鳩山一郎

《林讓治》吉田茂・鳩山一郎兩先輩の言を容れて支那事變が解決して居たら【国会 1(1)】昭和23年(1948-05)

【国会 1(1)】昭和23年(1948-05)
出版者   国会社
出版年月日 1948-05
  國會  創刊號
 p1【国会 1(1)】昭和23年(1948-05)
p1【国会 1(1)】昭和23年(1948-05)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2694945/1/1
議員隨想 (原稿到着順)
 政治の善し惡し
  林 讓治
今日の日本國民位政治の惡かつた爲に
慘(みじめ)な狀態になつた事は
日本開闢以來ない、

明治大帝は軍人
政治に干與す可からずと
宣せられたのに
軍人は其(その)勅語を無視して
政權を擅(ほしいまま)にしたから
先輩が永い間苦心して得た
滿洲、朝鮮、臺灣、樺太は勿論
千島、沖繩迄 失つて終つた。

近頃 日常内地に生活して居る者には
直接に痛痒を感じない風だが、
新聞紙上に松屋から飛降り自殺した者の懐中に
 西米利亞(シベリア)から復員したが
 一家行衞不明
 上野地下道に住つて居たが
 毎晩強盗の相談ばかり持ちかけられて
 いやになつた。
その遺書が懐中にあつたと云ふ樣な記事が
掲載せられて居た。
何と憐れな敗戦の事實ではないか。

此樣な事實は、數限りない事と思う。
此が皆 政治の惡かつた事から起つたのだと思ふ時、
政治の重大な事は泌々(ひしひし)感ぜさせられる。

死んだ子の年を數へる樣ではあるが
私が直接に携つた、
實に殘念な一事實を述べて見度い。

夫(そ)れは昭和十二年(1937)
支那事變が初つて間もない事、
巴里(パリ)の萬國議員會議に列席の爲に
鳩山一郎先生の御伴して歐洲に行つた。

丁度 獨逸(ドイツ)のライン河畔の見物に行つて
ボンと云ふ市に一泊した。

其所は音樂家のベートーベンの生れた上品な町で
令弟の鳩山秀夫先生が遊學せられた
大學のある所でした。

其晩 今の民主自由黨總裁
當時
英吉利西(イギリス)の大使だつた
吉田茂氏から ※下記
鳩山一郎先生に
直に倫敦(ロンドン)に來て呉れとの電報が來たので
南獨逸(ドイツ)の視察を中止して
倫敦(ロンドン)に渡りましたが、
宰相のチヤンバレン氏や
外商のイーデン氏等に數回會談した結果、
支那事變の解決の曙光を見るに至つたので
近衞首相に長文の電報を打つて
其返事を待つた。

其(その)内容は北支五省を我勢力下に置く事にして
曾(かつて)松岡洋右氏が大見得を張つて脱退した
伯耳義(ベルギー)のブラツセルに開かれて居る
國際聯盟に再出席すると云ふ絛件であつた。

