
布哇島ヒロ市
―略―
君は去る
明治二十九年
即ち國を出でて
三十年目に日本に歸りしこととて
日本の進歩と變化は一通りならざるものから
君は實に驚嘆の聲を放ち
先づ其郷里に歸るや殆んど知る人もなく
我家も既に其主人異なりし位なれば
今昔の感に堪へず
其郷人を悉く
《村長》の宅に招きて酒肴を供し
貧しき者には金錢を惠み
曾て一夜の宿借りし八幡宮には
見上げる計りの巨大の額面を奉納し
且つ其祠堂及不動尊堂其他
小學校建築費として二百圓を寄附し又
―略―
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2295032.html

[Wikipedia]
[印旛郡(いんばぐん)は、千葉県の郡]
    ―略―
1889年(明治22年)4月1日 –
    町村制施行に伴い、
    印旛郡に以下の4町と22村が成立する。(4町22村)
    ―略―
    木下町 ←竹袋村、別所村、宗甫新田、平岡村、小林村(現印西市)
    ―略―
1954年(昭和29年)12月1日 –
    木下町・大森町・船穂村、
    永治村(平塚と旧谷清村を除く)が合併し、
    印西町が発足。
    永治村の残部は白井村に編入。(5町7村)
    ―略―
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B0%E6%97%9B%E9%83%A1

<愛媛県 生涯学習センター>
「えひめの記憶」 - [愛媛県史]
第二節 ハワイへの移住①
 日本・ハワイの交流史
 ―略―
 商業面では、明治一八年にヒロ市に
鈴木国蔵(千葉)が「鈴木店」を開いたのをはじめ、
次第に活発化して行き、
ヒロ市及びハワイ島での
明治二八年の調査(外務書記生成田五郎)では、
山口六、広島三、福岡二、宮城、埼玉、千葉、
新潟、岐阜、大分、鹿児島各一の
一八店となっているが、
この段階では本県人は含まれていない
(『ハワイ日本人移民史』・『布哇日本人発展史』)。
http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=2&P_SNO=47&P_FLG1=18&P_FLG2=3&P_FLG3=0&P_FLG4=0

[印旛 下埴生 南相馬 郡役所:郡長]
《石井晋一》
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572388.html

[鈴木國藏]本所区向島須崎町一六一【東京市及接続郡部地籍台帳】2:明治45年

[鈴木國藏]本所区向島須崎町一六一【東京市及接続郡部地籍台帳】2:明治45年

[本官勘合帳 外國官一号]
第四百八十七号 『國蔵』  未二十五歳     p083
         徳次郎  忰 下総市場郡木下風村
        《國藏》  廿七        p011
         米國出稼

【新布哇】明治35年1月5日発行
[鈴木国藏]       p431/550
千葉縣印旛郡木下風  ※2
布哇島ヒロ市
―略―
先づ其郷里に歸るや殆んど知る人もなく
我家も既に其主人異なりし位なれば今昔の感に堪へず
其郷人を悉く村長の宅に招きて酒肴を供し
貧しき者には金錢を惠み
曾て一夜の宿借りし八幡宮には見上げる計りの巨大の額面を奉納し
且つ其祠堂及不動尊堂其他小學校建築費として二百圓を寄附し又
全國遊覧の途次
藝州宮島に參拜して高さ二丈八尺
之に在布哇國鈴木國藏と銘打てる石燈籠を寄進し
遂に地を

東京向島洲崎町に買ひ
此に荘麗なる邸宅を構え他年老を養ふの所とす

夫より君は年に一回づつ品物の仕入旁
歸國するを定例とす
今年方に五十三歳にて身體頗る壮健
業務甚だ勉勵
君の如きは數ある
明治元年の移住民中には實に珍しと云ふ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/767371/431

【東京市及接続郡部地籍台帳】2:明治45年4月25日発行
[鈴木國藏] p325/694
本所區   向島須崎町
地 番   一六一
地 目   宅地
坪 數   二六七・三〇
地 価   六二七・八四
所有者住所 向島須崎町一六一
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800934/325

【東京市及接続郡部地籍地図】下卷:大正1年11月7日発行
本所67   向島須崎町北部 p231/531
[鈴木國藏] 地番 一六一    267坪
[和田豊治] 地番 二三七   1880坪
[言問團子] 地番 二〇一ノ一  116坪
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966080/231

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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