然(しかし)近衞首相からは梨の礫(つぶて)で
何の返事も來なかつたので
殘念乍ら其(その)儘(まま)歸國した。
勿論軍部に牛耳られて居たからであろー。

若し其(その)時に
吉田茂・鳩山一郎兩先輩の言を容れて
支那事變が解決して居たら
日本は何樣(どのよう)になつて居たゞろー。

私は第一回の歐洲大戰當時の
日本の彼(か)の隆昌を思ひ浮べて
今次の世界戰爭に關係して居なかつたなら
今日の日本は何樣(どのよう)にか
有利になつていたであろうと思ふ時、
誠に感慨無量です。
實に殘念でたまらない。
(衆議院議員、民主自由黨顧問)
 p24【国会 1(1)】昭和23年(1948-05)
p24【国会 1(1)】昭和23年(1948-05)
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 國會   創刊號
      定價三十圓(送料別)
 概算一年分三百五十圓(送料共)
昭和二十三年五月一日印刷納本
昭和二十三年五月三日發  行
毎月一回 一日發行
發行兼編輯人 松本  勇
印刷人    中村  榊
發行所    國會社
       東京都千代田區永田町二ノ二九
       電話銀座(57)五四一一番
印刷所    新興印刷製本株式會社
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【職員録 昭和12年7月1日現在】
内閣總理大臣  近衞 文麿
外務大臣    廣田 弘毅
海軍大臣    米内 光政
陸軍大臣    杉山  元
外務省
〇在英國大使館
特命全權大使  吉田 茂
衆議院 議員
東京府 第二區 安部 磯雄
        鳩山 一郎
高知縣 第二區 林  讓治
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2024年02月10日14:10
《梓立祭》宿毛市では梓会との共催で早稲田大学建学の母、
小野梓先生を顕彰:2024年3月3日(日)開催予定
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月04日11:47
写真[林譲治・坂本恭啓・小野又一]

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月04日10:49
写真[小野梓・墨・安]
[林譲治・坂本恭啓・坂本佳記]
[中西清二 前宿毛市長]
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鳩山一郎氏が辻嘉六氏より甘んじて建物の新築提供を受け【不当財産取引を洗ふ】昭和23年(1948)

【不当財産取引を洗ふ】昭和23年(1948)
著者    武藤運十郎 著
出版者   家庭法律社
出版年月日 1948
 p1【不当財産取引を洗ふ】昭和23年(1948)
p1【不当財産取引を洗ふ】昭和23年(1948)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1153509/1/1
  辻嘉六氏問題と龜井貫一郎氏事件 p24-30/49
   第二回調査報告概要(昭和二十三年五月)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1153509/1/24
以上辻氏を繞(めぐ)る政治資金關係の調査の大要を
御報告申し上げましたが、
この調査の結果を綜合的に判斷して
次の二點に要約し得るのであります。
1 前日本自由黨總裁 鳩山一郎氏が辻氏より
  甘んじて建物の新築提供を受け、
  鳩山氏初め多くの著名なる政治家が
  屢々「我善坊」及「桂」等の料亭に集り、
  辻氏の計算に於て飲食してゐることが
  明白となつたのみならず、
  常に大小無數の政治家が辻氏の門に出入して、
  或は立候補の公認を依賴し、
  或は政務官その他の高級人事の斡旋を求め、
  就中選擧に際しては數十人の立候補者が
  辻氏より相當額の資金を與へられるを
  例としてゐたこと等を知り得るのであります。
  かくして辻氏は當然政界に對する強力な發言權を持ち、
  所謂黑幕の中より見えざる絲によつて
  政治と政治家を操ることになつたものと
  考へられるのであります。
2 辻氏に對する獻金は、
  獻金者の事業と身分に比較して、
  何れも不相應に高額であり、
  獻金の理由も亦概ね首肯し難いものが
  多いのであります。
隱密の中になされるかゝる獻金は、
必ずや辻氏の政界に對する發言權を利用した
利權の供與又は斡旋を交換條件とすることを
推定し得るのであります。

かくの如く以上の二つは
互に因果關係を有して
政界を腐敗せしめることは明らかであります。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1153509/1/27
昭和廿三年七月十一日初版印刷
昭和廿三年七月十三日初版發行
    不當財産取引を洗ふ
    定價四〇圓
著作者 武藤運十郎
發行者 高橋 正雄
    東京都新宿區三光町一番地
印刷者 桂山光太郎
    東京都台東區北稻荷町二四番地
發行所 合資會社 家庭法律社
    東京都新宿區三光町一番地
    電話淀橋(37)一八八六・一八八八番
    振替口座東京三四〇二七番
    會員番號二一一〇二四番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1153509/1/48
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不當財産取引調査特別委員會 委員30名【不当財産取引を洗ふ】昭和23年(1948)

【不当財産取引を洗ふ】昭和23年(1948)
著者    武藤運十郎 著
出版者   家庭法律社
出版年月日 1948
 p1【不当財産取引を洗ふ】昭和23年(1948)
p1【不当財産取引を洗ふ】昭和23年(1948)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1153509/1/1
  不當財産取引調査特別委員會の概要
一、委員會の設置
  本委員會の設置は、
  第二回國會開會後間もない、
  昭和二十二年十二月十一日、
  衆議院に於ける次の決議に基づいてゐる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1153509/1/13
二、委員長及び委員
  昭和二十二年十二月十一日
  本委員會が設置せられたが、
  委員の任命はやゝ遅れて、
  翌昭和二十三年一月二十八日に、
https://dl.ndl.go.jp/pid/1153509/1/14
  議長指名で次の三十名が決定した。
日本社會黨   足立 梅市君 池谷 信一君
        加藤 勘十君 梶川 靜雄君
        河井 榮藏君 佐竹 新市君
        武藤運十郎君 山中日露史君
日本自由黨   鍛冶 良作君 高橋 英吉君
        辻  寛一君 平島 良一君
        益谷 秀次君 明禮輝三郎君
        村上  勇君
民主黨     伊藤 恭一君 荊木 一久君
        宇都宮則綱君 大森 玉木君
        小松 勇次君 橋本 金一君
        矢野 政男君
國民協同黨   石田 一松君 野木 品吉君
同志クラブ   田中 角榮君 平澤 長吉君
全農議員クラブ 田中 健吉君
第一議員クラブ 中村元治郎君
日本農民黨   中野 四郎君
日本共産黨   德田 球一君
https://dl.ndl.go.jp/pid/1153509/1/15
昭和廿三年七月十一日初版印刷
昭和廿三年七月十三日初版發行
    不當財産取引を洗ふ
    定價四〇圓
著作者 武藤運十郎
發行者 高橋 正雄
    東京都新宿區三光町一番地
印刷者 桂山光太郎
    東京都台東區北稻荷町二四番地
發行所 合資會社 家庭法律社
    東京都新宿區三光町一番地
    電話淀橋(37)一八八六・一八八八番
    振替口座東京三四〇二七番
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鳩山一郎氏の家屋新建費などに數十萬圓【三大疑獄の全貌】昭和23年(1948)

【三大疑獄の全貌】昭和23年(1948)
著者    大道寺直輔 著
出版者   労働教育協会
出版年月日 1948
 p2【三大疑獄の全貌】昭和23年(1948)
p2【三大疑獄の全貌】昭和23年(1948)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1711205/1/2
  まえがき
  不當財産取引調査特別委員會が生れたわけ
https://dl.ndl.go.jp/pid/1711205/1/4
そして四月卅日の本會議で
武藤委員長は第一回の調査報告として、
辻嘉六氏、龜井貫一郎兩氏の
政治資金及び兵器處理、
復金、コーヒー事件と昭電、
竹中工務店等の件の中間報告を行い、
つずいて五月廿九日、六月廿八日と
三回にわたる委員會の活動報告で、
辻嘉六氏は軍服拂下げの運動資金として
中曾根幾太郎氏から二百五十萬圓、
綠産業株式會社社長 吉田彦太郎氏外三名から
六百五十萬圓の献金を受け、
これを自由黨から立候補した木村公平氏ほか十九氏、
また民主黨から立候補した鈴木彌五郎氏ほか一名、
國協黨の宇田國榮氏、
無所屬の中野寅吉氏ら廿六名に
一萬圓から廿萬圓ほどずつを陣中見舞として渡し、
その他自由黨の淺岡信夫氏に卅三萬圓、
社会黨の岡田宗司氏に二萬圓、
自由黨本部建設資金に廿萬圓、
自由クラブの集會場を使用した
料亭「我善坊」に接待費として十七萬圓、
料亭「桂」に鳩山一郎氏などの會食費として廿萬圓、
そのうえ鳩山一郎氏の家屋新建費などに
數十萬圓を使つて
下は都會議員から大臣に至るまで
金であやつていたことを明らかにした。
p7【三大疑獄の全貌】昭和23年(1948)
p7【三大疑獄の全貌】昭和23年(1948)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1711205/1/7
昭和二十三年十一月二十五日印刷
昭和二十三年十二月 一 日發行 定價七十圓
著 者 大道寺直輔
發行者 鷲見 等曜
    東京都千代田區神保町三の十五
印刷者 長宗 泰造
印刷所 株式會社 厚德社
    東京都文京區高田豐川町三七
發行所 勞働敎育協會
    東京都千代田區神保町三の十五
https://dl.ndl.go.jp/pid/1711205/1/67
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鳩山一郎の愛妾「お雪」本名 松室幸 京都祇園の舞妓出身【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年

【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
著者    板垣進助 著
出版者   理論社
出版年月日 1952
 p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/3
 鳩山派の妾グループ
吉田とはりあう鳩山にしても、
妾さわぎは派手である。
鳩山の愛妾「お雪」ちゃんは
本名 松室幸(四五)といい、
京都祇園の舞妓出身で、
彼が政友会で書記長や
文相で羽ぶり良かったころ、
文相秘書官だった林譲治が
紹介したとかいう話がある。

ところが、
この話も女学校の経営者として
良妻賢母で天下に名を売った?
薫子夫人の耳に入り、
持ち上ったお家騒動に
書生、女中までが二派に分れるさわぎ。

森恪あたりの注告にもイヤイヤをする
鳩山は奥様派のスパイ網を潜って
熱海自由党の顔役 富山鶴吉経営する所の
「つるの家」などに道行を重ねるという始末。

それでも二人の仲はえんえんと つずき
今 お雪さんは二子を設けて
赤坂一ツ木町の料理店「松室」に
鳩山の春を待っているということだ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/53
この自由党 前篇 民衆なき政治
1952年9月15日 第一刷
1952年9月20日 発 行  定価180円
著 者 板垣 進助
発行者 小宮山量平
印刷者 斎藤 和夫
発行所 株式会社 理論社
    東京都千代田区神田神保町一丁目六四番地
    振替口座東京九五七三六番
日協印刷・橋本製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/108
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古島一雄『鳩山は利権政治家じゃから』鳩山一郎・三木武吉【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年

【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
著者    板垣進助 著
出版者   理論社
出版年月日 1952
 p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/3
 『明鏡止水』の伝統
鳩山自由党はこうして
阿片の密売者、ヤミ屋、詐欺ブローカー、
土建屋、ゴロツキ、テキ屋などから資金をうけ、
またこのような勢力のうえにのって誕生した。

しかしこのことは、
鳩山と三木武吉が中心となって一党をたてる以上、
当然のなりゆきであった。

鳩山と、三木とは、
かつて政党政治はなやかな
大正の中期から
昭和の頭にかけて、
所属政党こそ
政友会と民政党にわかれてはいたが、
連合して東京市会を牛耳り、
市民二百万の納税のうえに利権の花をさかせ、
砂利をくい
ガスをくい
水道をくい
電気をくい、
疑獄事件を連発させて
なんという丈夫な歯と腹をもつものかと
市民をおどろかせ、
東京のタマニー・ホールとして名をあげた。

このとき三木はついに尻ッぽをだして逮捕され、
出獄後も市民の白眼視に東京をのがれ
故郷の香川に走って再起をはかり、
鳩山はようやく連座をまぬがれた。

鳩山が都内の土建屋、テキ屋に
勢力をもったのはこれにはじまる。

さらに鳩山は文相当時、
夫人の薫子の共立女子学園に
神田の広大な敷地を無償にちかい安値で払下げ、

北鮮 清津市の土地をほとんど専有し、
帝人疑獄に関係して
『明鏡止水』の名句をはくなど、
利権のあるところ
すかさず活躍した。

のちに吉田の政治指南番となった
古島一雄も
『鳩山は利権政治家じゃから』
と評するのを口癖とした。

鳩山と三木を中心に結成された自由党は、
東京のタマニー・ホールから
日本のタマニー・ホールに発展するほかはなく
あたかも敗戦のどさくさにまぎれた
不当成金の ぞくしゅつに際会し
このコースはたちまち軌道にのった。

こうして
ヤミ屋・土建屋・ゴロツキ・テキ屋などの
「大衆」と、
重臣に庇護される気弱な、
反東条の利権政治家との、
奇妙な結合体が、
一見進歩的な印象をあたえる
自由主義の看板をかかげ、
衆議員五十三名をあつめて誕生し
『天皇陛下万才』のうぶ声をあげた。
ついで日政会の混乱につれ、
ヤミ屋が農村にはいりこむように、
政友会の農村地盤を回復しながら成長した。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/38
この自由党 前篇 民衆なき政治
1952年9月15日 第一刷
1952年9月20日 発 行  定価180円
著 者 板垣 進助
発行者 小宮山量平
印刷者 斎藤 和夫
発行所 株式会社 理論社
    東京都千代田区神田神保町一丁目六四番地
    振替口座東京九五七三六番
日協印刷・橋本製本
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海原清平:院外団自由クラブ(同交会)理事長・日本街商連盟(テキ屋)総裁【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年

【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
著者    板垣進助 著
出版者   理論社
出版年月日 1952
 p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/3
以上は片山内閣の暴力団がりに
ひっかった大物のうち、
それも東京関係だけをあげたにすぎない。
検挙されずに羽根をのばしている
大小の侠客・街の紳士・ゴロツキ・ヨタモノで
自由党の区議・都議・国会議員でも
あるものはかなり多い。
自由党の結党大会にあつまった参加大衆も、
ジツはこの種の人士であった。

党が生長してからもこの性格はかわらず、
自由党の院外団で「党の前衛」をうけたまわり、
党の演説会のサクラや共産党演説会のブチこわしに
それッととびだす「同交会」の主力は、
全国にわたるテキ屋や土建屋で、
この同交会の理事長をつとめる海原清平は、
同時に、日本街商連盟(テキ屋)の総裁でもある。

かつて床次竹二郎の秘書をつとめた
代議士でもあったかれは
六代目尾上菊五郎への売勲に連座してから
一線を引退していたが、
鳩山自由党の結成とともに、
院外団自由クラブ(のちの同交会)の理事長におさまり、
吉田内閣が勲章制度の復活を策するいま
総裁指名の院外総務として
いんぜんたる勢力をふるっている。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/38
この自由党 前篇 民衆なき政治
1952年9月15日 第一刷
1952年9月20日 発 行  定価180円
著 者 板垣 進助
発行者 小宮山量平
印刷者 斎藤 和夫
発行所 株式会社 理論社
    東京都千代田区神田神保町一丁目六四番地
    振替口座東京九五七三六番
日協印刷・橋本製本
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関根賢(関根組)木津政雄(関根組)安田朝信(安田組)茂木竹治(茂木組)【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年

【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
著者    板垣進助 著
出版者   理論社
出版年月日 1952
 p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/3
尾津組とならんで有名なのは、
東京の両国から江東一帯をなわばりとした
表看板は土建業
ジツは博徒の暴力団組織、
関根組である。

親分は関根賢、
輩下一万と称し、
尾津とおなじく暴力団狩りで捕われたが、
組の事業場建築祝には鳩山の名の花環がおくられ、
組の幹部 木津政雄は自由党の区議候補として
四月選挙に出馬した。

少し勢力は弱いが
新宿のテキ屋 安田組も自由党支持で、
親分の安田朝信は自由党の新宿区議、

また東京都杉並区を根拠とするテキ屋
茂木組の親分 
茂木竹治は自由党都議、

いずれも暴力団がりで捕われた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/38
この自由党 前篇 民衆なき政治
1952年9月15日 第一刷
1952年9月20日 発 行  定価180円
著 者 板垣 進助
発行者 小宮山量平
印刷者 斎藤 和夫
発行所 株式会社 理論社
    東京都千代田区神田神保町一丁目六四番地
    振替口座東京九五七三六番
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尾津喜之助・大久保留次郎【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年

【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
著者    板垣進助 著
出版者   理論社
出版年月日 1952
 p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/3
 テキ屋に愛される
自由党はまたテキ屋の支持をえている。
戦後新宿で戦災地の不法占有や恐喝をもとに
尾津マーケットやリンタクを経営し、
輩下一万、
みずから「新宿復興の恩人」と称した
テキ屋 尾津組の親分・殺人の前科をもつ
尾津喜之助は四月選挙に
自由党から公認候補として出馬
「反共」と「男の中の男」をスローガンにたたかい
票数わずかにおよばず落選したが、
このとき鳩山派の領袖 大久保留次郎はかれにたいし
『君が出馬してくれなければ
 おれの顔が断たぬ』
と立候補を懇請、
当選のあかつきには
都の党支部長の椅子を約束していた。
かれの党献金は多額で、
一千万円説までたてられていた。
落選後のかれはまもなく
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/37
片山内閣の暴力団がりにかかり、
小菅刑務所に、おくられたが、
かれの落選でほッとしたのは
アメリカ民主主義の仮面を大事がる司令部民政局で、
そのスポークスマンはかれの検挙のあと
『政党の健全な発達をさまたげた
 軍閥や財閥の旧勢力は一掃されたが、
 これにかわって今日では
 いわゆる新円階級や新興財閥が
 政党その他の団体にたいして
 ある種の圧迫をくわえている事実がある。
 その他にも街の親分やヤミ屋で
 政界と特殊な関係をむすんでいるものも多く、
 相当ふかくくいこんでいることは
 現在刑務所にある有名なギャングの親分某が
 あやうく国会議員に当選しかかったことからも
 十分うかがわれる。』
と発表した。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/38
この自由党 前篇 民衆なき政治
1952年9月15日 第一刷
1952年9月20日 発 行  定価180円
著 者 板垣 進助
発行者 小宮山量平
印刷者 斎藤 和夫
発行所 株式会社 理論社
    東京都千代田区神田神保町一丁目六四番地
    振替口座東京九五七三六番
日協印刷・橋本製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/108
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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大隈憲二・河野一郎・大野伴睦【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年

【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
著者    板垣進助 著
出版者   理論社
出版年月日 1952
 p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/3
 群がる土建屋
敗戦当時横須賀にあって
一介の運送屋にすぎなかった大隈憲二は、
横須賀鎮守府関係の放出物資をたねに
途方もない大もうけをつかんで
たちまち土建屋隅田組の社長にのしあがり、
三百万円を投じて妾宅をかまえるなど
豪勢な羽振りをみせて
自由党の幹事長 河野一郎とくみ、
四月選挙には自由党から出馬して参議院に当選、
自由党のドル箱となって
一躍党の会計監督の地位についたが、
その翌年、
かれは妾宅の隱匿物資を摘発され、
戦後のどさくさにまぎれた
軍物資の窃盗事件まで、
追及され起訴されるという
たくましい波瀾をみせた。

ちょうどこのころ労働運動を
「不逞の徒」とよんだ
鳩山の後継者 吉田首相が、
昭電疑獄のあと綱紀粛正をとなえて、
再度首相の椅子に座ったとき、
逞しいこの大隈をふたたび
会計監督の地位にすえたのは
「不逞にあらず」の
しゃれからであろうか。
それはともかく、
大隈の会計監督就任は、
戦後のどさくさに立廻った敗戦成金や、
戦後の土建景気をつかんだ土建成金から、
発足当時の自由党が資金を
みつがれた一典例である。

じっさい都市の土建成金の
自由党支持はめざましく、
そのごも自由党はひと口に
土建屋の党とよばれるほど
大小の土建屋から声援をうけ、
土建業出身の議員も
各党をつうじて第一位にあるが、
これは土建屋のもつ組の組織が
仁義と贈賄の荒っぽい封建色にとみ、
自由党の天皇制護持をとなえる性格と
たがいに肌合いがあうからであろう。

鳩山派の柱石 大野伴睦にしても、
その長男と次男がいずれも
土建業にはいっている。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/37
この自由党 前篇 民衆なき政治
1952年9月15日 第一刷
1952年9月20日 発 行  定価180円
著 者 板垣 進助
発行者 小宮山量平
印刷者 斎藤 和夫
発行所 株式会社 理論社
    東京都千代田区神田神保町一丁目六四番地
    振替口座東京九五七三六番
日協印刷・橋本製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/108
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